複雑・ファジー小説
- Re: かの後、人は新たな噺を紡ぐ—「六花は雪とともに」外伝『第一章 ( No.19 )
- 日時: 2012/01/08 18:33
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kAifypKr)
第二章 現実逃避
芙蓉が杏羅の家を訊ねてから、数刻後。
杏羅の家の前に、一人の女性が二人子供を連れて立っていた。
歳は三十よりちょっと前。整った顔立ちで結構な美人だが、背筋が伸びており、凛としている。その両手に必死に掴まっているのは双子の男の子と女の子だった。——どちらも一歳ぐらいの子だ。よたよたと、不安定な歩き方をしている。まだあんよを覚えたばかりなのだろう。
家の前に居る気配に気づいた芙蓉は、外に出て、女性の顔を見るなり顔を輝かせた。
「ユウちゃんじゃないか!! 久しぶり」
——そう、女性は夕顔だったのだ。
十三年経った少女の顔は、とても大人びていたが、何処か少女の頃の面影も残して合って。
身長も胸も、そして雰囲気も何処か、大きく感じられた。
「お久しぶり、そしてあけましておめでとう」
相変わらずの笑顔で、これ、お土産、と芙蓉に差し出した夕顔だった。
◆
夕顔の息子と娘はやんちゃだった。広い屋敷を勝手にウロチョロしたり、杏羅や芙蓉の歩行を邪魔したり。そんな息子たちを叱る夕顔は、それでも優しく感じられた。
あー、あー、と回らない口で言いながら、母親である夕顔の隣に座っている。
「大きくなったなあ、ユウちゃんの娘と息子さんは」
杏羅がしみじみと言った。
彼は深く思ったのだろう。だが、やはり何処か無気力だということに気づく芙蓉。
夕顔は気づいてるんだか気づいていないんだか、明るい声でつづける。
「ちょっとね、この子たちが生まれてから私も色々忙しくてさ。母親ってこんなにも大変なのかッ!! って、想ったよ」
夕顔の笑いに、つい芙蓉もつられて笑った。——そして気づいた。
夕顔はいつの間にか一人称が「オレ」から「私」に変わっていたのだ。
——それは恐らく、彼女は今、「女」として生きているのだろう。芙蓉はそう解釈した。思えば、随分と雰囲気が柔らかくなったような気がする。
「……でも、意外だな」
「何が?」
杏羅の問いに夕顔がキョトンとした顔で聞いた。
「いや……ユウちゃんは昔、妖の少年が好きだったんだろ? その、親で決められた結婚とはいえ、意外だなあって……」
そう。夕顔は昔、妖に惚れていた。その想いはとても深くて一途で。——杏羅が今はいない雪乃を想い続けるように、夕顔も妖のことを想い続けていたはずだ。
だが、夕顔はこの十三年間の間、親同士で決めた相手を夫婦になり、双子の兄妹を産んだのだ。
杏羅がそう言うと、夕顔は少し困った顔になった。そして、芙蓉にこう言った。
「……芙蓉。ちょっと、席をはずしてもらってもいいかな?」
芙蓉は素直にその言葉を聞き入れ、杏羅の家を出た。
芙蓉の気配が完全に消えたことを確かめると、夕顔はまた穏やかな顔で言った。
「……確かに、昔はそう考えていた。あの人が消えたって、私はあの人を想い続ける。だから他の人と結婚なんかするかッ!!……って。でも、母に無理やり進められて、今の旦那とあって……ああ、この人に惹かれたなって、想ったんだ。
勿論、あの人との想い出はとても大事な宝物。けれど、今私は幸せなんだよ。
好きな人と結ばれて、息子や娘が生まれて……とてもとても幸せなんだよ」
そう言って、夕顔は顔を曇らせた。
「……杏羅。貴方今何悩んでいるの?」
「……」
杏羅は俯き、沈黙を通した。だが夕顔は、構わずに話す。
「雪乃が居なくなって、貴方生きる気力失くしたって聞くじゃない。
どうして? 最後の望み、叶えられたでしょう? 雪乃と貴方の望み、叶えられたでしょう?」
「……めろ」
「皆、心配してるんだよ? 芙蓉は貴方の様子を見かねて世話係を自らかったんだよ? 川男さんだって、とっても心配してた。遠くに居るナデシコも白龍さんも心配してるから手紙を送るんだよ? 今の貴方を見たら、何よりもあの世に居る雪乃が悲しむよ!?」
「やめろッ!!」
- Re: かの後、人は新たな噺を紡ぐ—「六花は雪とともに」外伝『第一章 ( No.20 )
- 日時: 2012/01/08 18:33
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kAifypKr)
夕顔の言葉を、思わず杏羅は怒鳴って遮った。
はっと我にかえり、俯いて杏羅は謝った。
「……ゴメン、大声だしちゃって」
そう言うと、夕顔はフルフルと首を横に振った。
「……だけど、心配してるのなら来て欲しいよ。ナデシコも、白龍さんも。あの二人、夫婦になってから一度も顔を出してないじゃないか。川男さんだってそうだよ。芙蓉に釣った魚を渡しているって聞くけど、夜でも良いから顔を出しに来ないじゃないか」
そう言っている杏羅は、涙を流してはいなかった。ただ、声を震わせていた。
自分でも不思議だった。——どうして涙が流れないのか。
とても辛くて、悲しくて、苦しいのに。何かがつっかえるようで、気持ち悪かった。
十三年間、そんな感じだった。何かに集中しようとしても、何かがつっかえて何も集中出来なくて。食事も食欲がなくて全く食べれない日もあった。
原因も判らなかった。何でこんな風に苦しむ必要があるのか。原因が判らなくて、杏羅は余計むしゃくしゃした。
——それでも、我慢してきたんだ。耐えて耐えて、だってそうしなくちゃ——。
「……じゃあ、ナデシコたちの元へ行けば良かったじゃない」
夕顔の言葉に、思わず杏羅は目を開いた。そして顔を上げる。
「……だって、邪魔になるじゃないか。ナデシコと白龍さんは子供が生まれてるんだぞ? そもそも、遠くに居るからそんなにしょっちゅういけるわけないじゃないか。……白龍さんは龍だから、ひとっ飛びで行けるけれど」
「だったら手紙に、『白龍さんお願いです、そっちに行くのでお向かいに来てください』って、頼めばいいのよ。
——それに、誰に言われたの? 邪魔するから行っちゃダメだって」
「そ、それは……」
杏羅は返事にどもる。それに対し、夕顔は容赦なく言った。
「貴方は芙蓉の保護の元に居る。自分と向き合うのが怖くて、逃げているだけ。ヒナのままが楽だから、甘えているだけなのよ」
——その時、杏羅は雷に打たれたような感触に陥った。
一言も言い返せなかった。
確かに自分は、自ら妹夫婦のもとへ行こうと思わなかった。妹なら来てくれる、そう期待だけを込めて。
芙蓉が世話係になってくれて、甘えていたのも確かだ。
(……それでも、自分は納得する方法を選んだんだ)
そう。あれは自分と意志と雪乃の意志。それだけは絶対にゆるぎない。
ならば何故——? 何故自分は、これほど苦しんでいるのだろうか——?
沈黙が流れる。杏羅は口を開くことすらも出来なかった。
夕顔は静かに杏羅に聞いた。
「……杏羅、いくら周りが助けたって、個人の意志がなければ立ち直ることなんて出来ないんだ。
だから聞く。杏羅は、立ち直りたい? 自分と向き合おうと思う?」
杏羅は声が出ない。泣いているわけでもないのに、声が興奮の渦に飲み込まれて中々話せないのだ。
やっとのことで、杏羅は答えた。
「……立ち直りたい、とは、想う。……でも、自分、と向き合うって、どうすればいいのか判らない……」
原因も判らない。例え原因が判ったって、過去に戻ることはできない。
夕顔は言った。
「……ねえ貴方、雪乃の遺書を読んだ?」
「……? 読んでないが」
杏羅は頭の中にはてなを浮かべる。気持ちが落ち着き、大分楽になった。
「その遺書をいっぺん読んでみなさいよ。何かが判るかの知れないじゃない」
夕顔の言葉に、杏羅は一層顔色を悪くした。
雪乃の遺書は、読みたくなかった。
読めば、辛い思いをすると想ったから。
けれど——。
(……読んでみよう。そして考えてみよう)
杏羅はそう想った。