複雑・ファジー小説

第一章——君も歩けば罠にかかる ( No.4 )
日時: 2012/01/03 09:10
名前: 楓 (ID: lQwcEz.G)

*〜*〜*〜*〜*〜

「あ、る、こー、あ、る、こー、わたしはぁー、げんきー♪」
朝7時。並木通りの木々に、ちょうど明るい光がさしたころのこと。
調子っぱずれな歌声が、ここ桜木町3丁目に轟いた。
この静かな空気の中では、誰もが——場合によっては顔をしかめて——その声の主を振り返ることだろう。
幼稚園生か、それでなくとも小学校低学年の可愛らしい女の子を予想して。


しかし……。
「あるくのー、だいっきらーい、くるまでゆ、こ、うー♪」
そこにいたのは、紺色のブレザーを着た女子中学生だった。
度がすぎるくらい高くポニーテールにまとめられた髪は、スキップするたびに頭の真上でぴょんぴょん跳ねている。
さて、ここからが問題だ。
まず、背負っているのは通学カバンではなく、黄色いリュック。
(おそらく夜になると光る蛍光タイプだろう)
側面に油性ペンで大きく……大きく大きく書かれた、「さとう りな」の文字。
リュックの横には、一昔前に流行った少女戦士のキャラクターがぶらさがっている。
そして、肩からかけられた二つの筒。片方は小さな水筒で、もう一つは……おしぼりだ。

第一章——君も歩けば罠にかかる ( No.5 )
日時: 2012/01/03 09:10
名前: 楓 (ID: lQwcEz.G)

今までこの少女——里奈というらしい——とすれ違ったジョギングのおばさん、通勤のお父さん、犬を散歩中の奥さんのほとんどは見なかったふりをするか、全速力で逃げ出すかだった。
わざわざ歌を邪魔して、
『君、今日遠足なの?』
なんて聞くようなツワモノは、絶対にいない、はずだった。
少なくとも、人間には。
しかし、この町に一人だけ、そのツワモノが存在する。


「ねえ、今日遠足なの?」
「さかみちー、とんねるー、くさっ……」
「ねえってばぁ」
「……」
せっかく気持ちよく歌っていたところを邪魔された里奈は、機嫌をそこねたらしく、声の主を振り返らずに答えた。
「うん」
一秒、二秒、三秒。
微妙な沈黙。
小石を蹴りながら歩き出した里奈を、あきらめずに追いかける「ツワモノ」。
「何でそんな格好で遠足に行くの?」
「おようふくきないとつかまっちゃうじゃん」
「答えになってないよ」
相手の口調にむっとした響きを感じた里奈は、しかたなく後ろを振り返った。


——そこには、里奈と同じくらいの背丈の女の子がいた。
人懐こそうな幼い表情と大きな目を見て、少し警戒心を解いた里奈。
黒いキャスケットから流れる背中で束ねた長い黒髪、黒いシャツに、黒いスボン、黒い靴。全身黒づくめの変わり者に、里奈は心の中で「カラスおねえちゃん」というあだ名をつけた。
「……カラスおねえちゃんには関係ないじゃん」
そう言って頬をふくらませた。
中学生の引き締まった頬がゆるみ、妙に可愛らしくなる。
すると、カラスおねえちゃんのほうも眉をよせてむっとした顔をした。
「失礼な! 僕は男だ」
「だって、カラスみたい…………え、おにいちゃんなの? かみのけながいのに?」
「ああ」
この少女がちゃんと中学生の女の子の思考を持っていたならば、カラスおねえちゃんの不自然さに身構えて、逃げる準備をしただろう。
少年は、異質の空気を放っていた。
静かでおだやかな朝の空気に、ひとつだけぽつんと浮き出たような、暗く冷たい別物の空気。
この場所にあってはならない、魔力の存在だ。


第一章——君も歩けば罠にかかる ( No.6 )
日時: 2012/01/03 09:11
名前: 楓 (ID: lQwcEz.G)

——あのじいさん、また何かやらかしたか……。
カラスおねえちゃん改めカラスおにいちゃんは、深いため息をついた。
目の前で、見るからに被害者と見られる少女が不思議そうに首をかしげる。
そして、はっとしたように目を見開くと、こちらに背を向け、ぱたぱた走り出した。
制服のスカートがめくれあがっても、気にするそぶりも見せない。
少女にとって良かったのは、このカラスおにいちゃんが人間ではなかったことだ。


——おそらくこの少女は、若返りの魔術の副作用に巻き込まれたに違いない……。
カラスおにいちゃんは、少女のリュックについている少女戦士のアニメをよく知っていた。
いや、別に変な趣味だとかいうわけではない。
幼馴染の気が強い女の子と、いつも強制的に拾いもののフィギュアで遊ばされていたのだ。
フィギュアの頭にのっかっているキラキラ光るティアラと、魔法を使うときの輝く宝石の杖は、幼馴染たちの目をくらます宝物だった。
……でも、それも七年ほど前の話。


「君、待ってよ」
少し前をおぼつかない足取りで走る少女は、今度は聞こえないそぶりで走り続ける。
「……今日は遠足じゃなくて、期末テストじゃないの?」
「……」
さきほど、同じ紺色のブレザーを着た女子中学生が、期末テストの話をしていたのだ。
もちろん、黄色いリュックではなく通学カバンを持っていたし、歌も歌っていなかったが。
少女の足が止まったので、カラスおにいちゃんは少しだけ期待した。
だが、その期待もすぐに打ち砕かれる。
「きまつてすとって、なあに?」
迷惑そうな顔をされてしまった。
はたから見たら、完全にストーカーか変質者だ。
その証拠に、たった今すれ違った子ども連れの主婦に頭からつま先までじろじろ見られた。
それと、長い髪も。

第一章——君も歩けば罠にかかる ( No.7 )
日時: 2012/01/03 09:11
名前: 楓 (ID: lQwcEz.G)

——普通、僕より先にこの女の子を変人扱いするべきじゃないのか!?
長い髪がこのあたりでは珍しいのは、よく知っている。
姿を変えたときに、たまたま受け継いでしまったから仕方ないのだが。
黒づくめの身なりだって、せめて男子中学生の制服とかに変われば……
いや、長い髪が一発で校則違反だから中学生になりきることは不可能だった。
——この場合、どうすれな良いんだ!

一瞬カラスおにいちゃんの右手に赤い光がともった。
里奈の体は、本能的にびくっとふるえた。
体をひきつらせて立ち止まる。
赤い光が消えても、背筋が震えるようなおそろしさは消えない。

「——おにいちゃん、いったい、だれなの……?」
先ほどとは違い、か細いその声には、はっきりと恐怖が現れていた。
「……僕はカラスだよ」
「そうじゃなくて、」
言いかけて、口をつぐんだ。
おびえた里奈はまつげ一本も動かさない。
カラスおにいちゃんは、本物のカラスに変身したのだ。

少女戦士アニメをいやというほど見ている里奈は、人が変身するときはまぶしい光につつまれて——敵が目を開けたときにはよくわからない決めポーズをとったヒーローがいるとか——
いや、それは戦隊ものの場合だ。
とにかく、このカラスの場合はそうじゃなかった。
顔のパーツが変形してあやふやになったかと思うと、もともと口があった場所にくちばしが生えた。
目は黒い光が宿った鳥の目になり、長い黒髪は羽毛に姿を変え、
体は……なんだか説明するだけでおぞましいような音を立てて鳥の骨格に変わっている。
そして、なぜかこのカラス、体長が一メートルほどあった。
ボキボキ、バサバサ……
無理もない。
こんな気色悪い変身を見せられたら、いくら少女戦士の変身を夢見ている少女でなくとも、軽く気絶するだろう。
里奈は、あごがはずれるほど口を開けたまま、ばったり倒れた。
それを、妙に大きいカラスが両手で……いや、両羽で優しく受け止める。
里奈はまだ知らなかったが、彼女が毎日すやすや寝ている柔らかいベッドは、一応「羽毛ぶとん」と「羽毛まくら」なのだ。
そのまま気持ちよさそうに寝息を立て始めた里奈を見て、巨大カラスは二度目のため息をついた。

このとき、二人のシュールな光景を見守っていた杏並木は思った。
——こいつこそ、現代の子どもたちに見せるべき戦隊アニメだ!
そのへんのチャラチャラした戦士より、よっぽど夢がある!

そう、この杏の木は、少々趣味がズレていた。


第一章——君も歩けば罠にかかる ( No.8 )
日時: 2012/01/03 09:12
名前: 楓 (ID: lQwcEz.G)

「ここはお前の帰る場所ではないと言っただろう、ジル」
廃墟のビルの『ドア』を開けた途端、黒く光る目玉が一斉にこっちを向いた。
ジルと呼ばれた少年は目を細め、ごくりと唾を飲み込んで、カラスの姿に戻った。
押し寄せてくるゴミの臭いに、顔をしかめないように注意しながら。
長い黒髪が、少しずつ漆黒の羽毛に変わる。

それを見た仲間たち——カラスの群れは、表情ひとつ変えないで様子をうかがっている。
その目には、冷たい光しか宿っていない。
ジルには全部、ただの二対のビー玉くらいにしか見えなかった。
カラスたちは、人間をとても恨んでいた。
住むところを奪い、仲間の命を奪っていったのは、確かに紛れもない人間だ。
でも、自分たちの食べ物は、元は人間が出したゴミだというのに。
なるべく揺らさないようにして抱えていた少女の体を下ろすと、ジルは二十羽ほどはいるであろうカラスの群れと正面から向き合った。

第一章——君も歩けば罠にかかる ( No.9 )
日時: 2012/01/03 09:13
名前: 楓 (ID: lQwcEz.G)

先頭で、ところどころ銀色の羽が混ざった、威厳に溢れた長が厳しい目でジルを見据えている。
しかし、ジルはひるまなかった。
少女の寝顔をちらりと見やる。
口をへの字に曲げて首からおしぼりをさげた中学生というのは、なかなか見れない光景だ。
——こんなゴミ臭いところで、よく幸せそうな寝顔ができるな……。さすが幼稚園生。
ある意味うらやましくなったジル。

少し恐怖を押し殺せたところで、切り出す。
「仕事だけは協力してくださるという話でしたが」
「我々は人間に関する仕事までは引き受けない」
「話が違います」
「うるさい!!」
右の羽で、コンクリートの床をものすごい力をこめて叩く長。
衝撃で何枚か銀色の羽が舞った。
「わしらはな、ジル。お前のような人間と繋がりのある奴とは関わらん。お前はわしらが食べるものを好まんし、習慣についてくることもできんからな。馬鹿馬鹿しい魔術だかなんだかの仕事など関係ない——もう一度言うぞ、出て行け」
そのとたん、ゴミ臭い空気が一瞬にしてしんと静まり返った。ジルがどう出るか、仲間たちも注目しているのだ。

ジルは深く深呼吸してから、感情のこもらない声で言った。つもりだった。
「……分かりました。こんな薄汚いところ、こっちからお断りだバーカ! オタンコナス! 干しイモ!」
そう言うと、くるりと背を向けて少女を抱え(このとき、少女の体に負担がかからないようにカラスの羽毛まくらのままでいたのは、ジルの優しさだ)、巣を出て行った。
背中に、カラスたちの抗議と怒りの声を絶え間なく浴びせられながら。


後ろ手に『ドア』を閉めたジルは、不思議と冷めていた。
近所の住民が「今日はゴミの日でもないのにカラスが騒がしいわねえ」などと話している声が聞こえたからではない。
確かに近所迷惑は考えるのだが……
いくら憎んでいるとはいえ、仲間たちの住処が奪われてしまうのは、なんとしても避けたかった。
使われなくなったビルの屋上を巣にしているカラスたちの存在は、まだ知られていないのだ。

——それにしても、少し暴言吐きすぎたかな……。
優れた知能をもつカラスにとって「バカ」と「オタンコナス」と「干しイモ」は三大珍味……いや、三大暴言だった。
(しかし、ジルは干しイモが大好きなので複雑だ)
——まあ、あいつらには当然の報いだ!

ところで、カラスの体では、里奈を抱えるのは翼の筋力が発達していても、そのうえ巨大化していてもかなりの大仕事だ。
それでもさっきよりはいくらか楽に抱えられるようになった。
体が慣れてきたのだろうか。
「ふー……。」
思わず力を抜いた瞬間、どさっ、という鈍い音を立てて里奈の体がコンクリートに着地した。

——ジルは、静かに目を見開いた。

第一章——君も歩けば罠にかかる ( No.10 )
日時: 2012/01/03 09:13
名前: 楓 (ID: lQwcEz.G)

目の前に、紛れもない幼稚園生が横たわっていたからだ。
身長は、見たところ一メートルと少し。
さきほどの女子中学生が着ていたものと同じ紺色のブレザーを着て、水筒とおしぼりをさげている。
高くまとめたポニーテールの髪も同じだ。
ただ、頬はさくら色で、ふっくらしている。
そしてなぜか、あのおなじみの黄色い園帽が頭にちょこんと乗っている。
あの少女をそのまま幼稚園生に縮小したような女の子。
嫌な考えが頭をよぎった。
まさか、外見まで幼稚園生に戻った……なんてことは。
いや、ない。
そんなに強烈な副作用なわけ、断じてない!

——しかし、思ったよりやっかいな仕事を引き受けちまったか……。


すると、コンクリートにたたきつけられた衝撃で、少女が薄目を開けた。
「うーん……。」
しばらく片手でとろんとした目をこするその仕草からは、脳年齢がどちらなのか判別がつかない。
腕、というか翼を組んで少女の目の前に居座り、冷静に観察しようとしたジルが干しイモ……いや、バカだった。
確かに、カラスの姿だと、冷静に物事を判断することができる。
しかし、悪い点もあった。
彼の姿は、紛れもないバケモノなのだから。
少女はゆっくりまばたきした。
……つかの間の静寂。そして、少女が思いっきり息を吸う。
ジルが身構えたときにはもう遅かった。

第一章——君も歩けば罠にかかる ( No.11 )
日時: 2012/01/03 09:13
名前: 楓 (ID: lQwcEz.G)

「バ、バケモノ! いや——————————————っ!」
頭が割れそうなキンキン声に、ただ耳をふさいで後ずさりするしかない。
しかし、柔らかい羽毛では、耳をふさぐことは至難の技だった。
「ごめんなさい! 石は返しますから、殺さな、ぎゃ————っ!」
意味不明なことを言う少女をジルが翼で制しようとすると、襲われると勘違いしたのか、また叫びだす。
——今は何をやっても無駄だな……。
今度こそ賢い判断をしたジルは、ビルの中にあった男子トイレに避難し、頭をかかえた。
——しかし、あの反応のしかたはさっきと違う。さっきまでなら、『カラスおにいちゃんどうしたの?』とか言いそうだもんな。
  どう見ても脳年齢は中学生だ。
  だとしたら、『殺さないで』なんていうセリフはサスペンスドラマの見すぎか……。
  いや、それじゃ昼ドラマニアのおばさんだ。そう、推理小説の読みすぎだ!

地味な結論に達してから、首をふる。
今考えるべきなのは、あの少女を元に戻す方法だけだ。
外では、やっと叫び声がおさまったようだ。
キンキン声の残響が耳の中で鈍く響いている。
ここでハッと息をのんだジル。
やっと、カラスおにいちゃんの姿に戻ればいいことに気づいたのであった。