複雑・ファジー小説
- Re: 獣妖記伝録 ( No.53 )
- 日時: 2011/08/02 23:35
- 名前: コーダ (ID: LcKa6YM1)
真っ白な世界。
とても強く、冷たい風は、心身の機能を鈍(のろ)くさせる。
周りには、大量に積もった白い固体——————雪だ。
吹雪か地吹雪かどうかも、分からない最悪な状況。
こんな日に、外へ出て歩くと確実に遭難する。
——————案の定。外を歩く者は居た。
白い息を出しながら、体を震わせ、ただただ雪原を歩く。
尻尾と耳の特徴を見て、すぐに鼠であると分かった。
それでも、1歩1歩力強く歩く姿は、非常に勇ましかった。
すると突然、足が雪に深く埋まってしまった。
運悪く、雪が大量に積もっていた場所に思いっきり足を突っ込んでしまって、身動きが取れない状態。
もがけば、もがくほど体は埋まっていく。
気がつくと、動けなくなってしまい、体力もなくなってくる。
そして、鼠男は気がつくと目を閉じていた——————
うつ伏せで、雪原に倒れる鼠男。
降り続ける雪によって、どんどん体全体は埋まっていく。
5分くらい経てば、もう雪と同化するだろう。
——————ふと、誰かが歩いてくる気配がする。
さくっと音を立てながら、雪原を歩くのは、絶世(ぜっせい)の美女だった。
特に厚着もしないで、着物1枚の姿。それは、非常に寒そうに見えた。
だが、美女は寒いという表情を、一切していなかった。
吹雪で揺れる、肩まで長い黒髪。綺麗に整った顔立ちは、一目ぼれするくらいだ。
美女は、倒れている鼠男の手を握る。
「あなたは、ここで死んで良い人ではありませんよ……」
美しい声が雪原に響く。
その瞬間、この場から2人の姿は消えてしまった——————
○
「お〜い!起きろぉ——!」
耳元に聞こえる声。
目をゆっくり開けると、そこにはたくさんの人々。
鼠男は、どういう状況なのか分からず、頭の中が混乱する。
「よし!目が覚めたぞ!誰か、温かい物を持ってこい!」
周りは、ばたばたと騒いでいる。
——————もしかすると、ここは雪原の村なのかもしれない。
そう考えた鼠男は、ほっと一息する。
倒れている所を、偶然誰かが拾ってくれた。
そう考えれば妥当である。
不思議なことは一切なかった——————
○
今日も、雪原は大吹雪である。
視界は全て真っ白で、自分がどこに歩いているのか、分からない状況。
そして、こんな日でも、外を歩く者は居た。
懸命に前へ、前へ進む男。耳と尻尾の特徴から、犬と判明できる。
だが、思いのほか雪というのは、体力を奪う物である。
体に当たる冷たい結晶。深く積もった雪原。
いくら体力に自信があっても、すぐに倒れてしまう。
案の定。犬男は倒れた。
降り積もり雪は、犬男をどんどん覆い隠す。
——————誰かが、歩いてくる気配がする。
さくっと音を立てながら、雪原を歩くのは、絶世の美女だった。
特に厚着もしないで、着物1枚の姿。それは、非常に寒そうに見えた。
だが、美女は寒いという表情を、一切していなかった。
吹雪で揺れる、腰まで長い黒髪。綺麗に整った顔立ちは、一目ぼれするくらいだ。
美女は、倒れている犬男の手を握る。
「さぁ……ゆっくり逝こうか……?」
恐ろしい声が、雪原に響く。
その瞬間、この場から2人は消えてしまった——————
○
「もう手遅れか……」
落胆しながら、言葉を呟く村人。
そこには、凍死した犬男が居た。
雪と同じくらい冷たい体は、何日間も雪原に倒れたことを、伺わせる。
「今回は……運が悪かったなぁ……」
村人の謎の言葉。
運が悪かった——————
この言葉の意味を、尋ねる者は、誰1人居なかった。
〜雪の美女と白狐〜
真っ白な銀世界。
目に映るのは、太陽の光で、輝く雪原。
風は一切吹いておらず、最高の昼間だった。
ただ、その分足元に気をつけないと、深くはまる可能性がある。
実際に、誰かがはまったような跡が、所々に残っていた。
そんな場所で、2人の男女が歩いていた。
1人目は、黒くて、首くらいまでの長さがある髪の毛をしていて、それはとても艶やかであった。前髪は、目にけっこうかかっている。
頭には、ふさふさした2つの耳があり、瞳は黒紫色をしていた。
男性用の和服の上に、被布(ひふ)という、着物コートを着用して、寒さを少しでも抑える。
輝くような黄色い2本の尻尾を、神々しく揺らす。
そして、首にはお札か、お守りか分からない物が、紐で繋がれている。
極めつけに、眠そうな表情と、頼りなさそうな雰囲気を漂わせていた狐男。
2人目は、金髪で、腰まで長い艶やかな髪の長さ。頭には、ふさふさした2つの耳がある。
瞳は金色で、見つめられたら、思わず魅了されてしまうような眼光。
女性用の和服の上から、男と同じく被布を着用する。下半身には、よく巫女がつけていそうな袴を着ていた。
そして、輝くような黄色い1本の尻尾を、神々しく揺らしていた。
もっと言ってしまえば、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花という言葉が非常に似合っていた狐女。
さくっと、雪を踏んだ音しか聞こえてこない。
狐の男女は、特に会話もせず、黙って歩いていた。
尻尾を揺らし、耳をピクピクさせながら、辺りを見回すだけ。
突然、狐男は大きなあくびをする。
「ふわぁ〜……」
口から、白い息を出しながら、目の端に涙を溜める。
すると、後ろに居た狐女が言葉を漏らす。
「なんであくびをするんだ!?こんなにワクワクする場所、退屈になることがない!」
被布を翻(ひるがえ)しながら、威勢よく言葉を言う。
狐男は、こめかみを触りながら、小さく唸る。
「琶狐(わこ)……君ぃ……こんなに何もないところでぇ……何をそんなに、興奮しているんだぁ〜?」
琶狐と呼ばれた女は、また威勢よく叫ぶ。
「はぁ!?あたしはねぇ!ゆ、ゆきぃ?というのを初めて見たんだ!興奮すんのは当たり前だろ!この、ハゲ妖天(ようてん)!」
妖天と呼ばれた男は、深い溜息をする。
琶狐は、その場にしゃがみ、両手で雪を触る。
尻尾をびくっとさせながらも、その表情は嬉しそうだった。
「おぉ〜!冷たい!雪は、こんなに冷たいのかぁ〜!」
まるで、子供のようにはしゃぐ。
いつも、罵声ばかり浴びせる琶狐とは思えなかった。
その様子を見ていた妖天は、右手で頭をかきながら、なんとも言えない気持ちになる。
「放浪していたらぁ……たまたま、北へ向かっていただけさぁ……そのうち、南へ向かうぞぉ?」
この言葉から、2人はなんとなく歩いていたら雪の降る土地へ、来てしまったのが伺える。
しかし、これにより琶狐は、雪と言う物を初めて見ることが出来た。
「南って、いつ行くんだ!?」
慌てて、妖天の傍へ寄り、いつ帰るのかを尋ねる。
拱手をして、空を見上げながら、のんびりした口調で呟く。
「ん〜?そうだなぁ……早くて、明日かぁ……?」
琶狐は、酷く落胆する。
その証拠に、耳と尻尾が垂れ下がっていた。
「そ、そうか……」
雪を見つめながら、小さく言葉を呟く。
妖天は、非常に困った表情をする。
まさか、こんなに雪に興奮するとは、思っていなかったからだ。
しかし、面倒事が大嫌いな妖天は、厳しい一言を言う。
「我はぁ……面倒事が嫌いだぁ……それに、雪は時に牙を出す時もあるんだぞぉ……」
この言葉を聞いた琶狐は、なぜか雪原へ、仰向けに倒れた。
謎の行動に、妖天は大きく唸る。
「琶狐ぉ……頼むぅ……」
だが、何も言わない。
いつもの琶狐なら、罵声を浴びせながら蹴るのに、今だけはじっとしていた。
——————風が吹く。
妖天は、耳をピクリと動かして、この風をすぐに感じ取る。
だんだん、雪も降ってきて風が強くなってきた。
嫌な予感がする——————
突然、妖天は琶狐の右手を握り、ぐっと持ちあげる。
「な、なんだ!?」
当然、琶狐は怒鳴る。
すると、妖天に怪しい瞳で睨まれた。
「うっ……」
身動きが出来なくなる。どうやら、金縛りを受けてしまったらしい。
「琶狐ぉ……事態は最悪だぁ……」
凛々しい表情をしながら、低い声で呟く。
この時には、もう地吹雪が起こるほど風が強くなっていた。
目に映るのは、真っ白な景色。
先まで、太陽の光で輝いていた雪原は、もうなかった。
被布を、翻しながら、妖天は眉間にしわを寄せる。
「このままではぁ……我らはぁ……凍死するぞぉ……」
この瞬間、妖天は琶狐を引っ張ってどこかへ向かう。
しかし、3歩くらい進んだ時に、深い雪に足を突っ込んでしまった。
これには思わず、変な声を出してしまった。
「なにやってんだ貴様!?」
琶狐は、そんな妖天に罵声を浴びせる。
どんどん、雪の中に入っていく体。
思わず、こんな一言を呟く妖天。
「むぅ……抜けないねぇ……」
もちろん、この緊張感のない言葉に、琶狐の平手打ちがとんできた。
頬に、赤い手形をつけながら、こめかみを触って考える。
「狐火……いやぁ……氷点下の世界では、火はつかんぞぉ……」
指を鳴らすが、狐火は一切出てこなかった。
妖天の狐火は、周りの気温によって強さが左右される。
基本的には、気温が高くなればなるほど、火力は上がる。
だが、本当の狐火はそんなもの関係なく、最大火力が出せる。
つまり、妖天はまだ力不足なのだ——————
逆にこの国には、妖天以上の力を持っている狐が、居ると言う事だ。
琶狐は、大きな溜息をしながら、言葉を叫ぶ。
「おい!あたしの体も埋まってきているぞ!」
気がつくと、琶狐の下半身は雪にすっぽり埋まっていた。
2人は、密着した状態で、雪の中に居る
——————妖天の様子がおかしかった。
目が虚(うつ)ろになっていて、今にも寝そうな雰囲気。
これは危ないと、本能が悟ったのか、琶狐は思いっきり平手打ちする。
「おい!寝るなぁ——!」
しかし、この平手打ちが思いのほか、強かったらしく。妖天はそのまま気絶してしまった。
思わず、やってしまった。という表情をする。
「や、やりすぎた!うっ……なんだ!?あ、あたしもなんか眠くなってきたぞ……」
琶狐の目も虚ろになってくる。
目の前の真っ白な景色がぼやける——————
気がつくと、2人は夢の中に居た。
降り積もる雪は、2人を雪と同化させる。
——————ふと、誰かが歩いてくる気配がする。
さくっと音を立てながら、雪原を歩くのは、絶世の美女だった。
特に厚着もしないで、着物1枚の姿。それは、非常に寒そうに見えた。
だが、美女は寒いという表情を、一切していなかった。
吹雪で揺れる、肩まで長い黒髪。綺麗に整った顔立ちは、一目ぼれするくらいだ。
美女は、埋まっている2人の狐を見る。
「あなたたちは、ここで死んで良い人ではありませんよ……」
美しい声が雪原に響く。
その瞬間、この場から3人の姿は消えてしまった——————
○
木で出来た小屋。
決してつくりの良い小屋ではなかったが、雪から身を守るには、贅沢すぎた。
その中に、倒れている2人の狐。妖天と琶狐が居た。
凍死はしておらず、わずかながら息をしていたのを、確認できた。
時々、瞬間的に吹く強い風で、小屋の扉が騒ぐ。
すると、耳をピクピクさせながら、1人の狐が起き上がる。
虚ろな瞳で、辺りを見回す。眉間にしわを寄せて考えるのは、妖天だった。
「……むぅ?」
小さく唸る妖天。
自分は、雪原の中に埋まっていたはずなのに、なぜこんな所に居るのか。
隣に倒れている琶狐を見て、彼女が運んできたということはないと、すぐに判断できた。
では、一体誰が——————
その瞬間、小屋の扉が開いた。
「あら……起きていたんですか?」
そこに居たのは、とても綺麗な美女だった。
特に厚着もしないで、着物1枚の姿。
肩まで長い黒髪。綺麗に整った顔立ちは、一目ぼれするくらいだ。
おまけに、足にはなにも履いておらず、裸足だった。
古めかしい音を出しながら、扉を閉める美女。
妖天は、途端に柔和な顔立ちになる。
「君がぁ……我らを助けてくれたのかぁ?」
美女は、美しい頬笑みをしながら、こくりと頷く。
そして、2人の近くへ向かい。床に座った。
「う〜む……我は運が良かったなぁ……」
小屋の天井を見ながら、妖天は安堵した口調で呟く。
もちろん、美女は頭の中に、疑問符を浮かべて尋ねる。
「運が良かった……どういうことでしょうか?」
妖天は、こめかみを触りながら、美女へ言う。
「ん〜?いやぁ……君みたいなぁ、良い妖(あやかし)に助けられたからさぁ……」
美女は少し驚く。
突然、自分の事を妖と呼ばれたのだから。
すると、口に手を当てて、おしとやかに笑う。
「ふふ……簡単に見破られましたね。はい。わたくしは妖の雪ん子(ゆきんこ)ですわ」
雪ん子。
雪が降った時にしか現れない妖で、非常に温和な性格である。
遭難した旅人を助け、こうやって小屋の中にかくまったり、近くの村へ送ってくれる、とても良い妖。
雪原の救世主。雪国の美女など、通り名もあるくらいである。
この国には、良い妖と悪い妖が、丁度半々くらい存在する。
しかし、それを知らずに、良い妖を退治する者も少なくない。
「我はぁ、詐狐 妖天(さぎつね ようてん)……こっちに居るのは、神麗 琶狐(こうれい わこ)さぁ」
拱手をしながら、自分と隣に居る琶狐の名前を言う妖天。
雪ん子は、やや艶めかしい表情で笑う。
「お二人は、恋人同士ですか?」
突然の言葉に、妖天の尻尾はびくっとなる。
その瞬間、隣で寝ていた琶狐が勢いよく起き上がり、とんでもない声で叫ぶ。
「あたしとハゲ狐が恋人だと!?そんなもんありえん!断じてありえん!こんな狐、どこに魅力がある!それなら、そこら辺に居る狐の方がまだ良い!情けねぇ、頼りねぇ、よく分からねぇの三拍子だぞ!?まぁ、たまに凛々しくて、妖について詳しかったりするのは大目に許す!とにかく!こんなハゲ狐、誰も好きにならんぞ!?」
しばらく、小屋の中は沈黙する。
魅力がないとか言っている割には、なぜか妖天について、事細かく言っている琶狐。
長所と短所もしっかり押さえている。
雪ん子は、思わず微笑む。
「そう言っている割には、妖天さんのこと、よく知っていますわね」
この言葉に、思わずびくっとする琶狐。
考えなしに、勢いで言ったので、まさか墓穴を掘るとは思わなかった。
気がつくと、琶狐の耳と尻尾は垂れ下がっていた。
「むぅ〜?どうしたぁ?顔が赤いぞぉ〜?」
「う、うるさい!馬鹿!アホ!間抜け!ハゲ!狐!」
罵声を連発で浴びせ、琶狐は小屋の角に座る。
1つだけ、罵声ではない物が混ざっていたが、特に突っ込みはしなかった2人。
「ふふ……妖天さんは、苦労しますね」
この言葉に、深い溜息をする妖天。
外は、未だに良くならない——————
むしろ、だんだん天候は悪化してきた。
小屋の扉が、今にも外れそうな音を出す。
琶狐は、近くにあったボロボロの椅子を引きずり、扉の前に置く。
とりあえず、扉の音はなくなる。
腕組をして、満足げな表情をして、小屋の角に座る。
妖天は、こめかみを触りながら小さく呟く。
「雪ん子ぉ……もしかしてぇ……ここには、雪女(ゆきおんな)も居るんではないかぁ?」
雪女。
妖天の口からは、またよく分からない名前が出てきた。
雪ん子は、頭を悩ませて考える。
「さぁ……わたくしには、よく分かりません……雪女……名前は聞いたことありますけど、会ったことはないですから」
突然、妖天はその場に立ち上がる。
扉の前に置かれた、ボロボロの椅子をどかし、なんの躊躇(ためら)いもなく扉を開ける。
強い風が体に当たり、真っ白い景色が目に入る。
「よ、妖天さん!?」
雪ん子は、外を見つめる妖天にそう尋ねる。
すると、首だけを振り向かせて、凛々しい表情で、
「我はぁ……用事を思い出したぁ……」
と、言った瞬間、妖天は外へ出て行ってしまった。
雪ん子は、急いで後を追うが、ぐいっと、右手を引っ張られる。
そこには、狐目の琶狐が立っていた。
「ここは、あたしに任せろ!あいつを守るのは、貴様じゃない!」
威勢よく言った後、琶狐は颯爽と外へ出て行く。
1人、小屋に残された雪ん子。
その表情は、どこか温かかった。
○
大吹雪で、1m先も見えない外。
被布も着ないで、2人はただただ、道なき道を歩いていた。
顔に雪が当たり、赤くなる。寒さで手の感覚はなくなってくる。
妖天は、ふと足を止める
琶狐も足を止めて、小さく尋ねる。
「どうした?ハゲ狐?」
だが、無言を貫きとおす妖天。
凛々しく、風で髪の毛を揺らして、何かを考える姿は、非常に頼りがいがあった。
琶狐は、思わず耳をピクリとさせる。
同時に、胸の鼓動がいつもより早くなっていることにも、気がつく。
すると、妖天は琶狐の頭に優しく手を乗せる。
凛々しい目で、凝視もしていた。
そして、小さく一言呟く。
「倒れるぞぉ……」
気がつくと、2人は雪原の上でうつ伏せに倒れていた。
この行動の意味——————
琶狐は、もう隣に居る妖天に任せるしかなかった。
——————誰かが、歩いてくる気配がする。
さくっと音を立てながら、雪原を歩くのは、絶世の美女だった。
特に厚着もしないで、着物1枚の姿。それは、非常に寒そうに見えた。
だが、美女は寒いという表情を、一切していなかった。
吹雪で揺れる、腰まで長い黒髪。綺麗に整った顔立ちは、一目ぼれするくらいだ。
美女は、倒れている妖天と琶狐を見つめる。
「さぁ……ゆっくり逝こうか……?」
恐ろしい声が、雪原に響く。
美女は、ゆっくり妖天の右手を取る——————
しかし、その手は払われてしまった。
予想外の出来事に、美女は一瞬唖然とする。
この瞬間、琶狐はさっと立ち上がり、美女へ罵声を浴びせる。
「貴様が雪女か!?甘いな!あたしたちは、死んでいない!」
腕組をしながら、力強く言葉を言う。
続いて、妖天も立ち上がる。
体に雪をつけながら、こめかみを触って呟く。
「雪女ぁ……君ぃ、早いところこの吹雪を止めてくれないかぁ?」
だが、この言葉を無視して、雪女は冷たい笑みを浮かべる。
「なぜだ?雪は美しい……こんなに吹雪いている日は最高だろう?あたしゃ、止めたくないねぇ……」
止める気はないらしい。
この言葉を確認した妖天は、拱手をしながら雪女を凝視する。
「ではぁ……無理矢理止めるかぁ……」
止める気がないなら、強制執行。
妖天は、拱手を解き、指を鳴らす。
——————だが、何も起こらない。
雪女の弱点は火。その考えが先に出てしまい、勢いで狐火を出そうとするが、周りの状況を意識していなかった。
苦虫を噛んだかのような表情で、妖天はこめかみを触り、
「むぅ……」
小さく唸る。
狐火が出せないなら、他に良い手段を見つけないといけないからだ。
説得、金縛り、憑依——————
この中で、今の状況を脱する1番良い手段が思いつかない。
改めて、自分は力不足だという事を、自覚する。
「ふふふ……お前は、力のある狐……だが、天狐(てんこ)や空狐(くうこ)にはかなわないらしいねぇ……」
挑発気味な言葉に、妖天は眉間にしわを寄せる。
自分は、天狐や空狐に比べればちっぽけな存在。
そんな雰囲気を漂わせ、感じ取れた。
不意に、右肩を思い切り叩かれる。
感覚が麻痺していたため、痛みはなかったが、思わずよろけてしまう。
琶狐が隣に居た——————
腕組をして、独特な犬歯を見せて叫ぶ。
「貴様のそういう姿。あたしは見たくないねぇ!どんな妖が現れても、怯むことなく1番良い方法で対処する。今の貴様は……詐狐 妖天じゃない!ただの、ハゲ狐だ!」
その瞬間、琶狐は雪女の懐へ颯爽と向かう。
そして、正拳突きを連想させる、独特な体勢で雪女の腹を殴る。
——————だが、拳は空気に触れる感触しかなかった。
なんと、雪女は体を最低限に動かし、回避したのだ。
思わず、目を見開く琶狐。
「ふふふ……寒さで、体が思い通りに動かないだろう?」
背後から、恐ろしい声が聞こえてくる。
琶狐は、くるっと180度振り向くが、そこには誰も居なかった。いや、見えなかったと言った方が良いだろう。
あまりの吹雪に、視界が遮られて、雪女の位置を見失う。
辺りを懸命に見回すが、目に映るのは真っ白い景色のみ。
「あたしゃ……ここだよ……!」
声が聞こえた方向へ、琶狐はすぐに振り向く。
——————「……!?」
琶狐は、声を出さないで、苦悶(くもん)な表情をする。
自分の上半身から吹き出す、赤い液体。
見事に、斜め45度から斬られていた。
吹き出た赤い液体は、真っ白い雪原に鮮やかに残る。例えるなら、かき氷にイチゴシロップを大量にかけたかのように。
妖天は、この姿を見て唖然とする。
「ふふふ……冷めた空気の刃は、切れ味が良いねぇ……」
姿は見えないが、雪女の声は聞こえる。
非常に危険な状況。
だが、妖天はそんなこと気にせず、ゆっくり琶狐の傍へ向かう。
「め、面目(めんぼく)ないねぇ……少し油断したらこうさぁ……」
あの力強い言葉使い、今は全くなかった。
——————それほど、危険な状態。
それでも、妖天は無言を貫く。
「腕を振るだけで……空気は、鋭利な刃となる……いわば、腕でできるカマイタチさぁ……次は、お前の番だよ……」
雪女の恐ろしい声が響く。
このままでは、妖天も琶狐と同じ運命になる。
それなのに、当の本人はずっと、琶狐を凝視して、背後をガラ空きにさせていた。
「お、おい!前を向け!何、あたしのことを見ているんだ!?」
威勢よく声を出すたびに、琶狐の上半身から赤い液体が吹き出す。
それを、返り血のように受ける妖天。
「さぁ……喰らうが良い……冷たいカマイタチを……!」
今の言葉を言った瞬間、腕を振ったと思われる。
すると、妖天は琶狐の返り血を、右人差し指でなぞる。
赤く、鮮やかな液体。
そして、それを舐めとる——————
若干温かくて、心も温まる。また、どこか懐かしかった。
妖天は、くるっと、180度振り向き、右腕を前に出す。
「我の妨げとなる……カマイタチ……破邪結界(はじゃけっかい)……!」
鋭いカマイタチが、妖天の右腕に当たる。
しかし、当たっただけで傷1つ付いていなかった。
妖天は、凛々しい表情をしながら低い声で呟く。
「琶狐の血はぁ……とても、狐とは思えない味だぁ……温かく、そして力強い……我の妖力、霊力を上げてくれる……ちょっとした、結界なら張れるようになるのさぁ……」
2本の尻尾を揺らし、狐目になって呟く。
後ろに居た琶狐は、その神々しい背中に、思わずぎょっとする。
「雪女ぁ……君ぃ、意外と近くに居るんだねぇ……」
首を、北北東の方角へ向け、言葉を呟く。
雪女は、言葉を飛ばす。
「なにデタラメなことを言ってんだい?お前の目には、真っ白い景色しか、映ってないだろう?」
余裕そうに、一言呟く。
——————妖天の口元が上がる。
「いやぁ……我には、君の姿がくっきり映っているぞぉ……千里先を見通す視力、千里眼(せんりがん)……どんなに厚い壁でも透視する視力、浄天眼(じょうてんがん)……今の我にはぁ、それらが備わっている……」
自分の妖力と霊力を上げることで、使える能力を増やす妖天。
狐というのは、そういう種族である。
初歩的な狐火から始まり、説得、金縛り、憑依、破邪結界、千里眼——————
九尾の狐となると、恐ろしいくらい能力のレパートリーが存在する。
妖力、霊力の強さに比例して、使える能力が増え、尻尾の数も増える。
——————妖天の尻尾が2本あるのは、そのためである。
どんな一般人でも、霊力だけは微量ながら存在する。
琶狐くらいの力を持っている者なら、それなりに霊力などがあるだろう。
特に、霊力は血液に多く含まれている。
だから、妖天は琶狐の血液を舐めとったのだ。
「さぁ……雪女ぁ……お仕置きの時間だよ……」
雪女が居るであろう方角へ向けて、指を鳴らす——————
その瞬間、断末魔が聞こえてきた。
琶狐の目には、真っ白い光景しか映っておらず、何がどうなっているのか分かっていなかった。
しかし、妖天にはくっきり見えていた。
燃え盛る狐火で、苦しむ雪女の姿が——————
不意に、風が止んできた。
真っ白な光景はだんだんなくなり、周りの風景が分かるようになる。
3分くらい経って、吹雪は完全に止んだ。同時に、雪女が居るであろう場所には、焦げた着物が、無造作に置かれていた。
「雪女ぁ……雪ん子と違って、遭難した者を凍死させる妖……我らは、本当に運が良かったなぁ……」
拱手をして、呟く。
途端に、琶狐の状態も見る。
「大丈夫かぁ……?」
この一言に、こくりと頷く。
だが、このまま傷口を放置しておくと、腐敗してしまう恐れがある。
妖天は、こめかみを触りながら、なんとかできないかと、考える。
——————「それなら、わたくしに任せてください」
声の聞こえた方向を見ると、そこには雪ん子が笑顔で立っていた。
妖天と琶狐は、安堵の表情をして、その場に倒れこんだ——————
「ふふ……」
口に手を当てて、雪ん子は2人の傍へ寄る。
そして、3人の姿は突然、消えてしまった——————
○
「むっ……」
男はその場に膝まつく。
苦痛な表情をしながら、1本の尻尾を揺らしていた。
その背後に、9本の尻尾を持った、神々しい女が優しそうな表情で男を見つめる。
「なんじゃ?もう、力がなくなったのか?仕方ないのぉ……」
女はそう言って、懐から鋭利な刃物を取りだす。
そして、それを自分の腕に当てる——————
赤く、鮮やかな血液が流れ始めた。
「きゅ、九狐(きゅうこ)……?」
「さぁ、飲むが良い……」
女の腕から出る血液を飲む。
途端に、男は苦痛な表情が消えていく。
「ふふ……これで、修行は続行じゃ」
狐目になって、女は優しく呟く。
男は、立ち上がり拱手をしながら礼を言った——————
○
目を開けると、そこは古い小屋だった。
とりあえず、体を起こして、辺りを見回す妖天。
頭を押さえながら、一言呟く。
「またぁ……男女の狐かぁ……」
先程見ていた夢について、考える。
すると、小屋の扉が古めかしい音を立てながら、開いた。
「おっ!?やっと起きたかハゲ狐!」
寝起きの体に浴びせされる罵声。
妖天は、小さく唸ったという。
「琶狐ぉ……頼むから、寝起きくらいは体を労(いた)わってくれぇ……」
だが、その言葉は聞き流れてしまった。
「むぅ……」
こめかみを触りながら、妖天はその場に立つ。
琶狐の傍へ寄って、思いっきり尻尾を握る——————
「ぎゃぁ!」
美女らしくない言葉が小屋に響く。
その途端、後から入ってきた雪ん子が笑っていた。
「ふふ……仲が良いですね」
どうやら、今までの様子は見られていたらしい。
妖天は、拱手をしながら、雪ん子の傍へ寄る。
「我と琶狐は、そこまで仲は良くないぃ……」
囁くように言葉を言うが、雪ん子は口に手を当てて呟く。
「本当ですか?」
まさかの返しに、妖天は大きく唸る。
そして、この場から逃げるように小屋から出て行った。
「あら……」
外を歩く妖天を見つめながら、唖然とする。
不意に琶狐が背後から言葉を叫ぶ。
「あんのハゲ狐!よくもあたしの尻尾を……!」
怒りに満ちた表情。
独特な犬歯を出しながら、小屋から出ようとする——————
「待ってください」
突然、雪ん子に止められる。
琶狐は、頭の中に疑問符を浮かべながら振り向く。
「妖天さんと、ずっと仲良くしてくださいね」
この言葉に、口元を上げる琶狐。
「ったり前だ!あいつは、あたしが守らないとだめだからな!貴様も、遭難した人たちを助けるんだぞ!」
小屋から外へ出て行く琶狐。
雪原を歩く2人の狐を目に入れながら、雪ん子は最後に一言呟く。
「妖天さん……また、良い人を見つけましたね……」
——————雪ん子は、突然消えてしまった。
遭難している人が居ないか、雪原の様子を見に行ったに違いない。
真っ白で、とても広い雪原。
その中に、罵声を浴びせる狐と、情けない声を出す狐が、仲良く歩いていた——————