複雑・ファジー小説

Re: かの後、人は新たな噺を紡ぐ—「六花は雪とともに」外伝『感謝会 ( No.40 )
日時: 2012/01/20 19:28
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kGzKtlhP)

第五章 歩めなかった道

 一歩外へ歩き出すと、杏羅は唖然とした。

 鮮やかな牛車のような籠のようなもの(つまり自動車)の前に、美雪は立っていた。地面は土ではなく、黒く固いもので(つまりアスファルト)、所々丸いものがあった(つまりマンホール)。

 美雪は杏羅の姿を確認すると、自動車のドアを開け、運転席に乗った。
 杏羅も見習って、助手席の方へ座る。ブルルン、と美雪はエンジンをかけ、車を動かそうとした。
 その時、ピッピッピ……と、杏羅の席から音が響いた。


「え?」


 思わず動揺し、声を上げてしまった杏羅。


「あ、杏平君。シートベルトしてないよ」


 美雪に言われたが、杏羅はシートベルトが何のことか判らない。心の中で慌てると、花乃がまた話しかけて来た。


『左上にある、布みたいなやつのことですー。その金属部分を、右下の赤と黒の物の穴に押し込んで下さいー』


 言われた通りにする杏羅。何処にあるか判らなかったり、中々はまらなかったりして色々手間取り内心焦ったが、美雪の、


「シートベルトって、意外と忘れやすいよね。バスのシートベルトは固いし」


と、納得していた為、杏羅はほっと胸をなでおろした。


(最初からこんな感じで、大丈夫だろうか……)


 ボロを出すかもしれない。というかもうボロ出しているよなあ……美雪に突っ込まれませんように。
杏羅は思わずにはいられなかった。


                         ◆


 この世界は、本当に何もかも凄い。
 杏羅は素直に思った。
 自動車は、一度だけしか乗ったことのない、牛車以上に早かった。
 周りの建物は杏羅の世界には無い、コンクリートで出来ている物ばかりだった。自動車も大きさや色、形はそれぞれだったが、ほとんど同じようなスピードで進む。


(でも、木々が無い……)


 ちらほらと植えてあるのは見えるが、杏羅の住んでいた世界と比べると、無いに等しかった。
 その想いに答えるように、精霊たちが語りかけた。


『この世界はー技術は発達しましたが、その技術と引き換えに、木々を代償にしているんですー』

『そのせいでー、今、この世界はー、滅びの道を進んでいるのかもしれませんー』

(……代償……か。そこまでして、得たい物は何だろう?)


 杏羅は思った。
 確かに、この世界は技術はとても凄い。
 けれど、大切なものを失くしてしまっては、無意味になってしまうではないか。

 ふとその時、杏羅の目に美雪の横顔が写った。
 髪型も服装も名前も違うが、やはり面影や雰囲気は雪乃に似ている。


(俺は……雪乃を抱きしめることを引き換えに、雪乃と過ごす時間を引き換えにしたのだろうか?)


 杏羅の脳裏に、十三年前の出来事が蘇った。


『私ッ……!! 理由はよく解らないけど、明日溶けてしまうのッ……!! そうしたら、もう皆と会えなくなってしまうッ……!!』

『会えなくなるって……いやだよッ……!! こんな幸せな日常を手放すことなんて、出来ないよッ……!! 怖いよ、悲しいよ、辛いよッ……!! 皆と、別れたくないッ……!!』


 彼女は自分の弟紫苑の墓の前で、泣きながら言った。
 助かる方法はただ一つ。帝を継いで、一生妖の山に引きこもること。だがそれは、杏羅を始めとする親しい人たちと、会えなくなることだった。
 それに彼女は、帝という位が、どれだけ重いか知っていた。自身の弟を失ってしまった原因を、誰に言われようと継ぎたいとは思わなかった。

 だから、自身は彼女を肯定した。——溶けても、また逢えるよと。

 そう言うと、雪乃は安心して、心の底から笑った。笑ってくれた。


『……そっか。そうだよね! また、皆と逢えるよね!! 私何勘違いしてたんだろー! 自分が可笑しく感じるよ!!』


 雪乃が言ってくれた言葉が嬉しくて、雪乃と自身の望みをかなえることが出来た。けれど——。

Re: かの後、人は新たな噺を紡ぐ—「六花は雪とともに」外伝『感謝会 ( No.41 )
日時: 2012/01/20 19:20
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kGzKtlhP)


(けれどそれは——俺にとって、良かったのだろうか)


 そう想いかけた途端、杏羅はとっさに振り払った。


(あれは、本当に望んでいたことだったんだ!! 俺も、雪乃も、心から望んでいたことだったんだ!! だから、そんなハズは無いんだ!!)


 そう。ずっと想っていた——ハズだった。
 けれど、杏羅は黒く居心地の悪い物が、心の中に留まっていた。


                              ◆


 車に乗って、どれぐらい経っただろうか。
途中、降りてうどんを食べたり、ぶらぶら周りを歩いたり、また車に乗ったりと繰り返しの行動が続いた。といっても、杏羅は退屈することも無く、寧ろ沢山の発見があって楽しかった。それに、美雪の楽しそうな顔を見て、例え別人としても、雪乃と重なってしまう為、杏羅は雪乃と遊んでいるような気分に浸った。
しばらくすると、コンクリートで出来た建物や高いビルは見えなくなっていた。山が見え、木々が増えてくる。建物ももちろんあるが、ほとんどが木造だ。


「やっと来れたよ、鎌倉〜♪」


 美雪が安心したように言った。
 鎌倉が何処なのか杏羅は判らなかったが、ともかくここが目的地らしい。

 美雪は自動車を適当な所で止めた。車から出ると、海が見えた。


「……綺麗だな」


 ポツリ、と思わず杏羅は呟いた。
 寄り道したせいか、もう夕方になっていた。夕陽に照らされた水平線が、キラキラと輝いている。
 杏羅は実際、生まれて初めて海を見た。山で産まれ山で育った杏羅には、海を見るきっかけは全くと言って無かった。
 そんな時、色んなところを転々として来た夕顔から、海のことを聞くと、夕顔は満面の笑みになって言った。


『そりゃあ、もう綺麗だよ!! 朝日とともに見る海もいいし、真昼間に見る海もとっても綺麗だけど、一番綺麗なのは夕陽のときだから!! 水面が朱に染まって、キラキラと光るんだよ!!』


——何故あそこまで夕顔が興奮していたのか。あの時は、んな大げさな、とは思ったけれど、今ならその気持ちが判る。

実際見て見ないと判らない物は沢山あるんだなあ、と杏羅はしみじみと思った。


「そうだね、綺麗だね」


 美雪はそう言って、杏羅の手をとった。


「あっ——」

「あそこ行ってみようよ、杏平君!! あそこだともっと綺麗だし!!」


 杏羅の手を少し強引にひきながら、美雪は笑って言った。
 その笑みは、夕陽のせいで、朱に染まっていて。
 その笑みに、思わず杏羅は胸が高まった。


(雪乃——じゃないんだよな?)


 杏羅は、想わずにはいられなかった。
 頭では分かっていたつもりだった。——雪乃は、もういないって。
 美雪は雪乃と同じ面影と魂を持っても、全くの別人なのだ。

 なのに——今、自分は雪乃と一緒に居た時の頃と同じ想いを抱いている。
 雪乃と美雪は、全くの別人だっていうのに。

 高鳴る胸と、罪悪感に、杏羅の心境は複雑だった。