複雑・ファジー小説

第七話 『神様は、時々、驚きの一言を口ずさむ』 ( No.30 )
日時: 2011/08/17 14:07
名前: 水瀬 うらら (ID: JNIclIHJ)

 痛む鳩尾を、労わるように優しく左手で擦りながら、ゆっくり目を開けると、
 少年が、いた。
 中学生位の年齢なのにネクタイをきっちりと締めた、スーツ姿の少年は、俺とぶつかった反動でよろけていた。
 黒いスーツに埃はいっさいついていない。
 靴は学生用と思われる、黒い革靴。片手に、ビジネスマンが普段、手に下げているような、鞄。
 だが、珍しいことに、その鞄の手持ち部分とは別に、肩掛け専用に長い革紐が、丁寧にまとめられ、鞄の中にきっちりと収納されていた。
 先週のニュース番組でやっていた、カジュアルミディと呼ばれる、ヘアスタイル(パーマなし)を兼ね備えた、その顔は、世間では珍しいとされている、童顔であった。数年経てば、かなりのイケているメンズになること、請け合いだろう。
「け、怪我はないか?」
 一瞬、痛みも忘れ、そう尋ねると、少年は、真っ直ぐ俺を見つめながら、抑揚のない声で、
「はい」
 と頷いた。そして、ふとその場にしゃがみ込み、ぶつかって落ちたのだろう、ある物に手を伸ばした。
「あ」
 思わず声が出る。それは、俺の生徒手帳だった。
「落としましたよ」
 少年は俺に渡そうと、立ち上がり、こちらに向かって腕を伸ばしてきた。
「あ、ありがとう」
 多少、困惑しながらも、受け取る。
「…………篠原さん」
 行き成り、自分の名前を呼ばれ、体がビクついた。わ、なんで、俺の名前を知っているんだ?……あぁ、なるほど!きっと、生徒手帳を拾った際に、名前が見えたんだな。
「なにかな?」
「好きです」
 思考回路が停止した。
「……はい?」
 聞き間違えだろうか、今、この子、『好きです』って言ったよう——
「ですから、好きです」
 間違えてなかったぞ、おい!
 あれ……ちょっと待て、俺、今……

 男に、告られた!

 どうリアクションをすればいいのか、分かったものではない。何故なら、俺は今、人生において、初めての告白を受けたのである。しかも、その対象が男とは、考えたことすらなかった。ま、誰だってそうだろうが。
 少年は、至って真剣な顔で、恐らく、本気なのだろう。
 ……どうすればいいんだよ!
 沈黙に耐えきれず、叫びそうになった瞬間、

「おい、アル!」

 地獄に仏が現れた。
 少年の気が俺から、声がした方向へと逸れるのを感じ、心から安堵した。良かった、あと少し、少年の気がこっちに向いていたら、精神が壊れるかと思った。
 俺の背後から声が聞こえたので、振り返る。
 そこには、襟付きの白いワイシャツを着て、黒い半ズボンを穿いた、先程の少年と顔の酷似した少年の姿。双子なのだろうか。だが、こちらのラフな格好の少年の方が、どこか大人びた雰囲気を持っているように感じる。
「……めぐる、そっちに、いたんですね」
「なに澄まし顔かましてんだ、お前!先生がなぁ、『早く見つけろ早く見つけろ』って、どれほどやかましかったか、知ってんのかよ!」
「…………知りません。」
 アルと呼ばれた少年のあまりのポーカーフェイスぶりに驚く。これだけ怒られても、顔色一つ変えないとは、ある意味、凄いな。
 ………………二人の少年の丁度、度真ん中に立っていて、明らかに話の邪魔であろう、俺が言えることではないのかもしれない。
「ほら、いくぞ!」
 廻と呼ばれた少年がどすどすとアル君に歩み寄って、アル君の腕を掴んだ。
 その行動を見てアル君は、悟ったのだろう。
「では、これで失礼させていただきます。」
 俺に深く礼をしながら、簡潔に別れを告げた。
「ま、またな」
 それしか言えない。
 廻君達は、先程、俺が歩いてきた昇降口へと走っていく。が、
「おい、なにしてんだよ!アル!」
 アル君が、急に立ち止った。そして、俺をまた真っ直ぐ見つめて、呟く。
「……何故、お間違えになったのですか」
「え?」
 アル君の言った言葉の意味を呑み込めずにいると、
「早く行かないと、俺たち先生に殺されんぞ!」
「…………それは不味いです。では、今度こそ本当に失礼させていただきます。」
 廻君達は、昇降口へと消えていった。
 ……どういう意味だよ、アル君。
 一人、そう言葉に出しても、答えてくれる者は誰もいなかった。