複雑・ファジー小説
- Re: 坂道リズミカル ( No.14 )
- 日時: 2012/04/05 01:55
- 名前: しおぐり ◆cP1G9Wr7dw (ID: k9gW7qbg)
手をあげたお客さんがいたのか、幹野さんは元気に返事をして髪を揺らしながら、お客さんのもとへ行った。
缶をカウンターの上に置いた藤月さんは、身を乗り出して両手をついた。
「ささ、座って」
藤月さんが言うと、唐澤は藤月さんの丁度前に座った。私もその隣に座ると、藤月さんはついた両手を離し、今度は頬杖をついた。
「ところで明子ちゃん、好きなものは?」
「え?」
突然の話題に、目を丸くした。ちなみに唐澤は、興味なさげに、猫背で座ってるだけ。
——好きなもの。
「なんでもいいよ」
彼は微笑みをたたえたまま、頬杖つく手を置き換えたりなんだりした。
「風景……かな?」
迷いながら、恐る恐る口にしてみると、彼はへえ? と不思議そうな顔をした。何言ってるんだこいつ、とか哀れんでるとは違った表情だったことに、ちょっと安堵してる自分がいた。
「えっと、自然の風景。木とか、空とか」
後付けで説明すると、彼は成程ね、と頷きながら背を向けて、おもむろに何か——黒いポットのようなもの?——を取り出した。
またこちら側を向いて、カウンターの下あたりからカップを取り出した彼はまた屈託なく笑う。そんなに見られてたら緊張するよ、と肩をすくめる藤月さんに、なんと返したらいいものか、はあ、とだけ言った。 とりあえず言われた通りあまり見ないことにしよう。
怪しくない程度に店内を見回すと、本当に洒落てて素敵だった。耳をよくすませばジャズのミュージックが流されていて、店内は、本当に微かな喋り声と、カップを皿に置く音くらいだった。もうちょっと私の性格が違えばこんな店の常連になれたりしたのか、と、あまり普段考えないことを考える。
怪しくない程度にとか思っていたのにいつのまにかぼーっと店内に見惚れていると、カップを置く音がして、前を向く。
藤月君が屈託ないが悪戯っ子のようにも見える笑顔で、できたよ、と言った。
カップを覗き込んだ私は、わあ、と柄にもなく声をあげてしまった。
「これ……今?」
「うん」
カップの中には、見事なラテアートが仕上がっていた。クリスマスツリーのような、モミの木。
「風景が好きって言うのに、こんなもんしかできなくてごめんね」
「いえ……すごい。ありがとうございます」
飲むのが勿体ない。
唐澤をちらりと見ると、興味なさげに携帯をいじってるだけだった。
「舜は慣れてるからなあ」
と笑う藤月君に、唐澤は携帯をいじったまま、いっつもやってるもんな、と返した。
藤月君は笑顔のまま、別の作業を始めた。
とてもじゃないが勿体なくてカップに口をつけられなくて、じっとカップを覗きこむ。
これ、どうやってるんだろう。高校生ってこんなことできるのか。自分と同じ年と考えると、どこか別の世界の人を見ている気分になる。
店内はほどよく涼しく、温かいカップを両手でつつむと手のひらにじんわりと温かみが広がった。
唐澤と話すことなんかなく、暇なのでラテアートを壊さないようにそっとカップをくるくる回すと、ゆらゆらと水面が揺らぐ。そのとき、あ、と唐澤が呟いた。
ちらりと唐澤を見ると、あのさ、と複雑な表情を浮かべた。
「用事でこっちに来たんだよな。時間、とか……」
あ。私も唐澤のように呟く。そういえば、そんな嘘をついたような……。
ああ、いや、まあ大丈夫、と両手を広げて曖昧に返すと、そうか、と頷いてまた携帯をいじり始めた。
一緒に電車に一時間近く乗ったって滅多に交わさなかった会話は、糸を引くことなく、あっさり終わった。まあ、自分ら同士が会話に糸を引くなんてないことは分かり切っているけれど——。
その中でふと、違和感を感じた。今思えば、自分は唐澤と出会ったばかりなのに唐澤のことをわかってるような気分になる。そこになにか落ち着いたものを感じる。まあ、『少し社交的』レベルの人と喋るよりはずっと気が楽だからだろうか。前になゆが、人間ってこいつ変だなって思ってる相手には喋りやすいもんだ、やな生き物だ、と言っていた気がする。
それより、そろそろ、なんのためにここに来ているんだろう私という考えが芽生えてきた。
唐澤は本当によくわからない。でもそれは、私も同じだろうか?
こんな洒落た店、知れてよかったのかもしれないけど——。
「そろそろ冷めちゃうよ、明子ちゃん」
気付けば藤月君が、目の前でにこにこして頬杖をついていた。
「あ……」
私は焦ってカップを持って口に近づけて、少し啜りこんだ。両手のひらだけでなく、体の中までじんわりと温まっていく。ラテアートが崩れ去ってしまったのを見て、ああ写真撮っとけばよかったな、と今さら思う。