複雑・ファジー小説

Re: 巡る運命に捧ぐ鎮魂歌 ( No.11 )
日時: 2012/02/08 16:33
名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: eXQSDJu/)



三章:2話


正直、瞳は困惑した。
乃亜の無表情な顔は見慣れているが、乃亜が瞳を助ける程瞳に興味を持っているとは思っていなかった。
助けたくせに特に関心もなさそうに瞳を見つめる視線に、瞳は視線を合わせるほど勇気がなかった。
次に目に入ったのは赤銅色の髪をした長身の男である。
どこか緊張感のかけた表情をしたその男は、愛想笑いが上手いようであった。
少々男性恐怖症気味の瞳には、あまり関わり合いたくない男である。
そして、頼みの綱である気沼は、瞳が見たこともないようなバツの悪そうな顔でそっぽを向いている。
「あの、えっと・・・。」
どうしたらいいものかと考えたが、気を失う前から記憶に欠落がある。
かける言葉も、出来ることもなく、瞳は更に困惑した。
「あー、悪ぃ。最近多発してる失踪、誘拐事件を片づけたんだ。怪我とかないかな?」
察してか、気沼が言う。
乃亜が怪我などさせるはずはないが、常套句であるのは確かだ。
「あっ、大丈夫です。多分姫沙希センパイの方が怪我してるんじゃ・・・。」
確かに乃亜は瞳が影を使う前の時点で、車ごとコンテナに突っ込み、魔族の蹴りを喰らい、更に魔術の炎で焼かれた。
しかし、乃亜には傷どころか服の乱れすらない。
瞳は、最後まで言い終わらぬうちに言葉を切るほか無かった。
「あー、乃亜なら大丈夫だ。瞳ちゃんも知ってんだろ?乃亜はすげー奴だって。」
確かに乃亜は凄まじい人間だが、それでも物理的には"異常"であった。
しかし、気沼を疑う気にもなれず、何となく強引に自分を納得させる。
「そういえば、あの人は?」
気沼はいつも通り、そして乃亜も無事なら話は見知らぬ男の話題しかない。
「ん?そうか、瞳ちゃんは会ったことないんだよな。こいつは八城。乃亜の親父さんの会社の奴だ。頼りになるオレらの仲間だよ。」
今更気づいたのか、気沼は慌てて紹介した。
男、八城も女性に対しての礼儀はわきまえているのか、バイクを降りてお辞儀する。
「申し遅れました。姫沙希社にご厄介になっています、八城蓮です。まあ、彼らとは古い付き合いですので以後お見知りおきを。」
八城の口調は、瞳の想像通り緊張感のない口調であった。
愛想笑いにしろ、緊張感のない表情にしろ、この2人の知り合いにしては穏やかな男だなと瞳は思った。
その後大まかに経過を説明し、安全の為に瞳を一行に加える方針が決定した。
そして、次の目的地の話が出た。
「とりあえず会社に行きませんか?あそこが一番安全でしょう?」
八城が言った。
この男が先んじて目的地を指定するとは珍しい。
「そうだな。奴に報告もしておいた方が良かろう。」
乃亜も反対しなかったので、すぐに話はまとまった。






「姫沙希センパイの家に行くんですか?」
随分と日も落ちた繁華街の通りを歩く一行に、瞳が問う。
姫沙希社へと向かうルートも人気の多い方がいいとのことで、一行はほど近い繁華街に来ていた。
「あれ?瞳ちゃんは乃亜の親父さんが社長だって知らなかったっけ?」
その問いに、気沼が呑気に答える。
なぜか申し訳なさそうな顔をして頷く瞳に、気沼は苦笑を浮かべた。
「貴方って意外と抜けてますよね。」
そんな気沼に、八城の緊張感のない声が飛んだ。
「うっせーな!!一般人に会社の事はあんまり喋れないだろ!!」
口を尖らせながらも幾分真実であるため、気沼はそっぽを向くほか無かった。
「そんな貴方の不備も見越して、きっと社長は私を寄越したんでしょ。」
それもあながち外れていなかったかも知れない。
しかし、姫沙希社の説明が始まる前に、気沼が何かにぶつかった。
「悪りぃ!!」
と目の前の黒い背中に一言。
勿論ぶつかったのは乃亜の背中である。
「八城、後方左45度。何が居る?」
その問いは、酷く不気味であった。
それに輪をかける様に、乃亜の無表情な顔にうっすらと笑みが広がる。
「大型の猫科動物ですかね?でも熊に見えない事もないですね。立ち上がった熊に似た大型の猫科動物といったところでしょうか?」
その八城の緊張感のない口調も、紡ぐ言葉もいっそう不気味であった。
「おいおい、まさかそんなモンまで引っ張り出して来たのかよ!!」
あたふたと周囲を見回す気沼。
驚くべき事に、先の2人は一切周囲を見回していなかった。
「熊みたいな大きな猫が近くに居るんですか?」
瞳の顔にも緊張が走る。
戦時中に政府が打ち立てた企画には生物兵器の分野も含まれていたのである。
国の復興は終わっても、政府の"汚職"を人々の記憶から消し去るには膨大な時間が掛かる。
「動きました。ビルに登ってますね。しかし、あんなモノ会社の集めた生物兵器の情報端末にも載っていませんよ?」
その言葉に気沼が、そして乃亜でさえ少なからず動揺した。
「じゃあ新種か?」
その問いに誰かが答えるよりも早く、人だかりから悲鳴が上がった。
乃亜の言った通り、後方左から。
そしてガラスの破砕音がした。
八城の呟き通り、ほど近いビルから。
「おいおい!こんなに人が居たんじゃまずいぜ!」
気沼の声よりも早く、乃亜が走った。
「八城は睦月と一緒に道の閉鎖だ。奴はオレと気沼が殺る。」
乃亜の声が聞こえると同時に、繁華街の歩道に風が吹き抜けた。
乃亜の声は、魔術の発動媒体になっていたのだ。
しかし、全く別の内容の言葉と術。
にも関わらず魔術が安定して発動するなど、もはや奇跡に他ならなかった。
魔術の発動とは、非常に集中力のいるモノなのだ。
「了解しました。出来れば生け捕りにしてください。会社で情報解析しますんで。」
どうせ聞いていないだろう。
八城の言葉が終わる前に、風に押し上げられた乃亜は割れた窓の奥へと消えた。
八城も八城でいつのまにやら先ほどの大型バイクに跨っていた。
瞳を後ろに乗せると、エンジンをかける。
エンジン音に気づいた人々は、慌てて繁華街から駆け出すのであった。
それを見送る事もなく、気沼はビルの正面玄関を蹴破って、内部に進入するのであった。

Re: 巡る運命に捧ぐ鎮魂歌 ( No.12 )
日時: 2012/02/08 16:47
名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: bJXJ0uEo)
参照: 良小説探しに嵌る今日この頃。

『鎮魂歌』
 このワードに誘われて火に入る冬の虫です、初めまして。
 王道ファンタジーも、スプラッタ表現も大好物なので楽しんで読めました。
 
 プロローグにも独特の味があって面白いな、と♪

 更新頑張ってくださいっ。
 ちょくちょく現れたりしますが、その時はどうぞスルーを……。←

Re: 巡る運命に捧ぐ鎮魂歌 ( No.13 )
日時: 2012/02/09 07:43
名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: eXQSDJu/)


>>柚子様

はじめまして。
コメントありがとうございます!

せっかく「鎮魂歌」に惹かれて来て頂いたのに何が鎮魂歌なのかわからない話で申し訳ないです;;
一応、最終話付近(まだまだ先ですが)で鎮魂歌とお話しが噛み合う予定です(何

おほめ頂きましたが、プロローグを含め自分でも読みにくい文章だなと思うので精進していきます;

おお!
おいで頂くたびに僕のやる気がフルパワーになるので全力でお出迎えさせて頂きたいと思います←

どうもありがとうございました(゜レ゜)

Re: 巡る運命に捧ぐ鎮魂歌 ( No.14 )
日時: 2012/02/09 07:47
名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: eXQSDJu/)



三章:3話


「"魔光弾(ブラスト)"!!」
乃亜の声と共に、オフィスの一角に蒼い発光球体が飛ぶ。
爆発、炎上。
既にビルに入っていたオフィスのほとんどが営業時間を終えていたのか、ビル内には人気がなかった。
そして僅かな人影は皆、何らかの外傷を負って床に伏していた。
そのうちのほとんどが即死だ。
大きく噛み千切られた胸部や、半分以上持って行かれた頭部。
オフィス内は紅で染まっていた。
そんな中で俊敏に動き回る敵に、乃亜は何発目かになる魔光弾を撃ちだしたところである。
ドアを蹴破る音が下から聞こえる。
気沼だろう。
しかし、乃亜の目は別の場所を見ていた。
そこに居たのは、警備員の死骸を口に銜えた獣であった。
八城の言葉通り、見た目は熊に近いがしなやかな四肢や俊敏な動きは大型の猫科動物の様であった。
しかし乃亜の目を奪ったのはその異形な姿ではない。
そいつが脇に少女を抱えているのである。
理由は分からない。
しかし、意図的に抱えていることだけは確かであった。
「また面倒な。」
珍しく乃亜の表情が動いた。
明らかに面倒くさそうなその表情は、乃亜には似合わないようでとても似合う表情であった。
そしてこれも珍しく溜め息を一つ。
しばしの沈黙が流れた。
下の階からはドアを蹴破る音がまた聞こえてきた。
そしてまた乃亜の表情が変わった。
いつもの無表情に。
しかし、その眼光には紛れもない闘争心と殺意があった。
目の前の敵は屠るのみである。
そいつも動いた。
口に銜えた死骸を床に落とす。
怯えているのだ、目の前の鬼神を。
破壊されたオフィス内は非常灯で照らされている。
その灯さえ翳るのだ。
黒ずくめの青年の醸す空気に。
死に神の如き冷めた瞳に。
なんと美しき死に神か、なんと重たい魔力か。
獣の背後でドアを蹴破る音がした
どちらも動かなかった。
そいつの後ろにドアを蹴破った格好のまま、気沼が立っていた。
彼もまた、鬼神の如き闇の化身に恐怖したのだ。
わかってはいる、乃亜だ。
この感じは乃亜以外の誰でもない。
しかし体は、人間の本能は、動けば殺されると叫んでしまう。
どれだけの時間彼と過ごしたかなど関係ない。
乃亜の魔力は十年来の友でさえ凍らせるのだ。
獣が動いた。
気沼のドアを蹴破る音で金縛りが解けたのだ。
手近な窓に走り、一気に飛び降りた。

Re: 巡る運命に捧ぐ鎮魂歌 ( No.15 )
日時: 2012/02/09 22:01
名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: eXQSDJu/)



三章:4話


「これでこの通りは大丈夫でしょうね。」
八城の緊張感のない声は、かえって瞳を不安にさせた。
こんなんで本当に大丈夫なのだろうか。
それは瞳の中で何度目かになる自問であった。
しかし自答する前に、通りの片側入り口には八城の手配したのであろう車と男達が居た。
そしてもう片方の入り口にも、同じ処置が下されていた。
それでも不安になるのだ。
この男が会って間もないからかも知れない。
どことなく緊張感の欠けた声や口調、表情だからかも知れない。
「あの、八城さん。センパイ達は大丈夫なんでしょうか?」
聞いてから、自分が分からない事を一緒にいる八城がわかるわけがないと気が付いた。
しかし、八城はそれを咎めも笑いもせず、ただ頷いた。
「彼らなら大丈夫ですよ。相手が何であっても無茶するような人たちではないんで。」
その言葉で瞳はひどく安心した。
そして自分はひどく誤解をしていた事に気が付いた。
この男は確かに何かが欠落した様な人間だ。
しかし、気沼も八城も言っていたではないか。
彼らは仲間なのである。
そうなれば不安な内容はもう一つしかない。
「あの、八城さん。さっき私を助けた時、姫沙希センパイと闘ってた人が自分は"魔族"だって言ってたんです。そしてセンパイに魔法みたいなのを飛ばして。
そしたら姫沙希センパイも、魔法みたいなのを飛ばしたんです。私の勘違いだったらごめんなさい。もしかして、姫沙希センパイも"魔族"なんですか?」
ありのままの気持ちを聞いた。
もしかしたら乃亜の個人的な問題に触れるのは良くないかも知れない。
昔からの付き合いである気沼でさえそうしていた。
それを見て育った少女である。
乃亜に対する接し方なら学校では気沼と並ぶ自信があった。
乃亜の機嫌を損なう事がどれだけまずい事かも分かってはいる。
あの気沼がそれだけは避ける様に、乃亜にはいつでも気を遣っていた。
それでも聞かずにはいられなかった。
なぜなら今、気沼と乃亜は2人で恐るべき生物兵器に挑んでいるのだ。
もしも乃亜が魔族ならば敵が2人になるかも知れない。
この少女は、心配なのだ。
人間である気沼が。
いつだって自分を守ってくれた大きな背中が。
それを知ってか知らずか、八城の声はいつも通りであった。
「近からず、されど遠からず。」
しかし、いつもの愛想笑いは別のモノに向けられていた。
前方に佇む三つの人影。
閉鎖されているはずの通りに佇む人影に。
その場所は奇遇にも、例のビルの前であった。
「なぁお兄さん。ここいらで熊みたいなのを見かけなかったかい?」
真ん中の一人が言った。
長髪に隠れているせいで顔は見えない。
「俺たちそいつを連れて帰らなきゃいけないんだ。」
右のが言った。
無精髭をはやした男だ。
「隠さない方がいい。君たちが知っていることはわかっている。」
左のが言った。
精悍な顔立ちの青年だ。
「ええ、知っていますよ。でも、あなた方に教えて差し上げるほど私は優しくはないですよ。」
にこやかに言った。
いつも通りの緊張感のかけらもない声、口調で。
「穏便に済ませよう。こちらも時間がないのでね。」
左のが言った。
穏やかな口調であるが、目は敵意を向き出している。
「それは奇遇ですね。私もちょうど急いでいたところです。」
言って八城はバイクを降りた。
別に武器を構える訳でも、格闘の構えを取る訳でもない。
ただ降りた。
しかし、それは戦闘開始の合図であった。
「そこから動かないでください。」
八城は瞳に一言声をかけた。
そして動いた。
まず一番近い真ん中の奴に走る。
敵も動いた。
八城の動きに合わせたカウンターの構えである。
まさかその顔面に右の上段蹴りが決まろうとは。
まさに一瞬で、瞳どころか敵すらも認めぬ勢いで真ん中の奴に一撃を加えた。
勿論カウンターなど出来るはずがない。
八城の脚はほぼ垂直まで上がり、自分と同程度の身長の男の顔面に入ったのだ。
真ん中の男は文字通り吹き飛んだ。
八城は蹴りの勢いを殺さず、左の裏回し蹴りを放つ。
蹴りは左の男の腹部に決まった。
そして、その男も吹き飛んだ。
右の男が間合いを詰める。
しかし、八城は回し蹴りを決めた姿勢から左脚を振り抜いて跳んだ。
男はその左の蹴りをからくも上体を引いて躱(かわす)。
そのまま勢いをつけ、右の拳が唸る。
まさか、またも蹴りが来ようとは。
八城が左脚を振り抜いて"跳んだ"訳は、すぐに分かった。
左脚を振り抜いた勢いのまま、彼は空中で右の回し蹴りを放ったのだ。
もちろんコレも男は吹き飛んだ。
ものの数秒。
常人が理解不能な速度で、3人の敵を八城は撃破してのけた。
明らかに気沼や乃亜に並ぶとも抜きんでるとも思える実力であった。
「お終いです、しめて3秒26。なかなかのタイムですね。」
そのひどく場違いな言葉は、やはり緊張感のかけらも感じられない声、口調であった。
「や、八城さん。あの、えっと。」
上手く状況が飲み込めない瞳。
彼女の知る中で、一番の格闘技能者は気沼であった。
彼は15人の不良をまとめて片づけた事もあった。
しかし、目の前の青年はソレを遙かに凌駕しているではないか。
そんな事があり得るのか。
しかし、実際に目の前で起きたことは何よりも確かな事実であった。
いろいろと考えが脳内を巡ったが、彼女の思考がそれ以上続くことは無かった。
乾いた音と共に、頭上でガラスが割れたのだ。
そして、黒い影が前方に降ってくる。
それは乃亜の魔力から逃げ出した獣であった。

Re: 巡る運命に捧ぐ鎮魂歌(長くなってきたので目次作りました。 ( No.16 )
日時: 2012/02/10 17:18
名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: eXQSDJu/)



三章:5話


「クソ!」
窓から飛び出した獣に対しての気沼の声であった。
彼もまた、窓の割れた音で我に返ったのだった。
乃亜は無言で窓に駆ける。
そして、一気に飛び降りた。
地上5階。
明らかに自殺行為だが気沼も後を追う。
「"風の補助フォロー・ウィンド"!!」
またも、乃亜の声が風を呼んだ。
降下する体を風が支える。
彼らは着地した。
獣の真後ろに。
そして獣の前方には八城が居た。
「あらあら、まさかこんなモノが出てくるとは。」
八城の声に乃亜と気沼の顔が怪訝な表情を浮かべた。
「コレは"魔界"の生物ですよ。誰が連れてきたのやら。」
それを察してか、八城がいつもの口調で言った。
そして構えた。
八城が構えたのだ
沈黙が流れた。
「グオォォォオォ!!」
獣が咆哮した。
まさかその口から爆炎が飛ぼうとは。
咆哮と共に、ソイツは巨大な火炎弾を放ったのだ。
さすがの八城も反応出来ず、爆炎へと没する。
「八城!!」
乃亜と気沼の声が重なった。
如何に八城とて、この一撃は危ない。
しかし、二人がそんなことを心配していたとすれば大きな間違いであった。
「この程度で私は倒せませんよ。」
酷く場違いな声で、酷く場違いな言葉が聞こえた。
爆炎に没したはずの八城が、その炎を振り払いつつ現れたのだった。
しかし、獣は見た。
火炎弾が当たる直前に、青い膜が八城を包むのを。
だからこそ、ソイツはそこから動けないのだ。
必殺の一撃を受けたにも関わらず、八城は平然と現れた。
そして何事もなかったかのように愛想笑いを浮かべている。
獣が動いた。
何故か脇に抱いた少女をそっと地に下ろした。
怪訝な表情を浮かべた八城を猛烈な圧力が襲った。
風をも凌ぐ勢いで、獣は八城を襲ったのだ。
ただの体当たり。
それでも八城は吹き飛んだ。
20メートルも飛んで商店の壁にぶつかる。
壁が崩れた。
ただの体当たりで、ソイツは何トンものエネルギーを生み出したのであった。
「オレが相手だ!!」
そんな相手に気沼は突っ込んだ。
右のフックがソイツの脾腹にめり込む。
「グオォ!」
ソイツも振り返り様に腕を振った。
ビル内で何人もの警備員を即死させた鉤爪が唸る。
しかし、気沼の肉片をソイツが持って行く事はなかった。
あっさりと屈んで回避した気沼は、そのままソイツの顎に拳を打ち込んだ。
八城の様な異常さも乃亜の様な魔術的な一撃でもないが、この男の一撃も何という一撃か。
獣が僅かながら浮いたのだ。
推定でも200キロを超えそうな巨体を、この男は拳一つで打ち上げたのだ。
「やっぱりセンパイはすごい。」
今まで呆然と眺めていた瞳がこれも呆然と呟いた。
勿論素手の威力だけではない。
乃亜が魔力を魔術に変換する様に、気沼は魔力を拳の一撃に変換しているのだ。
しかし、そんなことが瞳に分かるはずもない。
気沼自身、"人間界"での魔力の扱いにはあまり馴れていない。
そんなオーバーパワーの一撃を急所に受けても、ソイツは平然と反撃してきた。
凶悪な歯並びの顎が、気沼の頭部を襲う。
気沼はソイツの脚を払った。
為す術もなく倒れる獣。
気沼にとって最大の武器は乃亜の様な強力な魔術でも、八城の様な現実離れした"体"でもない。
実戦経験。
数多の経験で培われた状況判断能力が、攻撃一つ一つをより強力かつ効果的なモノにしていた。

Re: 巡る運命に捧ぐ鎮魂歌(長くなってきたので目次作りました。 ( No.17 )
日時: 2012/02/11 11:50
名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: eXQSDJu/)



三章:6話


しかし、やはり通常では経験しきれない事もある。
次の獣の動きは正にソレであった。
まさか為す術もなく倒れた獣が、空中で受け身の体勢を取ろうとは。
そしてソイツは着地と同時に頭突きを放った。
とっさに腕を交差させ防ぐも、数メートル飛ばされた。
しかし、この男もなんたる運動神経か。
数メートル飛ばされたにも関わらず、姿勢はほぼ崩れていなかった。
そんな気沼に対して、獣は火炎弾を放った。
さすがの気沼も表情が硬直する。
「"魔光弾"!!」
乃亜の声が響いた。
乃亜の魔光弾は高速で飛ぶ火炎弾をしっかりと打ち落とした。
気沼の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「気沼!前だ!」
乃亜の怒声、強烈な風圧。
獣は爆炎の中をまたも瞬速の体当たりで突っ切って来たのだ。
そしてそいつの右腕が、気沼を襲ったのだった。
大降りの一撃。
気沼の頭部に振り抜かれた一撃を、彼は左腕で防いだ。
激痛が走った。
苦悶の表情を浮かべるが、彼の思考が行き着いた先は、腕の負傷のことではなかった。
アレを使わなきゃ、確実に死ぬ。"
一瞬の閃きであった。
しかし彼の脳裏に浮かんだ"アレ"を、彼は姫沙希社の実験室、それも特別な実験空間でしか使ったことがなかった。
「気沼センパイ!!」
瞳の叫びが聞こえる。
しかし、猶予の時間は無かった。
閃きのまま、本能に従って彼は吹き飛ばされそうになる上体を必死に押さえつけた。
そして右腕で突いた。
獣の心臓を。
パチパチと小気味よく電気質な何かが弾けるような音が響いた。
見れば気沼の腕は紫電の光に包まれ、ソイツの心臓を貫いている。
彼の右腕は、心臓どころか獣の背まで突き抜けていた。
「使えたか、"雷華らいか"が。」
乃亜の声が静かに流れた。
その乃亜の表情は不思議と微笑んでいた。
それはとても親友が死の危機に瀕していた現場を見ている表情ではなかった。
気沼は答えずに、突き抜けた右腕を一気に引き抜いた。
「ああ、自信は無かったけどな。」
気沼の表情も、不思議と穏やかであった。
気沼だけが悟ったのだ。
乃亜が助けに入らなかったのは、全て気沼の為だと。
この命の危険の掛かった一瞬こそが、気沼に"雷華"の使用を決心させる唯一の場であったと。
急所を一撃で突かれたソイツは、痙攣しながら大量の血を撒き散らせて絶命した。
「あーあー、出来れば生け捕りにと言ったのに。」
そんな呑気な事を言いながら帰って来たのは、全身ボロボロになった八城である。
まさに満身創痍としか表現のしようがない男は、とても場違いな緊張感の欠けた表情をしていた。
「それよりも、この人見てくださいよ!!」
なにが"それよりも"なのかはよく分からないが、瞳が3人を呼んだ。
例の、獣の抱えていた少女の傍らで。
「おいおいまさか、工藤 要か!?」
その少女を見て、気沼が叫んだ。
「やっぱりセンパイもそう思いますか?」
瞳の思い当たった人物と、気沼の思い当たった人物はどうやら同じであったらしい。
八城もしげしげと見つめたあと、「本人みたいですね」と言った。
勿論の事ながら、乃亜はまるで関心を示さない。
助けた者が誰であれ、この青年にはさして変わりないのだ。
例えソレが"今最も人気のあるマルチタレント"だったとしてもだ。
獣が連れ去ろうとしていた者とは、あろうことか戦後最高の人気を誇るマルチタレント"工藤 要"だったのだ。
しかし、その理由は?
"魔界"の生物が人間界に居ること自体が有り得ない現象だ。
そして、その生物が人拐いをしている。
やはり、人為的な何かを感じずにはおれない。
そんな当惑した一行にかかる声があった。
「おいおいおいおい。遅いからまさかと思って来てみたら、ホントにその"まさか"かよ。」
呆れた様な感心した様な、何とも形容しがたい口調の若い男の声が聞こえた。
一行が振り向く。
その男は、乃亜にさえ気配を悟らせなかったのである。