複雑・ファジー小説
- Re: 獣妖記伝録 ( No.96 )
- 日時: 2011/08/08 23:31
- 名前: コーダ (ID: j24nS2D/)
夜の山の中で、産声が聞こえた。
大きく鳴き叫んで、やまびこが聞こえるくらい元気だった。
生まれてきたのは、可愛い女の子。
頭に小さな2つの耳と小さいながらも、黄金に輝く1本の尻尾が生えていた。
髪の毛も金色で、将来美人な女性になるかもしれないと思わせる。
女の子の周りには、5人くらいの大人が居た。
だが、おかしなことにこの5人の姿は少し違和感がある。
狼みたいに鋭い眼光を持っているのに、猫みたいな細い尻尾を持つ者。
黄金に輝く尻尾を持っていて、さらに背中には大きな翼を持つ者。
とても、不思議である。
女の子を産んだ女性は普通の狐である。
しかし、女性の傍に居た夫らしき人は狼だった。
——————女の子が泣いて口を開けるたびに、独特な犬歯が見える。
そう。この女の子は狐と狼から生まれた子供。
この国は、異種族同士の結婚は即死刑。
なぜなら、それは種族関係を社会的、人間的に壊すことになるから——————
犬は犬、猫は猫。これが出来ない者は、愛を語る資格などない。
人々も、変な子供が生まれることを嫌うので、人権を侵しているとは一切、思っていない。
だから、もし異種族が結婚してしまうと、その噂は人々から伝わり、すぐに国のお偉いさんの耳に入る。
そんな世の中——————
だが、ここに居る者はそんなことを気にしていなかった。
むしろ、狐と狼の夫婦を心から祝福していた。
やはり、愛に境界はないと思っている者も少数ながら居る。
すると、夫は小さく言葉を呟く。
「この子の名前は、もう決めている」
途端に周りに居る者は、早く名前を言うように催促させる。
もちろん、妻も女の子の名前に興味津津だった。
「この子は……琶狐……神麗 琶狐(こうれい わこ)だ」
神麗 琶狐。
生まれてきた女の子の名前に、周囲に居た者は満足する。
妻も満足していた。
そして、女の子も満足していた——————
先まで泣き叫んでいたのに、今だけ独特な犬歯を出しながら眠っていたのだから。
〜神麗 琶狐〜
快晴の空、直射日光が体に当たる昼間。
風も吹いていて、とても心地よかった。
草原の草むらは、優雅に揺れる。
近くにあった木々の葉と葉が触れ合う音も響く。
ここは、山の麓(ふもと)だった。
そんな場所で、2人の男女が歩く姿を見えた。
黒くて、首くらいまでの長さがある髪の毛は、とても艶やかであり、前髪は、目にけっこうかかっている。
頭には、ふさふさした2つの耳があり、瞳は黒紫色をしていた。
男性用の和服を、微妙に崩して着用していた。
輝くような黄色い2本の尻尾を、神々しく揺らす。
そして、首にはお札か、お守りか分からない物が、紐で繋がれている。
極めつけに、眠そうな表情と、頼りなさそうな雰囲気を漂わせていた狐男。
金髪で、腰まで長い艶やかな髪。頭には、ふさふさした2つの耳がある。
瞳は金色で、見つめられたら、思わず魅了されてしまうような眼光の中に、なぜか力強い威圧感もあった。
肌は、けっこう白く、すべすべしていそうな雰囲気を漂わせていた。
女性用の和服を上に着用して、下半身には、よく巫女がつけていそうな袴を着ていた。
狐男と同じく、和服の上を微妙に崩して着用していたので、胸のサラシが若干見えていた。
そして、輝くような黄色い1本の尻尾を、神々しく揺らす。
もっと言ってしまえば、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花という言葉が非常に似合っていた狐女。
2人は特に会話することなく、街道を歩く。
時折、耳をピクピクさせて周りの自然の音色を風流に聴く女性。
風の音、草原が揺れる音、葉と葉が触れ合う音、
「ふわぁ〜……」
余計な雑音。女性は舌打ちをして、男を凝視する。
「貴様!本当に空気が読めないな!せっかくあたしは、周りの音を聴いていたのに余計な雑音を入れるな!この馬鹿狐!」
せっかく良い気持ちになっていたのに、それを一瞬で壊した男に罵声を飛ばす女性。
非常に美しい女性は、非常にきつい罵声を言う。
しかし当の本人は、そんなこと気にせず、目の端に涙を溜めていた。
「むぅ……あくびは、生理現象の1つだぞぉ〜?君はぁ、あくびをしたことがないのかねぇ……?」
眠そうな表情で、男は女性へ言葉を言う。
もちろん、そんなことで納得しない彼女だった。
「その生理現象を、今出さないでくれるか!?」
腕組をしながら、不機嫌に言葉を飛ばす。
「ふわぁ〜……」
「貴様!」
女性の堪忍袋が切れたのか、男の左頬に平手打ちをする——————
その刹那、なぜか凛々しい表情をする。
いきなりの豹変に女性の手がピタリと止まる。
「よ、妖天(ようてん)?」
恐る恐る、男の名前を呼ぶ。
すると、拱手をしてどこか遠くの方を見つめる。
「我はぁ……君と居ると、どこか心が安らぐ……なんでだろうなぁ……同族は、大嫌いなのにねぇ……」
この言葉に、尻尾を逆立てる女性。
妖天の心を安らぎへ導いているのは自分が居るから。
いきなりの発言に、背中がむずむずする女性。
「ったく……いきなりなんだよ」
むっとした表情で、言葉を飛ばす。
その表情は少し赤かった。
妖天は拱手を解き、なぜか女性の艶やかな髪の毛を触る。
「はっ!?」
また突然の出来事に、驚きを隠せない女性。
彼女の顔はもっと赤くなっていた。
1本1本の髪の毛が、手にまとわりつく。しかし、決してひっかかることはなかった。
「不思議だぁ……我が同族の髪を触るなんて……琶狐(わこ)……君はぁ、本当に狐かぁ?」
琶狐と呼ばれた女性は、なぜかこの言葉に酷く驚く。
妖天は、もちろんこれを見逃さなかった。
「ん〜?君ぃ……どうして、そんなに驚く?」
こめかみを触りながら、尋ねる男。
だが、女性は口を開けなかった。
浅い溜息をして、妖天は静かに囁く。
「何か、まずいことでもあるのかぁ?」
すると、琶狐は独特な犬歯を見せながら、
「あ、あたしは狐さ!それ以外、何がある!?この尻尾!この耳!ほら!狐だ!」
どこか、無理をしているような言葉。若干、震えていたことも分かった。
今度は、深い溜息をして妖天は凛々しい表情をして、
「その犬歯は……なんだぁ?」
「ぐっ……」
琶狐は慌てて、自分の口を両手で隠す。
この行動に口元を上げるが、深く追求はしなかった妖天。
「君ぃ……本当に、素直で正直だなぁ……狐とは思えん……だから、我は毛嫌いしないのかねぇ……」
こめかみを触りながら、街道をゆっくり歩く。
不意に、両肩を掴まれる——————
首だけ後ろへ向かせると、そこには弱々しい彼女の表情があった。
いつもとは、全く違う雰囲気。
口元は震えていた。
妖天は、浅い溜息をして今度は体ごと後ろへ振り向かせる。
「き、貴様……実は、あたしのこと全て知ってんだろ……?」
この言葉に、右手で頭をかきながら男は呟く。
「ん〜……まぁねぇ……君と初めて会った時から、分かっていた。狐が力をつけることはそう簡単にはできない……だけど、君は鍛えただけで力が付く……それは、狐以外の遺伝子があるからだろう?嘘が苦手、金縛りも知らない……だから言っただろう?我は、君の事が気になったが、後からそれがなくなったと……琶狐ぉ、君は両親のどちらかが狼だろう?」
琶狐は黙る。
どうやら図星だった。
自分は、狐と狼によって生まれた子供。そう、狐狼だ。
尻尾、耳が狐でも犬歯だけは狼になってしまった。
外見だけだったら、普通に狐でこの世に通る。
ただ、犬歯を見せれば1発で国から目をつけられる。
女性の体は震えていた。
自分が、狐ではないことを知られていたからだ。
恐怖と悲しさが、同時に彼女の心へ襲ってくる。
あの、いつも罵声ばかり飛ばしている琶狐が、今だけ非常に女々しかった。
妖天は、そんな彼女を見てずっとこめかみを触っていた。
「あ、あたしは……父さんが狼で母さんが狐さ……愛に境界はないってさ……それを認めてくれる奴らと、ひっそり山の中で暮らしていた。山なら、国の目がいかないから……な」
言葉を途切らせて呟く。
すると、妖天は拱手をしながら琶狐を凝視する。
「な、なんだい……?あたしの事が嫌になったのか?なら、あたしの方から貴様と縁を切ってやる……」
女性は、くるっと180度体を回して妖天の元から離れるように足を進める——————
「琶狐ぉ〜……誰がそんなことを言ったぁ〜?」
耳をピクリと動かし、琶狐は首だけ後ろへ振り向かせる。
そこには、とても凛々しい妖天が映っていた。
この姿に思わず自分の胸の鼓動が、なぜかいつもより速くなる。
「我はぁ……君の事を嫌になったとは一言も言っておらん……早とちりをするでない……」
そう言って、妖天は琶狐の傍へ足を進める。
そして、彼女のすべすべした右手を握る。
「よ、妖天……?」
「少し、気分転換でもするかぁ〜」
女性の手を思いっきり引っ張ってどこかへ連れていく妖天。
琶狐は、ただただその勢いに身を任せるしかなかった——————
○
時は、今から40年前。
場所は、たくさんの木々が生えている山の中。
自分の身を隠すには、とても良い場所だった。
そんな山の中に、1人の少女が歩いていた。
艶やかで金色の髪の毛は肩くらいまで長く、前髪は目にかかっていなかった。
金色の瞳は、とても鋭い眼光を持っており睨まれただけで怯みそうになる。
頭にはふさふさした2つの耳と、黄金に輝く1本の尻尾がゆらゆら揺れている。
上半身には和服を着ており、下半身には巫女が来ている袴を着用していた。
険しい山の中を歩く姿は、どこか美しく力強かった。
少女の足が止まる。
その瞳は、何かを狙っているような感じだった。
1回だけ大きな深呼吸をする。
——————そして、力強く走る。
凹凸の激しい山の中をもろともせずに走る姿は、非常に慣れている様子だった。
鋭角上に跳ぶ少女。
空中でくるっと、360度体を回転させて、右足を出しある場所へ落ちる。
悲痛な動物の鳴き声が辺りに響く。
少女は、口元を上げてやってやったような表情を浮かべる。
そう。右足で蹴ったのは小さな猪(いのしし)だった。
小さいといっても体長は1mくらいある。
この猪を1回の蹴りで仕留めた少女は、相当鍛えていると伺わせる。
「今日の食糧はこれで十分だな!」
少女は威勢よく言葉を叫び、仕留めた猪を豪快に持ちあげて肩に乗せる。
そして、力強く山の中を再び歩き始める。
○
「お—い!食糧持ってきたぞ!」
猪を肩に乗せながら、少女は大きく言葉を叫ぶ。
すると、辺りから3人くらいの大人たちが現れる。
狼のような鋭い眼光を持っているのに、猫のように細い尻尾を持つ者。
狐のように神々しい尻尾を持ち、さらには鳥のように大きな翼を持つ者。
狸みたいな狡猾そうな雰囲気を持ち、犬のような耳を持つ者。
明らかにおかしかった。
だが、少女は気にせず肩に乗せている猪を地面に降ろす。
「まぁ、それなりの奴だな」
腕組をして、ふんぞり返る。
しかし、大人たちはそんなことないと言わんばかりの表情をする。
「いやいや、そんなことないぞ琶狐。こうやって毎日食料を調達してくれるだけありがたい」
猫狼は琶狐という少女にそう言葉を言う。
どうやら、この大人たちを支えているのは、琶狐だというのがこれで分かる。
「次はもっとでかい奴を仕留めるから、今日はこれで我慢してくれ!」
口を大きく開けて、独特な犬歯を見せながら強く言葉を言う琶狐。
鳥狐は、猪を重たそうに持ちあげてどこかへ持っていく。
「そういえば、もう琶狐は150歳くらいになるのか……」
犬狸が小さく呟くと、少女はどこか不思議そうに尋ねる。
「ん?あたしはもう151歳だけど、なんだ?」
「いや、その歳になったらさ……1人や2人男が欲しくならないかなって」
この言葉に、琶狐はドキッとする。
男。つまりそれは恋人。
すると少女は、両手を頭の後ろに持ってきて遠くの方を見ながら、
「あ、あたしは……まぁ、父さんみたいに頼りがいがあって、母さんみたいに知的な奴なら……考えても良いか……?」
自分の理想とする男性を呟く。
犬狸はなぜか大笑いする。
「ははは、琶狐の頼りになる男なんて相当な奴だろうな」
「笑うな!あたしだって、守られたい時は……時たまある!」
時たまの部分を強調しながら、犬狸へ言葉を飛ばす。
猪を仕留めることができる少女を守る男は、きっと素手で熊を仕留められる実力がないと無理だと思う。
「だけど、どちらかというと琶狐は尽くす方だろ?」
「まぁな」
つまり、少女の理想とする夫婦は基本的に自分が尽くして、時たま尽くされたい関係を望んでいた。
傍から見れば、嫁の尻にしかれている夫に見えるが。
すると、琶狐はどこか重たく、
「まっ……あたしのことを理解してくれる男なんて居ねぇけどな……」
言葉を呟く。
これには、犬狸も返す言葉が思いつかなかった。
自分を理解してくれる者は居ない。
すると、少女は独特な犬歯を見せて、
「あたしは、父さんと母さんみたいな生活に憧れている。だけど、それは叶わない夢さ」
そう呟き、この場を後にする。
犬狸は、そんな少女の後ろ姿を見ながら、
「(将来、綺麗な美人になりそうなのに……勿体ないよなぁ……)」
小さく呟いて、後を追う。
○
「父さん!母さん!」
山の中で、少女は大きく自分の両親の傍へ寄る。
「今日は、何を仕留めてきたんだ?」
「小さい猪だ!」
独特な犬歯を出しながら、少女は自分の父親に言う。
母は、口に手を当てて笑っている。
眼光を持つ父は狼、美しい母は狐——————
その間に生まれた少女、琶狐。
そう、琶狐は狐狼である。
外見は狐で通ると思うが、狼独特な犬歯が生えているため口を開けた瞬間に、正体を知られる危険性があった。
この国は、異種族同士で結婚した者は即死刑だが、その間に生まれた子供も一緒に死刑にされてしまう。
だが、口の中にある犬歯を見るほどの観察力がある人はこの世にはあまり居ないと思う。
つまり、琶狐は運よく自分の正体を知られる容姿をしていないのだ。
「そうか。今日の晩飯は豪華になりそうだ」
父は腕組をしながら、遠くの方を見つめて呟く。
すると、琶狐は母親へ言葉を飛ばす。
「母さん!あれ買ってきたか!?」
「はいはい。買ってきたわよ」
母は、懐から包帯みたいな物を取り出す。
これを見た少女は、目を輝かせていた。
「これがあれば、邪魔な胸を小さくできるのか!?」
「ええ、今よりは動きやすくなるわね」
母が買ってきたのはサラシだった。
両親は一応純粋な狼と狐だったので、人々が集まっている村や町に行くことは可能。
だが、条件として一緒に行動はできない。
——————もし、夫婦だと知られたら殺されるからだ。
「気がついたら母さんより大きくなって……150年は早いな」
「あら、それはどういう意味かしら?」
母の言葉に、父はまた遠くの方を見つめる。
一方、少女は早くサラシをつけてくれと表情で催促させる。
「どうやら、サラシは水につけないとだめらしいわ。ちょっと川の方へ行くわね」
母と少女は川の方へ行く。
残された父は、2人の逆方向へ足を進める。
○
「今日も良い山菜が採れましたよ」
父の目には1人の女性が映っていた。
兎のように長くて白い耳と、鼠のように細い尻尾を持った者。
そう、この女性は兎鼠だった。
採ってきた山菜を丁寧に仕分けしながら、微笑む。
「今日は、山菜と猪か」
父は腕組をしながら言葉を呟く。
ふと、背後から誰かが居る気配を感じる。
体ごと後ろへ振り向くと、そこには1人の男性が居た。
兎のように長くて白い耳を持っていた。純粋な兎だ。
「今、猪を焼いている最中だ」
この言葉に、父は耳をピクリと動かす。
かなりお腹をすかしていることが、これで伺える。
「いやしいな。まぁ、正直でよろしい」
長い耳を動かして、苦笑する兎男。
女性はその会話を聞いてずっと微笑む。
「俺は狼だ。嘘は苦手だ」
腕組をしながら、強く言葉を言う。
すると、兎男は浅い溜息をする。
「せっかく娘は狐で通るのに、お前の性格で台無しだな」
「正直な娘で良いじゃないか」
それで狐の個性を殺していることに、気がつかない父だった。
「所で、あの件は結局どうなった?」
兎男は、少し真剣な表情で父に尋ねる。
深い溜息をして、小さく返答する父。
「琶狐は断った。ありのままの自分を出したいって言ってな」
「そうか……勿体ない」
2人は腕組をして黙る。
あの件——————
それは、琶狐の独特な犬歯を抜くことだ。
そう、見た目だけなら狐で世の中が通る。だから、邪魔な独特な犬歯を抜く。
そうすれば、平和にこの世を暮らしていける。
——————良い男性と見つけて、幸せにも暮らしていける。
だが、琶狐はそれを拒む。
ありのままの自分を出したい。それだけの理由で。
子供がそう望むなら、親はそれを叶える義務がある。
だから、父は抜くことをやめた。
「一応、その選択はつらいことしかないことは言っておいた」
「で、反応は?」
「それでも十分だってさ」
また、2人は腕組をして黙る。
すると、山菜を仕分けしている女性が笑う。
「ふふ、良いじゃないですか。あの子がそう望んでいるなら……将来、強い子になりますよ」
この言葉に、なぜか大きく頷く2人。
そして何事もなかったかのように、3人は会話する。
○
「どう?きつくない?」
一方、川の方では琶狐と母が居た。
少女の胸にサラシを巻く、どうしてこんなに大きくなったのか少し疑問になっていた母。
「ああ、大丈夫だ。それにしても、これすごいな」
琶狐は、サラシの効果に思わず驚く。
「1人で巻けるようにならないとね」
母の言葉に、少女はこくりと頷く。
「明日から、気合いを入れて獲物でも狩ってくるか!」
右腕を上げて、琶狐は気合いを入れて叫ぶ。
そんな姿をただただ見つめる母。
少女が山の中で獲物を仕留め始めたのは、今から30年前。
今居る大人たちは基本的に山から出ることが出来ない。つまり、食糧は買うことができない。
自給自足をしないといけなかった。
琶狐の父と母も娘の傍から離れたくない思いが強く、山から出ることは少なかった。
こんな状況の中、少女は独特な犬歯を出しながら大人たちへ言う。
——————「食糧がなければ、あたしが仕留めてくる」
突然の言葉に、大人たちは驚く。
そんな大人たちを無視して、少女は何かを仕留めに山の中を散策する。
自分の体には狼の血が流れている。なら、こういうことは出来るはず。
そういう思いを持ちながら、ひたすら獲物を探していた。
そして、琶狐の目には1匹の猪が映る。
手頃な大きさ。おそらく、親からはぐれた子供だろうとすぐに察する。
すると、何を思ったのか少女は猪の元へ颯爽と向かう。
力強く獲物を狙う姿は正に狼だった。しかし、どこか狐らしい美しさも残す。
右手を握り、力強く猪へ殴る。
思いのほか力があったのか、そのまま跳んだ。
少女は、呆気なく獲物を仕留める。
ここから、琶狐は山の中で鍛え始めたのだ。
今じゃ、熊だって素手で仕留められる実力。
ここまで力をつけることが出来たのは、やはり狼の血が流れていたから——————
「腹も減ってきたなぁ……」
少女がそう言うと、母ははっとした表情をする。
そして、川を後にする2人。
○
逢魔が時(おうまがとき)、山の麓。
ここに、2人の男が話をしていた。
猫のように細い尻尾を持つ者と背中に大きな翼を持つ者だった。
2人は、山を見つめながらどこか深刻な表情をしていた。
「本当に、この山の中で見たのか?」
「あぁ、わっちは見た」
鳥男がそう尋ねる。猫男は身振り手振りを入れながら言葉を返す。
「いやぁ、まさか異種族が居るなんて思わなかったなぁ〜。まぁ、山の中なら見つからないと睨んだんだろうねぇ〜」
尻尾をふりふり動かしながら、猫男は言葉を呟く。
鳥男は大きく唸る。
「ふむ、貴様がそこまで言うなら信じよう。しかし、これは国として放っておけないな……」
「わっちはたまたま山を放浪して、たまたま見つけ、たまたま情報を与えただけさぁ、ここからはそっちに任せるよぉ〜」
猫男はこの場を逃げるように去る。
すると、鳥男は感謝の言葉を最後に言う。
「情報提供感謝する。猫崎 山杜(ねこざき さんと)」
この言葉に、右手を上げる猫男。
そして、気がついた時にはその姿はもうなかった。
「……山の1つや2つ、犠牲にしても良いよな」
鳥男がそう呟くと、とりあえずこの場を後にする。
○
真夜中。
山の中はとても真っ暗だった。
どこからともかく動物の遠吠えも聞こえてくる。
夜行性の生き物が活動を始めていた。
しかし、そんな状況の中山の中を歩く少女。琶狐が居た。
自分の両親と周りに居た大人はもう熟睡している。
それでも自分は寝ないで山の中を歩く。いや、どこかへ向かっていた。
急な下り坂をもろともせずに歩く姿は、やはり力強かった。
そして、琶狐は山から出る——————
快晴の空。満天の星空が少女の目に映る。
この綺麗な光景に、思わず心を躍らせる。
麓まで降り、そこら辺の草むらの上で、仰向けの状態で倒れる。
両手を頭の後ろに持っていき、右足を上にして足を組む。
しばらく星空を眺めていた。
少女はこのたくさんの星屑を見ると、必ず心の中で思うことがある。
——————この星屑と同じように、色々な人が居る国にならないかと。
犬、猫、狼、狐、兎、鼠、狸、鳥。この8種族で世の中は成り立っている。
だが、自分は狐狼。つまり8種族以外の者。
今の8種族が違う種族と結婚をすれば、新たに28種類の種族が生まれることになる。
その28種類がお互い結婚してしまうと、新たに378種類も生まれる可能性がある。
さらに、その378種類がお互い結婚してしまうと、最終的に71,253種類も生まれる。
もちろん、その中には8種族の血が全て流れている子供も居る。
そういう、世の中になって欲しい。
琶狐は、切実に願っていた。
気がつくと、少女の瞳は閉じてゆっくり夢の中に入っていた。
元々整った顔つきだったので、その寝顔は非常に美しく、狐らしい艶(なま)めかしさも若干あった
だが、その美しい表情が途端に崩れる出来事が起こることを知らない琶狐だった——————
○
同時刻。山の麓にはたくさんの人影があった。
その数は30人くらいの団体。右手には火のついた松明(たいまつ)が1人1本握られていた。
じっと山を見つめる団体。
すると、その中に居た背中に大きな翼を持った男が呟く。
「皆、良いか?」
この言葉に大きく頷く。
そして、何を思ったのか1人1人持っている火のついた松明を勢いよく山の中へ投げる——————
当然、松明の辺りにある草木は燃え上がる。
次々と火は引火して、気がついた時には大きな山火事になっていた。
もし、この山の中に誰かが居れば助かる見込みはほぼない。
鳥男の近くに居た鼠男は、ふと呟く。
「大丈夫なのでしょうか?」
特に体を動かさず、鳥男は言葉を返す。
「何、山を管理している妖(あやかし)が居るから、山火事は辺りに広がることはない」
鼠男は、なぜか安心する。
そして、この場から颯爽と居なくなる30人だった。
○
山の中は炎の海となっていた。
眠りから覚めた大人たちは、必死に逃げ場を探す。
しかし、炎の勢いが強すぎてなかなか逃げ出せない。
「こっちもだめだ!」
「あっちもだ……!」
鳥狐と犬狸は大きな声で叫ぶ。
「あっちもこっちも無理か……ちっ……」
琶狐の父は眉間にしわを寄せながら辺りを見回す。
だが、燃え盛る炎しか目に映らなかった。
「あなた……琶狐が、琶狐が居ない……」
母は泣きながら、父へ訴える。
そう、この場に琶狐が居なかったのだ。
もうこの炎に巻き込まれて焼け死んだかもしれない。
そう考えるしか他がなかった。
不意に、近くの木が折れる。
それに気付いたのが遅かった父は、そのまま木の下敷きになる。
「あなた——!?」
当然母は叫びながら、父の傍へ寄る——————
また、近くの木が折れる。
今度はそれに母が巻きこまれた。一瞬のうちに夫婦は木の下敷きになる。
残った大人たちは一斉に夫婦の傍へ寄る。
だが、そのうちに炎の勢いが強くなってくる。
——————そして、この場は完全に炎の海となってしまった。
○
翌朝。
山は見るも無残な姿になっていた。
黒焦げの木々、倒れた木々。
そんな光景を見ていたのは麓に居た少女。
独特な犬歯を出しながら、大声で泣き叫ぶ。
昨日まで自分の周りに居た大人たちはもう居ない。
そして、両親も居なくなってしまった。
誰がこんなことをした。そんな雰囲気を漂わせながら、いつまでもいつまでも泣き叫ぶ。
しかし、ずっとこの場に居るのは少々危険である。
——————この山を燃やした連中が、もし戻ってきたら自分も危ういからだ。
少女は右袖で涙を拭い、この場から逃げるように去る。
案の定、しばらく時間が経つと30人くらいの団体がここへやってきた。
燃やされた山を見て、どこか満足そうな表情をする。
我々が邪魔者を消してやった。そんな表情。
生き残りが居ないか一応確認して、この場を後にする団体。
151年。幸せにすごしていた少女。
しかし、それは今日を境になくなる。
ずっと、ずっと1人で放浪する毎日へと変わってしまった
自分を支えてくる人はもう居ない。
両親と大人たちを思い出すたびに、目から涙を出す。
だが、泣いてばかりじゃいられない。
今は生きることに集中する。
本来なら、自分もあの山火事に巻き込まれていた身——————
あの時、星空を見るために山の麓まで行って居なければ、自分は両親と共に死んでいた。
せっかく、自分は今生きている。
ここで泣いていたらどこかで見守っている両親に悪い気持ちにさせてしまう。
少女は、両親を悲しませないために強く生きることにした。
腹が減れば、山の中へ行き手頃な獲物を仕留める。
喉が乾けば、綺麗な川の水を飲む。
町の中へ行けば、黙って狐と通す。
これを、40年間も続けた少女。
髪の毛は腰まで長くなり、とても綺麗な容姿になっていた。
町の中を歩くだけで、狐男に声をかけられるくらい。
少女、いや女性はそのたびに、黙って狐男を殴って撃退する。
そして、ある日女性が真夜中に、歩きながら星空を見ていた時——————
1人の狐男に出会う。
とても頼りなさそうで、情けない雰囲気を全面的に出していた。
こんな奴相手にもならない。そう思った矢先。
女性は身動きが取れなくなる。
しかし、狐男は何もせずこの場を逃げるように去る。
この行動が非常に気になった女性は、後をついて行った。
そして、今では——————
○
「う〜ん……綺麗だねぇ〜……」
夜の草原。空は快晴で満天の星空が広がっていた。
丘の上に生えている1本の大きな木に、背中を預けて座っていた2人の狐男女。妖天と琶狐だった。
「な、なぁ……貴様は、これをあたしに見せたかったのか?」
琶狐は、静かにそう尋ねる。
すると、妖天は拱手をしながら、
「むぅ……それくらい察して欲しいものだぁ……」
眉間にしわを寄せて呟く。
気分転換だと言って、連れてこられた場所。
そこは、綺麗な星空が見える丘の上。
どうして、妖天は自分の好きな星空を見せてくれたのか。
——————そういう事は、1度も言っていないのに。
「なんで、星空なんだ?」
恐る恐る尋ねる。
「琶狐はぁ……星空を見るのが好きだからねぇ〜」
この言葉に、思わず耳をピクリとさせる。
「な、なんでそれを知っている!?」
1度も言ったことないのに、妖天は知っていた。
その理由は、非常にこの男らしかった。
「う〜ん?君と初めて出会ったときさぁ、琶狐は夢中になって星空を見ていた……あの目は、好きじゃなければ出ない目だ」
本当に、こいつは観察力だけはすごい。そう心の中で思いながら、琶狐は体を震わせる。
不意に、右手が握られる。
尻尾を逆立てて驚く琶狐。
だが、妖天は一切自分の事を見ないでずっと星空を見つめる。
「君がぁ、狐狼だと知っても我はそんなこと気にしない。そんなこと考えること自体面倒だからなぁ〜……琶狐は琶狐。それ以外、何がある?」
突如、男から出た言葉に琶狐は目から涙を流す。
狐狼である自分の事を気にしない心。それにやられたのだ。
一方、妖天は初めて彼女の涙を見る。
いつも罵声ばかり飛ばして、とても力強い女性。
しかし、今だけはそうじゃなかった。
ここに居るのは、本当に綺麗な女性。
思わず、妖天は彼女の頭を優しく撫でる。
「琶狐ぉ……君が居ないと、どうも最近調子が上がらない……だから、これからも頼むぞぉ〜」
のんびりした口調。だけど表情はとても凛々しかった。
すると、琶狐は右袖で涙を拭い、力強くお返しの言葉を言う。
「あたしだって、貴様の事が心配だからな!頼まれなくても、地獄までついて行ってやる!」
いつも通りの表情。
妖天は大きく頷き、
「やはり、君はそういう表情の方が良いなぁ〜」
囁くように言葉を言う。
これには、思わず胸を躍らせる琶狐。
そして2人は、黙って星空を見つめる。
今日を境に、妖天と琶狐の距離はとても縮まった。
その証拠に、握られていた手はずっと繋がっていたからだ——————
「(またぁ……歴史を変えるときがきたかぁ……?ん〜?また?……ふむ……なぜ、我はまたと……?)」