複雑・ファジー小説

Re: 獣妖記伝録 ( No.34 )
日時: 2011/08/02 22:19
名前: コーダ (ID: LcKa6YM1)

 人々が酒を呑んで盛り上がる時間。
 町の外には、人気は全くなかった。
 昼間は、人々が慌ただしく、縦横無尽に歩き回っているのが嘘のような光景である。
 それほど、酒を呑みたい輩が多いのだろう。
 提灯(ちょうちん)の光が、町の中を明るく照らす。
 1人で歩いてもまだ、大丈夫な雰囲気。
 そんな、町の外に1人の男が歩いていた。
 頭にはふさふさした2つの耳と、1本の尻尾があった。
 腰には、立派な刀が2本もかけられており、どこか、普通の人とは違う雰囲気を持っていた。
 そう、この男は武士である。
 その刀は悪を断ち、人々に感謝される存在。子供たちの憧れである。
 だが、武士になっている人はほとんどの人が、狼らしい眼光を持っている。
 この国では、女性の武士も少なくない。
 武士道精神があれば、性別は問わないらしい。
 だが、種族は問うとのこと。
 人々に感謝され、憧れる武士は、犬、もしくは狼ではないとなれない。
 これは、昔からの言い伝えで、獰猛(どうもう)で勇ましく、正直な犬や狼は、武士としての資格がある。と、どっかのお偉いさんが言った。
 今でもそれは残っている。
 確かに、狡猾(こうかつ)な狐や狸に、武士は向いていない。
 目立ちたがりで、好奇心旺盛な猫や鼠にも、向いていない。
 集団で生きて、皆と力を合わせて生きていく、兎や鳥にも向いていない。
 つまり、必然的に武士というのは、犬と狼しかなれないのだ。
 面白いことに、人々はそれを、差別だとは思っていない。
 むしろ、区別だと思っている。
 合理的な理由も存在するし、まず、犬と狼以外は、武士としての力はないだろうと、初めから自覚しているからだ。
 狐と狸は、その狡猾な頭で、値引き、交渉をする商人となる。
 猫と鼠は、その好奇心と目立ちたがりで、お店の売り子となる。
 兎と鳥は、その団結力で、色々な物を作り、建てる。
 犬と狼は、勇ましく獰猛で、人々を守る武士となる。
 この関係が、今の国を築いていると言っても、過言ではない。
 しかし、狼だって売り子さんになる人も居る。猫だって商人になる人も居る。
 必ず、こうなるということはないのだ。
 ただ、武士が特別にされているだけだ。
 そのうち、狐の武士も現れるかもしれない。
 ——————歴史というのは、そんなものだ。
 話は変わるが、町を歩いていた武士は、非常に頬を赤く染めていた。
 どうやら、呑みすぎたらしい。
 酔い覚ましに、冷たい風を浴びているのだろう。
 狼のように鋭い眼光は、虚ろな瞳になっている。これでは、威厳がない。
 すると、武士の目には、和服を着た美人な女性が立っていた。
 艶やかな髪の毛、背中には大きな翼が生えていた。
 鳥人だった。
 よく見ると、鳥人女性は優しく、小さな赤子を抱いていた。
 こんな夜に、明るいとはいえ、人妻が1人で歩いているのは、少々危険である。
 武士は、危ない目に合わせないよう、鳥人女性に声をかける。
 酔っていても、武士という雰囲気は残っているらしく、鳥人女性は警戒しないで、振り向く。
 とても、整った顔立ち。絶世の美女であった。
 武士は、思わず生唾を飲む。
 こんなに綺麗な人と結婚出来た夫は、幸せ者だろう。と、心の中で思いながら。

「こんな時間に、何をしている?」

 武士は、鳥人女性に尋ねる。
 すると、とてもおしとやかな口調で呟く。

「いえ、夫を探している所です」

 この返答に武士は、なんで放ったらかしにするんだ。と、心の中で夫の事を怒鳴っていた。

「夫は……毎日、毎日……酒に溺れる方……これから、居酒屋から引っ張り出そうと思うのですが……」

 鳥人女性は、優しく抱いている赤子を見つめる。
 この行動を見て、すぐに察する武士。
 赤子を抱いたまま、居酒屋に入りたくないのだろう。
 周りには、うるさい、のんべぇたちがたくさん居る。そんな所で赤子が、心地よさそうに寝られるわけがない。
 武士は、大きく頷く。

「では、拙者がしばらく、赤子を持とう。その間、夫さんを引っ張り出してくれるか?」

 この言葉に、鳥人女性はにっこりと笑う。
 そして、優しく抱きかかえている赤子を、武士に託し、一言言う。

「では、しばらくお願いします……後、絶対にこの子を、落としては……いけませんよ?」

 最後の言葉を、強く言った鳥人女性は、その場を後にする。
 絶対に落としてはいけない。そんなこと当たり前だ。
 それに、こんなに軽い赤子を落とすような、男は居ない。
 武士は、あくびをしながら余裕そうに持つ——————

「むっ……?」

 突然、赤子を見つめる武士。
 手に変な違和感があった。
 先まで、あんなに軽かった赤子が、少し重く感じる。
 ——————小さな石ころから、大きくて丸い石へ変わったかのように。
 だが、そんなことを気にせず、鳥人女性が戻ってくるのをずっと待つ武士——————

「んっ!?」

 今度は、大きく声を上げて、赤子を見つめる武士。
 手の上に何かが、ずっしりと乗っかるような感覚。
 例えるなら、石ころから岩に変わったような感じ。
 思わず、力を出して赤子を抱く。
 しかし、赤子はどんどん重くなっていく。
 岩がどんどん大きくなっていくような感じ——————

「うっ……くっ……」

 武士は汗を垂らしながら、赤子を抱く。
 決して、落としてはいけない。あの鳥人女性の言葉を、考えながら持つ。
 だが、赤子はそれでも重くなっていく——————
 そして、武士はとうとう、赤子を地面に落としてしまった。
 当然、眠りから覚めて泣きわめく。
 ——————「どうして……落としたのですか?」
 ふと、背後から恐ろしい声が聞こえてきた。
 武士は、恐る恐る、後ろへ振り向く。
 そこには、先程の美人で鳥人女性が立っていた。
 しかし、その表情は、とても人とは思えないくらい恐ろしかった。

「言いましたよね……絶対にこの子を、落としては……いけませんよ……と。可愛い、可愛い……わたくしの赤ん坊を……落とした罪は……重いですよ?」

 居酒屋で、のんべぇたちが騒ぐ町の中。
 とてもうるさく、近隣に迷惑がかかるくらいである。
 そんな、騒音の中に、誰かの断末魔が聞こえた——————


         〜産女と雌狐〜


 人、馬車が縦横無尽に行きかう町。
 あまりの忙(せわ)しなさに、砂埃が上がるくらいだった。
 なぜ、人々は焦るのか、それを完璧に答えられる人は居ない。
 というか、そんな事を考えるのは、時間の無駄である。
 生きるために、少しでも時間を作り、お金を増やしたいから人は焦る。
 もちろん、焦った分は、ちゃんと自分に返ってくる。
 つまり、焦るというのは、悪いことではない。
 ——————この町に居る、1人の男を除いては。
 黒くて、首くらいまでの長さがある髪の毛は、とても艶やかで、前髪は、目にけっこうかかっている。
 頭には、ふさふさした2つの耳があり、瞳は黒紫色をしていた。
 男性用の和服を着て、輝くような黄色い2本の尻尾を、神々しく揺らす。
 そして、首にはお札か、お守りか分からない物が、紐で繋がれている。
 なぜか、右手には大量の巻物を持っていた。
 極めつけに、眠そうな表情と、頼りなさそうな雰囲気を漂わせていた獣男。

「ふわぁ〜……」

 大きなあくびをして、左手で頭をかく獣男。
 時間は、太陽が頂点に昇る真昼間。
 明らかに、眠たくなるような時間帯ではない。
 獣男は、目の端に涙を溜めながら、一言呟く。

「質屋はぁ……どこだぁ〜?」

 どうやら、右手に持っていた大量の巻物を、質屋に入れようとしていたらしい。
 しかし、肝心の質屋がどこにあるのか、分かっていなかった。
 情けない言葉は辺りに響くが、誰も獣男に手助けしない。
 むしろ、避けられていた。

「むぅ……面倒だけど……聞きこむかぁ……」

 獣男は、質屋はどこにあるのかを、周りに居る人へ聞きこむ。
 親切に教えてくれる人もいれば、逃げる人も居る。
 何回か、巻物を落として、それを拾う姿も、非常に情けなかった。
 質屋にたどり着いた時には、巻物はボロボロだった。
 店の中には行って、獣男は大量の巻物を、狸の店員に渡す。
 しかし、店員はどこか苦虫を噛んだかのような表情をする。

「ん〜?どうしたぁ?」

 獣男は、拱手をしながら店員に尋ねる。
 すると、どこか怒ったような口調で言う。

「兄ちゃん。あんまりゴミを持ってこないでくれねぇか?なんだ、この巻物?」

 この言葉に、獣男はこめかみを触りながら小さく唸る。

「おかしいなぁ……我は、ゴミなど持ってきたかぁ〜?」

 決して、自分の出した巻物は、ゴミだと思いたくなかった獣男だった。
 ずいぶんと、タチの悪いお客さんが来てしまった。と、店員は心の中で思う。

「まぁ……腐っても紙だからなぁ……ったく……」

 巻物を全て、手に取る店員。
 獣男は、眉を動かしてその様子を見守る。
 そして、巻物と引き換えにお金が渡された。
 1本の団子を、食べられるか、食べられないかくらいのお金。
 あまりの少なさに、獣男は耳と尻尾を落とす。
 やっぱり、所詮はゴミだということだ。
 だが、その瞬間店員は、人が変わったように態度を変えた。

「ん?兄ちゃん……その、お守りみたいなもんはなんだ?」

 店員は、獣男が首につけている、お守りみたいな物を見つめながら呟く。
 こめかみを触りながら、どこか嫌そうな表情をする獣男。

「ん〜……これは、渡せないねぇ……なぜかは、分からないけど……」

 どうやら、このお守りみたいな物をつけている本人は、なぜそれをつけているのか、分かっていないらしい。
 お洒落として、お守りをつける馬鹿は居ない。
 考えられる事は1つ、何か御利益(ごりやく)があるからだ。
 すると、店員はとんでもない大金を出して呟く。

「俺、実はお守り収集マニアなんだぜ。それは、見たことねぇ……超貴重品かもなぁ……」

 こんなにボロボロなお守りが、家を建てられるくらいの大金と交換できる。
 それは、とても美味しい話だ。
 普通の人なら、二度返事で渡す。
 だが、獣男は眉を動かして唸る。
 何か思い入れがあるのか、お守りを手放したくないことが伺える。
 しかし、店員も引き下がらなかったという。

「んだよ……じゃ、もっと増やしてやるよ」

 もう1個、家が建てられるくらいのお金を出す。
 大量のお金を、じゃらじゃらと鳴らしながら誘惑する店員。
 それなのに、獣男はずっと唸っていた。
 家2つよりも、大事なお守り——————
 一体、どれほどの思いが詰まっているのだろうか。

「このお守りはぁ……いくらお金を出そうが、我は手放したくない……なんでだろうなぁ……?」

 獣男は、頭をかきながら店内を後にした。
 店員は、とても珍しそうな表情で見送った。


            ○


 空が若干、茜色に染まる。
 町の中では、たくさんの主婦たちが、お店で食品を買う時間。
 今夜の晩御飯、夫の酒、珍味など、求める物は色々である。
 そんな時に、明らかにおかしい人が居た。
 桟橋の中央で座りながら、釣りをする獣男。
 大きなおくびをしながら、ただただじっと釣れるのを待つ。
 たまに、こめかみを触りながら辺りを見回したりするが、これといって、何かを警戒してはいなかった。
 ——————竿が反れる。
 獣男は、目を見開き、その場から立ち上がり、手と足に力を入れる。
 しかし、そう簡単に釣り上がらないところを見ると、これはかなりの大物だ。
 だが、焦ったら獲物は逃げる。こう言う時こそ、落ち着いて物ごとを行う。
 慎重に竿を上げる獣男、すると、水の中からは大きな影が見えたという。
 もう少しで、大物が釣れる。獣男はとても目を輝かせていた。
 ——————「こんの、ボケナ————ス!」
 突然の罵声。それを聞いた瞬間、獣男の背中にとんでもない衝撃が走る。
 気がつくと、桟橋からは足が離れていて、空中に浮かんでいた。
 手に持っていた竿も手放して、そのまま水の中に真っ逆さまに落ちる獣男。
 高い水しぶきを上げる。すると、桟橋の方には誰かの姿があった。
 金髪で、腰まで長い艶やかな髪の長さ。頭には、ふさふさした2つの耳がある。
 瞳は金色で、見つめられたら、思わず魅了されてしまうような眼光。
 上半身には、女性用の和服を着て、下半身には、よく巫女がつけていそうな袴を着ていた。
 そして、輝くような黄色い1本の尻尾を、神々しく揺らしていた。
 もっと言ってしまえば、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花という言葉が非常に似合っていた獣女。

「貴様は……あたしが、汗水流して稼いでいた時に、のんびり釣りでもしていたのか!?この、ボケナス!」

 橋の上から聞こえる、とんでもなく大きな声と罵声。
 獣女性は、腕組をしながら、仁王立ちの態勢でずっと水の中を凝視する。
 すると、少し時間が経った頃に、水の中から仰向けの状態で、獣男がゆっくり浮いてきた。
 その姿は、非常に情けなかった。
 なぜか、目の端には涙を溜めていたという。そして、とても悲しそうに呟く。

「わ、我の……魚がぁ……お、大物ぉ……食糧〜……」

 この言葉に、獣女は少し罪悪感を持つ。
 まさか、あんなに悔しそうな獣男を、見たのは初めてだからだ。

「あっ、いや……その、なんだ!?あたし、悪いことしたのか!?」

 桟橋の上でパニックになる獣女。
 しばらく、このやりとりが行われた。


            ○


 獣女が、太股くらい深い、水の中に入り、獣男の尻尾を握り、地上へ向かって歩く。
 その光景は、非常に珍妙である。
 獣女が歩き進めると、獣男は水の上で、ゆっくり引きずられる。
 桟橋の上に人がいれば、ちょっとした見世物になっただろう。

「魚ぁ……」

 獣男は、引きずられながら、まだ逃がした獲物の事を考えていた。
 すると、獣女は握っていた尻尾をぎゅっと握り怒鳴る。

「ええい、貴様!男なら、過ぎたことをくよくよ言ってんじゃねぇ!」

 尻尾を握る力は、どんどん強くなる。
 すると、獣男の体は微妙に痙攣(けいれん)していた。
 さらに、どこか荒い呼吸をしていた。
 はっとした表情になる獣女。そして、慌てて握っていた尻尾を離す。
 体の痙攣は一瞬で治まり、荒い呼吸もなくなった。
 ——————尻尾というのは、かなり敏感である。
 そのことを忘れていた獣女は、とりあえず頭を下げて謝る。
 獣男は、小さな唸り声を上げながら、水底に足をつける。
 こめかみを触りながら、黙って地上へ、足を進める。
 ——————ついでに、獣女の尻尾を握る。

「ぎゃぁ!」

 美女とは思えない声を出しながら、水の中に後ろから倒れる獣女。
 獣男は、大きなあくびをしながらその様子を見ていた。

「我だって……たまには、反抗するさぁ……琶狐(わこ)」

 そう呟きながら、獣男はゆっくり歩く。
 すると、琶狐と呼ばれた獣女は、すぐさま水底に足をつけて、獣男に向かって走る。
 ——————見事な、ドロップキックが炸裂した。
 獣男は、真正面に倒れる。
 その際、体と水が平行になっていたので、飛びこみでいう、腹打ち状態になっていた。
 その姿を見た琶狐は腕組をしながら、

「良い気味だな!あたしの尻尾を触ろうなんて、600年早いんだよ!この、ボケナス妖天(ようてん)!」

 酷い罵声を言う。
 妖天と呼ばれた獣男は、うつ伏せの状態で浮かんでくる。
 そして、琶狐は妖天の右手を握って地上へ向かう。


            ○


 びしょ濡れの状態で、2人は、地上へ上がる。
 すると、琶狐は突然、上半身に着ていた着物を勢いよく脱ぐ。
 一瞬、妖天は慌てるが、すぐに落ち着いた表情になる。
 どうやら、琶狐は胸にサラシを巻いていたのだ。
 やはり、胸が体を動かす時に、邪魔になるのだろう。
 鍛えられた上半身は、とてもすらっとしていて、無駄な脂肪は胸を除いて、全くなかった。
 おまけに、肌は綺麗で、触ると、すべすべしていそうな雰囲気を全面的に出していた。
 背中に至っては、長い金髪で大半は隠れていたが、それがまた艶(なま)めかしい。
 改めて、自分の近くに居るのは、美人な狐女性だと思う妖天。

「ったく……ずぶ濡れだ!」

 しかし、言葉を聞いた瞬間、その考えはなくなる。
 だが、これにより変な気を起さないで済むのは、少し助かった。

「むぅ……乾くにはぁ……相当、時間がかかりそうだねぇ……」

 水滴を、和服から落としながら、妖天はこめかみを触って呟く。
 琶狐は、自分の着物を思いっきり、雑巾のように絞っていた。
 その姿は、非常に男らしかった。

「貴様も、脱いで絞ったらどうだ!?」

 琶狐の言葉に、妖天は耳と眉を動かす。
 その表情は、どこか嫌そうだった。

「いやぁ……我は、自然乾燥を待とうと思う……」

 拱手をしながら、妖天は言うが、琶狐はその言葉に堪忍袋が切れる。

「はぁ!?貴様は女か!?上くらい、別に恥ずかしくねぇだろ!」

 そう言って、琶狐は妖天が来ていた和服を強引に脱がす。
 立場が逆だろうと思うが、今は誰も居なかったので、特に違和感はなかった。

「むぅ……」

 妖天は、頭を右手でかきながら小さく唸る。
 その体は、特に鍛えたような雰囲気は漂わせておらず、ごくごく普通の、若者らしい体つきだった。
 琶狐は、その体を見て鼻で笑ったという。

「ふんっ、予想通りの体だな!いままで、どんな生活していたか、すぐに分かる!」

 妖天の和服を絞りながら、馬鹿にしたような口調で言う。
 ——————和服の中に、固い感触があった。
 琶子は、思わずその固い物体が、入っているだろうと思う場所へ手を突っ込む。
 すると、団子が1本食べられるか、食べられないかくらいの銭が出てきた。
 しばらく、無言になる。
 そして、琶狐は銭をぎゅっと握り、恐ろしい表情で妖天を睨む。

「貴様、まさかとは思うが……巻物を質屋に入れた成果が、これだとは言わないよな!?」

 妖天は、目をそらして、大きなあくびをしていた。
 琶狐は、耳をピクピクさせる——————
 水が静かに流れる音が、響き渡る桟橋。
 その音をかき消すかのように、ぱちんと、とても痛そうな音が響いたという。


            ○


 黄昏時(たそがれどき)。
 そろそろ、日が沈んで、人々が酒に酔いしれて、騒ぎ始める時間が近づいていた。
 その町の中を、妖天と琶狐は歩いていた。
 妖天の右手には、自分が質屋で手に入れた銭と、琶狐が昼間、稼いでくれた銭が乗っていた。
 明らかに、琶狐が稼いだ銭の方が多かった。
 だが、この銭では団子が10本くらいしか買えなかった。
 美味しいご飯を食べるには、程遠い夢である。
 2人が突然、金欠になったのには理由がある。
 ——————妖天が、森の中でお金を落としたからだ。
 一応、明日から森に戻って探すことになったが、今日をどう乗り切るか問題だったという。

「貴様のせいで、慣れない売り子を、やるハメになったんだぞ!?」

 確かに、こんなに綺麗で美人な女性が売り子になれば、あっという間に客は入ってくるだろう。
 しかし、問題は言葉だった。
 妖天は、恐る恐る、琶狐に尋ねる。

「君ぃ……大丈夫だったのかぁ……?」

 琶狐が、お客さんに罵声を浴びせながら、売り子をしている光景を、想像する妖天。
 すると、案の定、こんな言葉が返ってきた。

「んなもん、パッとやってピッだ!」

 よく、お金を貰えたな。と、心の中で呟く妖天。
 とりあえず、2人のお腹はとても空腹状態だったので、近くのお店に売っていた油揚げを、買えるだけ購入する。
 そして、それを口に咥えながら歩く。
 油揚げの、独特な甘みが、2人の体と心を癒す。
 朝、昼と、ご飯を食べていなかったので、こんな油揚げでも、御馳走だった。
 油揚げは、均等に分けられたが、ここで問題が発生する。
 1個余ったのだ。
 どうやら、買えるだけ買った油揚げの総計が、奇数だったことにここで、発覚する。
 もちろん、取り合いになる。

「これはぁ……我の油揚げだぁ……」
「ふざけんな!これは、あたしの油揚げだ!」

 こめかみを触りながら、言葉を言う妖天と、歯をぎりぎりと鳴らしながら、言葉を言う琶狐。
 とても、醜い争いだ。
 この2人の頭には、半分にするという考えは全くないらしい。
 あくまで、1つの油揚げを食べたい。そんな、欲が強かった。
 すると、妖天は目を見開いて、どこかを見つめて呟く。

「むっ……あそこに、美男が居るぞぉ……」

 途端に、琶狐は妖天が見つめていた場所を見る。
 その隙に、最後の油揚げを口に咥える妖天。
 この獣女。とても、騙されやすい性格をしていた。
 当然、こんなことをされた琶狐は耳をピクピクさせながら、怒鳴る。

「貴様ぁ——!よくも、あたしを騙してくれたな!?美男かと思えば、美女が居ただけじゃないか!」

 この言葉に、妖天ははっとした表情をする。
 確かに、そこには美女が居たのだ——————
 背中には、大きな翼を持っており、よく見ると、両手には赤子を優しく抱いていた。
 とりあえず、油揚げを食べるために、でたらめなことを言ったはずが、まさかの結果。
 妖天は、頭をかきながら、なぜか、美女の居る場所へ向かう。

「貴様!美女が居ると聞いたら、目の色を変えてそっちへ行くのか!?」

 琶狐も、怒鳴りながら妖天の後をついて行く。
 その表情は、どこか悔しそうだった。


            ○


 妖天と琶狐が美女の近くへ行くと、思わず目を見開いて、凝視してしまった。
 整った顔立ち、白くて柔らかそうな頬、艶やかでさらさらの髪の毛、大きくてふわふわしていた翼。全てが、魅力的だった。
 琶狐は、耳をピクピクさせ、尻尾を挙動不審に動かしていた。

「あなたたちは……どちら様でしょうか?」

 鳥人女性は、突然現れた2人に尋ねる。
 妖天は、大きなあくびをして、お得意ののんびりした口調で呟く。

「我はぁ……詐狐 妖天(さぎつね ようてん)。こちらは、神麗 琶狐(こうれい わこ)という。ずいぶんと……可愛い、お子さんをお持ちでぇ……」

 鳥人女性が抱きかかえている赤子を、見つめながら言葉を呟く。
 生まれて間もないのか、ぱっと見ただけで男の子か女の子か分からなかった。
 なので、どっちの性別に言っても、違和感のない“可愛い”と、言った妖天。

「あら……可愛いだなんて、嬉しいお言葉ですわ」

 鳥人女性は、にっこりほほ笑む。
 その表情を見て、胸の鼓動を激しくさせる琶狐。
 妖天は、大きなあくびをしていた。

「わたくし、今、夫を探している所なのです……たぶん、居酒屋に居ると思うのですが、何分(なにぶん)この状態です。赤ん坊を起こさせないように、連れ戻したいのですが……おそらく、無理でしょう……あなたは、心優しそうなお人ですし……この、赤ん坊をしばらく預かってくれませんか?」

 鳥人女性は、美しく頬笑みながら、妖天に言う。
 すると、また大きなあくびをして、こめかみを触りながら、

「ん〜……我は、断る……面倒だぁ……」

 と、だるそうに呟く。
 この発言に、琶狐は思いっきり妖天を蹴った。
 弧を描くように、5mくらい跳ばされる。
 そして、琶狐は鳥人女性から赤子を取り上げるように、預かった。

「ほら!とっとと行ってこい!」

 琶狐は、鳥人女性の肩を叩きながら、夫を探すように勧める。

「はい、ありがとうございます……後、お願いですから……絶対に、赤ん坊を落とさないでくださいね」

 そう言って、鳥人女性は、この場を後にする。
 ——————その表情は、胡散臭い微笑みをしていた。
 琶狐は、赤子をじっと見つめながら持っていた。

「へぇ……赤ん坊って、けっこう可愛いんだな!」

 赤子の寝顔を見て、思わず言葉を言う。
 一応、琶狐にも母性心は、あった。
 ちなみに、妖天は気絶をしていたので、こんな状況になっていることは、知らなかった。

「なんか、あたしも欲しくなってくるなぁ〜!可愛い、赤ん坊!」

 意外と、心の奥は女性らしかった琶狐である。

「ん?」

 突然、赤子を見つめる琶狐。
 手に変な違和感があった。
 先まで、持っていた赤子が、少し重く感じた。
 ——————小さな石ころから、大きくて丸い石へ変わったかのように。
 だが、そんなことを気にせず、ずっと待つ琶狐——————

「ん!?」

 今度は、大きく声を上げて、赤子を見つめる琶狐。
 手の上に何かが、ずっしりと乗っかるような感覚。
 例えるなら、石ころから岩に変わったような感じ。
 思わず、力を出して赤子を抱く。
 しかし、赤子はどんどん重くなっていく。
 岩がどんどん大きくなっていくような感じ——————

「うっ……な、なんだこれは……」

 琶狐は汗を垂らしながら、赤子を抱く。
 決して、絶対に落としてはいけない。あの鳥人女性の言葉を、考えながら持つ。
 だが、赤子はそれでも重くなっていく——————
 そして、琶狐はとうとう、赤子を地面に落としてしまった。
 当然、眠りから覚めて泣きわめく。
 ——————「どうして……落としたのですか?」
ふと、背後から恐ろしい声が聞こえてきた。
 琶狐は、思い切り、後ろへ振り向く。
 そこには、先程の美人で鳥人女性が立っていた。
 しかし、その表情は、とても人とは思えないくらい恐ろしかった。

「言いましたよね……絶対にこの子を、落としては……いけませんよ……と。可愛い、可愛い……わたくしの赤ん坊を……落とした罪は……重いですよ?」

 鳥人女性は、懐から鋭利な刃物を出す。
 銀色に輝く刃の一部に、赤黒い色がついていた。

「赤ん坊は……財宝ですよ……」

 そう小さく呟く、鳥人女性。
 そして、刃物を琶狐の体に刺す——————

「待てぃ……産女(うぶめ)……」

 突如、鳥人女性の後ろから声が聞こえる。
 そこには、拱手をしながら、どこか痛そうな表情をして立っていた妖天。
 産女と呼ばれた鳥人女性は、すぐ、こちらへ振り向く。
 その表情は、とても恐ろしかった。

「あら……正体が、バレてしまいましたね」

 くすくすと、笑う鳥人女性。
 妖天は、こめかみを触りながら、深い溜息をする。

「はぁ〜……面倒なことになってきたなぁ……こんな、村の中で妖(あやかし)に会うなんてねぇ……」

 産女。
 それは、立派な妖の名前である。突如、赤子を持って現れ、人々に自分の赤子を預けさせる行動を繰り返す。
 もちろん、その赤子も妖である。
 赤子は、産女以外の者に持たれると、だんだん体が重くなるのが特徴だ。
 いずれ、人の力では持てないくらいに重くなり、落とされる。
 そして、その様子を影から見ている産女は、突如現れて、赤子を持っていた人を殺す。
 この妖が生まれたのは、女性の未練によるものである。
 昔、とある村に、赤子が欲しくて、欲しくてたまらない女性が居た。
 しかし、その女性は赤子を授かることなく、死んでしまった。
 だが、女性の魂は成仏しなかったのだ。
 ——————赤子が欲しい。そして、その赤子を誰かに抱いて欲しい。
 そんな、強い思いが、女性の魂を産女に変えた。
 怨念の塊で出来た赤子を持ち、心優しそうな人に抱かせる。
 それは、自分の大切な財宝を託すということ——————
 もちろん、託した財宝を雑に扱われるのは嫌う。落とすなんて、もってのほか。
 だから、産女は自分の赤子を落とした人を殺す。
 産女は、どうして自分の託した赤子を落とされるのかは、未だに理解出来ていない。
 ——————自分が持っている時は、赤子は重くならないからだ。

「あなた、ただの狐じゃないですね……」

 鳥人女性の言葉に、妖天は眉を動かす。

「我は……ただの狐だぁ……それ以上、言葉を言うなぁ……」

 やけに低い声を出す。
 頼りなさそうな口調が、嘘のように——————

「わたくし、知っていますよ……?あなたのこと……あなたは、狐の……」

 パチン——————
 妖天は、突然、指を鳴らす。
 すると、鳥人女性の足元からは、燃え盛る炎が出てきた。
 狐火にしては、やけに火力がある。
 そもそも、狐火は戦闘に全く使えない術。
 せいぜい、明りを灯すくらいのものなのに、妖天は普通に妖に使っている。

「我はぁ……ただの、狐だぁ……黙って、成仏せい……産女……!」

 眉間にしわを寄せて、とても恐ろしい表情をする。
 これを見た琶狐は、少し尻尾をびくっとさせていた。
 産女は、最後に胡散臭い頬笑みをしながら、焼かれた。
 狐火を地面から消して、妖天はこめかみを触りながら、この場を後にする。
 とりあえず、琶狐はその後ろを黙ってついていく。
 ——————今は、そっとした方が身のためだろう。そう、本能が悟る。
 一方、妖天は頭を右手で、がんがんと叩いていた。

 ——————「(この感じはぁ……なんだぁ……)」