複雑・ファジー小説

Re: Baroque《歪》 ( No.10 )
日時: 2011/12/25 15:52
名前: 耀李 (ID: K.HEaMnc)

 イルスが目を覚ますと、そこには宿屋の天井があった。
 昼間、リディオンに自分の過去について言われたからだろうか、彼にとってトラウマとでも言うべき出来事が、夢に現れたのだ。
 あの時、自分はまだ十歳だった。父親の復讐という事だけが頭の中を廻っており、無我夢中で兵士に剣を突き刺した。
 初めて人間を殺した時、何ともいえない感覚が手に残った。おびただしい量の血が流れた時は、恐怖も感じたと思う。だが、それから人を殺していくうちに、恐怖は頭の中から消えていた。
 イルスは上半身をベッドから起こし、自らの右手を見る。この手は、復讐のためだけに汚れてきた。これからもこの手は人の血で汚れ続けるのだろう。
 そう思っていた時だった。

「ん……?」

 耳に聞こえたのは、鈍い金属音のようだった。今は深夜の零時を回ったところ、さすがに外は誰もいないはずだ。
 不審に思い、イルスは見渡しの良い方の窓から、外の様子を見た。
 遠目からではよくわからないが、カルドレアの兵士の男性が、剣を振るっている。その先には、黄緑色の髪の少年がいた。彼も剣を握っており、どうやら兵士と争っているようだ。
 カルドレア兵も堕ちたものだ。そう思いながら、イルスはため息をついた。一般人にむやみに剣を振るうなど、兵士として最悪な部類に入るだろう。
 苦戦しているらしい少年を見過ごすわけにもいかない。イルスは普段着用しているロングコートを羽織り、壁に立てかけてある剣を取ると、部屋を出た。
 他の部屋に泊まっている人を起こすわけにもいかないので、静かに階段を駆け下りる。宿を出て右に行くと、先ほど見た兵士と少年が剣を振るっていた。
 イルスは鞘に収められている剣を構え、兵士の背中に向けて振り下ろした。

「がぁっ!」
「え……?」

 兵士は短い悲鳴を上げる。鞘から抜いていないので斬ってはいないが、痛みは相当のはずだ。
 黄緑の髪の少年はというと、突然の事に緑色の目を見開いている。身にまとう白いローブには所々に流血の後が残っており、短髪より若干長めの髪はボサボサだった。

「下がっていろ」

 イルスは少年にそう言う。妙にとげとげしい声色のせいか、少年の体が震えた。
 目の前を見ると、痛みに顔を歪ませつつも、剣をこちらへと向けている兵士がいた。
 イルスは相手の状態を観察する。息は荒々しく、肩でしているようだ。重い鎧を着ているせいか、少年と剣を交えているときに体力を消耗してしまったのだろう。彼の実力ならば、兵士を殺す程度、容易いことだ。
 だが、夜中で誰もいないとはいえ、ここは街中だ。騒ぎを起こせば今後の予定に支障が出るのは確かだろう。
 街灯は電球の故障か、ついていない。さっさと相手の目を封じ、退却させるのが手っ取り早い。
 イルスは鞘に入ったままの剣を構え、鞘を抜いた。近くの地面に鞘をほっぽり、鋭い目つきで兵士を捕らえる。
 最初に動いたのは兵士だった。イルスを狙って剣を振るうが、彼はそれを剣で受け止める。金属と金属がぶつかり合ったときの、嫌な音が辺りに響いた。

「くそっ……」

 兵士は一旦剣を引き、連続で切りかかる。しかし、イルスはそれを無駄のない、綺麗な動きで避けた。その動きが兵士のプレッシャーになったのか、剣が空気を切るごとに、剣筋は雑になってきている。こうなれば相手の攻撃を読むことは容易く、わずかな隙の間に攻撃の流れを変えることも可能だ。
 剣が空気を切る音が続く中、突如、金属音が響いた。

「な……」

 突然剣を受け止められ、腕の力が緩むが、それが隙だった。
 刹那、兵士の剣は横へと弾かれ、両目に鋭い痛みが走った。

「が、あ、あああぁぁあぁああ!」
「……大した事のない相手だったな」

 その場にうずくまり痛みに絶叫する兵士に、イルスは冷たく言い放つ。
 これ以上戦っても意味はないだろう。鞘を拾いながらそう悟り、剣を鞘に納めた。

「おい、逃げ——」

 後ろに振り向きながら、そこにいるはずの少年に声をかけるが、彼の姿はなかった。
 代わりに、右手に握られている感覚を感じ、視線を右側へと落としていく。
 自分の腰程度しかない小さな体が、そこにはあった。

「来て!」

 少年が自分の右手を握っているとイルスが気づいたときには、彼は右手を握ったまま駆け出していた。