複雑・ファジー小説

Re: 獣妖記伝録 ( No.64 )
日時: 2011/08/03 10:04
名前: コーダ (ID: E29nKoz/)

 標高の高い山。
 そこは、非常に強い風が吹いていた。
 生半可な足腰では、吹き飛ばされてしまうくらいだった。
 木々も揺れて、葉と葉の摩擦熱で、山火事でも起きそうな雰囲気を漂わせる。
 中には、へし折れてしまう木も少なくない。
 この風が、自然的な現象なら仕方ないことだが——————
 明らかに、おかしいところがある。
 風が吹く方角が不特定なのだ。
 酷い時は、自分の足元から風が吹いてくることもある。
 これを、自然的な現象という言葉で、片付けて良い物なのか。
 ふと、山の中を見てみると、4人くらいの団体が居た。
 強い風にも屈せず、のんきに話し合いをしている雰囲気を、漂わせていた。
 4人は、共通の黒い着物を着ていて、背中には黒い翼も生えていた。
 腰には、立派な刀も持っており、首には数珠(じゅず)もつけていた。
 そして、なによりも真っ赤な顔と、尖った鼻が1番印象的だった。
 不意に、1人が辺りを見回す。
 何かが居る気配を感じ取ったのか、右手を刀の柄へ持っていき、万全な態勢を取る。
 近くの草むらが、音を立てて揺れる。
 それに気付いた瞬間、もう遅かった——————
 草むらからは、風のようなスピードで何者かが現れる。
 獰猛(どうもう)で、力強い犬か狼を連想させる動き。
 刀を持っていた1人は、鞘から抜くことも出来ず、獰猛な犬か狼に襲われる。
 3人は慌てて、この場を逃げるかのように後にする。
 一方、襲われた1人は、犬か狼に思いっきり首を斬り裂かれる。
 即死だった。
 自分の右手についた、大量の赤い液体を見て、体を震わせる犬か狼。
 その表情は、どこか楽しげだった。
 気がついた時には、山の強い風は何事もなく止んでいた。
 犬か狼は、逃げて行く3人の姿を、力強い眼光で見つめる。
 ——————「次は、そなたたちである」


         〜天狗と犬狼〜


 太陽の光を遮る程の、木々が目立つ山の中。
 非常に凹凸の激しい道と、左右には草むらが生い茂っていた。
 とても、不気味な獣道。
 風も若干吹いており、葉と葉の触れ合う音が、さらに不気味な雰囲気を漂わせる。
 そんな山の中を歩く、男性と少女が居た。
 灰色で、とてもさっぱりするくらい短い髪の毛。前髪は、目にかかっていなかった。
 頭には、ふさふさした2つの耳と1本の尻尾があり、瞳は青緑色をしていた。
 男性用の和服を着て、腰には、立派な刀をつけていた。
 そして、鞘にはお札か、お守りか分からない物が、紐で繋がれている。
 辺りを警戒するように、瞳を動かし、とても真剣な表情をする。パッと見たイメージは武士みたいな男。
 その男性の後ろを、ちょこちょこと子犬のように後をつける少女。
 灰色の髪の毛で、肩にかかるくらいの長さだった。前髪は、非常に目にかかっており、四角いメガネをかけていた。
 頭には、男性と同じふさふさした2つの耳と1本の尻尾があり、瞳は闇のように黒かった。
 巫女服みたいな、神々しい服装で身を包み、とても可愛らしかった。
 どことなく、不思議な雰囲気を出す。しかし、獣のような鋭い眼光は全くなかった少女。
 左手で鞘の根元部分を握り、親指で刀の鍔(つば)を押さえて、歩く男。
 時たま、親指を前に出し、鞘から刀を出して、親指を戻して、刀を鞘に戻す行為をする。
 これにより、刀を鞘に戻したときに響く、あの独特な音が鳴る。
 おそらく、獣避けの為に行った行為だと思われる。
 鞘に刀を入れたあの音は、獣にとって非常に嫌な音。
 男と少女は、安全に山を登る。
 ふと、男の足が止まる。
 凹凸の激しい道に、苦戦していた少女が目に映った。
 メガネをずらして、汗をかきながら、若干荒い吐息も洩(も)らす。
 度々(たびたび)、少女の履いていた下駄も脱げ落ちる。
 男は、その姿を柔和な表情で見守る。
 すると、少女はむっとした表情をして、尻尾をぶんぶん振りまわし始めた。
 笑っている暇があるなら、早く助けて。と、言わんばかりの表情。
 あまり怒らせてしまうと、後が怖いので、男はやれやれと言ったような表情で、少女の傍へ向かう。
 そして、荷物のように持ちあげて、小脇に挟む。
 もちろん、少女はじたばた暴れる。
 そういうことじゃない。と、言わんばかりの暴れっぷり。
 しかし、男はそんなこと気にせず、道を歩く。
 だんだん少女は、じたばたすることをやめて、むっとした表情だけになる。
 険しい道を、登る男。
 小脇に挟んだ荷物を、しっかり持ちながら、懸命に足へ力を入れる。

「むっ……?」

 また、男の足は止まった。
 体を左に90度振り向かせ、深い草むらを見つめる。
 ——————誰かが居る気配。
 刀の根元を左手で握り、親指を鍔に乗せる。
 少し親指を前に出して、また戻す。
 鞘に刀を閉まった時の音が響く。
 だが、それでも気配は消えない。
 男は、何かを決心して、深い草むらへ足を踏み入れた。
 その際、少女の顔面に丁度草が当たり、くすぐったくなる。

「う〜……」

 幼く、透き通った声が響く。
 男は、はっとした表情で少女を見つめる。
 頬を、これでもかというくらい膨らませていた。
 慌てて、その場に荷物を降ろす男。
 両手でメガネをくいっと上げて、安堵の表情を浮かべる。
 そして、男の右袖をきゅっと握る。
 再び、足を進める2人。
 深い草むらを、男が足でかきわけていたので、少女は特に苦労せずに歩き進める。
 だが、草むらは少女と同じくらい長かったので、傍から見ると、男と少女の耳しか見えなかった。
 突然、男は身を低くさせる。
 少女もつられて、一緒に身を低くする。
 深い草むらの先に、3人くらいの影が見えたのだ。
 3人は共通の黒い着物を着ていて、背中には黒い翼も生えていた。
 腰には、立派な刀も持っており、首には数珠(じゅず)もつけていた。
 そして、なによりも真っ赤な顔と、尖った鼻が1番印象的だった。
 眉間にしわを寄せて、男はじっと観察する。
 少女は、そんな男の背中を見ているしかなかった。
 3人は、話し合いをしているように見えた。
 身振りと手ぶりをして、必死に相手に何かを伝えようとする。
 男はゆっくり、右手を刀の柄に持ってくる。
 ——————いつ、襲ってきても良いように。
 すると、団体の1人が、辺りを警戒するように見回した。
 どうやら、あちらも誰かの気配を感じたらしい。
 右手を刀の柄へ持ってきて、いつ襲われても良いように構える。
 男は、もっと姿勢を低くする。
 だが、不思議なことに、こちらのことは眼中に全く入っていなかった。むしろ、背を向けられていた。
 もしかすると、あっちに誰かが居る可能性がある。
 男が、足を1歩踏み入れようとした刹那——————
 向こうの方から、風のように誰かが草むらから現れる。
 獰猛で、力強い動きは、犬か狼を連想させた。
 刀の柄を握っていた1人は、結局鞘から抜くことも出来ずに、襲われる。
 他の2人は、慌ててこの場から逃げ出した。
 一方、襲われた1人は、犬か狼みたいな者に、首を思いっきり斬り裂かれた。
 即死である。
 右手を、赤い液体で染めながら、空へ一言呟く。

「次は、そなたたちである」

 一瞬の出来事に、草むらに隠れていた男は、頭の整理が追いつかない。
 すると、後ろにいた少女は、何を思ったのか犬か狼の元へ向かう。
 男は、慌てて少女の両肩を掴み、足を止める。
 だが、もう遅かった——————
 犬か狼は、こちらの姿を捉えていた。
 力強い眼光は、気弱な人だと気絶するくらい。
 しかし、少女はメガネ越しから、可愛い眼光で対抗する。
 全く、勝負にならなかった。
 少女は、むっとした表情をして、男の背後へ回り、つんと背中を押す。
 びくっと立ち上がり、今度は男と犬か狼のような者が、睨み合いになる。
 青色で、それは肩にかかるくらいの長さだった。前髪も、かなり目にかかっていた。
 頭には、ふさふさした2つの耳と1本の尻尾があり、瞳はかなり赤かった。
 男性用の和服を着ていたが、どこか野生臭さが残る。さらに、その鋭い爪はなんでも斬り裂く雰囲気を漂わせていた。
 右頬には、深い傷が入っており、幾度(いくたび)も戦っていたのも分かる。
 ふと、男の口元が上がる。

「そなた……何者だ?」

 右手を刀の柄へ持って行きながら、尋ねる。
 犬か狼の男も、口元を上げて答える。

「ワシは、講元(こうげん)である」

 講元と名乗る男は、鋭い犬歯を出していた。
 今にも噛みつかれそうな雰囲気。男は、鞘から刀を出す。

「そなたは……一体、何が目的だ?」

 恐る恐る尋ねる。後ろに居た少女も、ひょっこり顔を出して講元の姿を見つめる。

「ワシは……ただ、戦う事が好きな犬である。今もこうやって、妖(あやかし)を退治したのである」

 妖。
 講元の足元に倒れている、黒い翼を持った者を、妖と言う。
 少女は、男の背中から出てきて、倒れている者を見る。

「何か思い当たる節(ふし)があるのか?琥市(くいち)」

 琥市と呼ばれた少女は、こくりと大きく頷く。
 だが、特に何も言わず、また男の後ろに隠れた。

「所で、ワシはそなたたちの名前を聞いていないのである」

 この言葉に、男は目を見開く。
 そして、刀を鞘に戻して、

「すまぬ。拙者は正狼 村潟(せいろう むらかた)。こちらに居るのは犬神 琥市(いぬがみ くいち)という。」

 自分と少女の名前を名乗る。
 講元は、口元を上げて、あることを尋ねた。

「村潟……そなたは、見たところ狼であるな」

 耳をピクリと動かして、村潟は頷く。
 実は、犬と狼は外見が非常に似ているので、すぐに判別することができない。
 唯一、見破る方法として、雰囲気を感じとることが挙げられる。
 犬の雰囲気は、獰猛でどこか熱い感じがするのに、狼は獰猛でどこか冷たい感じがする。
 1匹狼と言われるだけあって、大半の狼は心が冷たい。
 それが、雰囲気にも現れるらしい。

「だが、その冷たい雰囲気の中に……そこの少女を守りたいという、温かい感情が伝わるのである」

 この言葉に、琥市は顔を真っ赤にさせる。
 村潟は、腕組をしながら、

「何、拙者はあくまで主を護衛しているだけだ……従者として、当たり前のことだろう?」

 と、力強く言う。
 しかし、講元はどこか納得しない表情をする。

「ワシには理解できないのである……狼は、ひたすら血を求めて戦う種族のはず……そなたには、そういう心がないのであるか?その刀は、少女を守るためにあるのであるか?」

 この言葉に、村潟は眉間にしわを寄せる。

「な、何を言っている……拙者の刀は琥市を守るために……む?琥市を守るため……?はて……そうだったか……?拙者が……守るために刀を……?いや……そんなわけない……拙者は……拙者は……」

 汗を流しながら、その場に膝まつく。
 琥市は、慌てた様子で、村潟の右腕をぺしぺし叩く。

「く、琥市……せ、拙者は……血?血を求める……?な、なにを言っているんだ……血だと……?刀に血……?な、何を望んでいるんだ……?」

 村潟は、その場に倒れてしまった。
 荒い呼吸をしながら、大きく唸る。
 講元と琥市は、思わず目を見開く。
 ——————鞘に付いている、お札かお守りみたいな物は、今だけ不思議な感じだった。


            ○


「もっと……もっと、拙者に血を……!」

 頭の上にふさふさした2つの耳と、1本の尻尾を持つ男。
 大量の血が付いた刀を両手で握り、鋭い眼光で叫ぶ。
 来ていた和服も、返り血のせいでとても不気味だった。
 男の周りには、血を出して倒れる人々。
 なぜか、耳も尻尾もついていなかった、普通の人。
 不意に、背後から誰かの声が聞こえてきた。

「もう、ここに人は居ないのじゃ。今は我慢せよ」

 神々しい巫女服を着て、黄金に輝く9本の尻尾が印象的な女性。
 女々しく、おしとやかで、かなり艶めかしい。
 男は、不満のそうな表情で、血の付いた刀を、自身の和服の袖で拭う。

「そうじゃ……汝も、ようやく心の制御が出来るようになったのぉ……」

 拱手をしながら、この場を後にする女性。
 男は、黙って女性の後を追う——————


            ○


 草があまり生えていない地面で、講元と琥市が座っていた。
 村潟は、琥市の小さな太股に膝枕されていた。

「ワシが、今退治した妖は烏天狗(からすてんぐ)である」

 烏天狗。
 人の姿をして、黒い翼と真っ赤な顔に、尖った鼻が印象的な妖。
 彼らが通る場所は、強風が吹くと言われる。
 その風は、足腰が弱い者だと、遠くに飛ばされてしまうくらいである。
 腕を振れば、風の刃。カマイタチも起こすことが出来る。
 おまけに、刀の扱いも長(た)けている。
 そこら辺に建っている、道場の師範に教えてもらうなら、烏天狗に教えてもらった方が、よっぽど良いと言われるくらい。
 そして、恐ろしいことに、烏天狗は1番身分の低い天狗である。
 その上には、鼻の長い大天狗(おおてんぐ)も居る。
 琥市は、少々険しい表情をする。

「真正面から、烏天狗を倒すのは無謀である……だから、ワシは不意打ちをして退治しているのである」

 講元は、腕組をしながら呟く。
 真正面から戦えば、たちまち天狗の刀とカマイタチがとんでくるだろう。
 戦う事が好きといっていたが、それなりに頭の方も良かったらしい。
 すると、琥市は幼い声で小さく呟く。

「報復……天狗は組織で動いている……講元さんは……いつ、大天狗に襲われても……おかしくない……」

 そう、講元は烏天狗を退治してしまった。
 おそらく、逃げた2人の烏天狗は、上部に報告するだろう。
 しかし、講元は口元を上げて、余裕そうな表情をする。

「ワシは、もう烏天狗を2人も退治したのである。今更、報復などを恐れる身ではないのである」

 この言葉に、琥市はびくっと尻尾を逆立たせる。
 講元は、もう危ない。
 山を吹き飛ばすくらいの風を出す、大天狗に殺されてしまう。
 なのに、この余裕そうな表情。
 琥市は、思わず尋ねる。

「講元さんは……どうして、怖くないの……?」
「強い妖と戦えるからである」

 強い妖。つまり、それは大天狗のことだろう。
 講元は、報復に来るだろうと思われる、大天狗と戦えることが、とても楽しみだった。
 この言葉に、琥市はメガネ越しから可愛い眼光で、睨む。

「世の中には……関わってはいけない妖も居る……大天狗がその例……そんな好奇心は捨てて……」

 だが、この忠告は無視される。
 講元は、鋭い犬歯を出しながら、ワクワクしていた。

「ワシは、死ぬなら戦って死にたいのである」

 もう、何を言っても無理そうだと感じた琥市は、深い溜息をする。
 すると、自分の太股の上で寝ていた村潟の目が覚めた。
 一瞬、戸惑う表情をするが、すぐに状況を整理する。

「拙者は……琥市に膝枕をされているのか……」

 少女の柔らかい太股を、頭で感じながら、村潟はどこか苦笑する。
 琥市は、むっとした表情をして、村潟の額(ひたい)をぺちんと叩く。
 もう少し、嬉しそうにしても良いでしょ。と、言わんばかりに。

「琥市、何を怒っているんだ?」

 もちろん、村潟は少女の繊細な心に、気がつかない。
 すると、隣に居た講元は、すっとその場で立ち上がる。

「さて、ワシは残った烏天狗の退治をしてくるのである」

 犬歯を出しながら、2人へ言い残す——————

「待つんだ。拙者らも付いて行こう」

 村潟は、気が付くと琥市の太股から頭を離して、その場に立っていた。
 講元は、口元を上げて、凝視する。

「それでこそ狼である。無謀は心の友」

 そう言って、どこかへ足を進める。
 村潟も、講元の後を追う——————
 だが、その足は止められてしまった。
 どうやら、右袖を琥市にきゅっと握られていた。

「琥市……?」

 少女の表情は、行かないでという雰囲気を漂わせていた。
 自分たちと講元は、乖離(かいり)しなければならない。
 そうしないと、大天狗に殺されてしまうから——————
 だが、村潟はそんな少女の切実な願いを、払いのける。

「すまぬが。拙者はのんきに指を咥えて、じっとしているのは好まん。講元が、行くと言うなら、拙者も行かなければならない……」

 右袖を翻して、村潟は、足を進める。
 この場に残った琥市は、じっと2人の背中をメガネ越しから見つめる。
 勇ましく、幾度の妖を退治したような猛者(もさ)を連想させる。
 すると、琥市はメガネを外して、それを懐にしまう。
 大きな深呼吸をして、村潟の後を追う。
 その表情は、どこか犬神らしく、神々しい中に禍々しさがあった——————


            ○


 気が付くと、3人は標高の高い山まで足を進めていた。
 先の獣道より、さらに凹凸の激しい道。
 しかし、3人は懸命に力強く、進んでいく。
 あの琥市も、今だけは勇ましかった。
 ——————突然、強い風が吹いてきた。
 村潟、琥市、講元は、一瞬体を風に奪われるが、犬と狼らしい力強さで耐える。
 ゆっくりながらも、どんどん山を登っていく。
 不意に、鞘から刀を抜く音が聞こえた——————
 村潟と講元は、音が聞こえた方向を凝視する。
 そこには、刀を構えた2人の烏天狗が居た。
 荒れ狂う、風の中を微動だにしないで立っていた。
 村潟も自分の刀を鞘から抜き、両手で握って構える。
 講元は、自分の鋭い爪を見せて、戦闘態勢に入る。
 琥市は、その様子をじっと見つめる。

「ワシは、烏天狗と真正面で戦うのは初めてである」
「むっ?それは、拙者もだ」

 お互い、柔和な表情をする。
 と、思ったら、すぐに真剣な表情をする。
 この切り替えの速さに、琥市は少しびっくりする。

「烏天狗……覚悟するのである!」
「いざ、参る!」

 2人がそう言った瞬間だった——————
 烏天狗は、目に見えない速さで、2人の懐へ潜り、刀で斬ろうとする。
 村潟は、自分の刀で態勢を崩しながらも受ける。
 講元も、鋭い爪で刀を受け止める。

「は、速い……」
「むっ……」

 苦しい表情をする2人。
 烏天狗は、真っ赤な顔をにやりとさせながら、なぜか、手招きをする。
 その瞬間、風が村潟と講元の後ろから吹き始める。
 向かい風になった烏天狗は、一瞬のうちに、後ろへ50mくらい跳んでいく。
 どうやら烏天狗は、風の力を利用して、戦闘を有利に進めていたのだ。
 相手に接近する時は、追い風になるように風を操作して、相手から離れる時は、向かい風になるように風を操作する。
 そのたびに、背中の黒い翼も上手い具合に調整して、風の抵抗なども意識する。
 とても計算された戦法で、風を操る天狗にしかできなかった。
 村潟と講元は、心の中で悟った。
 ——————油断したら、すぐ殺される。
 風を意識して戦っていかないと、すぐに烏天狗のペースに乗せられる。
 眉間にしわを寄せて、恐ろしい眼光で睨む2人。
 風の吹く方向が変わる——————
 耳と尻尾で感じ取った結果、方向は左に吹いていた。
 向かい風でも追い風でもない。
 つまり、烏天狗は、正面ではなく、横から攻めてくるのだろうと予想が出来た。
 次に、風は下から吹き始める。
 おそらく天狗は、空中に居るだろう。
 村潟は目を閉じて、刀を鞘に入れて、精神統一する。
 講元は、腕組をしながらじっと待つ。
 また、風の方向が変わり、今度は空から吹いてくる。
 ——————空中から、物凄い勢いで何かが降ってきた。
 村潟は目を見開き、降ってきた物を、華麗に居合抜きする。
 真っ二つに切れた物は、地面に情けなく落ちる。
 それは、下駄だった。
 おそらく、烏天狗が履いていた物だろう。
 もし、居合抜き出来ず、この下駄に当たったら、気を失っていたことだろう。
 まだ風は、空から吹いている。
 きっと、烏天狗はこのまま奇襲攻撃してくる。そう予想できた。

「……風を利用している。つまり……普通より早めの行動が……命を救う……」

 琥市の透き通る声に、2人は耳をピクリと動かす。
 メガネをかけていない少女の姿は、非常に美しかった。
 幼いという雰囲気は、全く漂わせておらず、1人の女性に見える。
 すると、講元は村潟の前へ出る。
 その瞬間、空中から烏天狗が風の速さで刀を振り下ろしてきた。
 精神を統一させて、勢いよく手を合わせる——————

「真剣白刃取り(しんけんしらはどり)……である!」

 烏天狗が振り下ろした刀は、講元の手によって止められてしまった。
 あの速さを、白刃取りできる動体視力。
 改めて、講元の強さを実感する村潟。
 刀を取られて、一瞬動けなくなった烏天狗を、村潟は自慢の刀で一閃する。
 もちろん、即死である。
 烏天狗は、刀を手から離して、地面に倒れる。
 ——————風が突然止んだ。
 そして、村潟と講元の目には最後に残った烏天狗が目に映る。
 刀は鞘に入れて、いかにもこの場から逃げそうな雰囲気。
 村潟は、刀を構えて大きく叫ぶ。

「そなたよ!報復するなら。全て拙者、正狼 村潟が受け持つと上部に伝えておけ!」

 烏天狗は、この場から去る。
 刀を鞘へしまい、村潟も黙ってこの場を後にする。
 烏天狗の報復を、全て自分が受け持つ。
 この言葉に、琥市は大きく頷いて、何かを決心する。

「過ぎたことは……もう取り返しがつかない……なら、最後まで悪あがきをする……」

 懐からメガネを出して、それを両手でかける。
 琥市は、村潟の後を追うように足を進める——————

「待て。ワシも行くのである」

 不意に、講元の言葉が響く。
 だが、琥市はそんな講元をメガネ越しから睨む。
 その目は、どこか神々しく、禍々しかった。

「講元さんが付いてくることを……村潟は望んでいない……そのための言葉……あなたは、今まで通りすごして欲しい……世の中には、関わってはいけない妖も居る……」

 そう言い残し、琥市はこの場を後にする。
 講元は、腕組をしながら無言を貫く。
 今だけ、2人の後ろ姿は非常に大きく映っていた。

「関わってはいけない妖であるか……」

 くるっと、180度振り向き、講元は山を下る。
 後は2人に任せる。そんな表情だった。
 不意に、風が吹く。

 それはまるで、大天狗が村潟と琥市を見つめるかのように——————