複雑・ファジー小説
- Re: 坂道リズミカル ( No.10 )
- 日時: 2012/03/09 22:38
- 名前: しおぐり ◆cP1G9Wr7dw (ID: k9gW7qbg)
第三話
両側にショーウィンドウの並ぶ通りを、唐澤の後に続いてしばらく歩いた。所狭しと店の詰まっているごちゃごちゃしたこの街は、私の好きな風景などほとんどないに等しいけれど、新鮮な感じがするのは嫌いじゃない。
ジャンクフードの香りが漂ってきて、思わず歩きながらお腹を押さえる。そうしてから、昼に何も食べていないことを今思い出した。ぐるる、と音が鳴ったがそれは周りの雑踏に掻き消された。
当然唐澤にお腹が空いてますなんて言う筈もなく、それどころか会話も一回も交わさず、ただ彼の背中を追いかけて歩き続けた。
彼は、細い道に入った。私は思わず、おお、と小声で呟いた。
——綺麗。
狭い道の両側は、喫茶店や小さな雑貨屋さんが並んでいた。すぐそこの店はイタリア風のカフェなのか、イタリアの旗が看板に立てられていた。鉢に植えられた小さな木は、落ち着く自然の風景とは対照的に、見てるとなんだかそわそわした。
綺麗だし、なによりお洒落な感じがたまらなくドキドキする。こんなところ、あったんだ。
私が立ち並ぶ店に見惚れてきょろきょろしながら歩いている間も唐澤はどんどん前に進んでいた。
心中、無頓着め、と思いながら大股で歩き唐澤に追いついた。
ここ、と唐澤が立ち止まって示した場所は、やはりお洒落な店だった。焦げ茶や白を中心にした色遣いの外装は、小さめながらすごく素敵だった。こんなお洒落なお店、滅多に入ることはない。
私がひとりなら絶対入らないだろうな、というその店に唐澤は普通にドアを押して入った(当たり前だけれど)。ドアについた小さなベルが音をたてた。
そのドアから、「舜くんいらっしゃーい!」という、元気のいい大人の女性の声が聞こえた。
私は、唐澤が押したドアからコソドロのようにそっと店内に入った。
少し暗めでお洒落な店内にどきまぎしつつも、ドアを閉めて前を向く。すぐ目の前にカウンターがあって、そこに、さっき唐澤の名前を呼んだと思われる黒髪をポニーテールにした女性がニコニコ笑っていた。薄緑のエプロンをつけている。艶やかな唇を笑ませた彼女は私の姿をみとめると目を丸くし、あら、と呟いた。私は慌てて頭を下げ挨拶をする。
「こんにちは、朝原明子、です」
そのとき、カウンターから女性と同じエプロンをつけて両手に缶を持った男がひょっこり姿を現した。
「舜、きたの?」
腰を屈めて作業をしていたと思われるその人も、私を見るとあれれ、と不思議そうに顎に手をやった。
「あの、こんにちは」
一応挨拶をすると、その男の人は愛嬌のある笑顔を見せた。
テーブル席お客さんが数人、何が来たんだとこちらを振り向いたけど、大したことがないとわかると視線を外した。
唐澤に目をやろうとしたら、身長差で丁度襟の辺りしか目に入らなかったので首を上向けて彼を見る。
唐澤は一瞬だけ私と目を合わせると、カウンターのふたりを指差した。
「この女の人がここのマスター」
「幹野由梨香っていうの。よろしくねえ」
大人っぽいその人は、長い睫毛をぱちぱちさせた。
「で、こいつはさっき言ってたバンド仲間……ここでアルバイトみたいなのしてる」
男の人は、自分の黒髪を片手でかき混ぜながら笑顔で会釈をした。
私はバンド仲間、と聞いて驚いた。どこか大人びていて、雰囲気からしっかりしてる感じがして、成人していてもおかしくないように思えたから。唐澤も大人っぽいがそれは老けているという表現が正しい気がする。
「藤月要。ここで長いことお手伝いさせて貰ってる。ちなみにバンドではベース担当ね」
唐澤に小声で、同い年? と聞くと、同い年、と返ってきた。
「朝原明子です。なんか、突然ごめんなさい」
藤月君はいいよいいよ、と手をひらひらと振った。
藤月君が唐澤を見て、それで、この明子ちゃんって子はどうしたの? と聞いた。
唐澤が、気怠そうに一連の流れを説明する。藤月君は、ふうん? とまたも目を丸くした。
幹野さんはふっくらした赤い唇に指を当て、微笑んだ。
「いやいや驚いちゃってごめんねえ、舜がだれかを連れてきたってのは初めてで」
私は、そうなんですか、と答える。もっとも、唐澤は確かにだれかを連れてくることはないんだろうとは思うけれど。