複雑・ファジー小説

Re: かの後、人は新たな噺を紡ぐ—「六花は雪とともに」外伝『感謝会 ( No.35 )
日時: 2012/01/15 20:23
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kAifypKr)

第四章 別世界

 気がつくと、杏羅は暗闇の中に居た。


(——暗い。ふわふわして、居心地が悪い……まるで、空を浮いているような感じだ)


 暫くすると、声が聞こえた。高いが、良く通る声で、聞いたことのある声だ。

——……へい君、……杏……君。

 小さくて聞き取れないが、名前を呼んでいるようだ。
杏羅は暗闇の中を歩く。声のする方へ辿ると、暗闇の中に一条の光が見えた。


                              ◆


「杏平君!!」


 ハッキリと、声が聞こえた。それと同時に、杏羅は瞼を開けた。
意識が朦朧としている中、ぼんやりと光がさした。その中で、女の子が心配しそうに顔を覗く。
やがて、意識がハッキリした途端、杏羅は息をのんだ。

 女の子の顔立ちが——今は亡き雪乃にそっくりだったからだ。
 女の子は、杏羅が目を覚ましたことに気づくと、安心した顔で言った。


「良かった—!! 杏平君、いきなり倒れたからびっくりしたんだよ!! でも、熱もないし、大丈夫そうだね」

(杏平……?)


 周りを見渡しても、杏羅と雪乃にそっくりな女の子しかいない。ということは、女の子が『杏平』と呼んでいるのは杏羅のことだろう。
俺は杏羅だ、と言おうとした時、杏羅の脳裏に月乃の言葉が浮かび上がった。


『貴方はこれから、杏平として過ごしてもらいます』


 その言葉とともに、杏羅は今までの出来事を思い出した。
 雪乃がいない現実と立ち向かう為に、異世界へ来たことを。


(じゃあ、ここは異世界……)


 思えば、杏羅が住んでいた場所と全く違う。雪乃によく似た女の子の服装も、見たことのない服装だった(つまりは洋服)。
 天井に眩しく光る物が付けられてあり(LEDの電球)、壁は板ではなく紙のようなものだった(壁紙)。
 本当に見たことのない、今まで居た世界とは全く違う世界。

 杏羅は不安で体が震えた。——何も知らない所で、やっていけるのだろうかと。
 この世界では、きっと自分の常識は通じないだろう。自分が普通だと思っていたことが、この世界では異常なのかもしれない。

 その時、頭に月乃と花乃の声が聞こえた。耳からではなく、直接頭に響いた。


『大丈夫ですよー。一応、僕たちが『なびげーと』するのでー』

『力を抜いて、楽にしてくださいー』


 周りを見渡したが、精霊たちの姿はなかった。それでも、声を聞いただけで杏羅は少し冷静になることが出来た。
 『なびげーと』という言葉が何なのか解らないが、取りあえず頼りにはなりそうだ。
それに、力んでしまえば何事も上手くいかない。余計疲れるだけだ。杏羅は医者という仕事をしていたので、それが良く解っていた。
 肩の力を抜いて、過ごそう。

Re: かの後、人は新たな噺を紡ぐ—「六花は雪とともに」外伝『感謝会 ( No.36 )
日時: 2012/01/15 20:24
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kAifypKr)

 そう想うと、視界が明るくなった。狭かったのが広がって、隅々まで見えるようになった。
 気持ちが落ち着いたため、杏羅は頭の中で月乃に質問する。


(この女の子の名前は? 雪乃そっくりだけど)

『その子の名前は宮川美雪。名前は違っても、雪乃と同じ魂を持つモノですー』

(じゃあ、俺の名前は?)


 二つ目の質問に、今度は花乃が答える。


『貴方の名前は高田杏平です—。貴方達は大学に入学し、今お盆休みなんです—。ちなみに同棲』

(同棲の意味は判るけど……大学って?)

『平たく言えば勉強する所です—。二人とも十九歳で、薬学部という医術の勉強をしてます—』


 大ざっぱな説明だが、大体理解出来た。


「杏平君? どうしたの?」


 美雪が心配しそうに声をかけた。美雪から見れば杏羅は黙り込んでいるように見えるからだ。
 杏羅は誤魔化す為に、へら、と笑い、


「大丈夫、もう平気だから」


と答えた。その様子に、美雪はパアア、と顔を明るくし、


「良かった!! じゃあ、外出出来るね!!」


 安心したのか、じゃあ早く着替えてね、と言って家から出て行ってしまった。


                        ◆


(……何とかなったな)

『何とかなりましたねー』


 美雪が出て行った後、杏羅と精霊たちはほっとした。
 自分が何時ものこの世界の『自分』じゃないとバレたら、色々面倒な目に遭うのは目に見えている。誤魔化す時も、心臓がバクバクといっていて、平静を保つことが危うかった。


(中々この世界では苦労しそうだな……家の作りも服も全く違うし)

『ここは『科学技術』が発達してますからー。人が飛べるような乗り物もあるし、牛車より早い乗り物もあるんですよー』


 花乃のよく解らない用語に、杏羅は目が回りそうだった。
 疲れた表情で、精霊たちに言う。


(……とにかく、よろしく頼む。頼れるのは君たちしかいない)

『アイアイサー』


 のんびりとした精霊たちの声が帰って来た。


 確かに、この世界はとても疲れる。どんなに驚くことがあっても、杏羅は平静を保たなければならないから。
 それでも。杏羅は誤魔化すためとはいえ、久しぶりに笑った。
 今まで笑っても、嘘の笑みしか作れなくて。笑っていても、心は何時も『変わらない』ままだった。
 けれど、この世界は違う。全くの別世界だからこそ、驚きが変化が沢山ある。それは、杏羅にとってはとっても新鮮な気持ちだった。
 不安は消えてはいないけど、この世界を楽しもう。そんな気持ちが芽生えた。

 杏羅は取りあえず手元にあった洋服に着替える。——着方が判らなくて、前途多難していたけれど。