複雑・ファジー小説

序章——ありえないファンタジー ( No.1 )
日時: 2012/01/09 11:46
名前: 楓 (ID: Ov8Bp1xS)

里奈は夢を見ていた。
どこかで狼が吠えている。
何重にも重なり合ったおそろしい声に、里奈は背筋をふるわせた。
規則正しい獣の足音がじりじりと迫ってくる。
息を切らせて逃げる、逃げる。
どこまでも続く、一枚の絵のような草原を駆け抜ける。
淡い緑色がぼやけて、里奈のすぐ横を通り過ぎていく。
——私、こんなに早く走れたっけ?
里奈は、どちらかと言うと走るのが苦手な方だ。
体育では、走ること以外は割とクラスで上位だったりするのだが……。
しかし今里奈は、足を高く上げ、完璧なフォームで、見知らぬ場所を走っていく。
もう、どれくらい逃げただろうか。

そのとき、鈍い地響きが里奈をおそった。
あまりの揺れに、足が硬直して動かなくなる。
ふっと、地響きが消えたと思うと、次の瞬間——
背中に、毛むくじゃらの何かがのしかかった。
首筋に獣の熱い息がかかる。
その何かは、一声吠えた。
ワン、と。

一夜漬けの最中に眠りこんでいた飼い主がようやく薄目を開けたのを見るや、そのビーグル犬——飼い犬のビアンカは窓のほうへと走っていく。
里奈はぼんやり目をこすった。
あまり、気持ちが良いとは言えない目覚めだ。
それに、なぜか息が切れている。
——夢か。
呼吸を整えてから、ほっと息をつく。
しかし、またとっさに身を固くして耳をすませた。
……まだビアンカが吠え続けているのだ。
少し開いた窓の向こうの闇に向かって、ずっと。
勉強机の時計に目をやると、ちょうど午前三時をまわったところだ。


十秒経った。二十秒経った。
とうとう里奈は、音を立てないように気をつけながら、窓を開け、はだしのままベランダに出た。
真下の玄関のあたりで黒く光っている何かが目につく。
暗闇に溶けてしまいそうな黒。長方形の見た目からして、ダンボール箱だろうか。
里奈は眉をひそめて後ずさりし、窓を勢いよく閉めた。
——宅急便……?
でも、明日届くように予約してある漫画にしては早すぎる。
「だから言ったでしょ?」とでも言いたげに、小首をかしげるビアンカ。
らんらんと黒い瞳を輝かせて見つめてくるこいつは、先月飼い始めたばかりの子犬だ。
里奈の妹の麻衣が、センスの悪…いや、お世辞にもセンスが良いとは言えない名前をつけたが、本人(本犬?)は気に入ってるみたいで、呼ぶとすぐに飛んでくるようになった。
そもそも、こいつはオスなのだが。


目の前には、床に転がったシャーペンと、積み上げられた教科書の山、開いたままのノート。
里奈が明日のテストを完全にあきらめていることは、誰の目からも明らかだ。
そもそも、人には得意不得意がある。
それを目に見えるように比べるなんて、テスト……というか学校はどうかしてる、というのが里奈の考えだ。
……つまり、極度にあきらめの早いタイプなのである。
ひとつため息をつくと、勉強道具を乱暴に通学カバンにつっこみ、階段を降りていった。

序章——ありえないファンタジー ( No.2 )
日時: 2012/01/03 09:08
名前: 楓 (ID: lQwcEz.G)

月光を浴びた庭は、いつもの光景なのにどこか不気味だ。
そして、月は神秘的な満月…ではなくありふれた三日月だ。
いつも通り寝ている家族に、いつも通りぼんやり暗い庭。
ありふれた夜の風景のなかに、”ありふれて”いないものがぽつんとある。
まわりから浮き出たように、「それ」に貼られたシールが目に飛び込んでくる。
「佐藤 里奈様」
いきなり耳元で強い風が吹いて、つられたように鼓動も早くなる。
冷えて感覚がない手でドアを開けて玄関にしゃがみこむと、そっとテープをはがした。


中身は思ったよりも厳重に包装紙がまいてある。
マンガの表紙が顔を出すことを期待して、勢いよくめくった。
……ところが、そこにあったのは、また同じ白い包装紙。
まさか。嫌な考えが頭に浮かぶ。
おそらく、その考えは正解だろう。心の奥でうっすら勘づきながらも、手はせかせか包装紙をめくる。
でも、結果は同じ。はがしてもはがしても包装紙だ。
——マトリョーシカか!
だんだん里奈の表情が険しくなる。せっかく化粧水をぬりたくった額にシワがよっているのに、里奈は気づかない。
——何これ。イヤがらせ? そういえば、シールに運送会社の名前も書いてなかったし。
地道にだんだんしぼんでいく「それ」は、大きな石くらいの重さがあった。
もう一枚、乱暴に音を立てて包装紙を剥がしたとき。

手の中が、光った。
同時にどこからともなく風が吹いて、髪が逆立つ。
まぶしくて目を開けていられなかった。
南国の海のように、無邪気で真っ青な光。
そんな風に思えて、里奈は一瞬見とれてしまった。
……それが、いけなかった。
手の中の「それ」から里奈へ、里奈から玄関の全体へ、まるで鏡を反射するみたいに進んでいく。
冷静に判断する暇もなく、どんどん加速する鼓動を抑えようと必死に深呼吸して、最後の一枚を剥がす。


現れた中身はなんと、ただの灰色の小石だった。
まわりの空気が青くふちどられたみたいに輝いている。ただ、それだけ。
さっきまで頭の中をぐるぐる回っていた計算式やら何やらは、この灰色の小石と引き換えのように、きれいさっぱり消えていた。
その見たこともない光景を前に、ただ目を見開いたまま立ちつくす里奈。
そして、次の瞬間。
小石がここぞとばかりに飛び上がり——次に起こった出来事は、里奈の目の前にある観葉植物さえも気絶しそうなほどありえないことだった.
里奈の額を、正面から突き抜けたのだ。
里奈はなすすべもなく体を折り曲げ、その場に倒れこんだ。

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間章——ありえない「はず」 ( No.3 )
日時: 2012/01/03 09:09
名前: 楓 (ID: lQwcEz.G)

この「宅急便で届いた石にノックアウトされた」という紛らわしい出来事を起こした張本人は、そのころコンビニで梅おにぎりと明太子おにぎりを買っているところだった。

ずいぶん整った顔立ちの青年だ。
通った鼻筋、大きく切れ長の瞳、百九十センチは軽く超えていそうな長身。
作り物のような完璧な姿に、バイトの女性店員は思わず見入ってしまうようだ。
青年はにやけた。
もう、コンビニに行っても、店員に怪しまれたり、叫ばれたり、場合によっては通報されたり……しなくて済むのだ。
何しろ、そってもそっても生えてきたもじゃもじゃのあごひげと、しわがれた声と、しわしわの顔つきとおさらばできたのだから。
この青年、いや老人は、たった今五十歳ほど若返ったところだった。
長年の研究で成功した魔術によって。まあ、少しの副作用は別としても……。
でもそんなもの、今まで自分がしてきた身を引き裂かれるような苦労を思えば、当然のことだ。

しかし、深夜のコンビニでこれほど嬉しそうににやけている青年は、いくら男前だとしても怪しまれるものだった。
まだ浮かれて自覚がないぶんにはそっとしておこう……。
意味ありげな視線で店員を見る青年。
そろそろ青年の不自然さに気づいた女性店員は、注意深く目の前の不審者を観察した。
(だから深夜は怖いのよ!)
「……ありがとうございました」
「いやいや、それほどでも」
明るい色の前髪をかきあげながらコンビニを出る青年。
ぽかんと口を開けたまま見送る女性店員以外、彼の姿を見た者はいない。

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