複雑・ファジー小説

Re: 獣妖記伝録 ( No.113 )
日時: 2011/08/29 21:10
名前: コーダ (ID: Y8UB0pqT)

 山の中にある集落。
 周りの木々に隠れて建っている、たくさんの家。
 険しい坂道ばかりで、馬車などが走れる場所ではなかった。
 しかし、そんな坂道に負けず歩く村人は非常に勇ましかった。
 山の中でしか採れない山菜などを、物々交換して生活をする人々。
 意外と、不自由な生活をしている雰囲気を漂わせていなかった。
 そして、この集落は他の村や町と違って少し独特だった。

 ——————硫黄(いおう)の臭いがするのだ。
 近くに温泉があるのか、かなり臭いはきつく、思わず鼻をつまんでしまうくらい。
 集落に居る人々は、その臭いに慣れているのか、そんなことを気にせず暮らす。

「あ〜……こんなに硫黄の香りが漂っているのに、調査をしないといけないなんて嫌だなぁ……」

 ふと、集落の中から明るい女性の声が聞こえてきた。
 鼻を動かして、硫黄の臭いを嗅ぐ。その表情はとても心地よさそうだった。

「まっ、事件を解決してからの温泉も、またたまらんよねぇ〜」

 どうやら、この女性は調査の為に集落へ来ていることが伺える。
 だが、頭の中は温泉の事しかなかった。
 細い尻尾を動かして、険しい道を歩く女性。

「あった、あった。これが例の燃えた家かい?」

 女性の目に映ったのは、燃え尽きた家らしき建物だった。
 激しく燃えたのか、建物を支える木材は完全に崩れている。

「いざ!調査開始!」

 女性は勢いの良い口調で、燃え尽きた建物を調べる。
 真っ黒な木材を触ったり、1番木材が真っ黒になっている場所を見たり、1つ1つの行動に無駄がなく、何度も同じようなことをやったような雰囲気を漂わせていた。

 そんな女性を、山の中から鋭く見つめるなにかが居た——————


         〜温泉と鼠狐〜


 太陽が頂点に昇る時間帯。
 空は快晴で、残暑の時季にしてはやや暑かった。
 しかし、その日差しは周りの木々によって遮られ、暑さをしのぐには丁度よかった。
 ここは、険しい山の中。
 道の左右には、深い草が大量に萌えている。
 だが、不思議なことに山の中の道は整っていた。
 誰かが歩いた痕跡(こんせき)もしっかり残っていて、普段から人の通りが多い場所だと言うことが伺える。
 そんな場所を、歩く2人の男女が居た。

「ふわぁ〜……」

 昼間にもかかわらず、男は大きなあくびをして、目の端に涙を溜める。

 黒くて、首くらいまでの長さがある髪の毛は、とても艶やかであり、前髪は、目にけっこうかかっている。
 頭には、ふさふさした2つの耳があり、瞳は黒紫色をしていた。
 男性用の和服を、微妙に崩して着用していた。
 輝くような黄色い2本の尻尾を、神々しく揺らす。
 そして、首にはお札か、お守りか分からない物が、紐で繋がれている。
 眠そうな表情と、頼りなさそうな雰囲気が印象的な狐男。

 後ろに居た女は、仕方なさそうな表情をしながら耳をピクピク動かしていた。

「ったく、本当に貴様はいつでもあくびをだせるよな。この寝ぼすけ妖天(ようてん)」

 腕組をして、妖天という狐男に罵声を飛ばす女。
 金髪で、腰まで長い艶やかな髪。頭には、ふさふさした2つの耳がある。
 瞳は金色で、見つめられたら、思わず魅了されてしまうような眼光の中に、なぜか力強い威圧感もあり、それは狼を連想させる。
 肌は、けっこう白く、すべすべしていそうな雰囲気を漂わせていた。
 女性用の和服を上に着用して、下半身にはよく巫女がつけていそうな袴を着ていた。
 狐男と同じく、和服の上を微妙に崩して着用していたので、胸のサラシが若干見えていた。
 そして、輝くような黄色い1本の尻尾を、神々しく揺らす。
 口を開けると、狐とは思えない独特な犬歯も見える。
 そうこの女は、見た目は狐だが、体の中に狼の血が流れている狐狼(ころう)だったのだ。

「我がぁ……あくびをするときは、平和な証拠さぁ〜……」

 のんびりとした口調で、妖天は狐狼女に言葉を飛ばす。
 この言葉に、腕組をしながら納得していた。

「まぁ、確かに貴様がのんびりしている時は平和だな」

 大きく頷く狐狼女。
 すると、妖天はその場で足を止める。

「ん?どうした?」

 当然、この行動に頭の中に疑問符を浮かべる女性。
 狐男は、突然この場でひざまつき、右手で地面を触る。

「お〜……琶狐(わこ)、君も地面を触ってみてくれないかぁ?」

 琶狐と呼ばれた女性は、妖天の言うとおり地面を触る。

 ——————やけに、温かかった。
 尻尾を動かして、驚いた表情をする琶狐。

「な、なんだこれ?」

 地面から手を離して、妖天にこの温かさを尋ねる。
 こめかみを触りながら、琶狐へ分かりやすく説明する。

「この近くに、温泉があるかもしれないってことさぁ〜」
「お、温泉……だと?」

 琶狐は、独特な犬歯を出して言葉を言う。
 意外な反応に、妖天は頭の中に疑問符を浮かべる。

「むっ?君ぃ、温泉に興味あるのかい?」

 腕組をしながら、狐女へ尋ねる。
 すると、尻尾を大きく動かして、

「あぁ!最近、妖(あやかし)退治ばかりで疲れていたんだ!なぁ!早く温泉に行くぞ!」

 明るく言葉を飛ばす。
 妖天は耳をピクっと動かして、琶狐の豹変ぶりに驚く。

「君がそこまで言うならぁ……我はぁ、止めはしない……」
「よっしゃ——!」

 右手を握り、山のこだまが聞こえるくらい叫ぶ琶狐。
 余程温泉に入りたいのか、早足で山の中を歩いていた。


            ○


 山の中を歩いて10分くらいが経った頃、妖天と琶狐の目には小さな集落が映った。
 険しい道の中を勇ましく歩き回り、山菜などを物々交換する人々。
 その姿に、自分たちも険しい道を歩くやる気を貰う。
 そして、この集落は他の村や町にはないものがあった。

 ——————硫黄の臭いがしたのだ。
 琶狐は、この臭いを嗅いで目を輝かせる。

「お〜!これは、本当に温泉が近くにありそうだな!」

 腕組をしながら、傍に居る妖天へ言葉を飛ばす。
 当の狐男は、辺りを見回していた。

「う〜ん……温泉の近くに集落があるということは、秘湯(ひとう)ではないのかぁ……」
「この際、秘湯じゃなくても良いさ!あたしは、疲れが取れればそれでいい!」

 秘湯じゃないことに、若干落ち込む妖天。
 だが、琶狐はそんな狐男の背中を思いっきり叩く。

「まぁ……この際、なんでも良いかぁ……面倒だしぃ……」

 頭をかきながら、妖天は先程言った言葉を撤回する。

「よし!それじゃ、温泉へ行くぞ!」

 琶狐が威勢よく言葉を言った瞬間、どこからともかく大きな叫び声が聞こえた。

 ——————「やや!?怪しい者発見!」

 2人は耳を動かして、体を180度振り向かせる。
 そこには、1人の女性がこちらに向かってくるのが目に映る。

 頭には灰色の2つの耳が生えており、とても細い1本の尻尾も生えていた。
 黒色の髪の毛は、肩までかかるくらいの長さで、前髪は右目を隠すくらい長かった。
 やや暗い赤色の着物をきていて、なぜか右手には十手(じって)を持っていた。
 尻尾の細さから、すぐに鼠だということが判断できた。

「むっ……なんか、面倒なことになりそうだなぁ……」

 妖天は、こめかみを触りながら尻尾を動かして、嫌な予感を察知する。
 鼠の女性が自分たちの傍へやってくると、その姿がもっと詳しく分かった。

 左目の灰色の瞳はとても力強く、この世に居る悪は全て許さないという雰囲気を漂わせていた。

「あんたら、ここの住民じゃないようだねぇ。どういう目的でやってきた!?」

 鼠の女性は、右手の十手を妖天の額めがけて構える。
 あまりの勢いに、1歩後ずさりして答える。

「わ、我らはぁ……ただぁ、温泉に入るためにここへやってきただけさぁ」

 この言葉に、鼠の女性は目を思いっきり見開く。

「あ、あたいより先にここの温泉へ入るのかい!?それはだめだ——!」

 突然、鼠の女性は持っている十手で妖天の額を思いっきり突き、狐男はその場で後ろから勢いよく倒れる。

「貴様!?いきなりなんだ!?」

 琶狐は右腕を思いっきり払い、鼠の女性が持っている十手を弾き飛ばす。
 あまりの力強さに、先の威勢の良さがなくなる女性。

「あ、あんた!?狐の癖に乱暴じゃない!?」
「ふんっ、悪かったな。こんな狐で!」

 腕組をして、独特な犬歯を出しながら言葉を飛ばす琶狐。
 鼠の女性は、耳と尻尾を落として白旗を上げる。

「さ、さすがに十手がないと勝ち目がない……あ、あたいが悪かったよ!」

 むっとした表情をしながら、琶狐へ言葉を飛ばす。
 狐女は腕組を解き、後ろで倒れている妖天へ声をかける。

「ったく、情けねぇな……あんな見え透いた不意打ちくらい回避できないのか!?」

 倒れている人に心配の言葉ではなく、罵声をお見舞いする琶狐。
 妖天は、眉を動かしてその場で立ちながら、

「君ぃ……倒れている者を、さらに追い打ちするのかぁ……?」

 頭をかきながら、やれやれと言わんばかりの口調で琶狐へ言葉を呟く。
 すると、狐女は口元を上げて、

「ふんっ、心配するな。それは貴様だけにしかしない!」

 どうやら、妖天が倒れている時しか罵声を飛ばさないらしい。
 つまり、他の人なら優しく手を差し伸べるとも解釈できる。

「我だけかぁ……それは、どういう意味だぁ〜?」
「貴様なら、それくらい察しろ!」

 なぜか、琶狐は怒鳴り口調で妖天へ言葉を飛ばす。
 狐男は、彼女の言葉を咀嚼(そしゃく)するために眉間にしわを寄せる。

「あ〜……その、あたいのこと忘れてないかい?」

 琶狐は耳をビクッと動かし、はっとした表情で鼠の女性を見つめる。
 妖天は、相変わらず深く考える。

「おっと、悪かった。で、なんだ?」

 鼠の女性の事を忘れていたことを、全く悪いと思っていない琶狐。
 これには、細い尻尾を動かして溜息をする。

「あたいは、ちょっとこの村で調査をしている。その調査が終わるまで、温泉に入らないと自分で決めたのに、少しむしゃくしゃしてさ……」
「そっか、確かにそれはむしゃくしゃするな」

 琶狐は、鼠の女性の言っていることに同意する。

「あんたら、なんか怪しい事件とか解決できるかい?」

 鼠の女性の言葉に、琶狐は後ろで考えている妖天へ尋ねる。

「寝ぼすけ妖天。そこんとこどうだ?」

 突然の言葉に、妖天は尻尾をビクッと動かして、少々慌てる。

「い、いきなりなんだぁ〜?我はぁ、全く聞いていなかったぞぉ?」

 琶狐と鼠の女性は、妖天の言葉に浅い溜息をする。
 そして、また同じような説明を渋々言う。

「ふむ……怪しいと言ってもぉ、怪しいにも色々な種類があるからなぁ……どういう、類(たぐい)だぁ?」

 こめかみを触りながら、尋ねる妖天。
 すると、鼠の女性は困惑しながら、

「あ〜……なんだろう、こう……人とは思えない怪しさって感じ?」

 妖天の眉が動く。
 人とは思えない怪しさという言葉に、引っかかったのだ。

「ふむ……それは、興味深いがぁ……やはり、面倒————」
「よし!あたしたちも、その調査の手伝いをするか!」

 妖天の横から、琶狐が首を突っ込む。
 これには思わず、やれやれと言わんばかりの表情をする狐男。

「本当かい!?それは助かるよ!」

 尻尾を大きく動かして、喜びをあらわにする鼠の女性。
 琶狐は、口元を上げて威勢よく、

「そうときまったら、早いところ解決して温泉へ入りに行くか!」

 言葉を飛ばす。

「ちなみに、あたいは鼠能美野 明調(そのみや みんちょう)。あんたらは?」
「あたしは神麗 琶狐(こうれい わこ)。こっちの寝ぼすけは詐狐 妖天(さぎつね ようてん)さ」

 お互いの名前を言う琶狐と明調。
 そして鼠の女性は、2人を怪しい事件が起こった現場へ案内する。

「琶狐ぉ……もしかして、我だけ逆の意味で特別扱いしているのかぁ?」
「……あぁ、そうさ!あたしは、貴様のことを特別扱いしているんだ!」

 なぜ、自分だけにしか罵声を飛ばさないのかを呟く妖天。
 琶狐は、なぜか顔を赤面させて言葉を叫ぶ。

「(特別かぁ……)」


            ○


 集落の道を歩く妖天、琶狐、明調。
 3人は硫黄の臭いを嗅ぎながら、それぞれ温泉について雑談しながら、現場へ向かっていた。

「温泉かぁ〜……何十年ぶりだな」

 琶狐は、胸を躍らせながら2人へ言葉を飛ばす。
 尻尾がかなり動いているので、かなり楽しみにしていることが伺える。

「先に言っておくけど、村人から聞いた話だと、ここにある温泉は混浴らしいよ?」

 明調は、保険の為に琶狐へそう言うが、そんなもの彼女には関係なかった。

「そんなもん知るか。あたしは、入れれば良いんだからな!」
「そういう問題かい?」

 明調は、琶狐の言葉にずれを感じる。
 混浴と言えば、後ろに居る狐男の存在はどうする?という、彼女の考えが伝わらなかったのだ。

「明調は、何が言いたい?はっきりしないな!」

 琶狐は、腕を組みながら鼠の女性へ言葉を飛ばす。
 すると、明調は狐女へ耳打ちをする。

「(混浴といえば、後ろの男はどうするんだい?)」

 この言葉に、琶狐ははっとした表情をする。
 どうやら、いままでそういうことを考えていなかったのだ。

「(参ったなぁ……どこで、着替える?)」
「(問題はそこなのかい?あたいは嫌だよ。こんな男と一緒に入るのは!)」

 明調の言葉に、頭の中に疑問符を浮かべる琶狐。
 一体、彼女はどうしてそこまで嫌がるのか分からなかったのだ。

「(貴様は、一体何を言っている?お互い入ってしまえば問題ないだろ?入る前が問題だと、あたしは思う)」
「(あ、あんた……それは、本気で言っているのかい?)」

 明調は、眉間にしわを寄せて琶狐の言っている言葉に嘘がないか確かめる。
 すると、狐女はむっとした表情を浮かべる。

「(なんであたしが嘘を言わなければいけないんだ!?ん?まさか、貴様は男と一緒に入るのが恥ずかしいのか!?)」
「(そうさ!逆に、なんであんたは抵抗がないのさ!?)」

 この質問に、琶狐は口元を上げて、

「(大事な所を見せなければ、それで十分だ!もし見せても、減るもんじゃない!)」

 この強い言葉に、明調は浅い溜息をする。
 自分には、そういう考えを持つことが無理だったのだ。

「(いや、もう良いや……)」

 これ以上話しても、自分がみじめになっていくと思った明調は話を切り上げる。
 当の琶狐は、やはり頭の中に疑問符を浮かべていた。

「むぅ……もしかして、あれが怪しい現場かぁ〜?」

 妖天は、拱手をしながら2人へ言葉を送る。

 3人の目に映ったのは、燃え尽きた家らしき建物だった。
 激しく燃えたのか、建物を支える木材は完全に崩れている。

「そう!これが、今回の怪しい現場!」

 明調の言葉に妖天はふむと、一言呟く。
 琶狐は燃え尽きた家を黙って見つめていた。

「少し、調査しても良いかぁ〜?」
「ああ、もちろんさ」

 一応、明調に許可を取る妖天。
 そして、燃え尽きた建物を調べる。
 木材の燃え方や崩れ方、意外と見るべき場所をしっかり見ていた妖天。
 琶狐は腕組をして、何を調べて良いのか分からなくて大きく唸っていた。

「ふむ……」

 拱手をしながら、妖天は一言呟く。

「どうだい?なんか分かったかい?」

 右手に十手を持ちながら、妖天へ声をかける明調。
 すると、狐男は口元を上げて、

「まぁ……だいたいは分かったぁ……だが、あまり関わらない方が良いと思うぞぉ〜?」

 この言葉に、琶狐と明調は驚いた表情をする。

「この建物が燃えた原因……君の言うとおり、これは妖(あやかし)が引き起こしたものさぁ……今も、じっと我らのことを見ているだろうねぇ……」

 琶狐は、耳をピクリと動かして途端に鋭い眼光で辺りを見回す。

「よさんか琶狐……あまり、波山(ばさん)を挑発するでない」
「ば、波山……?」

 明調は、変な声を出しながら妖の名前を呟く。

「山の中に生息している大きな鶏(にわとり)さ。普段はおとなしいが、挑発すれば口から炎を出すとんでもない妖……人を避ける習性だし……あまり、我らの方から手を加えない方が良いだろう……」

 長々と説明する妖天。2人は開いた口が塞がらなかった。

「それに、この建物には人が住んでいた気配が全く感じられん……きっと、不要な建物を燃やしたのだろう。そういう事で報告しても、かまわないと思うがねぇ……」

 拱手を解いて、そそくさと燃え尽きた建物から離れる妖天。
 相変わらず、妖の知識だけはすごい。琶狐はそう心の中で感じながら狐男を見つめる。

「そっかぁ……妖がこの事件を引き起こしたのかい……まぁ、不審者よりはまだ良いかな」

 明調は、右手の十手を懐へしまって腕組をしながら何度か頷く。
 そんな中、琶狐はじっと山の中を見つめていた。

「琶狐ぉ……たまには、良いじゃないか。我も君も疲れているし……」
「そう……だな……」

 妖天の言葉で、琶狐は山の中を見つめることをやめる。
 それに、疲労して状態で妖を退治できる自信がなかったからだ。

「さてぇ……ひと段落したし、温泉へ向かうかぁ〜?」

 この言葉に、2人は尻尾を大きく振る。
 そして、また険しい山を登って温泉へ向かう3人だった。

 ——————その光景を山の中からじっと見つめる何かは、翼を広げてここから離れていった。


            ○


 3人は、温かい温泉にのんびり浸かる。
 妖天は琶狐と明調から距離を置いて、静かに入っていた。

「ひゃ〜……良い湯だぁ〜……」

 明調は、とても満足そうな表情を浮かべながら言葉を呟く。
 その証拠に、温泉に入りきらない細い尻尾が激しく動かしていたからだ。

「あぁ……疲れが取れる……」

 琶狐も、この温泉に満足しながら入っていた。
 明調と同じく、入りきらない尻尾がゆっくりと心地よく動いていた。

「あんたって、実はかなり胸があったんだな」

 お湯の上に浮かぶ、琶狐の豊満な胸を見つめる明調。
 その表情は、とても羨ましそうにしていた。

「これか?本当だよ……邪魔で仕方がない!」

 琶狐の言葉に、明調はむっとする。
 それなら、自分に分けて欲しい。そんな雰囲気を露骨に出す。

「なんか、あたい悔しいよ」

 明調がそう言った時には、琶狐は妖天の近くへ向かっていた。
 本当に、女性とは思えない考えと行動をする。鼠の女性は浅い溜息をする。

「おい!そこで1人で入っている寝ぼすけ妖天!」

 琶狐は、1人で静かに温泉に入っている妖天へ罵声を飛ばす。
 これには、少しだるそうに狐女の方へ首だけ振り向かせる。

「むぅ……我はぁ、ゆっくりしていたのになぁ……」
「知るかボケ。ここまで来て、1人で入るのはあたしが認めん!」

 この言葉に、妖天は深い溜息をする。

 ——————首につけている、お守りかお札みたいな物が目に映る。

「貴様。そのお守りかお札みたいな奴、本当に肌身離さず持っているんだな」

 琶狐は、頭に疑問符を浮かべて尋ねる。
 しかし、妖天はやはりはっきりしない言葉を呟く。

「これはぁ……どんな時でも、持っていないとだめなような気がしてなぁ……う〜む……なんでだろうなぁ……」

 頭を悩ます妖天。琶狐は眉を動かして、

「いや、そんなに深く考えるな。また倒れたらどうする!?理由くらい、ゆっくり思い出していけばいいだろ!」

 彼女なりの優しい言葉。お守りかお札みたいな物について考えすぎると、倒れてしまうのを防ぐためだ。
 妖天は素直に、考えるのをやめる。

「ふむ……君はぁ、なんだかんだで優しいなぁ……」

 こめかみを触りながら、琶狐へ言葉を呟く。
 これには思わず赤面させて、

「な、何度も言うが、それは貴様が気になるからだ!深い意味は……ない!」

 温泉に入りきらない尻尾を、大きく振りながら言葉を飛ばす。
 妖天はそんな彼女の姿を見て、思わず眉を動かして笑う。

「い、いきなりなんで笑うんだ……?」

 突然笑い始める狐男に、琶狐は戸惑う。
 何気に、この狐男が笑うのはけっこう稀なことである。

「やはり、君はぁ……面白いなぁ……我の事を、ここまで気にしてくれる者は、君が初めてな気がする……」

 妖天は、どこか遠くの方を見つめながら言葉を呟く。
 その表情は、どこか嬉しくもあり、悲しそうだった。
 琶狐は耳をピクピク動かして、狐男が今どんなことを考えているのか彼女なりに咀嚼する。

「前までは、我はぁ……う〜む……?」

 何か言いたそうな言葉だったが、すぐに何を言いたいのか忘れる妖天。

「(やっぱり、こいつは重要な記憶がないんだな。昔……か?)」

 琶狐は、頭の中で妖天の記憶がなくなっている部分を考える。
 基本的に昔の話などは聞かされない。もし尋ねても、忘れたという一言で流されてしまう。

 ——————妖天が失った記憶は、過去かもしれない。琶狐は薄々そう感じてくる。

「(こいつの過去……何かあったのか?)」

 どんどん狐男の事が気になり始める琶狐。
 特に、妖に関しての膨大な知識がとても興味津津だった。
 妖天は、そんな彼女のことを見向きもしないでのんびりする。

 ——————気がつくと、温泉の周りは白い湯けむりに覆われていた。
 全く先が分からない状況。それは、傍に居る妖天の記憶を具現化しているようだった。