複雑・ファジー小説

Re: ■菌糸の教室■ ( No.61 )
日時: 2014/03/02 23:57
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: KE0ZVzN7)


 その日から、数週間が経ったある日。


 私の頭はあまり出来の良い方ではなかったけれど、それでも自分がばら撒いているチョコレートが普通のチョコレートでないことぐらいはうっすらと気付いていた。

 だけど、私にとってはそんなことどうだって良い。
 悠が喜んでくれるのならそれでいい。
 クラスメイトがどうなろうと、興味の無いことだった。
 

 私は、今の暮らしが気に入っているのだから。

 制服を着て、堂々と太陽の光を浴びることができる。もう久美はいない。だから、私が久美として堂々と生きる。影に隠れて、怯えて、こそこそと生きていたあの日々はもう、過去の出来事だ。

 家に帰れば、悠がいつも迎えてくれる。
 お疲れ、と言って抱きしめてくれる。それから私は撒いたチョコの数と、その相手の名前を告げる。そうすると、悠はもっと撫でてくれる。抱きしめてくれる。

 お夕飯の時になると、その時だけは、例のパソコンでぎっしりの部屋から綾風さんがフラフラと出てくる。仕事が上手く行ったらしい日は綾風さんはとてもお喋りになる。今日はその日らしくて、数日ぶりに綾風さんはべらべらと喋っていた。



 「いやぁ、今回のは冷や汗が出たよ。あっちももう手を引きたいって騒ぎ出してさ」
 綾風さんがカップ麺をすすりながらもごもごと言う。

 「あたー、やっぱ派手にやり過ぎたかな」
 悠が豪快に笑う。そしてちょっとカップ麺をすすると、あっちぃ!ちくしょー! とか叫んだ。

 「派手にやったって、この前のきのこ事件のこと?」
 「そうそう。あの後どう?ヤバイ感じになってる?」


 「……うん」
 やっぱり、あのきのこ事件は悠の仕業だったんだ。
 「チョコ欲しい、って向こうからしきりに私に言ってくるようになったの。それに休み時間になるとみんな疲れたように寝ちゃうし。それにね、何人かの男の子なんかすごく怒りっぽくなったの。今日も話しかけただけで私怒られちゃって……」


 「何て奴?」
 悠が不機嫌そうに片眉を吊り上げて言った。

 「えっと……牧岡くん、って人……」



 「へぇ、マキオカ君ね。おっけ」
 悠はそう短く言うと、カップ麺を三口で平らげて、じゃあ仕事行ってくるわーと言って部屋を出て行ってしまった。
 それから少し遅れて、玄関のドアが乱暴に閉められる音がした。


 そんな様子を見て、綾風さんがせせら笑う。
 「あーあ、マキオカ君ももう終わりだなぁ。俺もそろそろ悠と縁切らなきゃな。潮時かな」

 「どういうことですか?」

 すると綾風さんはニィーっと唇を歪めて、人差し指をその前でピンと張った。


 「ふうかちゃん、これだけはよぉーく覚えておきな。」

 こくん、と私は無言で頷く。


 「こっちじゃね、あぶないと思った時は、もう遅いの。危ないって思う前に逃げないと、生きてけないよ?」





 次の日。
 朝、私が起きて、いつもどおり朝ごはんの仕度をしていても綾風さんはご飯を食べに来なかった。
 寝ているのかな、と思って部屋のドアをノックしても返事が無い。入りますよ、と言ってドアを開けると驚き、綾風さんどころか、全てのものが部屋から消え去っていた。

 床には、広告が一枚だけ忽然と落ちている。

 広告を裏返すと、その白い裏地に雑な字で、「チャオ!」と大きく書いてあった。


 「綾風、さん……?」

 仕方がないので、昼近くに帰ってくるだろう悠のご飯を用意して、その横にチャオ!の手紙を添えて、学校に行った。

 
 その日は、牧岡君は休みだった。