複雑・ファジー小説
- Re: かの後、人は新たな噺を紡ぐ—「六花は雪とともに」外伝『第五章 ( No.42 )
- 日時: 2012/01/26 22:08
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kGzKtlhP)
第六章 忘れたかった記憶
夕陽を見ていると、あっという間に日が暮れた。杏羅たちは予め予約していた旅館に泊まることになった。
布団にもぐり、杏羅は寝ころぶ。あっちこっち行ったせいか、どっと疲れが襲ってきた。
(——そういえば昔は、昼は沢山歩いて働いて……。夕方にはどっと疲れが出て、すぐに眠たくなったな……)
自分が子供の頃を思い出す。
あの頃は、とっても疲れた分、とっても充実していた。きつく辛い作業も沢山あったが、それを乗り越えた時とても清々しい気分になるのだ。朝起きると疲れが取れ気持ち良かった。
(——最近じゃ、外に出ることも無かったからな……)
朝から晩まで、ずっとボーっとしていて、とても充実とは言えなかった。変な疲れがあって、寝てもその疲れはとれなくて。——そんな日を、十三年間も。
スースー、と規則正しい寝息が聞こえた。
起き上がると、美雪の寝顔が杏羅の目に映る。暗くてよく見えないが、それでも彼女の寝顔は雪乃にそっくりだった。
◆
(——……あれ?)
杏羅は暫く美雪の寝顔を眺めていた。が、今居る所が変わっていた。
藁でできた家、見慣れた風景、今着ているのは古い麻の着物。
(——戻って来たのか? 俺の世界に)
キョロキョロと辺りを見渡している。すると外から実の妹——ナデシコが現れた。
(——ナデシコッ!?)
「ゴメンお兄ちゃん、ちょっと白龍様の部下さんにとどめられちゃって……」
両手を胸の所へ合わせるナデシコ。その顔は、まだ幼さがあった。
「いいよ、カワウソの水拍様だろ? あの人、人一倍注意するからなあ」
杏羅はいつの間にか答えていた。思う前に、口が開いたのだ。
「そうそう。一人で外を出歩いてはなりませぬ、私は子供かっての!!」
そっくりな声と口調で言う。アハハ、とナデシコの笑みが零れた。
よいしょ、と若者らしくない声で言って、杏羅の隣に座る。
(——これは……夢?)
「それで? 話って、何だ?」
また勝手に口が開いた。杏羅が聞くと、ナデシコの顔に笑みが消えた。
暫く黙っていたが、やがて意を決したように、ナデシコの顔が引き締まった。
「あのね。……私、筑前に住むことになったの」
その途端、杏羅は顔色がさっと引いたように感じた。そして、思い出した。
(違う……これは、夢じゃない)
雪乃がこの世を去って一年後の会話だ。
ナデシコが白龍と結婚し、お腹に子供を身ごもり、筑前に引っ越す前の会話。そして——杏羅は、この会話を忘れていた。——いや、忘れて居たかった。
「へえ……何でまた?」
「白龍様が即位されて、妖の秩序が見直されたの。詳しいことは良く解らないけど。前は、陸、水、天に別れていたけれど唐の風水を見習って、水を司る妖は北の山、木を司る妖は東の川、炎を司る妖は南の島、そして風を司る白龍様は西の町を見守ることになったの」
- Re: かの後、人は新たな噺を紡ぐ—「六花は雪とともに」外伝『第五章 ( No.43 )
- 日時: 2012/01/26 22:08
- 名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kGzKtlhP)
これは白龍自身の考えである。白龍がそうした理由は三つだ。
一つは、前代の帝紫苑は、強硬派の操り人形と化していた。芙蓉たちが強硬派の首を取った為、今は話しあいで解決する穏健派の者たちだが、まだ強硬派が生き残っている可能性も高い。白龍はそう考えて、妖の組みを三つから四つに分けることにした。
二つ目は妖同士の差別。
これは、白龍自身が経験したことだった。
貴族である白龍は、自惚れていた。貴族が妖の世を動かしているのだと。他のモノは飾りでしかないと。
団結よりも権力。絆よりも金。今となっては、とても恥ずかしいことだった。
一歩外に出ると、自分はあまりにも無力に等しかった。何をやろうとしても、何時も裏目に出て。そんな時、雪乃や他のモノたちが優しく厳しく教えてくれた。
そして、やっと判った。大きな力は、小さな力が集まらなければ成り立たない。
権力も、実際は沢山の人の力で成り立っている。それを自分勝手に使い破滅に導くか、多くの者に恩返しをし栄光に導くかは、権力を動かす者に委ねられる。
存在している者を無視してはならない。その事を伝えて行く為に、彼は方角で決めることにした。
そして最後は……人間と妖との関係。
これも一つ目と二つ目に大きくかかわることである。
人と妖は、別物だ。時間の流れも違う、生きている世界も違う。
だが——お互い、無くてはならない存在なのだ。
妖がいないと人は、『恐怖』という言葉を忘れてしまうだろう。
恐怖は悪ではない。恐怖で自戒することで、破滅の道に進まないようにする。
人がいないと妖は『存在』していけない。
信じる者がいなければ……膨大な時間に流され、寂しさゆえに消えてしまう。
全く関係の無いように見えるものでも、ちゃんと繋がっている。片方をなくせば、もう片方もなくしてしまう。——無駄なことなど一つも無いのだ。
「白龍様はとても考えていらっしゃる。妖の事も、人の事も。これが白龍様の悩み抜いた選択なら、私は何処までもついていく。
お兄ちゃん……私たちと一緒に、筑前へ暮らさない?」
その問いに、思わず杏羅の心の中にどす黒い物が出て来た。まるでヘドロのような、そんな物。
(——自分たちが結ばれたからって、人の気も知らないで)
そう心の中で毒を吐いてしまった。
判っていた。これが嫉妬だということに。
まるで、他人がとっても大切にしている物を欲しがる、駄々をこねる子供。
けれど——杏羅はその黒い物を無視して、落ちついた声で言った。
「——俺は良いよ。水を差しちゃ悪いし」
気づきたくなかった。自分にこんな醜い所があるなんて。——自分の弱さから、逃げたかった。
杏羅の言葉に、ナデシコは戸惑った顔をした。——それは、何処か傷ついたような顔で。
ナデシコはとても繊細で、感受性が高い娘だ。きっと、自分の醜い所を感じたのだろう。
上手く隠そうと思っても、実の妹にはすぐ見抜かれてしまう。
けれど、杏羅はそれを無視した。ナデシコが傷ついても、あの時の自分は構わなかった。
「お兄ちゃん……いいの? それで」
「うん。たまに連絡は欲しいな」
(ああ、そうか——)
杏羅はやっと『答え』に辿り着いた。
何故、自分が十三年もの年月を『空白』にしてしまったのか。日常を充実させることが出来なかったのか。
何から、『逃げ出して』いたのか——。
(俺は、ナデシコを羨ましがっていたんだ。嫉妬していたんだ。でも、そんな醜い自分を知りたくなかったんだ)
そう想った時、杏羅は意識が遠のいていった——。