複雑・ファジー小説

Re:  「 カイラク 」 ( No.82 )
日時: 2012/03/11 22:05
名前: 玖龍 ◆7iyjK8Ih4Y (ID: 5Ru2iDax)

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 目を開くと瞼はちゃんと持ち上がり、目だって霞んでいるけどまだ見える。死んでなかった。死ぬように眠っただけではどうやら人間は死なないらしい。当たり前だろうか。私の場合異常で、当たり前じゃなくて、いつ死んでもおかしくない状況に居るから死んでもよかった。寧ろ死にたい。いや、もう死んでいるのかもしれない。
 そんなことはどうでもよくて、今日は大事なあの子の命日。の、予定なのだ。いつの間に決まったのかわからないけれど気が付いたらそういうことになっていたから。
 とりあえず首を起こす。ああ、頭蓋骨って重いんだな。いや、その中の腐った脳が重いのだろうか。それとも眼球か。あまりの重量に視界が歪んで首の骨が折れ、頭がごろんと落ちる。そんなことはない。当てにならなくなった感覚を無視し続けていると本当に首の骨が折れたのではないかと心配になる。それだけ、簡単。
 次に、思い切って立ち上がってみた。こんなことをしていたら日が暮れる。眩暈も無視して壁に手を付き、ふらふらとしながら玄関へ向かう。裸足で歩いた床がふにゃふにゃだ。霞んだ眼に黒い影が映りこみ、私を取り囲む。影は、悪いことをした私を殺しに来るのだ。
 やっと、玄関に辿り着く。そのまま扉に手を付き、ほとんど全体重をかけて扉を開ける。骨と蝶番がきしむ音が聞こえる。

 光だ。太陽の、光だ。
 目が眩む。今日は何年かぶりの空全体が輝いているような晴れの曇りの日だ。私が大好きだった空が一番よく光る、綺麗な日だ。私はくらりふらりとしながらマンションの廊下に出てそのまままっすぐ前に進み、コンクリートに手を付いた。高いマンションの廊下からは空がよく見える。
 空は何も知らない。私がこれから犯す罪も、すでに犯した罪も、何も知らない。何も知らないから、綺麗だ。手すりに上半身を乗っける。こうした方がよく見えると思ったが、腐った目に映る空は特に何も変わらなかった。ああ、空がよく見えるいい方法を思いついた。視界に空だけが映るいい方法を。
 そのまま、上半身を前に。足が浮いたら、もっと前に。薄汚れたコンクリートの灰色が上へ流れると、其処には空があった。風も風景も、上へ流れる。
 ああ、綺麗な空が、よく見えた。
 視界は黒へ落ちる。肉がつぶれる音と生暖かい液体が飛び散る音が混じり合った耳の中は耳鳴りが踊り、死ぬ。記憶は千切れ、潰れ、消滅する。体はもう動かない。

 私は、あの子を殺すことも出来ずに、自分を殺した。
 彼女は強い。私じゃ、勝てない。