複雑・ファジー小説

第二十六話『その柚子は、夜を長く、感じていた。』 ( No.109 )
日時: 2011/07/28 17:19
名前: 水瀬 うらら (ID: JNIclIHJ)

真夜中。辺りは、一面、闇と化した世界。湿った暑さが、気付かないうちに徐々に体力を奪っていく。そんな、夜。
 とあるマンションの一室で、怒号が響いた。

「うるっせーな!」

 リビングのフローリングに正座していた、あたしの頭に鈍い痛みが走る。それと同時に、何かが、床に落ちた。横目で確認する。やはり。
 分厚い、辞典。であった。
 普通の人ならば、頭を擦って、痛みを和らげようとするのだろうが、あたしはしない。それよりも、感情を殺すことに専念した。バルコニーの方を向き、夜空を見つめた。こうすることで、感情が内分、痛みも少しは感じなくなるかもしれない。そう思ったからだ。根拠なんてものは、最初から持ち合わせてない。
「……」
「なに黙ってんだよ!人と話すときは目を見やがれ!」
 今度は、膝に激痛が。母さんが愛読している、通販カタログである。投げられた時の勢いが、そのまま痛みに比例していた。
 あたしは、ただ、無表情で、座っている。
パーマのかかった、黒髪。薄汚い黒の半袖。すぎて、今にも腰から落ちそうな、薄茶色の半ズボン。……とても品行方正な高校生には見えなかった。
「……てんめぇ。俺をナメてんのか」
「……」
 恐らく、『侵略者』は今、目に抑えきれない怒りを宿していることだろう。でも、あたしは答えない。床が、あたしの視界を陣取っている。嗚呼、フローリングには、所々、深く凹んでいた。
 あたしのそんな、無関心さに腹が立ったのか、『侵略者』に胸倉を掴まれた。比較的、身長の高い『侵略者』は、腕力も強い。だから、あたしの足は、いともたやすく、床から離れた。
「ふざけてんじゃねえええええええええええええええええ!」
「っ!」
 床に思いっきり、叩き付けられる。咄嗟に、腕を出したが、それでも衝撃は軽減できなかった。あたしの左足から、薄ら、血が滲み出す。目を閉じた。
「あの人……」
「あん?」
 ぽつりと呟いたあたしの一言に、眉を吊り上げたであろう、『侵略者』。息も荒い。拳を握る音がする。『侵略者』は怒鳴り散らした。

「『あの人』じゃねえ!『お兄様』と呼べ!」

 そう……。
この、『侵略者』は、あたしの、実の、兄だ。歳の離れた。
家庭内暴力って、テレビでは、親を想像したけど、実際は違った。
兄が、暴力を振るう。そんな、毎日。

守ってくれる人は、今、ここに、いない。
その存在がどれだけ嬉しくて、そして、どれだけ哀しいものなのか。
あたしは、よく、知っていた。