複雑・ファジー小説
- 第三十四話『前触れを察知するかしないかでは、生存率が』 ( No.157 )
- 日時: 2011/08/19 22:16
- 名前: 水瀬 うらら (ID: JNIclIHJ)
「祢烏先輩!」
「なんだい、忍ちゃん。朝っぱらから」
目を丸くさせる、柊先生。
それもそのはずである。
忍先生は、薄い紅のワンピースを着ていた。スラリと長い美脚に、品のある茶色い革のヒール靴。そして黒縁の眼鏡の奥にある、夏の暑さを感じさせない、冷めた瞳。
「胸がもう少しあったらねぇ、モテるよ?」
「冗談はその服装だけにしてください!」
ママチャリに乗ったまま、顎に手を当て、さながら、評論家の如く語る、柊先生は、俺が言うまでもなく、一喝された。
俺は眉をひそめる。暑さは、この際、気にならなかった。
忍先生、いつになく目が怒っている。
以前、校長室で水野に、祖父である校長先生を馬鹿にされた時のように、静かながらもキレていた。
「柊祢烏先輩」
「なぁに、そんなに怒ってんのよ。忍ちゃん。怒ると、せっかくイイ顔してるのに、皺が出来ちゃうぞ?」
柊先生はあっけらかんとしている。フルネームで呼ばれるときほど、厄がくることを知らないのだろうか。俺は涼しげな柊先生が、不思議でしょうがなかった。
「今日、上級学校訪問があるって、言いましたよね? 私。」
「…………あ」
しばしの沈黙。そして。
「許せ」
やっちまちまったと言わんばかりに親指を立てて、苦し紛れに笑う、柊先生を見た瞬間、忍先生のこめかみに青筋が立った。
うわっ、怖っ。
忍先生のいる場所だけ、禍々しい殺意が満たされている。まるで別世界を見ているようだった。
「————ふざけないで、ください。それに篠原慎君!」
「はい! 」
反射でつい、返事をしてしまったが、何故、関係ない俺が巻き込まれているのだろう。
「ねぇ、シノ。オレは?」
後ろから、悲しそうな声が聞こえるが、敢えて気にしない。放っておこう。
俺は鞄を片手に下げながら、綺麗に直立する。無風のこの環境は、最悪だな。とぼやきながら、忍先生の指示を待った。先生の桃色の唇に注目する。
「貴方、霧島燈兎さんが学級委員に委任されているのは、知っていますね? 」
「そりゃ、まぁ」
冷たい視線に耐えながらも、答える。
自分の学級で起きた出来事を、そう簡単に忘れるわけがない。
黙って頷くと、忍先生は事情を俺に教えてくれた。
どうやら、さっき、霧島さんが、この学園の一年生の代表として、中学生に説明を試みていたのだが、中学校の先生から、『あまりにも噛みすぎていて、分からない』、とのこと。さらには、霧島さんは原因不明の高熱で倒れたらしい。
……後半は、どこかで聞いた話だ。
「——ですので、代わりに学級委員の責務を果たしてほしいのです」
「無理ですね」
俺は、先生の目を見て、即答する。
「…………そうですか」
先生の目は、『祖父ではなく校長先生のご期待に応えなければ』といった、使命にも似たなにかに憑りつかれていた。
なにがなんでも、説明をさせそうな勢いである。
最後には、脅迫なんてことも。夢じゃないだろう。
「分かりました、やりますよ。やります」
「それは良かった。では、急いで、図書室に」
半ば、忍先生に引きずられるように、俺は学園へと連行された。
黒い学生靴から、焼け焦げた香りが漂う。
俺は少し鬱になりながら、ふわふわと空に浮かんでいる雲を見上げた。
……値下げ、効くだろうか。
駅の近くにある、安売りセールを開催中の、あの店なら、きっと大丈夫だな。
俺は、あの店を、信じてる。
名言じみたことを口ずさんでみた。
「おーい、根暗ぁ!」
ふと顔を戻すと、柊先生が、手を振っていた。面倒な奴が消えてよかった的な感じである。
「楽しんでこいよぉ! 」
その姿は、輝いて見えた。
「オレ、忘れられてますよね?」
「ん? お前、いたのか」
「……」
打ちひしがれている、お前の姿、カメラに収めたかった。
あれ。
俺は首をかしげた。またなんか俺、忘れているような……。
運命は、刻々と近付いている。