複雑・ファジー小説

Re:  「 カイラク 」  【もうちょいでおしまい】 ( No.96 )
日時: 2012/07/15 20:48
名前: 玖龍 ◆7iyjK8Ih4Y (ID: CMvpO4dN)


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 じー。

 …………。

 数分間彼女とにらめっこをしたが特に進展は無かったので、私は落ちた筈のパンを食おうと、その辺を見回した。彼女が立っているのと逆の、右の方向においしそうな色をしたパンが見える。
 半ば彼女から逃げるように、しゃがんだ状態からそのままアヒル歩きでパンの方へ移動する。途中で少し後ろを向いて彼女が背後から襲ってこないか確認したが、彼女は一向に動く気配がなく、下を向いて手を握り締めて震えている。何かに怯えているようにも、怒っているようにも、泣いているようにも見えた。
 パンが待っているので彼女が襲ってこないことを確認すると、ささっとパンが手に届く位置まで移動し、胡坐をかいてパンを手に取った。なんだかちゃんとした食べ物を見たのは相当久しぶりな気がする。
 表面には蟻がたかり、ところどころ少し黴が生えているような気もした。パンを半分に割ってみる。中身はカスタードクリームのようだった。
 右手のほうのパンを少しかじる。その辺のクリームパンの味だったが。普通に美味い。久しぶりの、味のある食べ物だ。私はそのまま右手にあるパンを全部、がつがつと食べた。
 食べ損ねたありんこが骨と皮だけの手に着地し、親指を噛んだ。
 折角だから蟻も頂こうと、指ごと口に入れて、蟻を歯の裏にひっかけて、親指を引っこ抜く。さっきのパンと比べるとひどい味だ。口直しに左手のパンをかじる。


「ね」

 小さな声だった。優しく、語りかけるような、そんな。
 私はクリームパンをむさぼるのを中断して後方を振り返った。警戒せずに、自然と。
 彼女は相変わらず下を向いたままだが、震えるのはやめたようだ。

「皆、死んじゃったね?」

 私の目の中にまっすぐ視線が入ってくる。泣き出しそうな脆い視線。それにつられて私の視界も、曇り始める。皆? 皆って誰? 私の何?
 この世界に来てからさっきまで、どこかに行っていた破片が頭の中に戻ってきた。思い出したくないような汚い……ああ、皆って、私の、家族のこと。
 彼女の視線が急に私の目から外れた。その場にしゃがみ込んでまた、震えだした。
 今度はほんとに泣いてるみたいに。

「ああ、私のせいだ、私が首を吊るから、君は、あなたは」

 彼女がこっちを向いて泣くから、流す涙がよく見える。大粒の涙はゆっくりと落ちるにつれ、段々と形を変えてカッターに。涙はどんどんあふれ、あの粒は果物ナイフ、この粒はハサミ、といった具合に刃物をどんどん生産していった。
 カチン、カラン。

「頼りにならないのは分かってたのに、なんで私だけ、私だけ逃げて、逃げて逃げて逃げてしまったのか」

 彼女はボロボロと零れ落ちる刃物の中から、ハサミを拾い上げた。赤いハサミ。ハサミは彼女の手の中でどんどん大きくなった。
 ちょうど、彼女の首を挟み込めるくらいに。

 彼女は刃を自分の首にあて、目を閉じた。最後にこぼれたなみだが地面に落ち、其処から赤い色が染みこんで広がる。
 死のうもう死んでしまおうああもう駄目だ何もかも終わりだ君もあなたも全部全部消えて消えて何もかも終わ





「お姉ちゃん!」

 忘れていた音が、やっと。