複雑・ファジー小説

Re: 獣妖記伝録 ( No.15 )
日時: 2011/08/02 21:32
名前: コーダ (ID: LcKa6YM1)

 たくさんの木々で、埋め尽くされた山の中。
 日光は、遮られていて、昼なのに少し薄暗い。
 しかし、そこはとても涼しかったという。暑い昼間には、最高の場所である。
 そこに、1人の男性が歩いていた。
 頭に2つのふさふさした耳と、細長く、灰色っぽい尻尾が目立っていた。
 どうやら、山の中を探検しているのは鼠男だった。
 道なき道を歩く姿は、非常に勇ましく、何度もこういう山を登っているのだろうという雰囲気を、漂わせていた。
 左目には、深緑の草むらが萌えている光景が見え、右目には、丸い石ころと、流れの速い川が映っていた。
 どうやら、ここは山の上流付近だったのだ。
 鼠男は、額に汗を流して、川の方へと向かう。
 そして、川の水を両手ですくい、それを一気に口へ運ぶ。
 ——————とても、冷たくて美味しかった。
 思わず、鼠男はもう1杯川の水を飲む。どうやら、病みつきになってしまったようだ。
 しばらく、川の近くで一休みした鼠男は、山登りを再開させる。
 川から離れて、草木が萌える場所へ足を運ぶ。
 自分より背の高い草は、手でかきわける。
 途中で、白くて美しいキノコも見つける。
 しかし、鼠男はキノコが生えている場所に、どんな木が生えているか、どういう地形条件で生えているかを一瞬で見て、毒キノコのドクツルタケと見破る。
 先にも説明したかもしれないが、この鼠男は、非常に山に関してプロかもしれない。
 しばらく進むと、山の中に不気味な池を見つける。
 直径3mくらいの池、そこに溜まっていた水は非常に濁っていて、とても飲もうという気はしなかった。
 鼠男は、好奇心に身を任せて、池の方向へ足を進める。
 池の近くの地面は、非常に濡れていて、泥だらけである。
 だが、そんなことをお構いなしに、鼠男は、池の方へどんどん近付いて行く。
 いざ、池に行ってみると、その濁りが詳しく分かる。
 深さがどれくらいあるか、全く分からない。もしかすると、底無しかもしれない。
 先の、上流で流れていた水とは大違い。
 鼠男は、恐る恐る池の中に手を入れる。
 ——————とてもぬるく、なぜかヌメっとしていた。
 背筋を思わず、ぞっとさせる鼠男。池に手を入れたことを、後悔していた。
 ヌルヌルした手を嫌そうに見ながら、この場を後にしようとする鼠男。おそらく、川に戻って洗おうと考えたのだろう。
 ——————変な気配がした。
 鼠男は、ふと池を見る。
 すると、池の水が、ぶくぶくと泡を出していた。
 何か居る。そう思った鼠男は、この場から急いで去ろうとする。
 だが、鼠男はその場に豪快にうつ伏せの状態転んでしまった。
 ——————まるで、誰かに引っ張られたように。
 転んで泥だらけの鼠男は、その場から立とうとするが、なぜか、立てなかった。
 そのかわり、池の方へずるずると、引っ張られるような感覚に襲われる。
 鼠男は、うつ伏せのまま首だけで後ろを見る。
 ——————何かが、自分の足に巻きついていた。
 思わず悲鳴を上げてしまう鼠男。
 その瞬間、池から勢いよく何かが現れた——————

「う、うわぁ——————!」

 叫び声を上げる鼠男、そして、そのまま池に引きずり込まれてしまった。
 一瞬の出来事。一体何が起こったのか、全く分からなかった。
 しばらく時間が経つと、池の上に鼠男が着ていた物が、浮いてきたのだ。
 ——————それは、赤く染まっていた。
 どうやら、鼠男は池から現れた何かに、食われてしまったようである。
 人を食ってしまうような生き物がこの池の中に生息している。
 なんとなく、直径が3mくらいあるのは頷ける。
 鼠男が居なくなって、山の中はとても静かになっていた。
 ——————カラコロ。
 突然、山の中に聞こえてくる音。
 その音から、自然が生み出せる音ではなく、人工的に出した音だとすぐに分かった。
 池から、5mくらい離れた場所。
 そこには、1人の影があった。
 ——————「……自業自得だね」


        〜蝦蟇と狐と笑般若〜


 山を越えた先にある町。
 そこに居た人たちは、とてものんびりと歩いていた。
 忙(せわ)しない雰囲気は全くない。店で色々売っている商人ですら、のんびりと商品を売っていた。
 ただ、この町は、普通の町と違って非常に、坂道が多かった。
 なので、馬車は1台も走っていない。
 やはり、山の近くにあるからなのだろう。
 そんな町の中に、2人の男女の姿があった。
 黒くて、首くらいまでの長さがある髪の毛は、とても艶やかであった。前髪は、目にけっこうかかっている。
 頭には、ふさふさした2つの耳があり、瞳は黒紫色をしていた。
 男性用の和服を着て、輝くような黄色い2本の尻尾を、神々しく揺らす。
 そして、首にはお札か、お守りか分からない物が、紐で繋がれている。
 なぜか、右手には釣竿を持っていた。
 極めつけに、眠そうな表情と、頼りなさそうな雰囲気を漂わせていた獣男。
 金髪で、腰まで長い艶やかな髪の長さ。頭には、ふさふさした2つの耳がある。
 瞳は金色で、見つめられたら、思わず魅了されてしまうような眼光。
 上半身には、女性用の和服を着て、下半身には、よく巫女がつけていそうな袴を着ていた。
 そして、輝くような黄色い1本の尻尾を、神々しく揺らしていた。
 もっと言ってしまえば、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花という言葉が非常に似合っていた獣女。
 傍から見ると、美男美女が一緒にデートをしているのだろうと、思わせる2人。
 しかし、人々の考えとはまぎゃくな、雰囲気を漂わせていた。

「貴様!どこへ行くんだ!?おい、答えろ!タコナスビ!」

 美人とは思えない罵声を叫ぶ獣女。
 しかし、そんなこといちいち気にせず、ただただ、黙ってあるく獣男だった。
 まるで、美人な女性なんて、自分の近くに居ないといった感じで。
 すると、獣女は獣男の足を思いっきり右へ蹴る。
 あまりの衝撃に、左方向に2mくらい跳ばされる獣男。

「ん〜……君ぃ……乱暴だねぇ……」

 地面に倒れながら、こめかみを触って呟く。
 獣女は、腕を組み、仁王立ちで獣男を凝視する。
 まるで、浮気がばれた夫と、それを叱る妻みたいな光景。

「貴様はいつもいつも、何を考えているのか分からん!」

 そんなこと言われましても。と言った表情をする獣男。
 倒れた姿勢から、今度は地面に座る姿勢にする。
 そして、拱手をしながら眠そうな表情で、

「だからぁ……我は、放浪する狐なんだ……どこへ行くのも、我の勝手じゃないかぁ……」

 と、だるそうに言葉を言う。
 だが、獣女は眉間にしわを寄せて、さらに叫ぶ。

「貴様が放浪する理由はなんだ!?放浪するにも、ちゃんとした理由があるはずだろ!?タコナスビ!」

 とにかく、目的や理由を聞こうとする獣女。
 獣男は、大きなあくびをして目の端に涙を流しながら、

「放浪はぁ……男の浪漫さぁ……我は、浪漫のために動いているだけさぁ……」

 と、訳が分からない言葉を言う。
 とうとう獣女は、堪忍袋が切れたのか、とても恐ろしい表情で叫ぶ。

「ろまん〜?あたしにはその気持ちは、全く分からん!もう勝手にしていろ!このタコナスビ!」

 酷い罵声を出しては、獣女はどこかへ行ってしまった。
 だが、獣男は、特に引き留めようともせず、ただ黙って、眉を動かして座っていた。


            ○


 町から少し離れた場所にある、とても広くて綺麗な琵琶湖。
 透明な水は、琵琶湖の底が見えるくらい透き通っており、泳いでいる魚が肉眼で確認できた。
 もちろん、ゴミなど落ちていることはない。
 周りの林が、風でなびき、葉と葉が触れ合う音が響き渡る。
 そんな場所で、1人の男が釣りをしていた。
 眠そうな表情と、頼りなさそうな雰囲気を漂わせる。そう、先程、獣女に蹴られた獣男だったのだ。
 しっかりと、両手で竿を持ち、魚が引っかかるのを根気よく待つ。
 ——————竿が反れる。
 獣男は、眠そうな目を見開いて、足と手に力を入れる。
 すると、琵琶湖から勢いよく出てきたのは、大きくもなく、小さくもない生き物だった。
 ——————ヤマメだ。

「おぉ……」

 獣男の表情は、とても晴れていた。
 釣り針に引っかかる1匹の新鮮な魚。
 それを丁寧に、針から外す。

「久しぶりに……まともな、ご飯が食べられそうだねぇ……」

 右手でヤマメを握りながら、嬉しそうに言葉を呟く獣男。
 そして、左手に釣竿を持ちながらこの琵琶湖を、後にする獣男。
 ——————カラコロ。
 琵琶湖に鳴り響く、不思議な音。
 しかし、獣男はヤマメに夢中になっていたのか、全く気にしなかった。


            ○


 琵琶湖から10mくらい離れた場所。
 獣男は、持っているヤマメを、そこら辺の木の枝で串刺しにして、狐火で焼いていた。
 周囲に香る、美味しそうな臭い。
 獣が居たら、よだれを垂らしながら近づいてくるだろう。
 しかし、ここは本当に安全で、獣の姿と気配は全くない。

「ん〜……」

 鼻をピクピクさせながら、獣男は嬉しそうに言葉を呟く。
 あの、いつも眠そうな表情は今だけ、なかった。
 ヤマメが、良い具合に焼けた。
 すると獣男は、懐から竹の皮で、3個くらい包まれたおにぎりを取りだす。
 どうやら、昼食の時間にするらしい。
 焼きたてのヤマメを美味しそうに頬張り、おにぎりと一緒に食べる。
 焼いたヤマメは、塩焼きにすると、とても美味しいが、おにぎりについた塩でも、十分足りた。
 身は非常に油が乗っており、最高だった。
 獣男は、無言で食べ進め、3分くらいで全部食べてしまう。
 右手でお腹をさすり、満足そうな表情をする。

「我はぁ……満足だぁ……」

 幸せそうに呟く獣男。
 まるで、生きていて良かった。と言わんばかりに。
 ——————カラコロ。
 突然、聞こえてくる謎の音。
 獣男は耳をピクリと動かして、眉間にしわを寄せる。
 明らかに、自然から出る音ではない。つまり、人工的な音である。
 ——————誰か居る。
 拱手をしながら、音が聞こえた方向へ足を進める。
 恐怖心と好奇心が、獣男の足を進める動力源だった。
 気配を消して、足音もたてないように歩く。
 ——————「誰を、探しているのかな」
 不意に、背後から言葉をかけられる獣男。
 背筋に冷や汗を溜める。
 そして、恐る恐る、後ろへ振り向く——————
 そこに居たのは1人の男性。いや、少年と言った方が良いだろう。
 漆黒の黒髪で、肩につくぐらい、髪は長かく。後ろ髪を、白い紐で丁寧に束ねていたという。前髪は、左目を隠すくらい長かった。
 隠れていない右目は、睨まれたら、気の弱い人なら思わず逃げ出してしまうくらい、紅く不気味な、瞳だった。
 藍色の小紋柄の着物に黒色の袴を着て、足には、漆黒の下駄を履いていた。おそらく、この下駄が音の正体なのだろう。
 やけに小柄で、歳は、10代前半くらいに見える。
 色白く端正たんせいな顔立ち。しかし、その表情は、人とは思えないくらい無表情だった。
 だが、絶世の美少年だということは間違いない。
 近くに女性がいたら、自分の息子にしたいなどと、叫びながら、取り合いが起こるだろう。
 ——————しかし、おかしなところがある。
 ここに存在する人と言うのは、頭の上にふさふさした2つの耳と尻尾が必ずある。
 だが、この少年にはついていなかった。
 獣男は、こめかみを触りながら、ふと呟く。

「ん〜……君ぃ……もしかして、妖(あやかし)かぁ……?」

 耳と尻尾が無ければ、妖しか思い当らない。
 獣男は、のんびりとした口調で、少年に尋ねる。
 しかし、特に表情を変えることなく、返される。

「それは、どうだろうね」

 この一言に、獣男は眉間にしわを寄せて何かを考える。
 そして、なぜか大きなあくびをした。
 目の端に涙を溜めながら、獣男はその場で後ろにくるっと、体を振り向かせて、この場を後にする。
 ——————この場から逃げるかのように。

「どうして、帰ろうとするんだい」
「……!?」

 獣男は、突然足を止めてしまった。
 不意に呟かれた少年の言葉——————
 どう考えても、遠くの方から聞こえた感じがしなかったのだ。
 深い溜息をしながら、獣男はゆっくり後ろへ振り向く。
 ——————そこには、無表情な少年が立っていた。
 お互いの距離は2mもない。
 先は、10mくらい余裕で離れていたのに、あの一瞬の出来事で、こんなに距離を縮められた。
 この少年只者ではない。
 獣男は心の中でそう呟き、ふと、こんなことを呟く。

「我はぁ……詐狐 妖天(さぎつね ようてん)……放浪する狐さぁ……」

 状況的に、名前を名乗る場面ではないのに、妖天は、あののんびりした口調で言葉を言う。
 今まで無表情だった、少年の頬はピクリと動く。

「…………お前は、なんだ」

 少年の言葉に、妖天は眉を動かす。
 そして、とてもだるそうに言葉を言う。

「だからぁ……我は、狐だぁ……同じことを言わせるではない……」

 なんだ。と聞かれたのだから、妖天は、自分の種族を答える。
 しかし、少年はその言葉を望んでいなかった。

「お前は……」

 少年がそう言った時には、妖天はその場に居なかった。
 わずかながらに聞こえる、草むらの上を歩くような音。
 どうやら、山の中へ逃げ込んだらしい。
 音が聞こえる方向を黙って見つめ、少年はカラコロと、妖天を追う。


            ○


 たくさんの木々で、埋め尽くされた山の中。
 日光は、遮られていて、昼なのに少し薄暗い。
 しかし、そこはとても涼しかったという。暑い昼間には、最高の場所である。
 そこに、息を切らしている獣男。妖天が居た。
 普段からのんびりしているのに、今回だけは珍しく、焦っている様子。
 ——————あの少年から逃げていたのだから。
 道なき道を歩き、気がつくと、だいぶ奥に行っていたようだ。
 左目には、深緑の草むらが萌えている光景が見え、右目には、丸い石ころと、流れの速い川が映っていた。
 どうやら、ここは山の上流付近だと、すぐに考えがついた妖天。
 汗を流していたので、とりあえず、川の方へと向かう。
 そして、川の水を両手ですくい、それを一気に口へ運ぶ。
 ——————とても、冷たくて美味しかった。
 渇いた喉が一気に潤う。
 妖天は思わず幸せそうな表情をして、

「ん〜……最高だぁ……」

 と、緊張感なく言葉を言う。
 たまらず、もう1杯水を飲み、かなり満足した表情をする。
 ——————誰かが居る気配。
 もう来たのか。と言った表情をする妖天。
 眉間にしわを寄せて、静かに目を閉じる。
 どうやら、気配を上手く感じ取り、少年が居る方向を調べていたのだ。
 しかし、おかしなことに、その気配は非常に速くこちらに近づいてきたのだ。
 まるで、獣が獲物を狙うかのように——————
 妖天は、こめかみを触りながら警戒をする。
 ——————すると、木の上から誰かが現れたのだ。
 その姿は、非常に美しく、見る者を魅了にさせる。
 だが、どこかで見たことあるような人影——————
 上半身を和服で包み、下半身を巫女のような袴を着ている女性。
 髪の毛は金髪で、とても長かった。
 妖天は、目を見開き、口を開けっぱなしにして、唖然としていた。
 ——————「こんの、タコナスビ————!」
 空中から聞こえる罵声。
 金髪の女性は、空中から妖天に目がけて向かってくる。
 そして、そのまま妖天の体目がけて、体当たりをする——————
 妖天は、凄まじい衝撃で跳んだ。
 川の方向へ弧を描くように、10mくらい跳ばされる。
 高い水しぶきを上げながら、川の中へ落ちた。
 女性は、やってやったと言わんばかりの表情で川に落ちた妖天を見る。
 ——————カラコロ。
 ふと山の中に聞こえる音。
 女性は、その音が聞こえた方向へ振り向き、腕組をしながら凝視する。
 そこには、少年が居た。だが、なぜか眉間にしわを寄せて周りを見ていた。

「……どういう状況?」

 思わず言葉を言う少年。
 すると、女性は狐目になって答える。

「貴様!かなりの美少年じゃないか!あたしの、好みだねぇ!こんな所で、どうしたんだ!?」

 カラコロ——————
 少年は無言で、女性に近づく。
 すると、とても色っぽい瞳をして、少年を見つめたのだ。

「おお!?近くでみると、もっと良いなぁ!貴様!名前はなんていう!?」

 色気のある瞳で、こんなに威勢の良い声を出されても、誰も魅了されない。
 この女性は、そういうのが苦手なのかもしれない。
 少年は、歩く足を止めて、少し眉を動かしながら答える。

「……ジュン」

 少年は、ジュンと口にする。
 女性は、口元をニヤリとさせる。
 そして、眉を思いっきり動かして、大きく言葉を言う。

「あたしは、神麗 琶狐(こうれい わこ)!見ての通り、狐さ!」

 神々しい1本の尻尾と、頭の上にあった2つのふさふさした耳を動かしながら、琶狐は言う。
 ジュンは、じっと琶狐を見つめる。
 何を考えているのか全く分からないが、熱い視線を送っているのは確か。
 琶狐は、腕組を解き、思わず言う。

「ん?あたしに、なにかついてんのかい!?」
「いや、なにも」

 ジュンは、琶狐から目線をそらし、流れる川を見つめる。
 ——————その表情は、どこか懐かしそうだった。
 琶狐は、ジュンの傍へ行き、馴れ馴れしく肩に触れた。
 これには思わず、驚いてしまった。

「なぁ?腹減ってないか?」
「……え?」

 琶狐は、懐から竹の皮で包んだおにぎりを取りだす。
 ご飯、一粒一粒が白く輝いており、非常に食欲がそそられる。
 しかし、ジュンは、川を見つめて小さく呟く。

「別に……」

 だが、断っている表情の中には、何か迷いが見えた。
 琶狐は、眉間にしわを寄せて、竹の皮からおにぎりを1個取り出すと、

「あたしのおにぎりが食べられないってのかい!?良いから食え!」

 乱暴に、おにぎりをジュンの口に突っ込む。
 女性とは思えない力に、口をもごもごさせる。
 すると、琶狐は持っていたおにぎりをふと、手放す。
 同時に、ジュンは右手でおにぎりを持つ。
 もうこれで、返すことはできなくなった。
 最初から、こういう目的だったのだろうと思いながら、仕方なく、おにぎりを食べ進める。
 口の中に塩のしょっぱさが広がる。しかし、それをご飯によってかき消される。
 具は何も入っておらず、シンプルな塩おにぎり。
 しかし、ジュンは思わず、小さく言葉を呟いてしまった。

「……美味しい」

 琶狐は、狐目になりながらその様子を見て、豪快に自分のおにぎりを食べ進める。
 ——————「むぅ……君たちぃ……傍から見ると、母と子供みたいだなぁ……」
 不意に、背後から聞こえる言葉。
 琶狐は、眉をピクピク動かしながら振り向くが、なぜかジュンはびくっと反応する。
 後ろに居たのは、ずぶ濡れの妖天だった。
 こめかみを触りながら、2人を見つめる。
 すると、琶狐は妖天に、

「生きていたのかタコナスビ!?てっきり、死んだかと思ったのにな!」

 罵声を言う。
 しかし、妖天はそんな琶狐を無視して、ジュンの方を見つめる。

「君ぃ……なんで、先そんなにびっくりしたぁ……?」

 どうやら、先妖天が声をかけた時に、ジュンが異常にびっくりしたことに、疑問が浮かんでいた。
 普通の人でも驚く人は居そうだが、その驚き方が尋常じゃなかったかららしい。
 だが、ジュンは無表情で小さく呟く。

「別に、そんなに驚いてないよ」

 この言葉を聞いて、妖天は耳とピクピク動かす。
 そして、拱手をしながら小さく、

「まぁ……良いかぁ……」

 と、投げやりに答える。
 そして、なぜか妖天は山の方へ目線を向ける。
 2本の尻尾が挙動不審に動いていた——————
 琶狐はそれに気がついて、腕組をしながら、

「ん?なんか居るのか?タコナスビ」

 と尋ねる。
 だが、妖天は何も答えることはなく、山の中へ足を進めた。

「貴様!……ちっ、本当に訳がわからない奴だな!」
「いつも、あんな感じなの……?」

 ジュンは、琶狐にそう尋ねる。
 やれやれと言った表情で琶狐は浅い溜息をして呟く。

「ああ、そうさ!あいつは、いっつもあんな感じだ!何を考えているのか分からない。何を目的として生きているのか分からない、タコナスビだ!」

 大声で叫びながら、琶狐は妖天の後を追う。
 ジュンも気になるのか、琶狐の後を追う。
 カラコロと、山の中では絶対に響かない音を鳴らしながら。


            ○


 川から離れて、草木が萌える場所へ足を運ぶのは、妖天、琶狐、ジュンだった。
 自分より背の高い草を、手でかきわける。
 途中で、白くて美しいキノコも見つける。
 妖天は、とても食べたそうな表情をするが、琶狐に平手打ちをされて止められる。
 ジュンは、キノコが生えている場所に、どんな木が生えているか、どういう地形条件で生えているかを一瞬で見て、毒キノコのドクツルタケと見破る。
 思わず、背筋を凍らせる妖天。そして、少しでも食欲を沸かせた自分に落胆する。
 しばらく進むと、山の中に不気味な池を見つける。
 直径3mくらいの池、そこに溜まっていた水は非常に濁っていて、とても飲もうという気はしなかった。
 妖天は、好奇心に身を任せて、池の方向へ足を進める。
 琶狐も行こうとするが、なぜかジュンに止められた。
 なにかあるのだろう。そう思った琶狐はジュンの指示に従う。
 池の近くの地面は、非常に濡れていて、泥だらけである。
 だが、そんなことをお構いなしに、妖天は、池の方へどんどん近付いて行く。
 いざ、池に行ってみると、その濁りが詳しく分かる。
 深さがどれくらいあるか、全く分からない。もしかすると、底無しかもしれない。
 先の、上流で流れていた水とは大違い。
 妖天は、勢いよく池の中に右手を入れる。
 ——————とてもぬるく、なぜかヌメっとしていた。
 眉を動かす妖天。そして、左手でこめかみに触れる。
 ヌルヌルした手を見ながら、何かを考える。
 ——————ふと、変な気配がした。
 妖天は、池を見る。
 すると、池の水がぶくぶくと泡を出す。
 何か居る。そう思った妖天は、眠そうな表情から一気に凛々しい表情になる。
 頼りなさそうな雰囲気も、今はなぜかなかった。
 琶狐とジュンは遠くの方から様子を見る。
 その瞬間、池から勢いよく何かが現れる——————
 高い水しぶきを浴びる妖天。
 その目に映ったのはとても恐ろしい生き物だったという。
 緑色でヌメヌメした皮膚を持っていて、口からは長い舌を出す。
 足はとても鍛えられているのか、15mくらい跳べそうな雰囲気を出す。
 そう、妖天が見た生き物はとんでもなく大きい蛙だったのだ。
 琶狐は思わず気持ち悪そうな表情をする。
 しかし、ジュンは無表情でその様子を見ていた。

「ふむ……何か居ると思ったら……大蝦蟇(おおがま)かぁ……」

 眉間にしわを寄せて、凛々しい表情で小さく呟く。
 その瞬間、大蝦蟇の長い舌が、琶狐に目がけて伸びたという——————
 不意を突かれた琶狐は、体に舌が巻かれる。
 激しく動いて抵抗するが、舌が解けるようすはない。
 ——————むしろ、引っ張られていたという。

「むぅ……」

 妖天は、眉を動かして呟く。
 このままでは、琶狐が喰われてしまう。だが、良い解決策が思い浮かばない。
 ——————「ちょっと待て、化け物」
 突然聞こえてきた、恐ろしく不気味な声。
 妖天は、声が聞こえた方向を見つめる。
 ——————ジュンだった。
 右目の不気味で紅い瞳で、大蝦蟇を睨みつける。
 その表情は酷く冷めていたという。

「それ以上、琶狐に手を出したら……どうなるか、分かっているか?」

 大蝦蟇に警告をするジュン。
 妖天は、こめかみを触りながら、浅い溜息をする。

「よさんか……」

 しかし、その言葉は聞こえていなかった。
 ジュンは、ずっと大蝦蟇を見つめる。
 だが、大蝦蟇はそんなことを気にせず琶狐を引っ張る——————

「待て。警告はしたはずだ……」

 カラコロと、ジュンはその場から足を進める。
 すると、琶狐を縛り付けている舌を思いっきり握った。
 ——————とても、少年とは思えない力。
 大蝦蟇は、悲痛な叫び声を出す。
 琶狐は、自分の体に巻き付いた舌が、一瞬緩んだ隙に、抜けだす。
 しかし、ジュンは、まだ舌を握り、あまつさえ思いっきり引っ張っていた。
 ——————まるで、舌を引きちぎるかのように。
 大蝦蟇は、もっと悲痛な叫び声を出す。

「自業自得だ……」

 このまま、一気に力を入れれば、舌は引きちぎれるだろう。
 そう思ったジュンは思いっきり力を入れる——————

「待てい……よさんか……!」

 突然、ジュンは力を入れることが出来なくなった。
 まるで、何かに縛られたような感覚。
 体がピクリとも動かなかった。
 大蝦蟇は、なんとか舌を自分の口の中へ戻す。

「我はぁ……よさんか、と言ったはずだぁ……聞こえていなかったのかぁ?」

 妖天は、ジュンの瞳を見つめながら、とても低い声で呟く。
 もちろん、これには納得いかず、無表情で呟く。

「なんで……止める?」

 当然の質問。
 すると、妖天はふと、大蝦蟇の方向へ振り向き、なんと、頭を深々と下げたのだ。

「すまんねぇ……痛い目にあわせてしまって……許されないとは思っている……だが、もう我たちは君に危害は加えない……勝手に縄張りに入ったことを……許してくれぇ……そして、あの少年が行った行動も許してくれんかのぉ……」

 反省の言葉をたんたんと言う妖天。
 琶狐とジュンは、それをただ黙って見ていた。
 すると、大蝦蟇は黙って池の中へ帰って行った。
 どうやら、許してもらえたらしい。
 妖天は、ほっと一息をして、2人の傍へ駆け寄る。

「早く……ここから、出るぞぉ……」

 こめかみを触りながら言葉を呟く。
 あの琶狐も、今だけは黙ってついて行く。
 ジュンは、気がつくと体の自由がきいたらしい。池をじっと見つめて、とりあえず、2人の後へついて行く。


            ○


 山から出て、3人の前には琵琶湖が映っていた。
 妖天は拱手をしながら、のんびり琵琶湖の水を見る。
 すると、ジュンは、疑問に思っていたことを尋ねる。

「なんであの時、謝った?」

 大蝦蟇に、深々と謝った行動について理由。
 妖天は、耳と眉をピクリとさせながら小さく呟く。

「あのままぁ……大蝦蟇の舌を引きちぎったら……とんでもない、仕返しがくると思ってなぁ……知っているかぁ?大蝦蟇の吐く息は……全ての動植物を、死滅させられるんだぞぉ?」

 この言葉を聞いて、琶狐は思わず背筋に冷や汗をかく。
 同じくジュンも、無表情だが、恐ろしく思っていた。

「我はぁ……こんなに綺麗な琵琶湖を……なくしたくないからと思ったからさぁ……ヤマメも美味しいしぃ……」

 妖天の言葉に、2人は返す言葉がなかった。
 すると、3分くらい経った時に、琶狐が、

「そういえば、あの時あたしを助けてくれたのはなんでだ!?」

 そう、舌に巻きつかれた時に、ジュンは琶狐を助けようと前へ出た。
 すると、意外な答えが返ってきたという。

「あの人と……似ているからさ」
「あの人?」

 当然、琶狐は頭の中に疑問符を思い浮かべる。
 しかし、その瞬間ジュンは、この場から逃げるように去ろうとする。
 もちろん、琶狐は止めようとする——————

「待てぃ……放っておけぇ……」
「なんでだよ!?タコナスビ!」

 妖天は、琶狐を引き止める。
 まるで、これ以上関わってはいけないと言わんばかりに。

「我はぁ……面倒事が大嫌いだぁ……頼むから、追わないでくれぇ……」

 切実に言う妖天。
 琶狐は、耳と尻尾を落として、言うとおりにする。
 そして、2人は、ジュンと逆方向に歩き進める。
 妖天は、こめかみを触りながら、深い溜息をする。

 ——————「(あんなにぃ……妖らしくない笑般若(わらいはんにゃ)も珍しいねぇ……もしかして、どちらかの親が……人間なのかねぇ……)」