複雑・ファジー小説

Re: DARK GAME=邪悪なゲーム= 3/11三章十三話完成 ( No.106 )
日時: 2012/03/22 20:06
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: tBL3A24S)

三章十四話



「おっ、出てきた出てきた。あれじゃあねえの?」

 現れた七人の女子の中の、青いユニフォームの女子は、間違いなく乙海だった。横に並ぶ高校の者たちは、赤やら緑やら、とりあえず青系統は無い。その中でも落ち着いた雰囲気でいるのが、乙海だ。とりあえず、竹永二世と上の学年から呼ばれているぐらいだ、代介も楓も知っての通り、彼女は相当に速い(実際は竹永の一年時代の方が速い)。
 大舞台に立った経験や、試合自体のキャリアの差のせいか、竹永と違い、彼女は予選からプレッシャーを感じていた。心臓が波打って、そのまま喉から飛び出てきそうな威圧感。先輩のように、多少出遅れても何とかなる筈が無いと思っているためだ、このように緊張しているのは。実際には四百メートルなので百メートルに出場した竹永の方がよっぽど出遅れた時は危ないのだが。
 強い緊張を、確かに乙海は感じていたが、その方が丁度いいだろう。緊張感は無いよりも有った方が失敗しないというものだ。何事においても危機感を失った時が最も危ないのだと、かの有名な孔子も言っている。
 そういう重圧に顔を強張らせ、審判員の声に従って手と膝をゴムに付ける。真夏のゴムのグラウンドは太陽で充分に熱されていて、焼けるように熱い。暑いを通り超える。
 自分の試合でもないというのに、楓はちょっとした緊張感を持っていた。理由は単純、もうすぐ自分も走るのだ、四百メートルという距離を。その種目がどのようなものなのか、普段以上に目を凝らして見届けないといけない。
 変な感慨にふけっている間に、いつの間にか銃声のような発射の合図は鳴り響く。すぐに我に帰った楓はレースに集中する。最初はやはり、どの人も全力で飛ばしている。後々の失速など考えてはいられない。四百メートルとは、短距離なのだから。おいていかれたその瞬間に、敗北が確定するのだ。
 全員が全速力を出しても、その速度は当然のように一人一人違う。嫌でも、『差』というものは必然的に現れる。乙海はと言うと、これまでの説明で分かっている通り、前に立つ方だ。まず、同じ組のメンバー的に強力なライバルがいないことから、トップに立つ。その表情は、百メートル走っただけなのに涼しげに見えた。ただし、勝負はこれから。まだこの先、四十秒前後の時間が残っているのだ。
 それでも、九割五分程度の力で進んでいるのは明白で、ベストを出した時のタイムと比べると少々遅い。そのまま、差を詰めさせることなく、むしろ開かせて二百メートルを通過、半分が終わる。後続の選手たちはもうすでに、精神的に折れてしまいそうな顔をしている。明らかに辛そうで、歪んだ表情。相当にしんどいのであろう、先頭に着いていくのは。
 こんな地獄のような競争、その中でも最もプレッシャーの圧し掛かるアンカーなんて任されて良いのだろうかと楓は考える(実際は、マイルは四走までにかなり差が開いていて、よっぽどで無い限り四走で順位は変わらないことが多い)。
 そのまま、逆転劇の怒ることなどなく、予選は終わる。悠々と乙海は準決勝に残り、一秒差程度でゴールラインを通過した女子も上に上がる。

「あいつはあいつで速いな。普通に俺より速いんじゃね?」
「あ? 何言ってんだ? んなこと言ってもあいつを代わりに出す訳にいかねえだろが。お前が走るんだよ」

 楓が溜め息を漏らし、その後に放った感嘆のセリフに代介の眉間に皺が寄る。もうすぐ出番だというのに自身を喪失して良い訳が無い。むしろ、気持ちは高く持って行かないといけない。ジャージのポケットに手を突っこんだままで呆れ顔で説教する。バツの悪そうな苦笑で、申し訳なさそうにする楓に嘆息し、視線を落とす。どうやら、ちょっとずつ凍った感情も溶けてきているようで、ひとまずは安心だろう。
 それでも、どこか不安定かもしれないが、これ以上は楓を信頼するしかない。他人が踏み込める領域はこの程度しか無い。後は、酷な話だが楓自身の力で乗り越えないといけないのだ。そのために、周りの負っている責任は容赦なく突き放すこと。

「ま、良い。とりあえずやって来い。小西先輩来たぞ」

 代介の視線の方向に楓が振り向くと、確かにそこには短距離の小西先輩がいた。名字に“小”とか入っているが、非常に身長は高く百八十五センチメートル。見上げないと会話はできない。非常に速い先輩で、専門種目は二百メートル。四百メートルのタイムも、五十秒を切っている(正直速いです)。
 スタートダッシュに特に強いのでマイルと四継の一走を任されている。無論、男子なので竹永よりも速い。楓に向かって手招きしていることから、もうすぐ試合のために準備しろということだろう。軽く一礼した後に楓は代介に「また後で」と言い残して去って行った。残された代介は空を見つめて、祈るように目を閉じた。親友の、成功を願って。

「久しく中学の連中にもあってねえな。今度八組に行くか」

 中学時代に仲良くつるんでいた友人のことを思い出す。別に疎遠になった訳では無く、今でも同じ高校の一人とは登下校を共にしているが、他の面々には中々会わない。お互い忙しくて会う機会が無いのだ。
 そう言えば、あいつは精神面は相当に強かったと、彼は思い返した。挫折という言葉を知らなかった。負けたら、それすら糧にしていた。どれだけ悲しくても、人前でそれを見せようとしないのは楓とそっくりだとは思うが、例の人の場合はそれを周りに悟らせない。
 それはさておき、今は楓の方だと思いなおす。自分の試合もあるが、それまでまだまだ時間はある。のんびりしていこうと思う。

「さて……どうすっかな」

 退屈そうに佇む彼の下に、一人の少年が歩み寄る。代介には、彼に対して見覚えは無かった。

「なあ、楓秀也って知ってるか?」
「ん? いきなり出てきたけどあんた誰だ? 楓の友達?」
「……友達とは、呼んでもらえないだろうな」
「……で、俺に何の用?」
「ああ、自己紹介がまだだったな」

 その瞳は、今まで見たことの無い綺麗な色だった。淡々と彼は、自分の名前を述べた。

「俺の名前は、白石琥珀って言うんだ」



                                                続きます。