複雑・ファジー小説
- Re: DARK GAME=邪悪なゲーム= 第四章開始 ( No.114 )
- 日時: 2012/05/24 20:00
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: vOB0vHGS)
四章二話
「いやいや、ちょっと待って下さいよ。次から地毛で来いって何ですか?」
「そのまんまだ。黒染めなんてしてんじゃねえ」
「……先生とかクラスメイトに何か言われそうなんですけど」
「言わせとけ。そんな奴らの声に、耳を傾けなくて良い」
「それが……」
それができたら、どれだけ苦労せずに済むか、苦労せずに済んだのか、出かかった言葉を楓は呑みこんだ。
確かに、ありのままの自分を嘲笑するような輩に対してはだんまりを決め込んでやったら良い話だ。
そんな簡単なことは、暴力と恐怖の前では簡単に不可能な状態に陥らせられると、楓は体験していた。
どれだけ強固な覚悟を決めてやろうとも、数という無言のプレッシャーは強く心を踏みにじるのだと、体験した楓には分かる。
たとえそれが、自分の弱さのせいだとしても、反抗できなかった自分にも比があると分かっていても、より強い力には抗えないと楓は知っている。
そこに直接的に立ったことのない者が、どれだけ美しく着飾られた言葉で立てなおそうとしても、気休めにもならない。
おそらく竹永は、周囲の目など気にせずに自分を貫けと暗に指し示しているのだろう。
しかし、今の楓はそんなことを言われても、反抗的な感情しか浮かんでこなかった。
しかし、尊敬する先輩相手に真っ向からやり合う勇気も、そのためのエネルギーもない今の楓には、黙するしかなかった。
かといって、延々と黙り続ける訳にもいかず、何か違う話題を探そうとすると、すぐに思い出した。
今は、氷室の説明をしていた途中ではなかったのか、と。
「えっと、じゃあ……氷室の過去の、続きです」
重たい空気をかきわけるようにその言葉が沈黙を斬り裂いた。
ふと思い出したかのようにそちらの話の方に関心を戻した竹永は、その先の話に耳を傾けた。
————————
「……それって、本当なの?」
「はい、そうです。当時のあいつに確認とってますし」
氷室の過去、それを知っている楓はとあることを理解していた。
氷室の歩んできた人生は、楓のそれよりも遥かに過酷で、棘だらけで、身を引き裂くようなものだという事を。
彼女の今まで歩んできた道のりの中だと、楓だったらいつ自ら命を断とうと考えただろうかと思う。
楓には、曲がりなりにも————がいるから。
たとえ一方が、どうしようもない奴だとしても。
ふと、外の方から割れるような歓声が聞こえてきた。
急な声の爆発に、目を丸くさせて外を見てみるも、誰も走ってはいない。
どうやら、応援の類ではないらしいが、それ以外に考えられる理由は無い。
だが、それにしても本当に凄い喜ぶような声だった。
テレビに出るような有名人、それもトップアイドルや世界を敵にするアスリートが現れたような。
どうやら隣の教職員がひしめく作業室でもちょっとしたざわめきが伝わっているようで、皆が皆、ガラス越しに芝生の真ん中に立つ人を凝視していた。
誰が来ているのだろうかと思った二人は、彼らと同じ方向を向いてみた。
そして、それが誰なのか判断しようと、ゆっくりと目を凝らした。
そう、その瞬間の話だ。
楓の心臓が、大きく波打ち、その大きな心拍音が楓自身の耳にまで聞こえるほどに響いた。
脳裏は怒りで沸々と滾っているのに、背筋には冷たすぎる一筋の悪寒がスッと走りぬけた。
「あの人……確か、十年ぐらい前に活躍したマラソン選手じゃないの? 確か名字、楓と一緒だったよね?」
竹永も、他の人達と同様にかなり盛り上がっているようだが、今の楓にはそんな声は届いていなかった。
何で、ここにいるんだと、冷え切った言葉が楓の視界にちらつきそうになるほどに、何度も何度も頭の中で反芻していた。
ただ、一つ分かったことがあった、あれほど疲れ切っていた身体に、怒りのためか全身にエネルギーが回ってきた。
そして、何を考えるまでも無く、反射的に病室を飛び出していた。
掛け布団代わりに上にのせられていた毛布を荒っぽくどけて、急いで立ち上がる。
竹永は何をするつもりか分からない楓を止めようとしたが、例の有名人に気を取られていたために反応が遅れた。
「ちょっと楓! どこに行くつもり?」
自分に問いかけられていることもお構いなし、一直線に、ただ、本能のままに完成を浴びる男に向かって走っていた。
職員のひしめく空間を、いたいたしい視線を浴びながら通り過ぎ、外へと出る。
かの高名なマラソンランナー以外には、誰の姿も見えないグラウンドに足を踏み出した。
竹永だけでなく、他の人が抑制しようとする声もあったと思われるが、理性の吹き飛んだ彼には聞こえていない。
割れるような歓声の中にどよめきが走った。
それはもちろん、下の方から誰とも知れない少年が自我を含む大衆の憧憬を浴びる選手に突っ込んでいるためである。
その少年に気付いた男性は、親しみ深そうな笑みを浮かべた。
まるで、ごく近い身内に見せるようなその笑顔は、少年の神経を逆なでした。
「おっ、秀也じゃねえか、こんな所で何して……」
「ふざっけんなこのクソ野郎! こんな所で何してる? こっちのセリフだオッサン!」
これには、楓の知り合いもそうでない者も一様に驚いていた。
彼を知らない者は、単純に、いきなり出てきた少年がなぜかそこにいる他人に罵詈雑言を浴びせたから。
そして、楓の知り合いは、それに加えて楓がそのような汚い言葉を使って本気で怒るところを見たことがないからだ。
「そうカッカするな。ところで巫女には会ったか?」
「ハア? あんた、何意味の分かんねえ事言ってんだよ……!」
「まあ良い。俺の旧友には会っただろ?」
「オイこら、お前は俺に対して何か言う事が、他に無いのか?」
これまでの楓の人生の中で、これ以上に怒り狂ったことはなかった。
いくら白石琥珀に虐められても、虚しさだけで怒りは湧かなかったし、氷室になじられても罪悪感しかなかった。
だが、この男を前にして、急に彼の中にある憤怒というものが爆発した。
「俺や母さんに何か言うことがあっても良いんじゃないのか?」
「まあまあ落ちつけ。ヴァルハラの使者に会ったか訊いてるんだ、二回目のは」
「……何だと?」
今までに何度も、このアダムの使者とのげえむの中で重要な立ち位置として出てきた奴の名前が突如として現れる。
怒りで揺れていた楓は、動揺を隠せなかった。
味方か敵かもはっきりしないヴァルハラの使者が、目の前の男の知り合いだとはすぐには信じられなかった。
「まさか、げえむについて知ってんのかよ?」
「ああ、そうさ。誰が裏世界の都市伝説を流したと思ってる?」
そこが、タイムリミットだった。
不意飛び出してきた警備員に引きはがされて、楓は男から遠ざけられて行った。
「俊介選手に近寄らないでください。他に真似する人が出ます」
「皆と俺じゃ立ち場が違うんだ! もう少し話させろって! おい、そっちはそっちで俺の話を聞いてんのかよ!」
怒りを誰にぶつけるのかも忘れるほどに激昂した楓は、周囲の人間全てに当たり散らす勢いだった。
そんな猛り狂った楓が、最後に男に向かって放った言葉には、純粋な怒りの中に淋しさが湛えられていた。
「家族放り出していきなり消えやがって……。このクソ親父!」
その声も、観客席から飛び交う罵声交じりの騒音にことごとくかき消されてしまった。
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次回に続く。