複雑・ファジー小説

Re: 赤が世界を染める、その時は。参照200で目玉抉れた ( No.49 )
日時: 2012/05/11 19:32
名前: 揶揄菟唖 ◆bTJCy2BVLc (ID: 1HHiytFf)

25・赤が走っているとき。4


空気がぴりぴりとしていた。
皮膚にまとわりついて、小さな針を肌に差し込まれているような感覚だった。
無論、空気がそんな風に成るわけないけれど、言葉で表現するならそれが的確だった。
ただ、その小さな針で伴う痛みは大した事はない。
だから私はここに居た。
2人を見届けておきたかった。
私がここに居る理由は全くない。
義理だってない。
さっきウサギの様に逃げていった少女を、私は追うべきなのだろうか。
少なくとも私はそうしたくなかった。
1人は私の部下でもう1人は大切なお客様。
その2人が今、確かにぶつかろうとしているのだ。
私はどう動けばいい? どちらを庇えば?
一番いいのは2人を同時に守ること。
だがそれは叶わない。
私の力では到底無理だ。
私はここで立ちすくむしか方法はない。
2人の殺気が交差するところに飛び込んでいく勇気もない。
哀れな物だ、私は。

大体コイツは少しおかしかった。
何故こんな怪しい奴をこの会社は雇ったのか、分からない。
明らかに信用できない。
奴はまだこの会社に馴染むことすらできていない。
仕事の内容しか口に出さない。
そんな奴だった。
人間かどうかすら怪しいコイツを、周りが受け入れるはずもなく、奴は入社当初から今まで、上司の嫌がらせやらなんやらを受け続けている。
眉1つ動かさなかった。
支給される弁当が同僚の手によって、泥だらけにされても、奴は表情1つ変えずに泥ごとその飯を貪っていた。
見ているこっちのほうが食欲の失せる光景だった。
アイツには常識がないのだろうか。
時には制服をゴミ捨て場に捨てられていたりもしたが、アイツは制服がないと知ると全裸で仕事に望もうとした。
それは流石に危ないというか、お客様からのクレームが心配なので私が止めた。
アイツはそのとき少しだけ表情を変えた。
驚いているようだった。
言葉に詰まっているようだった。
私はあくまで会社の印象を守るために、アイツに衣服を貸したのだがなんだか私も気分が良かった。

今までアイツに干渉したことはなかったが、その服のことが会ってから以来、少しアイツのことが気になるようになった。
上司に正しい仕事をしたはずなのに、いっちゃもんを付けられて上司の残業をかぶせられている時は、私も手伝ってやった。
あいつは大分作業が早かったし、2人係だったから尚更早く終わった。
アイツは最後にした唇を噛み締めて、うろたえたようにして、しばらく黙り込んで、やっと決心したように、搾り出したかのようなか細い声で私の目をみようともせずに呟いた。

ありがとう、ございます。

名前を聞くと彼はまた口の中を何やらもごもごと動かしていた。
ためらっているようだったから、無理に言わなくていいというと首を横に振った。
そいつの人間らしい姿を始めてみた。
心なしか、瞬きの回数が多い。
しばらくすると息をごくりと飲んでソイツは言った。

アスラ、アスラです。

声が震えていたし、目が泳いでいてあまりにもそいつが情けなかったから私は思わず噴出してしまった。
それをちょっと不機嫌そうに見ていたアスラの肩を何回かさすって、

アスラ。そうかアスラか。頑張れよアスラ。

って言ってやると頬を指で掻いて少し照れくさそうにしていた。
その時のコイツは、アスラは、確かに人間だったはずだ。

それなのに今のアスラはどうだ。
まるで何も移していないかのような目。
まるで人間じゃないみたいじゃないか。
違うだろ。
お前は人間だろ。
確かにあの時お前に表情はあったろ。
どこ行ったんだよ。

どうしようもできない私自身に私はあきれ果ててその場にへたり込んでしまった。

私にアスラのしたいことは、やりたいことはわからない。
絶対、一生分からない。

なんだかとてつもなく高く厚い壁がアスラとの間にあるような気がした。


 + + + +


嫌がらせとかは、苦じゃなかった。
全然平気だった。
でもある日1人の年配の、ひょろひょろしたおじさんの上司が俺を助けてくれた。

服を着ろ。無いだって? じゃあしょうがないな。私のを着なさい。みっともないだろう。それで仕事なんて。

その人の服は自分の物と一緒のはずなのに、何故だが俺の物より温かい気がした。
その日からなんだか嫌がらせがちょっと嫌になった。
泥と一緒に飯を咀嚼すると、口の中がわけが判らないことになる。
ごりごりだかじゃりじゃりだか変な食感がして、本音をいえば食えた物じゃなかった。
でも弱音を吐いたら負けだと思っていたから、我慢して食べた。
でもそんな日には必ず、俺のロッカーの中にサンドウィッチとかおにぎりとかの軽い食事が入っていた。
近くの売店で買ってきた物だろうが、俺には嬉しかった。喜んで食べた。
誰が置いてくれているのかも知っていた。
あの人だ。
だってあの人は何かあれば、ちらちら俺のほうを見ている。
それは化け物を見る目でも、さげすむ目でも、軽蔑する目でもなくて、別の種類の目だった。
俺の脳裏にマスターの顔が浮かぶ。

ダメだ。考えるな。マスターはもういない。とっくにいない。
それは知っていて、自分に何度も言い聞かせてきたけれど、あの人の目を見るたびにちりちりと俺の頭の中のマスターが声をかけてきた。
記憶の中のマスターが俺の名前を呼んだ。
やめてくれよ。
マスターが出るのは嬉しかったけれどマスターが出ればアイツも出てくる。

あぁ、許せない。許せない。許してなるものか。

俺の中にあふれ出る怒りは、憎しみは俺の臓物すべてをも支配して俺の身体の外にいつか出てくる。

その前に、アイツを。あの女を。

「あぁっ!!」

自分を奮い立たせるように吼えた。

この男は強い。

だが俺は進まねければいけない。

視界の端に映ったあの人は、未だに俺をマスターと同じ目で見つめていた。


〜つづく〜


二十五話目です。
この小説は章ごとに目的を変えようと思っているのですが、文字数制限という厄介な物があり、さらに私は改行をしすぎるので全然物語が進みません。
困りました。