複雑・ファジー小説
- Re: DARK GAME=邪悪なゲーム= 三章十一話完成 ( No.104 )
- 日時: 2012/02/29 15:41
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: Bt0ToTQJ)
三章十二話
「は? オーディン?」
「今さらそんな事に驚くなよ。アダムの使者とかいう時点で常識は頼りにならねえから」
突拍子もない発言を耳にしたように氷室の顔つきが変わる。まるで伝説に盲信する古代の大人や世で中二病と呼ばれる者を見る憐れむような視線。そのような目を当てられても大差ないほどに、すでに楓は視線を落としていた。
極限状態から解放された楓の精神的なモチベーションはまたしても下がりつつあった。生命の危機という圧倒的にプレッシャーがかかるシチュエーションから脱出した今、またしても琥珀のトラウマに苛まれている。一番怒りを感じているはずの氷室が、それほど気にしていないと言うのに、加害者の方が未だに罪を引きずっているのだ。
過去の罪は清算できても、過去そのものは絶対に変わらない。それは彼が両親から聞いたことだった。だから人間は間違いの起こらないように努力すべきで、もし間違えてしまったら誠心誠意二度目がないように努めるべきで。
でも、例え一時の過ちとしても、してはいけない事は存在するわけで、彼がその内の一つとして教えられたのは『嘘で人を傷つけること』だった。無理やりさせられたとはいえ、実質的に楓が氷室を傷つけた。脅迫されて唆されたこともあるが、やはり断り切れなかった自分自身のせいだと一人で抱え込み、自分一人で包括するべきではない責任で抱えていた。いくら氷室が許すと言ってもそういう信条を刷り込まれて育てられたので、自分で許すことができていない。
「もう良いだろ早く帰してくれよ。明日も試合なんだ」
すぐさまここから抜けだしたい、ただそれだけの願いを込めてそう呟く。氷室に言い聞かせないといけないセリフなのに、自身に言い訳するように、第二者に聞こえるか分からないようなトーンで。
それでも聴覚が優れている彼女にはあっさりと聞こえた。どうやら試合どうこう以前にあまり話しかけない方が適していると判断した氷室は黙り込む。
なぜ、そんな風に塞ぎこんでいるかはもう大体氷室にも分かっていた。それに自分が深い所で関わっていることも。それをすぐに理解したからこそ楓のトラウマを構成しているであろう原因の一つである自分への罪悪感を取り払おうとした。真実を知ったあの日、もうすでに楓への憎しみにも良く似た怒りは、あっさりと鎮静化されていた。
いつか機会があったら、さっきみたいに言って、ぎこちなさぐらい取っ払っておこうと思っていた。だが、氷室一人だけで解決する問題ではなかった。一番根強い所に残っているのが、そもそも虐め自体の中心に立っていた弱い自分と、首謀者の琥珀の存在だ。琥珀からの呪縛からを解き放って、楓自身が変わらないと、何も克服できない。
何か、何か言わなくてはいけない。そう思っても、何を言えば彼の気分を落ちつけられるかなんて氷室には分からなかった。何を言っても心に届かないような雰囲気を楓は出していたからだ。感情の、最も深い根源を揺さぶることなど、自分の力ではできないこと、それぐらいは氷室は理解していた。
それでも、彼女は楓の支えになりたかった。ただ、その感情の正体がよく分からなかった。何だか雲に手を伸ばしているような、形の掴みづらい、そんな感覚。絆みたいな仲間意識と比べると、少し違っている。もっと、脆くてすぐに壊れてしまいそうだけれど、心を作る最も重要な感情であって、確かにそこにある感情。
それが何であるか、氷室は分かろうとしなかった。多分気付くことができても認めようとしないだろう、それには。
「ちょっ……最後に一つだけ……」
何でもいい、何か一つで良い。どうにかして楓を励ますような言葉が欲しい。懸命に言葉を選ぶ。今に合った言葉を。深い所にまで届けられるような台詞を。自らを楓の中の助力にできるような、そんな強いフレーズを。
「何だ? できたら早く言って欲しい」
「えっと……嘘じゃないんだ……」
「……一体何がだ……?」
「……さっきの事だよ。あんたが死んだら嫌だって」
「ああ、それか。誰であっても目の前でなんて死んでほしくないしな」
「そうじゃないっ!」
喝を入れるようにして氷室は声を荒げる。これはもはや自責の念などではないと氷室は察した。思い込みが激しすぎる。もう気にするなとも、許したとも言っているのに、頑固になって彼は人の話を聞こうともしていない。勝手に嫌われていると、根拠の無い虚構を事実として信じ込んでいる。
空港での対面でキツく言い過ぎてしまったかと後悔する。事実なんてしらないままに、罪悪感という恐怖に囚われる楓の心を抉り過ぎた。琥珀のそれほどではないが、氷室に対する後ろめたいものを覚えさせてしまったのだろう。
聞きわけの無い弟を叱りとばすのと同じ口調で、そうじゃない、なんて叫んでしまったが、その続きに何を繋げればいいかまだ分かっていなかった。でも、こんな楓は見ていられない、自分の知る彼ではないと強く感じた氷室は、何も考えずに感情に任せて口から言葉を吐いた。
「確かに、どんな悪人も罪人もそこで死なれたら確かに嫌だよ。でも、今言ってるのはそういう事じゃない。あんたがどう思ってるかは知らないけどね、私は楓は別に嫌いじゃない。憎んでないし恨んでない。むしろ心配すらしてるぐらいなんだし」
「そうか、ありがと……」
「信じろよ少しは……!」
瞳孔を開いた氷室は楓のジャージの襟を掴む。少し焦るような驚愕を露わにして楓は顔を上げた。
「本当に心配してるんだ。あんたはどうだ? あんたがもしも立ち場が逆だったらどうしてる?」
「そんなの……」
「決まってるわよね。同じことするわよ、絶対に。誓っても良いし賭けても良い。そういう甘ったれた優しすぎるのがあんたの短所かつ長所よ」
「短所でもあるのかよ……」
「そりゃそうよ、あんたそんな事だったらいつか、誰かのために命落とすわよ」
「本望だよ、別に……」
氷室の手を強引に振り解き、地面に置いたエナメルの肩ひもを使って走り出した。目から、涙が、こぼれ落ちる、その前に。
「今日の、八百メーター……大丈夫かなぁ? それより先に……マイルか」
足取りが重い。体を暖めたら軽くなる体も、いくらウォーミングアップしても重いままだった。
続きます