複雑・ファジー小説

Re: 獣妖過伝録 ( No.163 )
日時: 2011/10/07 22:09
名前: コーダ ◆ZLWwICzw7g (ID: pD1ETejM)

         〜2人の狐〜

 この世には人間しか居ない。そんなのが当たり前。
 頭に耳なんてない、尻尾も一切生えていない純粋な人間。
 もちろん、人々は平和に暮らしている。

 ——————それを、憎みながら見つめる者。獣人と鳥人だ。
 彼らは人間を恐れて山や森に隠れてすごしている。
 もし、人間に見つかれば殺される。謎の生き物という理由で。
 各地にひっそりとすごしている獣人と鳥人。その数はかなり存在する。
 いつか、人間が居ない世界になって欲しい。そう思う毎日。
 人間が居なくなれば山と森を捨てられる。人間が居なければ平和に暮らせる。
 しかし、人間は着実に数を増やしている。居なくなる方がおかしいくらいに。
 そして、そこから生まれた思いもある。一部の獣人と鳥人は武器を持ち。

 ——————居なくならないなら、消せばいい。
 人間を殺すことにした。だが、その活動は極めて控えめである。
 あまりにも活動しすぎると、自分たちの所在が知られてしまうからだ。
 結局、殺しても人は地道に増え続けている。
 だが、獣人と鳥人は諦めることは知らなかった。
 何千年も何万年もかけて、人間を消すと心に刻む。
 幸か不幸か、獣人と鳥人の寿命は人間の10倍くらい。

 この生命力で、いつか人間が居なくなる日を目指して、今日も人を殺す——————


            ○


 深い森に覆われた山の中に、古い建物が建っている。
 見た目からして、鳥居のない神社のようにも見える。
 その周りには雑草などは生えておらず、やけに整備されている。

「ここは……?」

 そんな神社を見つめる1人の少年狐——————詐狐 妖天(さぎつね ようてん)。
 1本の尻尾を揺らし、恐怖と好奇心が心の中を弄(まさぐ)る。

「わらわの隠れ家じゃ」

 拱手(きょうしゅ)をしながら妖天へ言葉をかける女性狐——————宮神 九狐(ぐうじん きゅうこ)。
 9本の尻尾を優雅に揺らし、その姿は正に九尾の狐を連想させる。
 当然、妖艶(ようえん)な雰囲気と力強い雰囲気も醸し出している。

「九狐は……ここにすんでいるのか」
「そうじゃ、人間たちから姿を消すには良い場所だからのぉ……それに、汝はいきなりわらわの下の名を呼ぶとは……」

 出会って間もないのに、妖天は普通に九狐のことを呼び捨てする。
 これには少し驚く九尾の狐だったが、微妙に心が躍っていた。

「じゃが、こんな若い狐に名を呼ばれるのは嬉しいのぉ……」

 9本の尻尾を動かして、嬉しさを表現する九狐。

 ——————まだ、女性らしい一面が残っていた。

「若い狐……?九狐は、若い狐と話さないのか?」

 九狐がなぜ嬉しい思いをしているのか、全く分からない妖天。
 思わず眉を動かして、耳をピクピクさせる九尾の狐。

「むっ……言葉が足らなかったようじゃな。わらわは若い雌狐とはよく話す。じゃが、若い雄狐は……何十年ぶりじゃ」

 ここまで言われてようやく納得する妖天。

「何十年ぶり……?」
「……あまり深く問い詰めないで欲しいのぉ」

 9本の尻尾を揺らし、九狐は妖天の額を右人差し指で押す。
 その表情はどこか嬉しそうだった。

「……?」

 なぜ、こんなことをされたのか理解できない少年狐。
 頭に疑問符を浮かべながら、自分の額を触る。

「(九狐の手はすべすべしているんだな……)」

 心の中で変なことを呟く妖天。少年らしいといえば少年らしい考えである。

「さて、こんな所で立ち話も苦じゃ。とっとと——」

 九狐は途端に目を鋭くして沈黙する。
 妖天はこの豹変ぶりに少々驚き、九尾の狐と同じく沈黙を貫く。

「……汝は先に隠れ家に入ってくれ。わらわは急用が出来た」

 そう呟き、九狐は生い茂る森の中へ姿を消す。
 その後ろ姿はとても神々しく、妖天は思わず頭を下げないといけない気持ちになる。

「……九狐の言うとおりにしよう」

 後をつけたい好奇心を抑えて、妖天は言われた通り隠れ家へ向かう。


            ○


「……なんじゃ?汝にしては、らしくない行動じゃのぉ〜」

 生い茂る森の中、九狐は拱手(きょうしゅ)をしながら言葉を飛ばす。

 ——————近くの雑草が揺れて、音を立てる。

「あたいもそう思うさぁ。だけど、あんなところでいきなり出てくるわけにはいかないでしょ?」

 陽気な声を辺りに響かせて、雑草を歩く女性——————

 頭にはふさふさした2つの耳と1本の尻尾を持っている。
 灰色の髪の毛は首くらいまでの長さで、前髪は目にかかる程度の長さ。
 上半身は羽織だけを着用しているだけで、あとは胸にサラシというかなり露出の激しい姿。
 下半身は巫女が履きそうな赤い袴を着ている。
 極めつけに、その鋭い眼光は正に獲物を狙う狼を連想させる。

「まぁ、汝にしては考えているほうじゃな……すまない、すまない」

 九狐は両頬を上げて、言葉を呟く。
 狼女は羽織を翻(ひるがえ)しながら、右手で頭を押さえる。

「所で、なんだい?あの狐は」
「あの狐は、弱っているところをわらわが助けただけじゃ。そういう神楽(かぐら)も何の用じゃ?」

 神楽と呼ばれた狼女は少々面倒そうな表情を浮かべる。

「いやぁ〜……ちょっと、お前さんが気になっただけさぁ」

 表情と言っている言葉が一致しない。
 そう思った九狐は、少々胡散臭い表情を浮かべて、

「そうか、そうか……わらわのことが気になるのか?じゃが、汝はわらわよりも東花(とうか)の方が気になっていると思うがのぉ……」

 神楽は耳をピクリと動かし、無言を貫く。

 ——————どうやら、嘘をついていることがすぐに知られてしまったようである。

「なんじゃ?弟子を思うのは当然のことじゃぞ、神楽」

 あえて、追求せず話をそらす九狐。
 神楽は尻尾を激しく動かし、

「……聞きたいことがあったら遠慮なく聞きなよ」

 この言葉に、九狐は口元を上げる。

「わらわに伝えるべき言葉があるのだろ?」

 神楽は正にその通りという表情を浮かべる。
 狼は正直者が多いため、すぐに表情と尻尾、耳で今の気持ちが現れる。
 このため、本当に神楽は九狐に伝えるべき言葉があるということが、これで分かるのだ。

「近々、お前さんの妖力を使いたいってあいつが言っていたよ。ただ、それだけさぁ」

 両手を頭の後ろで組みながら、面倒そうに言葉を呟く。
 九狐は1回だけ浅い溜息をする。

「じゃ、言う事は言ったからあたいはここから消えるよ。早く戻らないと、佳鼠(かそ)がしつこくてねぇ〜」

 狼らしい牙を見せながら、神楽はこの場を後にする。
 九狐はその後ろ姿を、ただただじっと見つめる。


            ○


 九狐の隠れ家をうろつく少年狐。
 木で出来た床はとても古く、1歩進んだだけで木の軋(きし)む音が聞こえる。
 腐敗した場所もかなりあり、そこに足を入れて床から抜け落ちないように慎重に歩く。

「ここは……不思議な雰囲気を感じるな……」

 尻尾を動かして、不思議な雰囲気を味わう。
 ふと、変な気配も感じる。

「……誰か居るのか?」

 妖天は辺りを警戒するように、見回す。
 だが、その気配は自分を狙っているような感じは全くしなかったのだ。
 これを感じた少年狐は、ひとまず安心する。

「だが、ここに誰かが居るのは事実……探してみようか……?」

 そう呟き、1歩足を進める。

 ——————だが、すぐにその足は止まってしまった。

「気配は安心しても、姿が分からない……」

 つまり、どんな者が居るか全く分からない状況。
 好奇心で探して、また痛い目にあうかもしれないと恐れる妖天。
 生唾を1回飲み、胸を激しく動かす。

「こ、ここから出た方が……良いのか……?」

 耳と尻尾を動かし、除所にここから離れる妖天。

 ——————「あの、誰ですか?」
 不意に背後から声をかけられる。
 少年狐は尻尾を逆立て、叫びながらその場で尻餅をつく。

「お、驚かせてすみません!何分、久しぶりのお客様でしたから」

 そう言うが、肝心の妖天は身体を震わせる。
 背後から声をかけたのは女性。

 腰まで長い灰色の髪の毛で、頭の上にはふさふさした2つの耳と1本の白い尻尾。
 前髪は目にかかっており、その瞳で見つめられると思わず胸が躍ってしまう。
 普通の和服を着ているだけなのに、その姿はとても艶めかしい。
 正直、大和撫子という言葉が似合っている。

「き、き、君は……!?」

 妖天は美しい姿を見る暇がないのか、身体を震わせながら女性に尋ねる。

「安心してください。私はあなたを襲うことはしません。九狐様の大事なお客様なら、なおさらです」

 優しい微笑みを浮かべながら、女性は妖天へ言葉をかける。
 だが、いつまで経っても少年狐は身体を震わせていた。

「……どうしましょう。これ」

 白い尻尾を揺らしながら、困り果てる女性。

 ——————「すまん、すまん。所で、先の叫び声はなんじゃ?」
 女性の背後から現れたのは、9本の尻尾を優雅に揺らす九狐。

「きゅ、九狐……この女性はなんだ……?」

 身体を震わせながら九狐に尋ねる妖天。
 この姿に、眉を動かして浅い溜息をする。

「はぁ……汝は何をやっているのじゃ。こんなに美しい女性に怯えるとはのぉ……失礼極まりないぞ?」

 九狐は女性の背中を押して、妖天との距離を近づかせる。

「よく見るのじゃ……ほ〜ら、可愛いじゃろ?」

 妖天は九狐の言われた通り、落ち着いて女性を見つめる。

 ——————確かに、とても整った顔立ちで美しい。
 だんだん、こんなに美しい女性に怯えていた自分が情けなくなる少年狐。

「……それなりに」

 妖天から出た言葉に、九狐は眉を動かす。

「むっ……汝は、この女性を見てもそんなに胸が躍らないのじゃな」
「やはり、九狐様の方が良いのですよ」

 女性は微笑みながら、九尾の狐へ言葉を飛ばす。

「や、やめんか……わらわは、もう良い歳じゃ……」

 こめかみを触りながら、どこか遠くを見つめる九狐。

「所で……この女性は……?」

 妖天の問いかけに、耳をピクリと動かす九狐。

「おっと、そうじゃったな……この女性はわらわの世話人。名前は……葛の葉(くずのは)じゃ」
「葛の葉です。しばらくよろしくお願いしますね。あっ、言わなくても分かると思いますけど私は白狐(しろぎつね)ですから」

 葛の葉の言葉に、妖天はほっとする。

 ——————やはり、同族は安心する。そういう表情だった。
 一方、九狐はなぜか顔を赤面させていた。


            ○


「所で、なぜ葛の葉はすぐに九狐の客だと分かったのだ?」

 隠れ家のとある一角。
 葛の葉が毎日掃除しているのか他の場所よりは綺麗な部屋。とは言っても、その差はどんぐりの背比べくらいである。
 3人は座りながら雑談をしていた。

「それは、九狐様が教えてくれたからですよ」
「九狐が……?いつ?」

 葛の葉の言葉に、妖天は頭に疑問符を浮かべる。
 少年狐の傍に居た九狐は、懐から竹筒を取り出す。

「これじゃ」

 そして、それを妖天へ渡す。

「……?」

 妖天はもっと頭に疑問符を浮かべる。
 突然、竹筒を渡されて理解できる人は居ない。
 すると、九尾の狐は口元を上げて、

「起きるのじゃ。管狐(くだぎつね)」

 ——————竹筒は九狐の言葉を理解したかのように、震える。
 当然、妖天は尻尾を激しく動かして驚き、竹筒を床に落とす。

「こらこら、大切に扱って欲しいのぉ……」

 九狐は竹筒を拾う。

「お〜い。早く出てくるのじゃ」

 竹筒を叩いたり、揺らしたりする九尾の狐。
 2人は先程の言葉を思い出して、少し苦笑する。

「むぅ……仕方ないなぁ……」

 眉をピクピク動かしながら、竹筒を懐にしまう九狐。

「寝ているのですか?」
「それはもう、ぐっすりじゃ」

 葛の葉はこの言葉に微笑む。

「九狐……管狐とはなんだ……?」
「そうじゃなぁ……わらわの式神(しきがみ)じゃ」
「式神……?」

 管狐という名前だけで疑問に思っていたのに、新たに式神という言葉でもっと悩む妖天。
 すると、葛の葉は丁寧に説明する。

「式神というのは、その人のお手伝いをする者です。優れた力を持った者……つまり、九狐様の命令に忠実に動く……ただ、命令されないと動かないのでそこは私と違います」
「まぁ、汝はわらわの世話人じゃ。式神にすることはしない」

 なんとなく理解する妖天。

 命令されれば動く式神を使える九狐——————つまり、本当に力を持っている。
 少年狐は、尻尾を激しく動かして瞳を輝かせて九狐を見つめる。

「なんじゃ?その目は……」
「やはり九狐は力を持っている……頼む……わ、我に力を……」

 力が欲しい。妖天は切実に願う。
 しかし、九狐は拱手をしながらどこか凛々しい表情で、

「なぜ、そこまでして力が欲しいのじゃ?」

 威圧感も出して、妖天へ尋ねる。
 一瞬尻尾を逆立てさせるが、少年狐は目を見開き、

「人間が憎い……憎い人間を消すためだ……」
「まぁ……」

 葛の葉は思わず一言呟く。
 だが、九狐は突然恐ろしい表情を浮かべる。

「汝、それは本気で言っているのか?」
「我が、冗談で言葉を言っていると思うか?」

 しばらくこの場は沈黙になる。
 重たい威圧感、正直居るだけでも苦痛だった。
 すると、九狐の口が開く。

「……汝に、1日だけ猶予を与えよう。本当にその決断は正しいのか、こめかみを触りながらじっくり考えるのじゃ。葛の葉、妖天を頼む」

 拱手をして、この場を後にする九狐。
 その後ろ姿はとても威圧感に溢れていて、見つめることもできなかった。

「1日……なぜ、猶予を与える……?」

 妖天はこめかみを触りながら、自分に1日猶予を与えたことについて考える。

「(九狐様……どうするのでしょうか?)」

 葛の葉も、こめかみを触りながら九狐が何を考えているのかを考える。


            ○


「冗談ではない……か……」

 隠れ家の中で2人が考えている中、九狐も外で何かを考えていた。

「妖天の目……あれは、憎しみの塊にしか見えなかった……なんじゃ?あそこまで人間に恨みを持つとは、相当な思いが必要……」

 眉間にしわを寄せて、妖天の瞳を思い出す。

 ——————若者とは思えない、憎しみの感情しかない瞳。
 九狐は大きな唸り声を出す。

「あの目は……怪猫(かいねこ)と似ている……あのまま憎しみの感情ばかりで生きられると色々困るのぉ……」

 そして、深い溜息をする。

「すまない。わらわはしばらくそっちに参加できんようじゃ……妖天をなんとかしなければ……」

 誰に言っているのか分からない言葉。
 九狐は2人に見つからないように隠れ家に入る。

 ——————気がつくと、外は少しずつ明るくなっていた。


            ○


「大変です。朝日が昇ってきたのです」

 一方、とある森林の中で朝日を嫌そうに見つめる鼠女——————知野宮 佳鼠(ちのみや かそ)が居た。

 頭には灰色の2つの耳ととても細い1本の尻尾を生やしている。
 灰色の髪の毛は二の腕につくくらいの長さで、前髪は目にかかっていない。
 目が悪いのか四角いメガネをかけていて、その瞳は灰色に輝いている。
 これといった特徴のない和服を着ているが、右手にはなぜか巻物を持っているのが印象的である。

「落ち着いてください、佳鼠。これくらい慌てていたら死にますよ?」

 深く萌える雑草に身を隠しながら言葉を飛ばす犬女——————犬浪 東花(けんろう とうか)。

 頭にはふさふさした2つの耳と1本の尻尾を持つ。
 灰色の髪の毛は腰まで長かったが、紐かなんかで総髪(そうがみ)にしている。
 前髪は目にかかっておらず、瞳は灰色に輝いている。
 和服を着て、さらにそのうえに羽織を着用するというかなり動きにくそうな姿。
 極めつけに、腰には1本の刀をつけている。

「東花!佳鼠は朝日が苦手なのです!あの眩しい太陽光線は、佳鼠の目をどんどん……あぁ、考えるだけで恐ろしいです。ということで、寝ます!」

 佳鼠はそう言って雑草の上に倒れて、眠る。
 それを見ていた東花は浅い溜息をする。

「結局、いつも見張りは私なんですよね……まぁ、慣れていますけど……」

 獣人、鳥人が落ち着いて行動ができるのは、人が寝ていて辺りが暗い深夜。
 逆に朝と昼は全く行動できないのである。
 つまり、こうやって深い雑草や森林に身を隠して深夜になるのを待つしかないのだ。

 ——————佳鼠はそんなことを気にせず、完全に東花に見張りを任せてぐっすり寝ていた。

「はぁ……」

 今度は深い溜息をする東花。
 いざとなったら、自分の刀で人間を斬りつけることも出来るが、やはり佳鼠と同じく寝たい犬女。

「いやぁ〜……遅くなって悪いねぇ〜」

 ふと、どこからともかく陽気な声が聞こえてくる。
 東花は耳をピクリと動かし、まるで仕事から帰ってきた御主人を待っていた犬のようにはしゃぐ。

「神楽お姉さま!ようやく帰ってきてくれましたか!」
「なんだい?そんなに大きな声を上げてさぁ」

 右手で頭をかきながら、東花へ言葉を飛ばす狼女——————狼討 神楽(ろうとう かぐら)。
 来ている羽織を翻す姿は、とても格好よく。色気などは感じさせなかった。

「帰ってくるのが遅くて、心配していたんですよ?神楽お姉さまに何かあったら私……」
「お前さんは心配性だねぇ……あたいが傷だらけで帰ってきたことがあるかい?」

 神楽は鋭い爪を見せながら、東花へ言葉を飛ばす。

 ——————その爪は若干赤く染まっており、妙に鉄の臭いがしていた。
 そう、神楽は何かあるたびに自分の爪で人間を斬り裂いているのだ。

「確かに……神楽お姉さまは1度も傷だらけで帰ってきたことはないです。ですが、万が一ということもあります!」
「万が一ねぇ……そうなったときは、あれを使うよ」
「ですが、普段から持ち歩いていないですよね?」
「いやぁ……邪魔でねぇ〜、あはは」

 狼独特の犬歯を見せながら、笑う神楽。
 総髪を揺らし、東花は頭を下げて溜息をする。

「神楽お姉さま……もう少し、緊張感を持ちませんか?」
「緊張感?嫌だね、あたいはそんな感情を持っていたら普段の力が発揮できない。思うがままに生きるのが1番さぁ」

 両手を頭の裏で組み、陽気に言葉を飛ばす。
 東花はそんな神楽を呆れながら、羨ましくも思っていた。

「そういう所、嫌いじゃないですよ。神楽お姉さま」
「ありがとさん」

 なんだかんだ言って、神楽のことを尊敬している東花。
 それは表情にも出ていたし、尻尾にも出ていた。

「所で、九狐と接触してどうでしたか?」
「あぁ〜……特に変わった様子もなかったよ。しばらくしたら須崎(すざき)辺りが様子を見に来るんじゃない?」
「珍しいですよね。神楽お姉さまが九狐と接触するなんて」
「怪猫に伝言を頼まれたからねぇ。それに、あたいはなんだかんだ言って九狐のことも気になるし」

 この言葉に東花は耳を動かして、考える。

「伝言ですか……怪猫は一体何を考えているのでしょうね」
「さぁね」

 しばらくこの場は沈黙になる。
 怪猫の思惑。2人は少し気になった。
 ふと、そこら辺で寝ていた佳鼠を見つめる。

 ——————もしかすると、この鼠女なら何か知っているかもしれない。そう思う2人だった。


            ○


 時は深夜。
 隠れ家の縁側を歩く九狐はとある部屋へ向かう。
 その部屋には白狐の葛の葉と少年狐の妖天が居た。

「やはり、考えは変わらんようじゃな」

 九尾の狐は半ば諦めたような口調で、言葉を飛ばす。

「我は力が欲しい……力が手に入るなら手段は選ばない」

 妖天の強い意思。九狐はその憎しみしかない瞳に深い溜息をする。

「汝に何があったのか、今は深く問い詰めない。それに、力なぞそう簡単にはつかん……覚悟は出来ているのか?」

 この言葉に力強く頷く妖天。
 葛の葉は尻尾を大きく動かして、その様子を見守っていた。

「その頷き。わらわは忘れんぞ?」

 口元を上げて、九狐は妖天へ言葉を飛ばし、この場を後にする。

 ——————その後ろ姿は、やけに困ったような雰囲気を漂わせていたが。