複雑・ファジー小説
- Re: 「 カイラク 」 ( No.17 )
- 日時: 2012/08/02 00:15
- 名前: 玖龍 ◆7iyjK8Ih4Y (ID: CMvpO4dN)
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今日は、命日だ。かわいそうな私の姉の、死んだ日。
姉が死んでから一年、特に変わったことも困ることも無く、親は食費を食う奴が一人減った、と、喜んでいる。もう誰も、姉のことなんか覚えていない。私以外には。
特に喜んでいたのは、父親だった。それもそのはず、だ。姉は私と半分しか血が繋がっていない。私の母親とその当時の不倫相手の子供だからだ。
父は、何かと姉を嫌い、叱り、暴力を振るっていた。
姉が居なくなってからは状況は寧ろ良くなったのではないか、と、思う。毎日毎日このボロアパートに響く怒鳴り声が聞こえなくなった。
ただ、親の状態は悪化した。
母親は朝も昼も夜も一日中酒を呑みまくる。酔っ払って、何もせずに寝てばかりいる。と思ったら、いきなり怒鳴られる。最近ではどこから買うのか知らないが、薬なんかをつまみに呑んでいる。一粒でふわふわ、二粒でぐらぐら。酒が不味くなるような薬だ。
父親は朝と昼はパチンコに行って相当な量の金を使ってくる。利益は無い。夜は何処に行っているのか知らないが、どうせ違法風俗店とかその辺だろう。知りたくも無い。
私は小さく溜息を吐いて、姉の机の方を見るのを止めた。姉が居なくなってからは生きる気が失せ、自殺を夢見て眠る毎日が続いている。手首の茶色い傷の上にまた赤い傷を作るような、そんな毎日。
手元の文庫本に目を落とした。
本は夢中になって読んでいる時は面白いが、飽きるとただの文字の羅列でしかなくて、何処が面白いのかはさっぱり分からない。文字を目で追うも、視線は文字の上を滑るだけで内容はちっとも頭の中に入ってきやしない。
文庫本にしおりを挟み、姉の机の向こうにある、汚れ、曇った窓ガラスの向こうに見える青い空を見つめる。私の目が映し出す景色の中で綺麗なモンなんて、これ以外には何も無い。
過ぎ去ってしまったどうしようもない過去に、姉のいた毎日に浸っていても何もならない。
今日は、何をしようか。家に居ても何もやることなんて無い。久しぶりに外にでも出て、その辺をぺたぺた歩こうか。
回転する椅子を降りて、文庫本を自分の机の上に置いた。
私が幼稚園くらいの年齢のころ、姉と二人で机に書いたうさぎの落書きがどうしても目に入ってしまう。小学生だった姉の絵は、うさぎと分かる可愛らしい絵だが、私の絵は形すらはっきりとしていない。あの頃はまだ、生きたかったな、と思いながら木のドアを開け、居間に出る。
ドアを開けるたびに思うのだけど、狭い。暮らせるのに最低限の広さと言った所だろうか。
居間では母が、またいつものようにローテーブルに突っ伏して何かをぶつぶつと呟いていた。
ローテーブルの上に立った缶のビールが一本、倒れたり床に落ちたりしている缶ビールが四本、系五本。今日は少ない方だ。そして、立った缶の横に倒れたビン、その中からこぼれている錠剤、複数。あとは注射器と銀の容器に入った液体。完璧だな、と思った。完璧に溺れてるから今は触らない方がいいだろう。
とりあえず居ないものとして無視、が基本だから、私はそのまま玄関の方へ向かった。途中、ガコンと大きな音がしたから驚いて後ろを振り返ったら、注射器がフローリングに落ちただけだった。床に叩き付けたのかもしれない。
靴が散乱した玄関から自分の靴を掘り出し、ドアを開いて靴を放り投げる。片方は倒れ、片方は立った。鉄製のドアがきしみながら音を立てて閉まった。倒れた靴を起こして、靴の中に足を裸足のままつっこむ。
胴体を起こして視線を上げると、雲がかかった黄色の太陽が私を睨んだ。目線を逸らして埃くさいアパートの廊下を階段のほうへ歩き出す。黄色の太陽が、青くなって私の視線の中に入り込んで邪魔をする。
かん、かん、かん、かん。
さび付いた鉄の階段を駆け下りる音と、左側にある踏み切りの音が重なった。踏み切りのほうを向いて立ち止まった。
——いいことを思いついた。
やっと咲いた紅い彼岸花が線路の脇に沢山、咲き乱れている。私が幼いころ母がプレイしていたホラーゲームの影響で、彼岸花は不吉なイメージが固まってしまっているが、だから好きだ。
電車が走る音が遠く、右のほうから聞こえてくる。
かん、かん、かん、かん。
踏み切りの矢印は左を指し、黄色と黒の棒はきちんと降りていた。
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。
彼岸花の隙間から見えた電車の頭。黄色と黒の棒を持ち上げる人影。
一人の小さな人間が、棒をくぐって線路の上に躍り出た。
ガタ、キイイイイイイイ、ゴッ。
飛び散る血飛沫、紅く染まる電車の頭、線路の上を転がる体を轢いていく小さなタイヤ。彼岸花がその紅を汚い、汚いと哂った。
あーあ、即死でだろうな。かわいそうに。
キャアアアアアアアア。
私は後ろから聞こえる悲鳴を背に、歩き出した。