複雑・ファジー小説
- 第二十九話『その柚子は、滑稽な姿をしていた』 ( No.125 )
- 日時: 2011/08/02 16:28
- 名前: 水瀬 うらら (ID: JNIclIHJ)
昼休み。いつみても狭い教室は、人が大勢集うと、さらに窮屈な感じがする。工事でもされないのだろうか。毎日思うが、今日は違った。
クラスメイトの笑う声。誰かの筆箱を漁る物音、追いかけっこする奴の足音。
音、音、音。
全てが邪魔だった。
あたしは静かに席を立つ。
「柚子さん?」
緋由が素っ頓狂な声を上げたが、この際、無視することに。
あたしは、足早に教室を後にした。緋由が走って追いかけてくる気配はない。
擦れ違う人を横目に、ある場所へ向かおうと速度を上げた。すると。
足が、止まった。
目線は、とある教室に留まった。中からは、笑い声が絶えず響いている。このことについては、あたしのクラスと一緒だ。
ただ一つを除いては。
教室の中心とも言える場所には、人気が全くなかった。そして、そこに座る、一人の少女。彼女は、俯いていた。半径二メートル以内には、彼女以外、誰一人としていない。その一帯だけ、周りから切り離されているようにも感じた。
彼女の顔は、よく見えない。分かることは。
橙色のヘアゴムで結われた、ポニーテール。だということ。
声をかけようとしたが……何を言えばいいのだろう。分からない。こういうとき、緋由なら、どうするのだろうか。
周りの音が徐々に消えていき、あたしは、時が止まったように思えた。
虐められている、友達を守れない、自分。そんな……あたしは……。
「!」
ふと彼女が、こちらを見た。目が合う。
あたしは、顔を強張らせ、目を合わせないよう、ふたたび足を進めた。
感情は、殺すんだ。殺す……。
深く亀裂の入った階段を一段一段、上っていく。足取りは覚束ない。上ろうと、足を上げたが、踏みごたえがなかった。そう、頂上に着いたのだ。
あたしは苦虫を噛み潰したような顔で、重い鉄の扉を押した。
途端、涼しい風に包み込まれる。
目に飛び込んでくるのは、誰もいない、寂れた屋上。そして、世界の果てへと続く、白い雲。
「……なんてね。『果て』なんてもの、ありゃしないのに」
呆れ混じりの笑みが無意識にこぼれる。
腰までしかない、錆びたフェンス。どこか色褪せた、街並み。
あたしは、屋上の扉付近のフェンスに手をかけた。フェンスが軋み、悲鳴を上げるが、気にしない。所詮、物でしかないのだから。あたしは軽く飛び越え、そして直立する。
眼下には、無邪気にはしゃぎまわる、子供たち。黄色い帽子を被り、尚且つ、ランドセルを背負っていることから、察するに小学生だろう。
幸せそうな顔。
あたしは、心からその顔が、その幸せが、憎いと思った。
兄から暴力を受ける自分とあの小学生を比べると、ますます、腹が立った。
本当に誰もが平等に、不公平なのかな。
そう呟いて、両手を広げた。
どこからか聞こえてくる、蝉の声。命懸けで、自身の存在を誇張する、あの声。
何故か哀れに感じた、あたし。
一瞬の、同情。
そして思う。
命も懸けず、ただ暴力を受ける、『日常』。
あたしの人生。
それを耐える、自分。
「滑稽だな」
そう嘲笑った。
そうすることで、あたしは……。
自分自身を、否定した。
肩に滴が落ちた。見上げると、雨が、あたしの体を濡らし始めた。
嗚呼、体が冷えていく……。
否。冷えていくのは……。
————————ココロ?
蝉の声は、いつしか、聞こえなくなった。
モノクロの世界に塗りつぶされていく。
あたしは——。あたしは——。
バン!
「!」
突如、屋上の扉が勢いよく開かれる。
あたしは、振り向こうとし、
足を、滑らせた。
あ。
空に身が投げ出される。
嗚呼、落ちていく。
冷たい風が吹き荒れる中、あたしは、そう呟いた。