複雑・ファジー小説

Re: 獣妖記伝録 ( No.112 )
日時: 2011/08/25 00:51
名前: コーダ (ID: kx1LgPV4)

        〜天狗と鳥獣 後〜

 とても風の強い山の中。
 周りの木々が大きく揺れて、葉と葉の擦れる音がうるさく聞こえる。
 幹の弱い木は倒れ、いかにこの風が強いのか目に見える。

 そんな山の中で、5人の姿があった。
 力強く、やや険しい山を風に負けずに歩く姿は、非常に勇ましかった。

「くっ……」

 5人の先頭を歩いていた狼男。村潟はこの風に思わず苦しそうな一言を漏らす。

「これは……嫌な予感がしますね。楠崎」

 村潟の後ろに居た兎女。琴葉も長い耳を揺らし、自分の傍に居る鳥少年。楠崎へそう言葉をかける。

「嫌な予感も何も……この風は、自然的な現象じゃないね……明らかに妖が出している」

 モノクルを光らせて、楠崎はこの風について言葉を言う。

「う〜む……確かに、風が変だなぁ〜」

 1番後ろで、陽気な声を出す猫男。野良猫は細い尻尾をふりふり動かして風を感じ取る。
 今吹いている風は、非常に不自然だった。
 北から吹けば、時には東からも吹く、気がついたときには西からも吹き、南から吹くこともあった。
 それよりも、自分の真下から風も吹くことがあった。

 少年の言葉通り、自然的な現象とはかけ離れていた——————

「………………」

 5人の中で、1番背の低い犬少女。琥市は村潟の右袖をきゅっと握りながら、無言を貫く。
 その雰囲気は、どこか禍々しかった。

「しかし、この風では私の弓は使えませんね……」

 琴葉は右手に持っている、大きな弓を見つめながら呟く。
 この風で、矢がどこへ行くか分からなかったからだ。
 すると、この言葉に楠崎は彼女の左肩に背負っている箙(えびら)を見つめる。

「どうかしましたか……?」

 琴葉は思わず、自分を見つめる楠崎に言葉を飛ばす。

「いや……なんとかできるかもしれないかなって……」

 右手を顎(あご)に当てて、眉を動かす楠崎。
 少年の言葉に、琴葉はモノクルを触りながら、

「是非。お願いします」

 彼女の言葉に迷いはなかった。
 楠崎は右手に持っている錫杖を琴葉に渡し、懐から何かを取り出す。
 こげ茶色の珠が、紐でたくさん繋がれていて、どこか不思議な雰囲気を出していた。
 そう、少年が取りだした物は数珠(じゅず)だった。

「この風が、妖によってできている……」

 瞳を閉じ、手を合わせる。
 持っている数珠を鳴らし、楠崎は小さく言葉を呟く。

「妖の力に屈しない力を、彼女の矢へ宿らせ、こちらの妨げとなる者を退治せよ……」

 どこか神秘的な雰囲気と口調で、呪文を詠唱する。

「……まぁ、気休め程度だけど、これでなんとかなったかな?」

 少年は数珠を懐に戻し、自身なさげに言葉を飛ばす。
 琴葉は、持っている錫杖を楠崎へ返し、微笑みながら、

「楠崎が失敗したことは見た事ありません。きっと、これも成功しているでしょう」

 この表情に、楠崎は大きな翼をピクリと動かす。

「き、期待しすぎて、痛い目に遭っても知らないよ?」

 持っている錫杖の遊環を鳴らして、女性から目をそらす少年。
 これには思わず、琴葉は小さく笑う。

 ——————村潟の足が突然止まる。
 これにつられて、4人も足を止めて周囲を見回す。
 どこか、恐ろしい雰囲気を耳と尻尾、翼をピクピク動かして感じとる。

「この殺気……間違いない。あの天狗——————」

 この言葉の瞬間、山の中で鉄と鉄が触れ合う音が響き渡る。
 突然村潟を襲った者は黒い着物を着ていて、背中には黒い翼も生えていた。
 腰には、立派な刀も持っており、首には数珠もつけていた。
 そして、なによりも真っ赤な顔と、尖った鼻が1番印象的。
 そう、妖の烏天狗だった。

「くっ……」

 不意打ちを受けたため、少し体勢が不安定な村潟。
 徐々に烏天狗に押されているのが分かった。

「琴葉!」

 楠崎が隣にいる琴葉へそう言葉を叫ぶと、村潟を押している烏天狗へ矢を飛ばす。
 しかし、烏天狗は風を操り村潟との距離を一気に離す。

「これは……少々厄介ですね……」

 眉間にしわを寄せて、琴葉は辟易(へきえき)する。

「風を操る烏天狗より、素早い動きをしないと退治は難しそうだね……琴葉は少し厳しいかな?」

 矢をうつまでの時間が少々かかるので、いくら風の影響がなくなっても厳しい琴葉。
 長い耳をピクピク動かして、悩む。

「あらかじめ、構えていた方が良いですね……ですが、それだと動けない……」
「固定射撃戦法?まぁ、良いんじゃない?」

 琴葉の言葉に、楠崎は錫杖を構えて彼女の前に出る。

「その矢で、翼を射抜いてくれればただの地を這う天狗だしね」

 遊環を鳴らして、鳥のように鋭い眼光で言葉を呟く少年。
 この言葉に、野良猫は両手を頭の後ろで組む。

「そっか、天狗の弱点は翼かぁ〜」

 尻尾をふりふりさせて、気楽に言う。
 すると、村潟は刀を両手で力強く握り鋭い犬歯を出しながら、

「それは、良いことを聞いた。なるほど、翼か……」

 いままで村潟は翼を意識して戦っていなかったのが、分かる科白(せりふ)を呟く。
 正々堂々と戦う狼には、そういう発想は思いつかない。
 そこが長所でもあり、短所でもある。

「さて、次はどこから天狗が来るのかな?」

 遊環を鳴らして、嘲笑いながら言葉を呟く楠崎。

 ——————風の方向が、突然変わった。

「……東から来る……!」

 いち早く、何かの気配を感じたのは琥市だった。
 この合図に、村潟と楠崎は東の方へ体を振り向かせる——————
 刀と刀が触れ合う音と遊環と鉄が混ざった音が響く。

「げぇ……今度は2匹になったぞ!?」

 野良猫は露骨に驚いて言葉を飛ばす。
 先程村潟を襲った天狗の他に、違う仲間もやってきた。
 1匹は村潟と押し合い、後の1匹は楠崎と押し合う。

「うっ……」

 少年はとても苦痛そうな表情を浮かべる。
 烏天狗の押しの強さに、だんだん体は後ろへ倒れていく——————

「楠崎!」

 不意に、隣に居た琴葉の言葉が耳に入る。
 その瞬間、楠崎の目の前に居た烏天狗は刀を落として苦悶な表情を浮かべる。

 ——————天狗の黒い翼には、矢が貫通していた。

「はぁ……さすがに、接近戦はつらいね……」

 先の押し合いで、息を切らす楠崎。
 いつも霊術を使った妖退治をしているので、接近戦闘はとても苦手な少年だった。

「むっ……はぁ!」

 一方、村潟は狼の力を活かして烏天狗の刀を思いっきり弾き飛ばし、翼に深く一閃する。
 ひとまず、2匹の天狗を退治して安堵の表情をする5人。

 しかし、風はどんどん強くなっていく——————

「こんなんで……疲れていたら……大天狗も退治できなさそうだね……」

 楠崎は弱く言葉を呟く。だが、すぐに持っている錫杖の遊環を鳴らして、

「でも、今はそんなことを言っている場合じゃない……」

 目を鋭くして、大天狗に立ち向かう事を決意する。

 不意に、誰かが右肩に手を乗せてきた——————

「……それは、わたくしたちも……一緒……」

 透き通るような声、楠崎の右肩に手を乗せたのは琥市だった。
 大天狗に立ち向かうのはここに居る自分たち。そういう意味を込めた言葉だったが——————

「気安く……こっちの体に触れないでくれる?」

 モノクルを光らせて、少年は少女の手を払う。

「君の思惑が分かるまで、こっちは一切信用しない。いつ手のひらを返してもおかしくないからね。犬神?」

 これ以上にないくらい、嘲笑うかのような表情をする楠崎。
 さすがに、これ以上見ていられないと思った琴葉は少年に一喝する。

「楠崎!さすがに、それは言いすぎでは!?」

 野良猫も、腕組をしながら黙って頷く。
 しかし、1番琥市のことを大切に思っている村潟は、少年に対して怒りを覚えなかった。

 ——————むしろ、同情していたくらいだった。

「琴葉に何が分かるっていうんだい?何も知らないのに、横から口を挟まないで欲しいね」

 思わず琴葉は言葉を失う。確かに、自分は何も分かっていない。だから、返す言葉が思いつかなかった。
 すると、琥市は少し悲しそうな表情をして顔を左右に振る。

「琴葉さん……もういいです……楠崎さんの言うとおり……だから……」

 この言葉に、琴葉はモノクルを触りながら深い溜息をする。

 突然、山の中から不思議な音が聞こえてきた——————
 独特で深い音。それは合戦の始まりを合図するようだった。

「法螺貝(ほらがい)の音……?」

 村潟は眉を動かして、声が聞こえた方向へ体を向かせる。
 すると、楠崎は音の鳴った方向へ足を進めながら、

「妖書籍(あやかししょせき)に、大天狗の主な持ち物が書いてあったんだよね……刀、八手(やつで)の形をした団扇(うちわ)、そして法螺貝さ」

 少年の発言に、4人は目を見開いて声を出さないで驚く。

 そう、この先に大天狗が居るのだ——————

「この先には、大天狗と大量の烏天狗が居る……まぁ、今更逃げられないけどね……」

 モノクルを光らせながら、4人との距離をどんどん離す。

「……行きましょう」

 琴葉の合図で、4人は大きく頷いて楠崎の後を追う。


            ○


 東西南北。全ての方向から風が吹いている場所。
 その周辺に、黒い翼を持った烏天狗が15匹くらい飛びまわっていた。

 ——————中心に、ひときわ目立つ天狗が居た。
 黒い和服を着て、大きな黒い翼を背中につけている。
 真っ赤な顔に、とても長い鼻が印象的だった。
 腰にはとても長い刀をつけており、右手には八手の形をした団扇を優雅に扇(あお)いでいた。
 左手には法螺貝を持っており、それを懐へ入れていた。

 いかにも、大物な雰囲気を出していた——————
 部下の烏天狗が、中心に居る天狗へ何かを報告する。
 特に表情を変えずに、話を聞き見回りを続行させる。
 腕組をして、どこか遠くの方を見つめる大物天狗——————

 不意に、この場から不思議な力を感じた。
 いち早く気づいたのは、やはり大物天狗。
 この異常事態を部下に知らせようとする刹那。
 ——————神々しく輝く、謎の紋章が地面に現れた。
 その大きさは直径30mくらい容易にあった。
 烏天狗は動きを止めて、紋章を見つめる。

「天鳥船の妨げとなる悪い妖たちよ。そなたたちは天鳥船 楠崎によって滅される運命にある……『妖破魔護封矢(あやかしはまごふうし)』……!」

 どこからともかく、呪文を詠唱するような言葉が響く。
 その瞬間、地面の紋章が光り出し大量の破魔矢が出てきた。
 烏天狗たちは慌てて、破魔矢に当たらないように逃げ惑う。
 しかし、それはどこまでも追尾(ついび)してきた。
 いつしか破魔矢の速さに負けて、烏天狗の体に深く刺さる。
 大物天狗は慌てず、破魔矢を自分の刀で斬りつけて乗り切る。

 だが、その勢いは止まることはなかった——————

「ふ〜ん……さすがは大天狗。これくらいの低級霊術じゃ退治できないね」

 相変わらず、どこからともかく声が聞こえてくる。
 大天狗は声の聞こえた方向へ体を振り向かせ、持っている団扇を思いっきり横に扇ぐ——————

 突然、暴風が起こる。
 それは嵐以上に強く、一瞬のうちに大量の木々が倒れていった。
 破魔矢もこの勢いに負け、全て相殺(そうさい)されて消滅する。

 当然、声を出していた者はただじゃ済まないだろう——————
 大天狗が扇いだ先にある木々は全て倒れ、地平線が見えるくらい景色が良くなっていた。
 その景色に、自分と同じような翼を持った者が映る——————
 錫杖を持ち、明らかにそこら辺の人とは違う雰囲気を漏らしていた。

「風の対策くらい、こちらはしているよ」

 モノクルを光らせて、目の前に居る大天狗へ言葉を飛ばす少年。楠崎だった。

「さて、邪魔な烏天狗たちは片づけたし……後は、君だけさ……」

 遊環を鳴らして、錫杖を構える楠崎。
 その瞬間、倒れた木々に下敷きにされていた琥市と野良猫が、だるそうにその場で立ち上がる。

「たぁ〜……いきなり暴風とか死ぬかと思ったぁ!」
「………………」

 和服に着いた汚れを取りながら、野良猫は楠崎へ言葉を飛ばす。
 琥市は両手でメガネをくいっと上げて、大天狗の姿を見つめる。

「……もしかして、琴葉とあの武士は風で?」

 少年は辺りを見回し、2人の姿だけがないことを確認する。
 すると、野良猫は右手で頭をかきながら、

「楠崎の言うとおりさ、琴葉と村潟は油断をしてどっかへ飛ばされた……」

 この言葉に、楠崎は深い溜息をする。
 しかし、すぐに鳥のように鋭い表情へ変える。

「まぁ、2人が居なくても……」
 
 少年は錫杖を両手で持ち、横にくるっと360度回す。
 遊環のついていない所を、思いっきり地面に刺して、背中の翼を思いっきり広げる。

「大天狗に少しくらいは傷を負わせることはできる……はず……!」

 大きな翼をゆっくり羽ばたかせながら、瞳を閉じて精神を統一させる楠崎——————

 その瞬間、少年の体はなぜか宙に舞っていた。
 なんと、大天狗は自分の団扇で楠崎の足元だけ真下から強風を発生させたのだ。

「なっ……」

 突然の出来事に、楠崎は風が吹く場所から翼を使って離れる。
 だが、離れるたびに風も自分が飛んでいる場所まで移動してくる。

「空中は何かと危ないからね……早いところ降りないと……」

 眉間にしわを寄せて、小さく呟く。
 そう、空中は地上と違って本当に四方八方から攻められる可能性がある。

「っと、そんなことを考えているうちに危ない状況になっているようだね……」

 楠崎の目の前には、黒い翼を広げた大天狗が空を飛んでいた。
 いくら鳥人でも、天狗と空中戦は分が悪すぎる。
 早いところ地上へ降りたいが、それを真下から吹く風が邪魔をする。
 正に、絶体絶命だった。

「いくら鳥人でも、天狗と空中戦はまずいんじゃないかぁ〜!?」

 一方、地上では野良猫が楠崎の様子を見て焦っていた。
 もちろん、琥市も尻尾を挙動不審に動かして、その気持ちをあらわにしていた。

「なんとか……しないと……」

 少女は懐の中に手を入れて何かを取り出そうとするが、その動きは止まってしまった。
 あの気難しい楠崎に何を言われるか分からなかったからだ——————

 助けたいのに、助けることを躊躇してしまう。そんな思いが琥市の心にあった。

「………………」

 懐に手を入れたまま、じっと空中の楠崎と大天狗を見つめる少女。

「琴葉、村潟ぁ!早く戻ってこい〜!」

 野良猫はずっと、辺りを落ち着きなく見回しながら、叫んでいた。

「自分の得意な状況に持っていくところ……本当に狡猾だね。思わず褒め称えてしまうくらいさ」

 空中で遊環を鳴らしながら、なぜか偉そうに言葉を呟く楠崎。
 すると、目の前に居た大天狗は鞘から刀を出して構える。

「(刀……接近戦に持ち込まれると厳しいね……なんとしてでも地上へ戻らないと……)」

 心の中で、今自分の置かれている状況を改めて確認する。
 しかし、それでも少年は表情を崩すことはなかった。

「まぁ、なんとか——」

 この瞬間、楠崎の体は弧を描いて飛ばされていた。
 同時に、腹部の辺りに激痛もはしっていた。

「うっ……は、速い……」

 楠崎は空中に浮かびながら、仰向けに倒れていた。
 真下から吹く強い風で、若干上昇していく体。
 急いで体勢を整えて、辺りを見回す。

「い、居ない……?」

 先まで目の前に居た大天狗が突然、姿を消していた。
 いつ、どこで襲われるか分からない状況。

 少年は鋭い眼光で懸命に探す——————
 風が、向かい風になる。
 この小さな変化に気づき、錫杖を構える刹那。

 ——————少年の上半身から、鮮やかな赤い液体が吹き出していた。

「あっ……」

 見事に斜め45度に斬られている体。
 楠崎は、ゆっくり首だけで後ろを見る。
 そこには、赤い液体が流れる刀を持つ大天狗が居た。

「楠崎ぃ——!」

 地上で楠崎の様子を見ていた野良猫は、思わず叫ぶ。
 琥市は歯を食いしばり、懐から右手に5枚、左手に5枚の札を取り出す。
 それを自分の囲むように地面に張り付け、瞳を閉じる。

「暗・炎・病・黒・殺・魔・死・獄・呪(あん・えん・びょう・こく・さつ・ま・し・ごく・じゅ)……汝に憑かれる呪いの——」

 少女は禍々しい雰囲気を出しながら、とても長い詠唱をするが、途中で止まってしまった。
 体を震わせながら、琥市は体ごと後ろへ振り向かせる。

 ——————体中に切り傷を負った、野良猫が倒れていた。
 琥市が詠唱している時に大天狗が気づき、大量のカマイタチを出したのだ。
 それを、野良猫が庇った。

「だ、大丈夫かぁ?く、琥市……」

 いつも陽気に話す野良猫も、今だけは弱々しかった。
 琥市は小さく頷き、両手でメガネをくいっと上げる。

「わ、わたくしが……もっと速く……詠唱できれば……」

 少女は非常に口が回らないため、詠唱するにも時間がかかる。
 自分がもっと速く詠唱出来れば、野良猫は傷を負う事はなかった——————

 そんな悔しい思いを持ちながら、再び禍々しい雰囲気を醸し出す。

「(なにがなんでも……退治……する……!)」

 瞳を閉じて、琥市は口をゆっくり開ける。
 その瞬間、大天狗はまた大量のカマイタチを出す。

「暗・炎・病・黒・殺・魔・死・獄・呪……汝に憑かれる呪いの術……六字目、魔の術……!」

 とても長い呪文詠唱を言いきる。それは、九字切りを連想させた。
 すると空気が妙に重くなる。
 しかし、同時に大量のカマイタチも琥市に襲ってくる。
 少女は、目を閉じて身を伏せる——————

 だが、いつまで経っても痛みは襲ってこなかった。
 不自然に感じた琥市は、ゆっくり目を開ける。

「えっ……!?」

 少女は口を震わせながら驚く。
 なんと、目の前には先程刀で上半身を斬られていた楠崎が、翼を広げて立っていたのだ。
 周りを見ると、翼の羽毛が落ちていることにも気がついた。

「勘違い……しないでよ……こっちは……君を失うと、勝ち目がないと判断して……庇っただけだから……」

 とても脆弱(ぜいじゃく)していた楠崎。
 言葉も非常に弱々しく、いつ倒れてもおかしくなかった。

「でも……これで……大天狗の能力は……使えなくなったんだね……」

 錫杖の遊環を鳴らして、楠崎は嘲笑うかのような表情を残して、その場で思いっきりうつ伏せに倒れる。

「く、楠崎さん……!」

 琥市は、楠崎の傍へ寄り体を揺する。
 上半身から大量に出る血。先程のカマイタチで翼も酷い傷を負っていた。

 また、自分のせいで傷を負ってしまった——————
 少女は思いっきり深呼吸をして、凛々しい眼光でどこかを見つめる。
 そこには、刀を持った大天狗が目に映った。

「先程の魔の術で……あなたの使える能力を全て封印した……風も出せない、カマイタチも出せない……これなら……」

 琥市の詠唱した魔の術。
 それは、相手の使える能力を全て封印する呪術だった。
 妖、人に全て効く。つまり、とても力のある妖にかければ一瞬のうちに、立場が逆転する可能性がある。

「………………」

 懐から札を出して構えるが琥市——————
 だが、その瞬間少女の体に激痛がはしった。

「うっ……」

 思いっきり殴られた感覚。
 どうやら、大天狗は琥市の懐へ颯爽と向かい刀の柄で殴っていたのだ。
 能力が封印されていても、元の身体能力は高かったのだ。

「はぁ……妖術の消費で……体が……動かない……」

 呪術を唱えたことで、琥市の蓄積妖力が減っていた。
 つまり、それは疲労しているということである。
 せっかく能力を封印したのに、このままでは負けてしまう少女だった。

「(……む、村潟……早く……来て……)」

 心の中で、弱々しく自分の従者の名前を呟く少女——————

 その瞬間、独特の風切り音が聞こえた。それは合戦が始まる合図を連想させる。
 大天狗はこの音を聞いて、その場から急いで離れる。
 すると、1本の木に矢が深く刺さった。
 琥市は、この矢を見て安堵の表情を浮かべた。

「大丈夫ですか!?」

 草木が萌える場所から、1人の女性。琴葉が息を切らせて現れる。
 和服は汚れて、モノクルは割れていた。

「わたくしは……大丈夫……だけど……」

 少女は、倒れている楠崎を見つめながら琴葉へ言葉を言う。
 女性も、血だらけの少年を見て絶句する。

「早くしないと……命に影響が……」

 琥市の言葉に、琴葉は楠崎の傍へ寄り呼吸を確認する。

 ——————とても、弱々しかった。
 長い耳を動かして、モノクルは割れてなくなっていたのに、癖でモノクルを触る手ぶりをする琴葉。

「楠崎は、将来大物になる人です。こんな所で死んで良い人ではないです……だから」

 彼女は大きな弓を大天狗に構える。
 左肩にかけている箙から、1本の矢を取り出し大天狗へ射る。
 当然、大天狗はそれを回避して、颯爽と琴葉の懐へ向かう。
 刀を両手で握り、思いっきり45度に斬りつける——————

 しかし、その瞬間鉄と鉄が触れ合う音が響き渡る。

「すまない。少々遅れた……!」

 琴葉の目の前には自分と同じく、汚れた和服を着た男性。村潟が居た。
 大天狗の刀と村潟の刀が押し合う。

「村潟……遅い……」

 少女はむっとした表情をして、村潟へ言葉を飛ばす。だが、その表情はどこか嬉しそうだった。

「すまぬ琥市。この件が済んだらたっぷりと話を聞こう」

 村潟は大天狗の刀を思いっきり弾き飛ばす。
 その隙に、今度は大天狗に深く一閃する。

「ふむ……」

 どこかふに落ちない表情をする村潟。
 一閃をした時の手応えが、少々なかったのだ。

「土壇場で、回避したか……」

 村潟の言うとおり、大天狗はその場に居なかった。
 だが、手応えがなかったにしろ傷はちゃんと負っているはず。そう遠くに行ってはいないと予想付く。

「琴葉さん……これ……」

 琥市は、懐から禍々しい札を1枚琴葉へ渡す。

「あの……これは?」

 もちろん、女性は頭の中に疑問符を思い浮かべながら少女へ問いかける。

「これを……矢に貼り付けて……大天狗を射ぬいて……」

 琴葉は箙から鏑(かぶら)のついた矢を取り出す。
 そして、琥市から貰った札を張り付けた。

 ——————とても、禍々しい雰囲気を出していた。

「どんな妖でも一瞬で消滅させる力……昇天とは違うけど……これで……」

 責任重大な役目を任された琴葉。
 この矢で大天狗が退治できる。しかし、外せば終わり。
 女性は、大きく頷き札のついた矢を箙の中に戻す。

「あぁ〜……やっと痛みがひいた……」

 野良猫は、体をふらふらさせながら琥市と琴葉の傍へ寄ってきた。

「野良猫さん……大丈夫……?」

 少女は、野良猫へ一言を呟く。
 すると、尻尾をふりふりさせながら、

「いやぁ〜……琥市にそう言われたらわっち、大丈夫って言わないといけなくなるなぁ〜」

 両手を頭の後ろで組み、いつもの口調で言葉を飛ばす。

「野良猫。すまぬが……少し手伝って欲しいことがある」

 村潟は、鋭い眼光で野良猫へ言う。

「ん〜?」
「大天狗が来たら——————」

 周りに聞こえないくらい小さな声で、村潟は野良猫へ何かを言う。
 琴葉と琥市は、頭の中に疑問符を浮かべながら2人の姿を見守る。

「へぇ〜……分かった。わっちも協力しよう」

 野良猫は力強く言葉を村潟へ飛ばす。

「かたじけない……そして、丁度良い……」

 礼の言葉を言った瞬間、村潟は刀を両手で力強く握り、耳をピクピクさせながら辺りを警戒する。

「大天狗が……近くに居る……」

 少女の言葉に、琴葉と野良猫も警戒する。

 ——————草むらが、微かに揺れる音が聞こえる。
 村潟はその草むらへ移動して、刀を構えた。
 そして、刀と刀の触れ合う音が周囲に響き渡った。

「ぬっ……」

 村潟は苦悶そうな表情を浮かべる。
 草むらから勢いよく現れたのは大天狗。良く見てみると、持っている刀は先程の物とは違っていた。

「そなたも、勝負をつけにきたか……」

 額から汗を流し、言葉を呟く。
 だが、村潟はどんどん押されて体勢が不安定になってきた。

「村潟……!」

 大天狗が村潟に集中している隙に、琥市は懐から札を出して投げつける。
 当然、札を回避するために大天狗は村潟から距離を置く。

「かたじけない!」

 体勢を整えて、琥市の方を見ずに礼を言う。
 今度は村潟の方から颯爽と大天狗の懐へ行き、45度ではなく90度で一閃する。
 少々変わった一閃に、大天狗は変な態勢で受け止める。
 村潟は口元を上げて、大きく叫ぶ。

「今だ、野良猫!」

 この言葉を言った瞬間、大天狗は体の自由が効かなくなった。
 何が起こったか分からず、辺りを見回すと、背後から声が聞こえた。

「わっちはここに居るぞぉ!」

 なんと、大天狗が村潟に集中しているのを利用して、野良猫は背後へこっそり移動していたのだ。
 先の言葉を合図に、背後から襲い大天狗の体を固定する。

「でかした!」

 村潟も、自分の刀を鞘に入れて大天狗の左側へ行き手や足を使って固定する。
 野良猫は背後から大天狗の右側へ行き、村潟と同じく手や足を使って固定する。
 これで、大天狗は身動きできなくなった。

「今だぁ〜!」

 大きな声で叫ぶ野良猫。
 すると、大天狗の目には弓を構える琴葉が映った。
 当然、暴れて抵抗するが、思いのほか2人の力が強く全く歯が立たなかった。

「これで、終止符を打ちます……!」

 弓の弦(つる)を力強く引き、琴葉は禍々しい矢で大天狗を射る——————

 見事、矢は大天狗の体を貫いた。
 刺さった矢の痛みと、禍々しい力が体全体を蝕(むしば)む感覚が同時に襲う。
 大天狗はとても苦痛な表情を浮かべ、2人を払いのけて地面に倒れて暴れまわる。
 この姿を見た琥市は、囁(ささや)くように言葉を言う。

「もう……あなたは終わり……滅(めつ)……」

 最後に自分の札を、大天狗の額を張り付ける少女。
 すると、闇のように暗い球体が大天狗の体を包み込む。

 ——————しばらく時間が経つと、球体は大天狗と共に消える。
 琥市は、1回大きな深呼吸をして安堵の表情を浮かべる。

「やっと……終わった……」

 周りに居た3人も小さく頷き、安堵の表情を浮かべる。
 不意に、この場に優しい風が吹いてきた。
 いままで天狗たちに邪魔された自然の風。

 ここぞと言わんばかりに優しく吹いていた——————


            ○


「では、拙者らはここで……」
「縁があったら……また……」

 村潟と琥市は、野良猫へそう言って村を後にする。
 大天狗を退治し終わって、すぐだった。
 野良猫は大きく手を振って、2人を見送る。

「さぁ〜て……」

 手を上げて、自分が住んでいる家の玄関を開ける。
 そこには、琴葉の太股で眠る楠崎が目に映った。

「そっちの方は大丈夫かい?」
「一応……命には別状はないですが……」

 琴葉は、眉を動かして少年の翼を見つめる。
 野良猫も自分の額を叩いて、悔しそうな表情を浮かべる。

「もしかして……もう、一生飛べない……のか?」
「ええ……鳥人の翼はとても繊細な作りで、このように深い傷を負ってしまうと……もう……」

 なんと、楠崎は琥市を庇ったことで一生空を飛べなくなってしまったのだ。
 普段空を飛ばない少年でも、さすがにこれは致命的だった。

 鳥人の個性がなくなったのだから——————

「うっ……うん……」

 ようやく楠崎は、眠りから覚める。
 琥市を庇った時から気を失って、今自分がどういう状況に置かれているのか判断するのはとても時間がかかった。

「おはようございます。楠崎」

 琴葉は微笑みながら、少年へ言葉をかける。
 モノクルを光らせて、弱々しく、

「もしかして……大天狗は退治できた……?」
「はい。あの少女のおかげですよ」

 この言葉に、楠崎は満足そうな表情を浮かべる。

「どうかしましたか?」
「いや、あの犬神が本当に妖を退治するために動いていたんだなって……やっと、確信がついたからさ……」

 ようやく、琥市を信用した楠崎に、琴葉と野良猫は耳をピクピク動かして、微笑む。

 しかし、伝えなければいけないことはまだあった——————

「後……非常に申し上げにくいのですが……楠崎の翼は……もう……」

 琴葉は悲しそうに言葉を呟く。
 楠崎は浅い溜息をして、

「まぁ、そんなことだろうと思ったよ……あの犬神を庇った時に、思ったより翼の傷が深くてね……もう、使えないとあそこで判断できた。だから、そんなに気にすることはないよ、琴葉。それに、こっちの翼が犠牲になって大天狗を退治出来たんだから、十分さ」

 自分の目的は、悪い妖を退治すること。それなら、多少の犠牲は覚悟していた楠崎。
 そう解釈できた言葉だった。

「楠崎は……強いですね……」
「……目的の為なら、手段を選ばないだけだよ」

 琴葉はなぜか、目に涙を溜めていた。
 楠崎は頭に疑問符を浮かべながら、尋ねる。

「琴葉?なんで、泣いているの?」
「目的の為なら、手段を選ばない……それは……自分の命と引き換えでも……?」

 この言葉に、少年は眉間にしわを寄せる。
 妖を退治できるなら、自分の命を捨てることをするのか。
 彼女の質問に、即答できず黙る。

「私は……そこが怖いです。知っていますか?兎の獣人は……基本的に……寂しがり屋なんです……よ?」

 琴葉の言葉に、楠崎は目を見開く。
 つまり、自分が死んでしまうと彼女を寂しい思いにさせてしまう。
 兎の獣人はそういう感情に弱く、いつしか精神的にやられてしまう可能性が高い。
 少年は脳内で、悲しそうな表情で歩く女性の姿を思い浮かべる。

 ——————とても、嫌な気分になった。
 自分の犠牲で妖を退治できるなら、手段を選ばない。しかし、その一方でそれを悲しく思う人がいる。
 それに気付いた楠崎は、ゆっくり口を開ける。

「ごめん……琴葉の気持ちを考えないで、自分勝手なことばかり言って……そうだよ……元々、こっちが琴葉のことを巻きこんだのに……勝手に死んで1人にするのは無責任だよ……ね」
「ま、巻きこんだなんて……とんでもないです。私は、楠崎と一緒に放浪してとても楽しいです……あなたと会う前はずっと……1人でしたから……」

 2人の言葉を境に、しばらく無言の空間が流れる。
 野良猫は、空気を読んでこの場から少し離れた——————

「(あそこまで妖のことを考えるのは相当だよなぁ〜……一体、楠崎はなんなんだぁ?)」


            ○


「しかし……不思議な2人だったな。特に、あの楠崎という者は……」

 同時刻。
 村潟と琥市はのんびり街道を歩いて、昨日や今日の出来事話していた。

「天鳥船……琥市は、何か知っているか?」

 この問いかけに、少女はなんとも言えない表情をする。

「ふむ……」

 村潟は足を止める。
 つられて琥市も足を止めて、じっと自分の従者を見つめる。

「少年……とは言えない雰囲気だったな……」

 琥市も大きく頷く。
 少年らしい考え方、動き、それが全てない楠崎。むしろ、並みの大人よりも考え方や動きが優秀である。
 欠点をあげれば、あの嘲笑うかのような表情だけ。なんだかんだで、いつも傍にいる琴葉に優しいということも知っている村潟だ。

「楠崎さんは……わたくしたちとは……違う生き方をしていた……かもしれない……」

 メガネを両手でくいっと上げて、足を動かす琥市。
 村潟は腕組をして、黙って少女の後ろを追う。

「(天鳥船……少し、調べてないと……)」