複雑・ファジー小説

Re: 獣妖記伝録 ( No.51 )
日時: 2011/09/04 13:54
名前: コーダ (ID: uoVGc0lB)

           〜蜘蛛と獣たち 後〜


 土蜘蛛。
 普通の蜘蛛よりも、何倍も大きく、非常に危険な妖である。
 この妖が住んでいる場所の村は、原因不明の病気にかかる。
 それは、土蜘蛛が空気中に、その病原体を出しているからである。
 もちろん、ただ病死させるだけに、病原体を撒かない。
 ——————死んだ人の死肉を、餌にするための行動だ。
 特に、女性や子供の死肉は大好物であり、そういう人は特に狙われる。
 しかし、ここでおかしいことがある。
 土蜘蛛は、基本的に個人単位で人を病気にさせる。
 今回は、とても珍しいケースで、村単位である。
 ——————大量に、餌がいるというのだ。
 恐ろしいのは、その病原体だけでなく、土蜘蛛の体には毒もある。
 だが、その毒を蒸留水で水割りして、一口飲めば、土蜘蛛が出した病原体を殺すことができる。
 つまり、妖天たちが居る村の住民を助けるには、土蜘蛛を退治しないとだめということだ。
 幸いにも、こちらは土蜘蛛を目撃している野良猫が居る。
 希望は、それなりにあった。

「土蜘蛛かぁ……妖の中でも、かなり危険な部類だぁ……いままで、会った妖と比べていると、痛い目に遭うぞぉ……琶狐?」

 妖天は、拱手をしながら、隣に座っている琶狐へ言う。
 その口調は、とても威圧感があり、いつもの頼りなさそうな感じが全くなかった。
 いつもなら、罵声を浴びせながら返すのに、今だけは素直に呟く。

「わ、分かった……妖天」

 耳と尻尾を、挙動不審に動かす琶狐。
 妖天は、こめかみを触りながら、大きく唸る。

「今回はぁ……面倒とか言っている場合ではないなぁ……早速、山へ行こうと思うが……今日は、無理だな」

 玄関の方を見つめて、眉を動かす妖天。
 外は、もう茜色だった。
 妖というのは、基本的に夜行性で、これからどんどん本領を発揮してくる。
 ただでさえ、危険な土蜘蛛が、さらに磨きがかかるというのだ。
 それを知っている妖天は一体——————
 村潟は、琶狐に思わず一言尋ねる。

「失礼だが……拙者は、妖天のことを見くびっていたようである。頼りなさそうで、とても弱いと思っていたが……まさか、こんなに威厳と知識があったとは……」

 白旗を上げる村潟。
 すると、琶狐は顔を左右に大きく振った。

「あ、あたしも……こんな妖天を見たのは、初めてなんだ!威厳の、いの字もないジリ貧狐なのに!」

 この言葉に、村潟はとても驚く。
 隣に居た琥市は、眉間にしわを寄せて、両手でメガネをくいっと上げ、何かを考えていた。

「ひゅ〜……なんか、土蜘蛛を一瞬で退治できそうな雰囲気だねぇ……」

 野良猫は、妖天を見つめながら言葉を呟く。
 だが、一切眼中に入れず、こめかみを触りながら何かを考えていた。

「(だがぁ……なぜ、土蜘蛛は村全体に病原体を……?そんなに空腹なのかぁ?……いや、まさか……)」


            ○


 外は、もう夜だったが、月明かりが地上を照らしていた。
 快晴の星空を、じっと見つめるのも、おつなもの。
 それを見ていたのは、美人な女性。琶狐だった。
 野良猫の家から出て、すぐ近くにあった桶を、底の部分を上にした状態で地面に置き、座っていた。
 その表情は、非常に綺麗で美しかった。
 見た者は、思わず一目ぼれしてしまうくらいである。
 男性、女性、関係なく——————
 家の中に居る男たちは、静かに酒を呑んでいた。
 こんな状況なのに、よく呑めるな。と、琶狐は心の奥底で呟く。
 すると、玄関の扉が開く。
 そこから出てきたのは、子犬のような少女。琥市だ。

「んっ?酒臭くて嫌なのか?」

 大きく頷く琥市。
 琶狐はとりあえず、もう1個桶を用意して、隣へ座らせる。
 2人は、しばらく黙って星空を見つめる。
 すると、琶狐は狐目になって小さく呟く。

「あたしは、星空が好きなんだ。たくさんの星空……あれは、たくさんの人々を表しているなって……思うからさ」

 腕組をしながら、星空が好きな理由を尋ねる。
 琥市は、両手でメガネをくいっと上げる。

「たくさんの……人々……」

 幼さが残るが、とても透き通った声が辺りに響く。
 琶狐は、思わず琥市を見つめる。

「驚いたねぇ。貴様、喋れるのか」

 こくりと頷く琥市。
 琶狐は、また星空を見つめながら小さく呟く。

「犬、猫、狼、狐、鼠、兎、狸、鳥……この国は、たくさんの種族が居るだろ?だけど、あたしはまだそれ以上に知っているからさ」

 この言葉に、琥市は眉間にしわを寄せて考える。
 8種族以外の、種族とは——————
 すると、琶狐は大きく笑いながら言葉を言う。

「なぁに!簡単だろ!?犬と猫が契りをしたらどうなる!?」

 琥市は、はっとした表情をする。
 犬と猫が結婚して、子供が出来れば、その子供は犬猫になる。
 鋭い眼光は犬に似て、尻尾はなぜか猫みたいになる。そういう人。
 つまり、新たに28種類の種族が生まれることになる。
 さらに、その28種類がお互い結婚してしまうと、新たに378種類も生まれる可能性がある。
 最終的に、8種族の血が全て流れている子供が、出来る可能性もある。
 しかし、それは国が許さない。
 異種族同士の結婚は、即死刑。
 なぜなら、それは種族関係を社会的、人間的に壊すことになるから——————
 犬は犬、猫は猫。これが出来ない者は、愛を語る資格などない。
 人々も、変な子供が生まれることを嫌うので、人権を侵しているとは一切、思っていない。
 だから、もし異種族が結婚してしまうと、その噂は人々から伝わり、すぐに国のお偉いさんの耳に入る。
 そんな世の中——————
 琶狐は、どうしてそういう人々を、知っているのか甚(はなは)だ疑問に思うが、あまり聞かない方が身のためだと察する琥市。
 また、しばらく無言になって星空を見つめる2人。
 すると、琥市はとても透き通った声で呟く。

「妖天さんとは……会って……何ヶ月くらい……経つの……?」

 この質問に、琶狐は腕組をしながら答える。

「ん?そうだなぁ、もう1ヶ月くらい経つか?で、なんだ?」

 その質問をした理由を、催促する琶狐。
 両手でメガネをくいっと上げながら、琥市は言う

「そう……所で、琶狐さんと妖天さんは……どういう出会いを……?」

 妖天との出会い。琶狐は、どこか苦虫を噛んだかのような表情で呟く。

「あいつとの出会いは、丁度こんな時間だったな。酒臭い体をしながら、あたしに近づいてくる……と、思ったら突然、どっかへ行った。なんか、あたしの事が気になるとか、気にならないとか言っていたなぁ……その理由を決して言わないから、あたしはついてきた感じだ!」

 脳内で、妖天との出会いをまた再生させる琶狐。
 琥市は、少々気になったことがあったので、尋ねる。

「妖天さんは……理由を、言わない……?」
「あぁ!あいつは、本当に理由を言わない!自分が、放浪している理由も言わないしな!」

 桶を倒して、その場に勢いよく立ちあがる琶狐。
 思わず、びっくりする琥市。

「放浪……?妖天さんは……ずっと……1人……?」

 この言葉に、琶狐は腕組をしながら考える。
 そういえば、自分と会っていない時はずっと1人だったのか、と。
 これは、あまり詳しく言えなかったので、その場しのぎで答える。

「ん?あたしと会う前は、あいつ、ずっと1人じゃないか?特に、そういう話は聞かんし」

 琥市は、なぜか悲しい顔つきになる。
 この急激な変化に、琶狐は当然慌てる。

「どうしたんだい!?目にゴミでも入ったか!?」
「いえ……わたくしは大丈夫です……」

 メガネを両手でくいっと上げて、可愛らしい表情をする。
 しかし、それは少し無理をしていたように見えた。
 琥市は、何かをお願いするように、琶狐へ言葉を言う。

「琶狐さん……妖天さんのこと……見捨てないで……あの人は……村潟と同じ……」

 村潟と同じ。この言葉に引っかかった琶狐は思わず、大きな声で尋ねる。

「あいつと同じだって!?どこがだ!?」
「わたくしは……10年前くらいに……放浪する村潟を見つけた……どうして、放浪をするかを聞いたら……よく分からない。って……でも、体はどこかへ向かっていたのが……分かったの……きっと、村潟も妖天さんも……“理由を言わない”じゃなくて……“理由を言えない”と思うの……」

 眉を動かして、黙って話を聞く琶狐。
 放浪する理由を言えない2人。
 なぜ、こうなってしまったのだろうか——————

「妖天さんの首に……お札か、お守りかどうかわからない物……村潟の鞘にもついている……どうして、つけているかを聞いたら……それも、明確に言えなかった……気がついたら、あった。だけど、手放したくない……と」
「………………」

 村潟の言動と、妖天の言動が一致することに、気がつく琶狐。
 実は前に1度、首についているお札か、お守りかどうかわからない物について、尋ねたことがあるのだ。
 しかし、返ってきた答えは、“分からない。ただ、気がついたらあった。だけど、手放したくない”言っていた。
 腕組をしながら、大きく唸る琶狐。
 すると、琥市は少し眼光を鋭くして、言葉を呟く。

「あくまで、わたくしの予想だけど……妖天さんと、村潟は……“記憶を失っている”可能性があると思う……」
「記憶喪失かい!?そ、そんなことがありえるのか!?」

 琶狐がその言葉を言った瞬間、今日の昼の出来事を思い出した。
 同族が嫌いな理由を、必死に探し出す妖天。
 汗をたらしながら、過呼吸になりながらも考えるが、思い出せなかった。
 過去に、何かあったのだろうと思わせる感じ。体では覚えているが、頭では覚えていない、そんな状況。
 ——————記憶喪失だと言ってもよかった。

「いや……ありえそうだな」

 先程の言葉を撤回するような、言葉。
 だが、ここで少し疑問が残る。
 ——————なぜ、妖についての知識は残っているのか。
 琶狐は、とりあえず、それを琥市に尋ねる。

「だけど、あいつは妖について、とんでもなく詳しいが?」
「そう……妖天さんと村潟は……そういう知識だけは覚えている……村潟の場合は、和菓子とか刀についてだけど……」

 一部の記憶だけが、失っている。
 そう思った琶狐は、腕組をしながら、また大きく唸る。

「重要な記憶が……ないってことかい?」
「……それは、分からない」

 お札かお守りみたいな物を持っている理由、放浪する理由は、本人にとって、重要かどうかは分からない。
 だが、そこだけの記憶がないということは、なにかあるに違いない。
 ふと、琶狐は小さく呟く。

「あいつが、同族を嫌うのも……重要なのか……?」
「記憶を復活させるには……なにか、きっかけが……ないと……」

 琥市の言葉を境に、2人はずっと無言になる。
 この話で、少しだけ妖天の見る目を、変えた琶狐であった。


            ○


 時は、真夜中。
 野良猫の家では、雑魚寝をする4人が居た。
 大の字で寝る野良猫。
 可愛らしく、自分の尻尾に抱きついて寝る琥市。
 仰向けで、両手を頭の後ろで組みながら寝る琶狐。
 壁に背中を預けながら、腕組をして寝る村潟。
 ——————妖天は、普通に起きていた。
 こめかみをずっと触りながら、小さく唸る。
 眉間にしわも寄せながら、深くずっと考える。

「同族……我はなぜ同族を……嫌う……?分からぬ……なぜだぁ……九狐……九狐……?なのかぁ……?」

 九狐——————
 妖天の口からは、誰かの名前が出てくる。
 響き的に、女性をイメージさせた。
 だが、それは誰なのかも、分からなかった。

「そなた……悩んでいるようだな」

 ふと、横から聞こえた声。
 そこには、眠っていたはずの村潟が、顔を上げていた。

「むぅ……起こしたかぁ?」
「かまわぬ。拙者は、基本的に深く眠らない。なにか、あった時の為にな」

 この言葉を聞いた妖天の耳はピクリと動く。

「君ぃ……武士かぁ?」
「武士……拙者が武士……?はて……どうだったか……」

 頭を悩ませながら、村潟は呟く。
 その様子は、非常に自分と似ていた。
 妖天は、浅い溜息をすると、小さく呟く。

「いやぁ……無理に答えなくても良いぞぉ……忘れたものは、しょ〜がない……」
「すまぬ」

 しばらく静かになる2人。
 何か話題がないかを必死に探す妖天と村潟。
 すると、ふと妖天は、村潟の鞘を見つめる。
 ——————そこには、お札かお守りみたいな物。
 そして、なぜそれを持っているのかを尋ねた。

「君ぃ……その鞘に繋がっている物は……どこで、手に入れたぁ〜?」

 村潟は、自分の刀の鞘を見つめる。
 だが、途端に深く考える。
 そして、こんな言葉を呟く。

「これは……拙者が気づいたときにはあった……な、なぜかはわからぬ……手にした覚えはない……ない?それは真(まこと)か……?」

 村潟の反応を見て、妖天はこめかみを触りながら、

「むぅ……我と同じかぁ……我も、この首にある物は、気がついたときにあったのさぁ……手にした覚えは……ないようなぁ……あるようなぁ……?」

 と、村潟を同じようなことを言う。
 頭を悩ませて、このお札かお守りみたいなものについて考える2人。
 しかし、答えは一向に出ることはなかった——————
 気がつくと、妖天と村潟は深い眠りに誘われた。


            ○


「わらわのことを……ずっと、ずっと守ってくれるか?」

 そう言ったのは、とても美しい女性だった。
 頭には、ふさふさした2つの耳があり、なんと、黄金に輝く金色の尻尾が9本もあった。
 髪の毛も、黄金に輝く金色で、腰くらいまである長さだった。
 巫女服に包んだ体は、とても神々しくて、思わず頭を下げたくなる。
 さらにその姿は、非常に女々しく、おしとやかで、艶めかしかった。

「君のことは……我が、守る……」

 女性の言葉の後に、男性がそう言う。
 頭には、ふさふさした2つの耳があり、黄金に輝く金色の尻尾が2本あった。
 黒くて、首くらいまでの長さがある髪の毛。
 その姿は、非常に落ち着いていて、頼りがいがあり、どこか威厳たっぷりだった。

「そうか……わらわは嬉しいぞ」

 女性は、男性の背中から優しく抱きつく。
 この時、背中には豊満な胸が深く当たっていた。

「よさんか……」

 そう言っているものの、男性はまんざらでもない様子だった。
 雰囲気的に、2人は恋人同士に見える。

「ふふふ……汝は可愛いのう……やはり、わらわの好みじゃ……」

 女性は、耳元で言葉を言う。
 すると男性は、体を180度回して、女性と対面になるような形をとる。

「我も、君のような者は……好みだ……」

 この言葉に、女性は、狐目になって口元を上げる。
 その表情は、非常に艶めかしかった。

「わらわと汝……目的を達するために出会ったが……ふふふ……まさか、こうなるとはな……」
「我もだ。目的を果たすために、君についてきたが……こうなるとはね……」

 そう言って、女性と男性は唇を合わせる——————
 熱く、深い接吻(せっぷん)。
 しばらくして、女性は男性を押し倒す。
 この2人を、止められる者はもう居ない。そんな、雰囲気だった。


            ○


 快晴の空。
 時間は、朝と言うには遅く、昼と言うには早い、本当に中途半端な時間。
 今日は、土蜘蛛を退治するために、山へ登る。
 野良猫の家に居たメンバーは、準備をしていた。
 ——————だが、1人だけは違った。
 畳の上で、ゆっくり気持ちよさそうに寝る妖天。
 その姿を見た琶狐は、怒りをあらわにして叫ぶ。

「こらぁ——!とっとと起きろぉ——!このジリ貧狐ぇ——!」

 右足で、思いっきり妖天の背中を蹴る。
 もちろん、これには苦痛な表情をしながら起きあがる。

「痛っ……き、君ぃ……ずいぶん……荒々しい起こし方だねぇ……」

 蹴られた部分を、手で摩りながら、妖天は呟く。
 その様子を見ていた、村潟と琥市、野良猫は苦笑していた。

「あたしの目覚ましは、手加減なしだ!それに、貴様のあの寝顔はなんだ!?とんでもなくいやらしかったぞ!?」

 こめかみを触りながら、妖天は考える。
 すると、今日見た夢について話す。

「いやぁ……今日は、とても……あま〜い夢を見てなぁ……男女の狐がくんずほぐれつ……」
「黙れ!朝から何言ってんだ、この変態ジリ貧狐!」

 琶狐は、思いっきり平手打ちをする。
 そして、妖天はその場に倒れて気絶する。

「すまぬが……拙者らは時間が惜しい……」
「せっかく起こしたのに、また寝かしちゃったかぁ」
「………………」

 冷やかな視線を送る3人。
 琶狐は、はっとした表情をして、倒れている妖天を思いっきり揺さぶる。
 これから、土蜘蛛を退治するのに、なんとも言えない空気。
 思わず琥市は、笑ってしまったという。


            ○


 町から少し離れた山。
 時間は、もうすぐで太陽が頂点に昇る時である。
 風は一切吹いておらず、非常に暑い日であった。
 ゆらゆらと、肉眼で確認できるくらいの陽炎が、その気にさせる。
 こういう日は、キンキンに冷えた飲み物が欲しくなる。
 だが、山に向かう妖天、琶狐、村潟、琥市、野良猫に、そんな安らぎはない。
 汗を大量に流しながら、ただただ、険しくそびえたつ山を無言で登る。
 もちろん、休むことなく足を進める。
 ——————突然、何かが居る気配を感じる。
 深く萌えている草むらが、ささっと音を鳴らす。
 もちろん、それに気付く5人。
 特に驚きもせず、むしろ待っていました。と、言わんばかりの表情。
 深く萌える草むらへ近づく。その足は、非常に慎重だった。
 その瞬間、恐ろしい生物が現れる——————
 体長は、約5mあり、8本の足が印象的である。
 黒くて、ちょっと不気味な毛で覆われ、その姿はとても気味が悪かった。
 そう、草むらから出てきたのは、とんでもなく大きな蜘蛛(クモ)だった。
 この姿を見た妖天は、眉を動かして呟く。

「土蜘蛛ぉ……君は、一体なにをやっているんだぁ〜?」

 だが、土蜘蛛はそんな言葉を聞き流して、思いっきり突進してくる。
 思いのほか、スピードがあったため、妖天は回避できず、そのまま攻撃を受ける。
 反動で、妖天は、情けない声を出しながら、ゴロゴロと転がるように、山から落ちてしまった。
 この様子を見た琶狐は、思わず言葉を叫ぶ。

「な、情けねぇぇぇ————!」

 村潟、琥市、野良猫は大きく顔を上下に振る。
 そして、琶狐は土蜘蛛を凝視する。
 独特な犬歯を出し、耳をピクピクさせながら、

「貴様!よくもあたしの連れを、あんな目に遭わせてくれたな!?もう、逃げられないぞ!?」

 と、言う。
 琶狐は、近くの5mくらいの長さがある、木の枝に跳び移り、そのまま土蜘蛛の真上まで跳ぶ。
 そして、思いっきり土蜘蛛の頭の上を踏みつぶす。
 とてつもない衝撃に、土蜘蛛は一瞬怯む。
 この隙に、琶狐は頭の上から離れ、土蜘蛛の正面へ行く。
 指の関節を鳴らしながら、今度は思いっきり顔面を殴る。
 そのフォームは、非常に綺麗で、正拳突きをイメージさせる。
 かなりの衝撃に、土蜘蛛は5mくらい真っすぐ吹っ飛ぶ。
 だが、倒れることはなかった。
 土蜘蛛は、特に痛がる様子もなく琶狐を見つめる。

「ちっ、確かにこいつは、そこら辺の妖より強いな!」

 腕組をしながら、仁王立ちで琶狐も土蜘蛛を睨む。
 すると、土蜘蛛は口から糸を吐く。
 突然すぎる出来事に、琶狐は一瞬動きを止めてしまう。
 ——————しかし、糸が自分の体に巻きつかれることはなかった。
 なんと、目の前には、刀を出した村潟が居た。
 刀には、土蜘蛛の糸が巻きつかれている。
 どうやら、村潟は琶狐を庇(かば)ったのだ。

「そなた、油断は禁物だ……常に、警戒していないとこうなるぞ」

 狼みたいな鋭い眼光で、土蜘蛛を睨む村潟。
 刀を両手でぎゅっと握り、そこから一気に360度、横へ回転させる。
 これにより、蜘蛛の糸は少しねじれる。
 村潟は、先程の行動を、後5回くらい繰り返す。
 蜘蛛の糸は、かなり深くねじこまれる。
 それでも切れない所を見ると、強度の方は非常にあるということだ。

「むっ……そなたの糸は、これくらいでは切れないのか……」

 ねじって、糸を切るという作戦だったが、この結果に思わず言葉を出す。
 すると、琶狐は狐目になって叫ぶ。

「いや、いける!貴様!そのままじっと待ってろ!」

 村潟にそう言うと、琶狐はねじった蜘蛛の糸に乗る。
 そして、綱渡りの要領で、颯爽と土蜘蛛が居る場所へ向かう。
 ねじらないとゆらゆら揺れて、スピードは出ないが、ねじることによって走っても揺れない。
 琶狐ながら、計算された行動。
 このスピードを利用して、琶狐は鋭角の角度に跳ぶ。
 くるっと、空中で360度回転し、右足を真っすぐ出して、鋭角の角度で下がる。
 ——————土蜘蛛の顔面を、思いっきり蹴る。
 若干、顔が凹むほどの威力。
 琶狐は、口元を上げて、勝利を確信する。
 蹴られた衝撃で、土蜘蛛は仰向けの状態で、跳び、地面へ落ちる。
 村潟は、蹴られる前に、刀を思いっきり振り上げて、蜘蛛の糸を斬っていたため、巻き込まれなかった。
 ピクリとも動かない土蜘蛛。
 その様子を見た琶狐は、思いっきり喜ぶ。

「よっしゃ——!」

 山のこだまが聞こえるくらい、大きな声で叫ぶ。
 村潟も、刀を鞘に入れて、安堵の表情をする。
 2人が土蜘蛛と戦っている間、避難していた野良猫と琥市も、ひょっこりと出てくる。

「おぉ?すげぇ〜!」

 倒れている土蜘蛛を見て、野良猫は思わず驚く。
 琥市も、両手でメガネをくいっと上げて見る。

「では、この土蜘蛛の毒を採取して、蒸留水で割るか」

 村潟は、倒れている土蜘蛛の元へ向かう。
 すると、不意に声が聞こえた。
 4人は一斉に、声が聞こえた方向を見つめる。
 そこには、こめかみを触りながら、大きく唸る妖天——————
 どうやら、なんとか山を登ってきた。
 しかし、その表情は非常に深刻そうだった。
 野良猫は、思わず尋ねる。

「どうした?土蜘蛛はもう退治したぞぉ?」

 両手を頭の裏で組みながら、気楽に言う。
 妖天は、眉間にしわを寄せて、低い声で呟く。

「君たちぃ……土蜘蛛を退治してしまったかぁ……面倒なことになるぞ?」

 この言葉に、4人は一斉に驚く。
 退治したら面倒になる理由——————
 妖天は、凛々しい表情で説明する。

「土蜘蛛は、基本的に村全体へ、病原体を撒くようなことはしないぃ……それは簡単さぁ、人が多いと、食いきれないからだぁ……だがぁ、今回は村全体と来た……我の、言っている意味は分かるかぁ?」

 すると、琥市は目を見開いた。
 琶狐と村潟、野良猫は未だに理解できていない表情をする。

「はぁ……では、言おうかぁ……土蜘蛛が村全体に、病原体を撒いた理由……それはぁ……生まれてくる子供の為さ……!」

 この言葉を言った瞬間、土蜘蛛から小さな生き物。子蜘蛛が、大量に沸いてきた。
 小さいと言っても体長30cmくらいはあった。
 一部の草むらが、子蜘蛛たちによって黒く染まる。
 その光景は、非常に恐ろしかった。
 琶狐は、尻尾を逆立てて背筋をぞっとさせる。

「このままぁ……村に行かれると困るねぇ……」

 頭をかきながら、妖天は考える。
 その間に、子蜘蛛たちは、村へ向かって山を下る。
 琶狐と村潟は、1匹1匹退治するが、とても間に合わなかった。
 野良猫は、ただ慌てることしか出来なかった。
 琥市はじっと黙っていた——————
 妖天は、そんな琥市を見つめて、少し口元を上げる。

「君ぃ……確か……犬神(いぬがみ)だろぉ?」

 この言葉に、びくっと驚く琥市。
 両手でメガネをくいっと上げ、じっと見つめる。
 妖天は、琥市の傍へ行き、身長を合わせるようにしゃがむ。
 そして、少女の小さな両肩に触れて、耳元で囁(ささや)く。

「今から、我はぁ……君に妖力(ようりょく)だけを憑依(ひょうい)させる……全て使ってもかまわん……この蜘蛛たちを……一瞬で退治してくれぇ……」

 妖力——————
 それは、妖が全員持っているエネルギーで、力の源である。
 犬神というのは、そもそも妖である。
 大量の呪術を扱い、妖にしては、かなり力のある部類。
 そう、琥市は妖なのだ。
 犬のような耳と尻尾、そして神々しいのに、どこか禍々しいのは、そのためである。
 人間の言葉も理解できる知能。
 もはや、妖以上の存在と言っても過言ではない。
 だが、ここで新たな疑問が生まれる。
 ——————なぜ、妖天は妖力を持っているのかだ。
 しかし、今はそんなことを、気にしている場合じゃない。
 琥市は、妖天の言葉を聞いて、小さく頷く。

「頼むぞぉ……」

 妖天は、目を閉じて瞑想する。
 ——————琥市の体に、大量の妖力が流れる。
 それはとても強く、生半可な妖が持つと、力を維持できなくて、暴走してしまうくらいだった。
 琥市は、苦しそうな吐息を洩(も)らす。
 だが、なんとか維持するために、気をしっかり保つ。

「少し……弱めた方が良いかぁ……?」

 低い声でそう囁くと、琥市は顔を勢いよく左右に振る。
 そして、両手を懐に入れて、右に5枚、左に5枚のお札を取りだす。
 そのお札には、どこか禍々しい雰囲気を出していて、とても恐ろしい文字が書かれていた。
 妖天は、口元上げる。

「札呪術(ふだじゅじゅつ)かぁ……犬神にしか使えない……列記とした術……さぁ、我に見せてくれぇ……」

 ——————普段の妖天とは、全く違う雰囲気を出す。
 例えるなら、威厳たっぷりの九尾の狐のように。
 琥市は、手に持っているお札を、自分を囲むように、地面に張り付ける。
 途端に、琥市の周りは禍々しい空気が漂う。
 胸が苦しくなり、体を蝕(むしば)むような感覚。
 琶狐、村潟、野良猫はその姿をただ、じっと見つめることしかできなかった。
 山を、どんどん下る子蜘蛛たち。琥市は、目を閉じて、小さく詠唱する。

「暗・炎・病・黒・殺・魔・死・獄・呪(あん・えん・びょう・こく・さつ・ま・し・ごく・じゅ)……汝に憑かれる呪いの術……四字目、黒の術……!」

 長い呪文を言った瞬間、山の状態が一変する。
 自分たちが居る場所全体は、どこか禍々しく重たい空気になり、胸が苦しくなる。
 だが、意識を保てばなんとかなる状況。
 ——————しかし、子蜘蛛は違った。
 先まで、威勢よく村に向かっていたのに、この空気を感じ取った瞬間、体を悶(もだ)えさせていたという。
 仰向けになって、体を揺らす蜘蛛。わけもわからず、同士討ちをする蜘蛛。動かなくなって息を引き取る蜘蛛。
 気がつくと、子蜘蛛たちは全滅した。
 この光景に、琶狐と村潟、野良猫は唖然とする。
 まさか、琥市にここまで力があると思わなかったから——————
 しかし、ここで問題が発生する。
 子蜘蛛は全滅したのに、この重たくて禍々しい空気は、止まらなかった。
 そう、あまりの力に、琥市は妖力を暴走させていた。
 このまま、禍々しさが強くなってくると、自分たちも子蜘蛛のようになってしまう。
 妖天は、何かを決心したような表情をして、琥市へ囁く。

「君ぃ……よくやったぁ……そして、今からぁ……君の妖力を、我の体に入れさせてもらおう……」

 目を閉じて、また瞑想する妖天。
 ——————琥市の妖力が、自分の体に流れ込む。
 それは、非常に禍々しくて、思わず吐き気も襲うくらい。
 意識も薄れてくる。しかし、ここで倒れたら皆が危ない。
 その思いを強く持ち、妖天はひたすら琥市の妖力を吸収する。
 すると、山の空気が一瞬のうちに戻った。
 清々しい風が5人の体に当たる。
 ——————暴走は止まった。
 琶狐は、胸をなでおろしてほっと一息する。
 その途端、琥市と妖天はその場で倒れてしまった。
 だが、琶狐と村潟は特に慌てた様子もなく、ゆっくり2人の元へ向かう。
 村潟は、琥市を優しく抱きあげる。
 琶狐は、妖天をおんぶする。

「そっちは任せたぞぉ〜。わっちは、土蜘蛛の毒を採取してくる!」

 野良猫は、とりあえず土蜘蛛の毒を採取するために、2人とは別の行動をする。

「さて……行こうか、琥市……」
「ったく、無茶しやがって……ジリ貧妖天」

 2人は、とても柔和な表情をして、倒れている2人へ言葉を贈る。


            ○


 村は、たくさんの人々が歩いていた。
 土蜘蛛の毒を蒸留水で割った薬を飲み、すぐによくなった。
 感謝されたのは——————野良猫だけだった。
 気がついた時には、妖天と琶狐、村潟と琥市は姿を消していた。
 まるで、この祝い事から逃げるように。
 野良猫は、老若男女に叫ぶ。

「この村を救ったのは!わっちではない!通りすがりの犬狼。正狼 村潟と犬神 琥市!そして、男女の狐。神麗 琶狐と詐狐 妖天さぁ!」

 自分は土蜘蛛退治の時、何もできなかった。だから、あの4人へ恩返しする方法は——————
 村人を助けた4人の名前を、覚えてもらう事だ。


            ○


 村から離れた街道。
 そこには、のんびり歩く妖天、琶狐、村潟、琥市が居たという。
 未だに、村人の歓声が聞こえる。
 琶狐は、腕組をしながら尋ねる。

「良いのか?あたしたちがこんな所でほっつき歩いて?」

 すると妖天は、足を止め、こめかみを触りながら、だるそうに呟く。

「我はぁ……面倒事が嫌いだぁ……祝い事はどうもねぇ……」

 この言葉に、村潟も同意するような眼差しを送る。
 琶狐は、舌打ちをして村の方向をじっと見つめる。

「今頃、あの野良猫は胴上げされてるんだろうな」

 耳をピクピク動かしながら呟き、また街道を歩き始める。
 そして、4人の目の前には右と左に分かれる道が見えてきた。

「さて、拙者らは右へ行こうと思うが……?」
「ん〜?なら、我らはぁ……左へ行こうかぁ……」

 言われた方向を見つめる琶狐と琥市。
 右は険しい山。左は深い森林。
 どちらも、放浪するにはうってつけの場所だった。

「そうか。では、短い間だったが世話になった……いくぞ、琥市」

 村潟は、別れを惜しむようなそぶりをせず、すぐに右の道へ足を進める。
 そして、琥市はペコリと2人に礼をする。ずれたメガネを両手でくいっと上げ、早足で村潟の後を追う。
 その姿を見送った妖天と琶子も、左の道へ足を進める。

「なぁ?結局あいつの名前ってなんだったんだ?」

 両手を頭の裏で組みながら、琶狐は妖天に尋ねる。
 その途端、妖天は足を止めて村の方向を見つめながら、

「猫崎 山杜(ねこざき さんと)。この国を放浪する、有名な猫さぁ……」

 と、呟く。
 琶狐は、鼻で思いっきり笑う。

「なんだい!?結局あたしたちは、放浪する仲間同士会っちまったのかい!?」

 この言葉を聞き流して、妖天は森林の方へ足を進める。
 すると突然、背中を思いっきり叩かれた。

「貴様1人で行かせるか!あたしがついてやらんと、いつ死ぬか分からないしな!」

 腕組をして、仁王立ちする琶狐。
 妖天は、こめかみを触りながら、大きく唸る。

「君ぃ……我の事が、そんなに気になるかぁ……?」

 この質問に、琶狐はふんぞり返って答える。

「貴様は、あたしが守ってやらないとだめだと思ったからさ!ただ、それだけだ!」

 そして、琶狐は妖天の右手を、思いっきり引っ張る。
 だが、妖天は特に抵抗せずに、ずっと引っ張られる。
 左手でこめかみを触りながら、ふと何かを考える。

 ——————「(君はぁ……逆だねぇ……)」