複雑・ファジー小説

Re: お子様とコモンセンス ( No.5 )
日時: 2012/02/27 22:06
名前: しおぐり ◆cP1G9Wr7dw (ID: k9gW7qbg)

第二話


 彼が私の自転車を持ってきてくれたのは、次の土曜日の昼頃のことだった。セミはせわしく鳴き叫び、今日もまた暑い。
 てきとうな部屋着を身につけ、自分の部屋のベッドに寝転がってミュージックプレイヤーをいじっていた私は、普段来客の少ないこの家のチャイムが鳴った時ぼーっとしていたために思わずはね起きた。ベッドを降りると床に散らばる本やら服やらを踏まないように爪先で進んだ。部屋を出て、玄関へ向かう。
 昔ながらの家だから平屋であるこの家だけど、部屋の数は他の家より少し多いかもしれない。
 玄関の前で、ぼさぼさになった髪を手でぱぱっと整える。
 ——誰だろう。そう思って間もなく、あの声が聞こえた。
「朝原さんですよね?」
 ああ、あの人か。自転車を持ってきてくれたんだろうか……。
 引き戸を開けると、猫背でほっそりとしたその男は僅かに頭を下げた。
 私も頭を下げて口を開いた。
「こんにちは」
「自転車、持ってきたから。玄関の前に停めといた」
 あの時は暗くてあまりよく分からなかつたけど、今見ると彼はとても端正な顔立ちをしている……と思う。特に鼻筋が通って綺麗だ。ただまあ、若干だがやつれている感じがあるので、やはり不健康そうではある。なんだかその顔立ちを台無しにしてるような気がする。
 ついじっくり観察してしまっていたら、彼がふいと視線を斜め上にやった。「あの」
「あ……すみません」
 そういってから後、敬語じゃなくてもいいという彼の言葉を思い出した。でも、喉につっかえる感じがして口にすることができない。
 つくづくこういうのは慣れてない。
 いやでも、敬語だとか以前に名前を知らないんだ。
「名前、なんていうんで……なんていうの?」
 やっとまともな質問ができた。彼は、そういえばというように瞬いた。
唐澤舜からさわしゅん
 唐澤、か。忘れないようにしておこう。
 そういえば、彼は今日はギターケースを持ってない。わざわざこっちまで来てくれたのか。彼の学校は電車を使わないとこれないところだ。そこは都会で色んなお店があって、私もほんのたまに足を向けているので知っている。
 少し壊れたというだけでそんなことをさせてしまったのがやっぱり何か申し訳なく、何かするべきな気がするのだけど、こういうことはとことん駄目。でも何かしないと、という思いがぐるぐる頭の中で渦巻くのだが、見事に何も思い浮かばない。こういうときなゆは何をするだろう? なゆもなゆであまり社交的とは言えないが、少なくとも私よりはましなはず。
「じゃあ、俺行くから」
「ちょ……待って」
 唐澤が踵を返した時に、思わず引き止めてしまった。彼は不思議そうに振り向く。
 呼び止めたはいいが全く何も思いつかない。ええと——。
「そっちまで、送っていきます」
 彼はまた目をしばたいた。
 ぴしっと声を出してしまったが、後悔を果てなくした。本当にこういうのは下手くそだ。私が彼を送っていく……とは何かおかしい気がする。彼は詫びるためにここまできたのに、それでは堂々巡りだ。
 首筋がほてっていく感じがした。 
「えっと、そっちに用事があるので」
 咄嗟にそう言ったが、言い訳がましいだろうか?
 そうすると、彼は頷いた。
「わかった。一緒に行こう」
 靴を履こうとして、自分が部屋着なことに気づいた。ふと彼を見ると制服。きっと高校区域より外へいくつときは制服が決まりなのだろう。こっちにそういった規則はなく自由服で構わないけど、自分も制服で行くことにする。
「じゃあ、着替えてくるから」
「わかった」
 何回目かの短略的な会話をして、私は部屋へ戻った。

Re: 坂道リズミカル ( No.6 )
日時: 2012/04/05 01:41
名前: しおぐり ◆cP1G9Wr7dw (ID: k9gW7qbg)

 制服に着替えて玄関を出る。
 スクールバッグには、財布と携帯、最低限必要なものを入れてきた。ショッピングモールや繁華街があるので、どうせならよっていきたい。
 私が、かかとを潰したローファーをちゃんと履いたのを見届けた唐澤は、「行こう」と言って、道路へ背を返した。


*


「久し振りに来たな……」
 私の家から徒歩二十分ほどで駅に着く。やっぱり隣の市の方に行くとなるとわくわくしてきた。都会の繁華街は好きなものの、休日は引きこもりに近い私はこういう機会がないとなかなか行かないから、きて正解だったかもしれない。確か最後に行ったのは半年前くらい。
 私の呟きはさして彼を引き留めるものではなかったようで、彼はすたすたと駅の入口へ歩いて行ってしまった。小走りでついていく。
 駅の中は、昼過ぎとあってか大して人は多くなかった。あっちの駅は時間帯関係なく多いのだろうけど——。
 私と唐澤は切符を買い、ホームで待っていると五分と経たないうちに電車がやってきた。
 電車に乗ると、ツンと電車やバス独特の匂いが鼻についた。そしてやっぱり、人が少なくガラガラだった。
「座れるね」
 彼が相変わらずやる気なさげな声(といっても元々なんだろう)でそう言った。彼が腰かけた隣に、私も腰かけると、まもなくしてドアが閉まった。
「行きはかなり多かったから……」
 都会からだと電車を利用する人が多いうえ、午前に電車に乗ったから混んでたんだろう。しかも彼を見やると、枝みたいに細い腕。その細い体で、人波に揉まれに揉まれたんだろう。
 やっぱり申し訳ないことしたかな。それに、うまく会話もできないし、つまらないのはわかっててもなかなかうまく喋ることができない。
「なんか、ごめん」
 思わず謝ると、彼はこちらへ視線は向けずに「そんなつもりじゃなくて」と意外にも芯強く言ったので、つい目を丸くした。彼なら無表情に、別に、とでも返すのかと思っていた。
 膝に乗せたスクールバッグを握りしめながら二回目の謝罪をすると、いや、と彼はぽつりと言った。
 それからすっかり沈黙が落ち、ゴトリ、ゴトリと電車の揺れる音がやけにはっきり聞こえ始めた。
 ひとつめの駅に電車が停まり、ドアが開く。私たちの目的地はここから三つめの駅だ。あと三十分ほどだろう。
 そろそろ沈黙が息苦しい。——いや、沈黙は嫌いではないのだけれど、人が隣にいるというのは息苦しいものなのだ。できれば唐澤と人五人分離れて座りたい気分だ。
 すると、向かいのシートに座っている、携帯を見ているサラリーマンが突然噴き出し、おろおろと周りを見渡し始めた。ああやっちゃったなあの人、と思いその人を見ていると目が合ってしまい、バツが悪くて俯くとそのサラリーマンがわざとらしい咳払いするのが聞こえた。
 唐澤はそんなのお構いなしでふわっとあくびをしている。
「なんでさあ」
「え?」
 突然話しかけてきた唐澤に咄嗟に返事をした。
「なんで、ついてきたの。別に、別々でもよかったのに」
「……え」
 彼の言葉を聞いた瞬間、腹の底が熱を帯びた感じがした。自分の反射的なそれは、「ついてくる」というあまりいい気のしない言葉に反応したのか、いきなり否定的な扱いをされた気分になる言葉に反応したのか。喉が急速に渇いていく感じがした。
 ただ、彼のその言い方は、怒ってるというのではなく、なんとなしに呟いてみた程度の言い方だった。
「まあ、なんていうか……ごめん」
 結局、今日何度目かの「ごめん」を私は口にした。
「いや……ただ不思議だっただけ」
 怒ってないのだろうか。つい唐澤の顔色を伺ってしまう。
 きっと無関心でやる気なさげな人に批判されるのは、普通の人に批判されるよりも特別自分が悪いような気がするからだろうか、と分析する。それにしても、あんなことを言い出すとは意外だった。さっきから意外なことばかりだけれど。
 「掴み所がない」。
 まだ彼と出会ったばかりだし、勿論掴むものなどまだなくて当然かもしれないが、彼のイメージはその一言に尽きる。
 ……そしてまた、沈黙が私たちを包んだ。