複雑・ファジー小説
- Re: 獣妖記伝録 ( No.128 )
- 日時: 2011/09/11 12:43
- 名前: コーダ (ID: d4HqvBA8)
「いやぁ————!」
清々しい山の中から聞こえてきたのは、少女の悲鳴だった。
それは周りの木々が揺れて、葉と葉が擦れあう音もかき消すくらいの音量。
「こ、来ないで——!」
少女は、猫のような尻尾を大きく動かして逃げ惑う。
——————1本足で宙返りしながら移動する人型の何か。
——————体長5mくらいの、巨大な芋虫。
運悪く、猫少女は2匹の妖(あやかし)に追われていたのだ。
正に絶体絶命。生きていることが不思議な状況でもある。
「あっ——」
猫少女は、思わずその場で勢いよく転ぶ。
打ち所が悪かったのか、すぐに立ち上がることが出来なかった。
その間に、2匹の妖との距離はどんどん縮まっていく。
「も、もう……だめ……」
猫少女は、目の端に涙を溜めて死を悟る——————
「忌々(いまいま)しい妖、一本ダタラ(いっぽんダタラ)を退治し、道を外した精霊、野鎚(のづち)に仕置きを今、天鳥船 楠崎(あめのとりふね くすざき)の名において処す」
突如(とつじょ)、どこからともかく聞こえてくる詠唱。
これを聞いた猫少女、一本ダタラ、野鎚は動きを止める。
「……破邪(はじゃ)」
この言葉の後に、鉄でできた遊環(ゆかん)が鳴る音も響き渡る。
——————妖の一本ダタラの体に聖なる紋章が浮かぶ。
——————精霊の野鎚の体には禍々しい紋章が浮かぶ。
そして、その紋章が消えた瞬間一本ダタラはこの世から消え去り、野鎚はその場で悶え苦しむ。
「えっ……?」
何が起こったか未だに理解できない、猫少女。
尻尾を挙動不審に動かし、ただただ辺りを見回す。
「……大丈夫かい?」
背後から聞こえてくる声。
猫少女は首だけゆっくり、後ろへ振り向かせる。
そこには、神々しい雰囲気を漂わせた少年が凛とした表情で立っていた。
背中にある翼が少年の体を大きく見せて、どこか威厳も漂わせる。
「だ、大丈夫……えっと……もしかして、あなたが私を……?」
耳をピクピクさせながら、言葉を呟く猫少女。
なぜか少年は、嘲笑(あざわら)うかのような表情浮かべ、
「ここは、妖が多い……早く帰った方が良いと思うけどね……」
猫少女の質問を完全に無視して、忠告をする。
そして、少年はこの場を後にする——————
「ま、待って……!あ、あなたの名前は!?」
なぜか、少年の名前を尋ねる猫少女。
すると、足を止めて首だけ後ろへ振り向かせ、
「猫嫌いな、天鳥船 楠崎」
一言言葉を飛ばし、再び足を進める楠崎。
猫少女はしばらくその後ろ姿を見ていた——————
〜天鳥船 楠崎〜
たくさんの木々で覆われた山。
太陽の光を遮り、人の目では山の様子が分からなかった。
かといって、山の中に入る者はいない。あまりの木々の多さに、入る意欲もなくすからだ。
そんな山の中に、神々しい建物があった——————
正面には朱色の鳥居(とりい)が目に映り、奥には木造建築の瓦で覆われた屋根——————神社だ。
「楠崎……また、書庫に居たの?」
どうやらここには、人が住んでいた。
背中に灰色の大きな翼をつけて、巫女服を着ている少女。
黒色の髪の毛は、腰にかかるくらい長く、とても可愛らしい容姿をしていた。
前髪もけっこう目にかかっており、その瞳は藍色に輝いている。
おしとやかな雰囲気を漂わせ、正に巫女らしい鳥巫女。
「そりゃ、妖について知識を頭に入れないとだめだからね……こちらは」
鳥巫女の傍には、自分と同じくらいの少年が居た。
背中に、灰色の大きな翼をつけており、男性用の和服を着ていた。
黒い髪の毛は、肩までかかるくらい長かった。ぱっと見た感じ少女にも見える顔立ち。
右目は、深海をイメージさせるような青色で、左目は、血を連想させるように赤かった。
そして、左目にモノクルをつけている。
錫杖(しゃくじょう)を持ち、妙な雰囲気を漂わせている鳥少年。
2人は、縁側で立ちながら会話をしていた。
「やっぱり楠崎は、妖のことばかり考えているんだね……」
鳥巫女は、どこか悲しそうな表情を浮かべながら、楠崎という鳥少年に言葉を飛ばす。
「まぁ、それがこちらの使命だからね……でも、君の事もちゃんと考えているよ。藍(あい)」
楠崎は持っている錫杖の遊環を鳴らし、ぎこちない笑顔で呟く。
藍と呼ばれた鳥巫女は、少々顔を赤面させる。
「もう……楠崎は言葉だけなんだから……た、たまには態度で示してよ……」
この言葉に、楠崎は嘲笑うかのような表情で、
「態度?君は、こちらに何をして欲しいのかな?」
やや意地悪な質問に、鳥巫女はむっとする。
「それくらい……自分で考えてよ……もう……」
翼を動かして、やけに挙動不審になる藍。
楠崎は、そんな彼女を左目の赤い瞳で見つめる。
「君にしてあげたいことはいくつか思い浮かぶけど、なにをすれば1番喜ぶのかは分からないんだ。だから、藍が言ってくれないと困るわけ。それに、これから何十年も会えなくなるしね……早く言った方が良いよ?」
あくまで、藍が言ったことを尊重する楠崎。言っていることは立派だが、視点を変えると人任せである。
「……意地悪。一応私と楠崎は許嫁(いいなずけ)なんだよ?」
藍の言葉に、楠崎は眉を動かして少々困り果てる。
なんと、この2人は許嫁だったのだ。
お互いの両親が生まれた子供を婚約させる、昔からの約束。
運が良かったのか悪かったのか、楠崎は天鳥船家の息子となり、藍は巫鳥(みちょう)家の娘となる。
この時点で、約束の九割は果たしていた。
残りの一割は——————
「許嫁ね……本当、あの両親たちは勝手なことを……」
「楠崎は、私と婚約するの本当は嫌なの……?」
そう、本人たちの意思である。
いくら親同士で約束したことでも、本人が合意しなければ婚約は厳しい。
家によっては、本人たちの意思に関係なく強制的に行う場所もある。
なぜこのようなことを行うのか、それは一言で説明できる。
子孫を残すためだ。
偉い家、歴史ある家になればなるほど、こういう事が行われる。
つまり、楠崎と藍のどちらかの家はそういう類(たぐい)なのだ。
「嫌とは言っていない……ただ、その話しは早すぎる……」
眉間にしわを寄せて、持っている錫杖の遊環を鳴らす楠崎。
「その話しは、私たちが生まれる前から決まっていたことだけど……」
「それがいけないんだ。何が起こるか分からないのに、生まれる前から許嫁とする……自分の家の事だが、誠に滑稽(こっけい)だね」
この言葉に、藍は言葉を失う。
何が起こるか分からない。楠崎は重たい口調でそう言う。
「楠崎は死なない……翼を失っても、必ず帰ってくると私は、信じているよ……」
藍がそう呟くと、楠崎はゆっくり翼を動かして、
「ごめん。ちょっと1人にさせてくれる?」
鳥巫女は大きく頷いて、この場を後にする。
1人になった鳥少年は、縁側に座ってただただ何かを考える。
○
「藍ちゃん?浮かない表情をしてどうしたの?」
一方、縁側を後にした鳥巫女の藍は、神社の一室に居た鳥の女性と話していた。
左目にモノクルをつけて、顔の小じわが少々見られるが、どこか優しそうな雰囲気を漂わせていた。
「楠崎は……帰ってきてくれるのかな……」
藍は小さく言葉を呟くと、鳥の女性は翼をゆっくり動かし、
「家の息子には、何が何でも帰ってきてもらうよ。可愛い藍ちゃんを、見捨てたら承知しないってきつ〜く、言っておいたから大丈夫」
この鳥の女性は楠崎の母ということがこの流れで分かる。
藍は、少々目に涙を溜めて言葉を呟く。
「天鳥船の使命……それで、片付く私の心じゃない……楠崎が迷ったらどうしよう……楠崎が怪我をしたらどうしよう……楠崎が……死んだら……」
鳥巫女は、涙を畳の上に落として言葉を飛ばす。
天鳥船の使命。
天鳥船家の長男として生まれた者は、両親が息子の力を認めた時から40年間、妖退治をするために旅をする。
当然、認められるにはそれなりの訓練や知識をつける必要がある。
ある時は、妖退治をするための術を覚えて唱えたり、ある時は書庫にこもって妖の知識をつける。
当然、その間は遊んだりすることはできない。
天鳥船家の書庫は、非常に歴史ある書籍ばかり集まっており、それは長男しか読むことができない。
楠崎もその使命を担う義務がある。それが、もうそろそろだったのだ。
もちろん、無事に帰ってくるとは限らない。とても力のある妖と戦って命を落とすこともある。
これを行う目的は、単純にこの世から悪い妖怪を絶滅させることである。
余談だが、妖退治にここまで力を入れているのは天鳥船家くらいしか存在しない。
「本当。こんなに家の楠崎のことを思ってくれる許嫁が居るなんて……息子は幸せ者だよ」
楠崎の母は優しい眼差しで、藍を見つめる——————
その途端、この部屋の襖が開いた。
「藍……?」
鳥巫女の名前を呟いたのは、偶然この部屋へ入ろうとした楠崎だった。
藍は、涙を流しながら鳥少年へ勢いよく抱きつく。
「えっ……」
思わぬ展開に、楠崎はどうしたらいいのか分からず、ただ翼を動かすことしか出来なかった。
「お願い……必ず帰ってきて……私はそれだけが望みだか……ら……」
切実な言葉に、楠崎は藍の頭を優しく撫でる。
ここまで言われてしまうと、何が何でも帰ってこなければならない。鳥少年は心に深く刻む。
「楠崎。お前にはこうやって大切な人がいるんだよ。絶対に無茶をしないで……帰ってくるんだよ」
母の言葉に、楠崎は大きく頷く。
そして、とうとう鳥少年が神社を離れる日がやってくる——————
○
天鳥船の使命で、妖退治を担う楠崎。
神社を後にして、妖が居そうな場所へ1人で向かい、もし居たら退治する。
そんな生活を送り続けて、もう3年が経とうとする——————
「あの山……かなり怪しいね……」
持っている錫杖の遊環を鳴らし、モノクルを光らせて一言呟く楠崎。
どうやら、目の前の山から妖の気配を感じたようである。
「低級妖なら慌てなくても良いけど……もし、違ったら面倒なことになりそうだね……」
楠崎は翼をゆっくり動かし、山の中へ足を進める——————
「あの山は危険ですよ」
不意に背後から、声をかけられる楠崎。
思わず身体ごと後ろへ振り向く。
頭の上に兎のように長くて白い、ふさふさした耳が2本あり、女性用の和服を着ていた。
髪の毛も白く、長い。とても赤い瞳が印象的で、右目にはモノクルをつけていた。
右手には、とても大きな弓をもっていた。猪くらいなら、即死させてしまう威圧感である。
左肩には、矢を入れる箙(えびら)というものもつけていた。
極めつけに、首にはお守りかお札か分からない物が、紐で繋がっている。
楠崎は、そんな兎女の首に繋がれている物を見つめながら、言葉を飛ばす。
「どこの誰かは分からないけど、こちらはそれを承知で入ろうとしている。だから、余計なことをしないで欲しいね」
楠崎は偉そうに兎女へ言葉を飛ばす。
「これは失礼しました……」
兎女は特に苛立つことなく、素直に謝った。
「……君、その弓は?」
彼女の持っている大きな弓について、尋ねる楠崎。
兎女はモノクルを触りながら、
「これですか?自慢ではないのですが、低級妖なら退治できる代物ですよ」
低級妖を退治できる弓と彼女は言うが、明らかにそれは間違いだと判断する楠崎。
弓で退治できるなら苦労しない。つまり、この兎女はかなり実力を持っているのだ。
「ふ〜ん……低級妖くらいね」
楠崎は、右目の青い瞳で兎女を見つめる。
「今時、珍しくないと思いますよ?妖退治を専門とする人以外が——」
「いや、そんなことないよ……今でも、妖退治を専門とする人は低級妖にだって苦戦する……所で、君の名前は?」
楠崎はモノクルを光らせながら妖退治の現状を呟き、なぜか兎女の名を尋ねる。
「私は箕兎 琴葉(みと ことは)と言います。ただただ、あてもなく放浪する兎です」
琴葉と名乗る女性は、慇懃(いんぎん)に自分の名前を言う。
この大人らしい態度に、楠崎は思わず翼を動かして、
「君は、とても好感が持てるね……もし、暇だったら一緒についてくる?琴葉」
偉そうにかつ馴れ馴れしく言葉を飛ばす楠崎。
名前を聞いた途端に、その人の名前を言うのはある意味、度胸がいる。
「良いのですか?」
琴葉は一緒に行く気満々だったが、一応許可を得る。
「こちらに、同じことを言わせるのかい?」
楠崎はそう呟き、山の中へ足を踏み入れる。
——————その表情は、とても深刻そうだった。
琴葉も自分の弓をしっかり持ち、鳥少年の後をついていく。
○
いざ山の中に入ると、かなり禍々しい雰囲気を漂わせていた。
それは優雅に揺れる木々、葉と葉が擦れあう音が気にならないほどだった。
楠崎は遊環を鳴らし、自分たちの存在を誰かに知らせる。
琴葉は何かあった時のために、長い耳を動かしながら辺りを見回す。
「これは……ちょっと危ないかな……」
眉間にしわを寄せながら、楠崎は深刻そうに呟く。
「危ない……私には、よく分かりませんね……」
「まぁ、分かる方が不思議なんだけどね……」
楠崎は、左目の赤い瞳を輝かせて呟く。
「所で、あなたの名前を聞いていませんでしたね」
琴葉の言葉に、楠崎は翼をビクッと動かす。
彼女の名前を聞いておいて、自分の名前は言っていなかったのだ。
だが、鳥少年は眉を動かして悩む。
「(……今、安易にこちらの名前を言って大丈夫なのかな?)」
自分の名前を言うのを拒む楠崎。
何か不都合なことがありそうな表情を浮かべる。
「あ、あの……?」
琴葉は長い耳をピクピクさせながら、そんな楠崎を見つめる。
だが、当の本人は彼女の言葉を耳に入れずひたすら考えていた。
「(ちょっと、様子をみようかな……)」
小さく頷き、楠崎は琴葉と対面するように身体を向ける。
「琴葉は、いままで会った鳥で1番印象的な人は誰?」
突然の質問、琴葉は眉間にしわを寄せて考える。
いままで自分があったことのある鳥で1番印象的な人——————
彼女の口がゆっくり開く。
「そうですね……あなた……です」
まさかの言葉に、楠崎は一瞬口ごもる。
そして、わざと咳払いをして一旦この場を元に戻す。
「そう……なら、良いか……」
右手人差し指を、口に当てて小さく呟く楠崎。
「えっと……あなたの名前は……?」
「天鳥船 楠崎」
余計なことを言わずに、自分の名前だけを言う鳥少年。
すると、琴葉はくすりと笑い、
「とても、良い名前ですね」
思ったことを、素直に言葉にする。
余談だが、この世で1番正直な種族は犬と狼、次いで兎である。
なので、楠崎も素直にこの言葉を信用する。
「琴葉の好きに呼んで良いから」
顔を伏せて、小さく呟く鳥少年。
「分かりました。楠崎」
そして、この言葉で翼がピクリと動く。
「(君も……藍と同じだね。すぐに名前を呼ぶなんて……)」
楠崎は、昔を思い出しながら心の中で呟く。
そして、2人はどんどん山の中へ足を進める——————
○
楠崎と琴葉は、山の中流付近に到着する。
少し流れの早い水で、それはとても透き通っていた。
「綺麗な水ですね」
琴葉は、川の傍へ向かいその場でしゃがむ。
両手で冷たい水をすくい、美味しそうに飲む。
「美味しい……」
長い耳を動かして、もう1杯水を飲む琴葉。
一方、楠崎は瞳を閉じてずっと考えていた。
「(ここから……非常に強い力を感じる……)」
遊環を鳴らし、一応自分たちの存在を誰かに知らせる楠崎。
しかし、強い力は消えなかった。むしろ、その力はどんどん強くなっている。
「(挑発になったようだね……つまり、ここに居るのはかなり強い妖……)」
眉間にしわを寄せて、妖について考える楠崎。
この地形で現れる妖、妖力の雰囲気でどれくらい強い妖か、自分たちと妖の距離はどれくらいかなど、自分の持っている知識で推定する。
「(妖力は……過大に評価して土蜘蛛と同じくらいかな……距離は……けっこう近い……だけど、どこから……?)」
自分たちとの距離は近い、だが妖がどこから現れるか分からなかったのだ。
そこら辺の萌えている草むらから出てくるような気配はしないし、木の上からでもなかった。
——————「あれ……?なんで、川に糸が流れているのでしょうか?」
「(糸……まさか!?)」
琴葉の言葉に耳に入れた瞬間、頭の中で閃くが時すでに遅かった。
川の中から大きな水しぶきをあげて、現れる大きな生き物。
体長はだいたい5mはあり、足が8本もある。極めつけに、身体は女性の体と蜘蛛の体が合わさったような感じだった。
「琴葉!」
声変わりが始まって間もないころの高い声が、山の中で響き渡る。
琴葉はすぐさま後ろへ振り向き、謎の蜘蛛の姿を目に入れる。
「な、なんですかこの妖!?」
「女郎蜘蛛(じょろうぐも)……その糸で数々の男たちを水の中へ引き込み水死させる……時に、美人な女に化けることもある……そして、この妖が狙う者は——」
この瞬間、女郎蜘蛛は目の前の琴葉を無視して遠く離れた楠崎を襲うため颯爽と動く。
そして前の2本足を振り下ろし、鳥少年へ攻撃する。
だが、楠崎も簡単に攻撃を受けないと言わんばかりに錫杖を構えて守りの態勢をする。
遊環の音と鋭利な物が当たった時に響く音が同時に山の中で鳴る。
「それは……もう、足じゃなくて刃だね……」
腕を震わせながら、楠崎は苦悶な表情を浮かべる。
どうやら、女郎蜘蛛の力に押されていたのだ。
術の詠唱ばかり行い、本ばかり読んでいる少年はとても力の方は弱かった。
「うっ……無理に受けることはしないほうが良いね……」
今更、自分の行動に後悔する楠崎。
——————やはり、まだ考えが甘い証拠だ。
鳥少年は持っていた錫杖を弾かれる。
そして、女郎蜘蛛は鋭い足で斬りつける——————
「楠崎!」
琴葉は自分の左肩にかかっている箙から矢を取り出し、女郎蜘蛛目がけて放つ。
矢は独特な風切り音を鳴らし、それは合戦が始まる合図を連想させる。
そして、その後に女郎蜘蛛の悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「ふぅ……なんとかなったみたいだね……」
「大丈夫ですか!?」
琴葉は楠崎の傍へ行き、様子を伺う。
鳥少年の腕は、未だに震えている。力を使いすぎて痙攣していたのだ
「琴葉……先の弓は、鏑(かぶら)がついていたようだね……」
「えっ?あっ、はい」
琴葉は箙の中から、鏑のついた矢を取り出し楠崎に見せる。
その間、女郎蜘蛛は痛みに悶え苦しんでいた。
「確か……鏑のついた矢は、邪を払う飾り矢としての用途も備わっている……つまり、妖を退治できる力を宿らせることができる……」
楠崎は、ぶつぶつと小さく呟く。
そして、モノクルを光らせて、
「琴葉、破魔矢(はまや)の使用を許可するよ」
突然の言葉に、琴葉は長い耳を動かして疑問符を浮かべる。
「当たれば、大抵の妖を昇天できる天鳥船家の秘術……だけど、こっちの霊力を考えて1発限りだけどね……」
楠崎の説明で、少し理解する琴葉。
1回限りの切り札。それを任される兎女はモノクルを触り、
「その役目。是非、私が担いましょう」
目を見開いて強く言葉を飛ばす。
楠崎は大きく頷き、瞳を閉じる。
「我らの行く手を妨げる妖を退治するため、箕兎 琴葉の鏑矢に聖なる力を、天鳥船 楠崎の名において宿らせる……」
とても長い詠唱を言い終わると、琴葉の持っていた鏑矢はどこか神秘的な雰囲気を漂わせるようになった。
楠崎は、口元を上げて悶え苦しんでいる女郎蜘蛛を見つめる。
「出てきて早々悪いけど、君は退治しないといけない妖……」
この言葉に、女郎蜘蛛は突然態勢を立て直し、楠崎に向かって颯爽と動く。
やはり、どんな状況でも女性を襲わない妖だった。
「君は、本能でそう動いているようだね……だけど、それが時としてこの世から離れることになるんだよ?」
鳥少年は、これでもかというくらい馬鹿にしたような表情を浮かべる。
女郎蜘蛛は、鋭利な前足を楠崎に向けて振り下ろす。
——————だが、鳥少年の額に当たる寸前に、その足はピタリと止まってしまった。
「……お疲れ。琴葉」
翼をゆっくり動かし、楠崎はモノクルを光らせて弓を構えていた琴葉へ言葉をかける。
破魔矢は見事に女郎蜘蛛の胴体に命中していた。
矢に宿った聖なる力は、妖の体をどんどん蝕む。
いつしか、それは身体全体に回り、女郎蜘蛛はこの世から昇天する——————
「す、すごいですね……これが破魔矢……」
自分が放った矢に、思わず驚く琴葉。
楠崎はなぜか、黙って彼女の胸元を見つめていた。
お札かお守りみたいな物が、ぶら下がっている。
「(ふむ……)」
右手人差し指を口に当てて、考える楠崎。
「あ、あの……どこを見ているのですか?」
一方琴葉は、楠崎に自分の胸元を見つめられ少し戸惑っていた。
だが、決していやらしい瞳をしておらず、獲物を狙う鳥のように鋭い瞳をしていた。
「(これは……興味深い……)」
楠崎は大きく頷く。
そして、錫杖の遊環を鳴らし、
「琴葉。君の能力はとても興味深い……その弓の扱い……良かったら、こちらについてくる?」
この言葉に、琴葉は長い耳を動かして、
「当てもなく放浪するよりは、楠崎について行った方が楽しそうです。分かりました、同行いたします」
琴葉はその場で慇懃に礼をする。
楠崎はその場で180度身体を振り向かせ、ゆっくりと足を進める。
「(君が……箕兎 琴葉なら……これは、面白いことになりそうだねぇ……)」
2人は、山の心地いい風を身体で浴びながら山を下る。
——————その間、楠崎の表情はとても胡散臭かった。
○
「また本を読んでいたんですか?」
「知識はつけておかないとね……なにかあったら大変だよ」
あれから30年くらいが経つ。
町の宿屋で楠崎と琴葉がのんびり会話をしていた。
天鳥船の使命が終わるまで、後もう少しでもあった。
「その本はどんなお話ですか?」
琴葉は興味深く本の内容を尋ねる。
すると、鳥少年はモノクルを光らせて、
「獣たちが、大量の妖と戦う話だよ」
「それは、面白そうですね」
琴葉は微笑みながら、言葉を呟く。
「だけど、これは天鳥船家の長男しか読めないよ」
「どうしてですか?」
長い耳をピクリと動かしながら、頭に疑問符を浮かべる兎女。
「これは……大事な資料だからね」
楠崎はそう呟き、読んでいた本を閉じる。
そして、琴葉の胸元を見つめて胡散臭い表情を浮かべていた——————