複雑・ファジー小説

Re: 六花は雪とともに【アンケ実施中・第十二章更新!!】 ( No.259 )
日時: 2011/12/31 19:00
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: geHdv8JL)

第十三章 最後の六花

 雪乃は大きな楠の前に居た。
 地面を眺めていると、向こうから、雪乃、と杏羅の声が聞こえた。
 雪乃が声がした方を見た時には、杏羅は雪乃の横に立っていた。


「待ったか?」


 杏羅の問いに、雪乃は穏やかな顔で首を横に振った。


「いいえ。じゃあ、行きましょう?」


 そう言うと、雪乃は手袋をした手を差し伸べる。すると、杏羅は恐る恐るその手を取り、壊れないように握り締めた。
 今日は二月二日。——明日は立春だ。
春を迎えれば、雪乃は溶けてしまう。今日は、その最後の思い出作りに、一日杏羅と散歩しに行くのだ。


「でも、何でいきなり? 散歩に行きましょうって……」

「え? 別に良いじゃないですか」


 杏羅の質問に、明るく雪乃は答えた。
——杏羅には、明日で雪乃が溶けてしまう事を伝えていない。杏羅だけではなく、雪乃は芙蓉や白龍、ナデシコにも教えないで居た。
 別に、心配掛けたくない、という理由で黙っているわけではない。ただ、伝えたくなかっただけだった。


「行きましょう、杏羅さん!」


 雪乃はぐい、と手を引っ張る。ああ、という杏羅の声が答えた。


                              ◆


 ワイワイ、と市は賑わっていた。
 人々の声がすると、雪乃はとても落ち着く。妖の声も落ちつくのだが、その要因は全く違う。
 妖は懐かしい声だから落ちつく。人々の声は——ここに居ていいのだと、居場所はここなのだと、そう言われているように聞こえるのだ。勿論、自分が勝手に解釈しているのだということは判っている。それでも、人々の声を聞くと、雪乃は自然に笑っていられるのだ。


「おや、雪乃ちゃんと杏羅じゃないか」

「ユウちゃん!?」


 市の中には、あの夕顔の顔もあった。


「お久しぶり!! でも何で!?」

「あー、父さんが何と蔵人になってさ。それで、この辺に住むことになったんだ」

「え、初めて聞いた。お父様凄い職についているじゃない!」


 夕顔の思わぬ裏事情に、雪乃は心底驚いた。その様子に、夕顔は笑って言った。


「だから、また一緒に居られるな! これからも」


 その言葉を聞いた途端、雪乃は一瞬思考が停止した。
——それは、何気ない一言だったのだろう。だが、今の雪乃には心を大きく揺らがせた。
 返事が遅れた雪乃に、雪乃? と、夕顔が心配しそうに声をかけた。その声にはっと我にかえり、


「……そ、……そうだね! これからも一緒に居られるね!!」


 雪乃はとびっきりの笑顔で言った。


「?……う、うん」


 夕顔は戸惑いながらも答えた。
 それから、夕顔と少し話をして別れた。


「ユウちゃん変わって無かったですね。まあ、ひと月ぐらいだからそんなに変わんないですか」

「そうだな。でも、やっぱり友人が元気だとこっちも嬉しいよ」


 杏羅の一言に、雪乃は大いに同意した。


Re: 六花は雪とともに【アンケ実施中・第十二章更新!!】 ( No.260 )
日時: 2011/12/31 19:00
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: geHdv8JL)

                           ◆


 しばらくブラブラと歩いていると、簪が雪乃の目に止まった。
 金の簪だった。小さく、白い六つの花がちりばめられてある。その花は、角度によっては白銀のようにも見えた。


「……綺麗」


 簪の美しさに、思わず呟いた雪乃。その様子を見て、杏羅が意外だな、と呟いた。


「雪乃って、そういうの興味無いかと思っていた」

「失礼な。妖とはいえ、私も女ですよ?」


 頬を膨らませて反論すると、杏羅は苦笑して、


「だったら素直に欲しいって言えばいいのに」


と、言った。
 へ? と雪乃が返すと、杏羅は店の人に、すいません、これください、と頼んだ。


「ちょ、杏羅さん!? いいですよ!!」


 思わず固まってしまった雪乃だが、即座に杏羅を止める。


「え? もしかして嫌だった?」

「いや、とても嬉しいんですけど!! 杏羅さんにこんな高い物買わせちゃあ……」

「大丈夫。持ち前ちゃんとあるから」


 笑顔で言う杏羅に、雪乃はついに負け、おねがいします、とかき消されそうな声で言った。
 大金と交換し、簪は杏羅の手に渡った。
 ありがとうございます、と杏羅の手から簪を取ろうとすると、杏羅がこう言った。


「俺に、簪差させてくれないか? 勿論、雪乃には触れないようにするからさ」


 その言葉に、初めは戸惑った雪乃だが、はい、と力強く答えた。
 そろり、と杏羅の手が雪乃の頭に触れないようにかざした。ス、と簪は素直に雪乃の髪に通る。
 触れられていないのに、雪乃には杏羅の体温が伝わった。


「有難うございます、杏羅さん」

「……触れられたらいいのにな」


 杏羅の一言に、雪乃は、え? と聞き返した。


「触れられたら、もっと良かったのにって。……欲張りなのは判っているけど、でも、そう思わずにはいられないんだ」


 そう言って、杏羅は寂しそうな笑顔を浮かべた。
 その言葉を聞いて、雪乃は俯くしかなかった。


(……本当に、そうだといいのに)


 思わずそう想ってしまった。


(貴方に、触れたいんです。暖かい物に、そっと寄り添ってみたいんです。自分の体が溶けてしまうとしても)


 貴方に頭を撫でて欲しい。私を抱きしめて欲しい。
 無理だと判っても、そう想わずにはいられない。
 手を伸ばせば届くのに、怖くて触れられない。これ以上傍にいられないと思うと、雪乃は胸が張り裂けそうだった。
 雪乃は想いをとどめるかのように、そっと簪に触れた。


Re: 六花は雪とともに【アンケ実施中・第十二章更新!!】 ( No.261 )
日時: 2011/12/31 19:01
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: geHdv8JL)

                             ◆


 簪を買った後、雪乃たちは市を出て河原へ向かった。
 そこには、まあ当然のように川男が居る訳で。


「おお、雪乃嬢に杏羅さんじゃあありませんかァ!!」


 夕陽に照らされて、川男の青い肌が、紅くなっていた。昼間は川男の姿は徒人には視えないが、黄昏時になると、川男の姿は徒人にも視えるようになる。つまり、杏羅の目にも見えるのだ。


「久しぶりね、川男」

「そりゃあ久しぶりですさあ!! 雪乃嬢、帝に捕まったり死刑になりそうだったりで、バタバタしてやしたもの!!」

「あはは……それは本当にごめんなさい」


 頬を膨らませる川男に、雪乃は苦笑しながら言った。
 人一倍、いや妖一倍心配性な川男だから、きっと大混乱したのだろうなあ、と雪乃には容易に想像出来る。


「それで? 今日は何をしに?」

「ちょっとね。桔梗さんたちの墓参りに」


 雪乃がそう言うと、杏羅が目を瞬かせた。


「姉さんの……? 何で?」

「川男に頼んで作って貰ったんです。桔梗さんが、寂しがらないように」


 背丈ほどある葦に隠れたように、大きな石があった。その石には、はっきりと『桔梗』と刻まれていた。


「ここに作ったのは、秋になると一面にバアアアア!! って、桔梗の花が咲くんですよ。日当たりもいいから暖かいし」


 満足そうに言う川男に、杏羅は微笑んで言った。


「……有難うございます。きっと、姉も喜んでいますよ」

「いやいや。おいらがしたかっただけだから、気にしないでください!」


 笑いながら、バン、と杏羅の背中を叩いた。


「そして、山の方には猫又さん、ちづさんの墓も作っておきました。今度で良いので、参ってください。今日はもう遅いので」


 川男の言葉に、了解、と雪乃は言った。

 今度、と川男はいったが、今度、と言う言葉は雪乃にはもうない。


(私には、今まで積み上げてきた過去と、残りわずかな今しかないのだから)


 そう想うと、とても寂しくて、悲しかった。


                               ◆


 川男と別れた時にはもう暗くなっていた為、杏羅は村に向かおうとする。だが、思わず雪乃はそれを止めた。
 どうしたんだ? という杏羅の言葉に、


「……もう少しだけ、付き合ってくれませんか?」


 雪乃がためらいがちに言った。
 杏羅は最初目を開いたが、すぐに穏やかな笑みを浮かび、いいよ、と答えた。


 雪乃が杏羅を連れて辿り着いたのは、猫又とちづさんの墓、そして紫苑の墓の前だった。
 雪乃は杏羅の手を放し、三つの墓の前でかがみ、手を合わせた。


「……君の弟の分の墓もあったんだね」


 杏羅が言うと、雪乃はコクンと頷いた。


「……やっと解放されたのに、ずっとあそこに居るのは可哀そうだったから」


 雪乃はそう言って、杏羅の方へ振り向く。


「あの子は……決して私たちの為に死んだんじゃない。この世に疲れて自決したんだ。
 私は沢山良い人に恵まれて、辛いこともあったけど、楽しい事嬉しい事沢山経験できたんだ。でも、紫苑は辛いことばっかりだったんだね」

「……」


 雪乃の言葉を、ただ杏羅は聞く。何も言わず、痛々しい言葉を全て受け止める。
 雪乃は、今度は紫苑の墓に向けて言った。


「それほど辛かったんだから、逃げたかったんだよね? 逃げ出したいほど辛かったんだよね? 間接的とはいえ、私にも罪はある。君は死んでしまったから、私は一生許されることはない。……けれど、最後は自分の道を選べたのだから、幸せだったんだって、想っていいよね? 最後は笑って逝ったって、想っていいよね?」


 そう言った雪乃の頬に、透き通った雫が伝い落ちた。それは、ポツリ、ポツリ、と雨のように降り落ちる。

Re: 六花は雪とともに【アンケ実施中・第十二章更新!!】 ( No.262 )
日時: 2011/12/31 19:02
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: geHdv8JL)


「……杏羅さん、私、怖いよ」

「……何が?」


 雪乃の言葉に、杏羅が不思議そうに聞いた。


(——言わないって、決めたのに。自分が明日、溶けてしまうって)


 それでも、言わずにはいられない。


「私ッ……!! 理由はよく解らないけど、明日溶けてしまうのッ……!! そうしたら、もう皆と会えなくなってしまうッ……!!」


 その言葉に、杏羅の目がはっきりと、大きく開かれた。
 あふれる涙と言葉を堪えずに、雪乃は続けた。


「会えなくなるって……いやだよッ……!! こんな幸せな日常を手放すことなんて、出来ないよッ……!! 怖いよ、悲しいよ、辛いよッ……!! 皆と、別れたくないッ……!!」


 始まりがあれば、終わりがある。出会いがあれば、別れもちゃんと付いてくる。
 永遠なものなんて無い。そんなこと、今までの経験で判っていた。
 儚いからこそ、人は想い続ける。それが、とても美しいことだと言う事も判っていた。
 それでも。辛い。手放したくない。終わりたくない。
 沢山の想いが、涙と一緒にあふれ出した。


 幾つ時が流れただろうか。サアアアアアアアアア……と、風が流れる。少し冷たいが、それでも春の風だと言う事が判った。
 もうすぐ、冬が終わりをつげ、やっと久しい春が来る。これは雪乃も、杏羅も、皆が望んでいたことだろう。
 けれどそれは、雪乃の生の終焉を告げるものでもあって。


「……大丈夫だ!!」


 杏羅が、明るい声で言った。その声に、泣き崩れた顔で振り向く雪乃。


「雪乃が消えたって、雪乃は俺の想い出に残る!! 雪乃を忘れたりしないし、忘れたくない!
それにな、もしも雪乃が消えても、俺がこの世を去る時が来ても、また逢える!! 生まれ変わって、また逢えるよ!!」


 その言葉に、雪乃は目を瞬かせた。
 杏羅は少年のような笑みを浮かべて言い続ける。


「な、今度逢えたらもっと楽しいことをしよう。いっぱい笑って、いっぱい話して、いっぱい食べて、ずっと傍に居よう。
 それまでの辛抱だ!! それまで、俺は忘れないで居るから!!」

「……本当に? 本当に逢える?」


 ヒック、としゃっくりをあげながら、雪乃は聞いた。


「ああ!! 俺が保証する!!」


 杏羅は目を細めて言うと、雪乃は楽しそうに笑って言った。


「……そっか。そうだよね! また、皆と逢えるよね!! 私何勘違いしてたんだろー! 自分が可笑しく感じるよ!!」


 そう笑うと、また沈黙が流れる。だが、その空間はとても居心地が良かった。

Re: 六花は雪とともに【アンケ実施中・第十二章更新!!】 ( No.263 )
日時: 2011/12/31 19:03
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: geHdv8JL)



「……ねえ、杏羅さん。私の願い、聞いてくれない?」

「……俺も、同じように考えていた」


 雪乃が、穏やかに笑って言うと、杏羅も同意した。


 ——その言葉を聞いて、雪乃は一直線に杏羅の胸に飛び込んだ。
 その途端、杏羅は壊れないように、しっかりと雪乃の体を抱きしめる。
 雪乃の体温は冷たくて——でも、春のような柔らかい暖かさがあった。

 その途端、雪乃の体が淡く光り始める。


「——ねえ、杏羅さん。私、おかしいよね」

「何が?」

「雪女なのに……暖かい物が好きだなんて」


 消え逝く体で、雪乃は精一杯杏羅に伝える。


「——それでも、ね? 私、皆に逢えてよかった。こんなにも、宝物に恵まれたのだから。最後の最後で、杏羅さんに触れることが出来たもの……」

「雪乃……俺も、おんなじように思ってた」


 杏羅がそう伝えると、雪乃は笑った。——心の底から、自然と。


「ありがとう、杏羅さん。また、——」


 最後の言葉は、声になっていなかった。けれど、杏羅には確かに伝わった。
 雪乃は、空気に混じるように消える。杏羅は暫く空を抱きしめるように居たが、やがて跪き、地面に手を置いて泣いた。

 その途端、六花がちらほらと落ちて来た。——最後の、六花だ。まるで、雪乃が降らしているかのように、六花は落ちて行った。







 地獄のような苦しみを誰もが抱いた中、優しい花がこの村に来てくれた。

 その花は雪のように儚くも、春のような暖かさを持っていた。

 けれど、私たちはその花に何もしてやれなかった。その花は雪のように淡く消え去ってしまった。

 でもきっと、私たちは忘れないだろう。

 この村に、鮮やかな六花が咲いたことを。

それまでは、ずっと私たちの心の中で咲き続ける————————————・・・。