複雑・ファジー小説
- 第四話 『物月学園、校長の第一印象』 ( No.12 )
- 日時: 2011/08/21 22:35
- 名前: 水瀬 うらら (ID: JNIclIHJ)
「緊張する」
何故か小さな傷だらけで年季の入った、分厚い木製の扉の前で、俺は軽く息を整えた。
天井から銀色のチェーンでぶら下げられている表札には、行書体で深く、『校長室』と彫られている。
「緊張するか? ふぁぁ……オレ、昔から常連だから、全然感じない」
俺の一言に、蓮は欠伸をしながら、大げさに目を見開いた。
「過去にナンパをしたために説教で呼び出されたんじゃん?」
水野さんが指を鳴らす。
「篠原君は宮城君の幼馴染なんですよね? 実際のところはその、どうだったんですか?」
霧島さんは先程の一件を思い出したのか、うっすら顔を赤らめながら、俺と目を合わせないよう、側にあった窓を見つめていた。
きっと気まずいと感じているんだろうな。
霧島さんの想いを汲み取り、俺も彼女と目を合わせようとはしないことにする。
「実際は」
水野さんの予想は外れ。中学生時代、蓮と一緒に他愛もない話に華を咲かせていたものだ。
————蓮が卒業式の一週間前に、転校してしまうまでは。
俺が見る限り、蓮は今みたいにナンパを平気で語るような奴ではなかった。確かに蓮は度々、校長室に呼ばれていたが、ナンパや女子が原因で校長室に呼ばれていたのではなかった。と思う。
あの時、蓮が呼ばれた本当の理由を知っているわけじゃないから断言は出来ない。
真相は今更、知ろうという気さえ起きないな。
だって、誰しも『秘密』というものは持っているものだろうし。
そう納得した後、俺は門扉を叩いた。
「どうぞ」
返事が聞こえたので、ドアノブを握り、回す。
耳障りな音が響く。
そこで俺が目にしたのは、
「よくぞ来たのおぉ! 皆の衆!」
畳の上で茶を啜る、とてつもなく二頭身の爺さんだった。
「………………………………」
しばらく、声も出なかった。
白髪。うっすら禿げた部分があるのは、目の錯覚?
なんといっても衝撃的なのは、ハワイのロゴが入った、黄緑色の半袖に、薄茶色の半ズボン。そしてズボン腰部分の紐は結ばれておらず、だらんとしていた。
「なんじゃ、お主ら? そのボー然とした顔は」
出会い初めに、叱咤されるが、それどころではない。
こ、この爺さんが。まさか?
「こ、校長には見えねぇ」
蓮が俺の気持ちを代弁して言う。心なしか、蓮の顔が引き攣っているような?
「もう、失礼ですよ! 宮城君!」
むっとした声で指摘をする、しっかり者の霧島さん。
「そうじゃそうじゃー! こんの無礼者が! お主など呼んどらんのじゃ阿呆ううおっとと危ない危ない」
熱弁するあまり、校長先生はお茶をうっかり、畳に溢しそうになった。見ていてシュール、この上ない。
ていうか、さっき「皆の衆!」って蓮達が来ることを分かっていたみたいな口ぶりだったのに、蓮は来ちゃ駄目なんですか?
口にこそ出せないが取り敢えず、ツッコんでおく。
すると、水野さんは顎に手を当てて、そこはかとなく小さく呟いた。
「人生の酸いも甘みも噛み分けた、じーさまにはほんとに見えない」
「祖父を馬鹿にするのは止めてください」
軽い憎悪の混じった、それでいてどこか凛とした声が響く。
声のした方向に目を向けると、そこには二十代半ばの女性が立っていた。彼女は、ここは校舎内だというのにも関わらず、少し黒を帯びた紅い短いコートを纏っていた。第一ボタンまで留めている。どれだけ、真面目な人なんだ。
膝下まである灰色のスカートの下からは、美脚が。
そして、三センチ弱のヒール付きの紅い靴。雪のごとく、白い肌と対照的である。
ヒールのせいなのかは分からないが、女性にしては若干、身長が高い。脚が長いからというのが、主な理由なのかもな。
顔つきは端正。ショートカットの髪は、漆黒に染まっている。黒縁の眼鏡の奥には、闇のように真っ黒で、どこか威厳を放つ瞳があった。
この女性を見たら、きっと誰もが言うのだろう。
「ち、知的美人!」
五月蠅いな、蓮の奴。
そう、蓮の叫んだ通り、知性を感じさせる美人だった。
「これこれ! 忍! 学校では『祖父』ではなく、『校長先生』じゃと言っておるじゃろ」
忍と呼ばれた、知的美人先生は、仰々しく、頭を深く、下げた。
「誠に申し訳ありませんでした」
「むむむ。なにも頭を下げんでも」
「そんなところがまた可愛らしいです」
「黙ってください、変態な宮城君」
ハイテンションではしゃぎまりそうな蓮に、刃のような視線を向ける、霧島さん。
「燈兎、まだブラック燈兎になっちゃダメだろ」
「なにそれ?柚子」
蓮たちの話を聞き流しながら、畳に湯呑を置いて、一息つく白髪が綺麗な校長先生。彼の背後に設置された窓からは、温かな木漏れ日が差し込んでいる。そして、その木漏れ日を創っている、ある樹に自然と俺の視線が移り、
「っ」
「どうしたのかね、篠原クン?」
「い、いや、なんでもありません」
息をのむといった、不自然な行動をとる俺を訝しみながら、校長先生は、俺が見つめていた所を見たが、こちらに事情を聞いてくることはなかった。それどころか、軽い口調で会話を再開した。
「自己紹介が遅れたのう! わしゃこうちようせんじゃ」
「すみません、もう一回言ってください」
今なんて言った、この人。
真剣な顔で一生懸命、聞き取ろうとしている霧島さんが視界の隅に映る。
「じゃから、こうちようせん、と」
「もしや、このじーさん、校長先生と言おうとしてんのか?」
「蓮、そういうことは、あまり大きな声で言うな」
「最近、流行りのボケ?酷く面白くないね」
「こうちようせん、こうちようせん……『校長先生』と言いたいんでしょうか?」
次々と意見が飛び交う。
しばらく校長先生は黙っていたが、次第に肩を震わせ、終いには、頬を膨らませながら地団太を踏んだ。
「お主ら! 冗談も大概にせい! わしの名前は『鴻知羊仙』じゃ!」
「ああ、なるほど」
俺はぽんと手をついた。『鴻知羊仙』と言ったのか。
「本気でボケてんのか?」
「いや生きている感覚のない人のことを言うんじゃない? だから『生』がないんだよ」
「きっと、間違えて覚えていらっしゃるんです!正しい読み方を教えて差し上げないと」
「俺の話を聞いて!」
「はい?」
三人は声を揃えた。
俺の話に耳を傾け、事実を目の当たりにした時には、鴻知先生は、畳にのの字をひたすら指でなぞっており、すっかりしょげていた。
なんて子供っぽい校長先生なんだろう。
第一印象があっさりと決まった。