複雑・ファジー小説
- Re: Baroque《歪》 ( No.5 )
- 日時: 2011/12/16 20:40
- 名前: 耀李 (ID: K.HEaMnc)
「もしも本当にキミがカルドレアに復習する気なら、カルドレアが発端の思想にも従わないはずだろう?」
彼女が言う思想とは、ヒューマン至上主義の事だろう。
ヒューマン至上主義とは、ヒューマン以外の人を差別する、ヒューマン以外の人は下賎で穢れている。そういった思想である。
他種族を島国へと追いやって以降、カルドレアが唱えた思想だ。
「誰がどんな種族であろうと、俺には関係ない。俺にとって憎むべき相手はカルドレアだけだ」
「ふんふん、じゃ、私を国に突き出すような事はしないわけだね?」
「そうしたら、俺の身分がばれるだろう」
イルスはカルドレアの王宮で二人も人を殺している。その上、ラグス=オルフェルの血縁者だと発覚したら、厄介事じゃ済まない事になるだろう。
獣人とわかっていて逃がした事が発覚しても、厄介事じゃ済まされないと思うが。
「ま、こっちも情報屋やってるわけだし、お金があるなら喜んで協力するよ」
「商売の宣伝をしに来たのか協力しに来たのかどっちかにしろ」
「冷たいなぁ、イルスは」
リディオンはケラケラと笑いながら言うが、イルスはある事に気づく。
自分は、この女に名を教えただろうか。
だが、その疑問は即座に解決される。これだけ自分の事を知り尽くしているのだ、名前ぐらい知っていてもおかしくはない。
「んじゃ、今度会ったらよろしくという事で」
バンダナで獣の耳を隠し、リディオンはイルスに背を向け、扉に手をかける。
彼女の上着の下から、獣人特有の茶色い尻尾が見えた。
* * *
父が死んでから五年が経った、ある日の夜だった。
その年は例年よりも春の訪れが遅く、三月の下旬になったというのに、身を撫でる風は冷たい。
母と妹は寝静まり、まだ幼さの残る顔立ちのその少年は、こっそりベッドから這い出す。
完全に春になってしまえば、家の近くにある泉の氷も解けてしまう。そうなると、泉の氷に月が映るあの幻想的な風景も来年までお預けだ。
一応、少年は彼にとっての宝を手に取り、腰に下げる。母や妹には内緒で家の裏口から外へと飛び出した。
庭へと周り、泉への道に沿って進もうとしたその時だった。
「……だろ? あの……」
「……しょうは……だが……」
前方から、二人の男が歩いてきたのだ。
こんな所で十歳の子供がうろついていれることがみつかれば、色々と面倒な事になる。そう思い、少年は家の影に身を潜めた。
どうやら兵士のようだ。月明かりで照らされた鎧には細かい彫りこみがしてある。
甘酸っぱい実を実らせるタリンフィスの花をモチーフにしたそれは、父が着ていた鎧にもあった、カルドレアの紋章だ。タリンフィスの花は一枚の花びらがレースのようにヒラヒラとしている特徴的な花だから間違うことはないはずだ。
この二人は、カルドレアから見回りを任された兵士らしい。
「しかし、ラグス様も気の毒だ……」
「そういえば此処は、ラグス様がお生まれになった国だったな」
この国でラグスといえば、カルドレアの英雄ラグス=オルフェルだろう。
彼が生きていた頃、ルェッチェは随分と活動が活発になったと、少年は思い返す。
だが、兵士達が次に言った会話に、少年は耳を疑うことになる。
「ラグス様は陛下に反逆を企てていたのだ。死ぬのは当然だ」
「……あの時、俺はラグス様に矢を向けるのがとても怖かった……」
英雄ラグスは、忠義心に溢れた男だった。彼の話に一番耳を傾けていた自分が一番良く知っている。
そんな彼が忠誠を誓った相手に、反逆など考えるだろうか? いや、違う違う違う。
そうだ、自分は間違っていない。むしろ、間違っているのは——目の前にいる兵士達だ。
少年は腰に下げていたものを手に取った。父が自分に残してくれた剣。主を守るためにあったこの剣が、主に誓う者を斬るというのは、皮肉な話だろう。
だが、少年には許せなかった。“父を殺した”のは、父が忠義を誓った国だという事が。
脱兎の如く家の影から飛び出すと、少年は兵士の一人に向かって剣を突き刺した。
「うがぁっ!」
「!? おい、どうした!」
自分の目線より少し上、相手の胸を貫通した剣。この分だと心臓を貫いているだろう。
剣を抜くと、兵士は操り人形の糸が切れたように、その場に倒れた。傷口から流れ出すのは、先ほどまで生きていたはずの証である、鮮やかな赤色の液体。
そしてこの兵士が、イルスが最初に命を奪った相手だった。