複雑・ファジー小説
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(七章完結! ( No.77 )
- 日時: 2012/05/10 23:43
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: つかの間の平穏の中で、何を見つけるか。
第八章:平穏の中に
議事堂での協議が終わり、姫沙希社はまた多忙な一日が始まった。
就業時間を回っているのだがこの姫沙希社の社内、特に事務のフロアは驚くほど静かであった。
耳を澄ませば僅かな騒音を認識できるほどに。
先の決定によって八城とアンザイは工藤要に付きっきり。
エンドウ、クラマ、エビナは持ち場に戻り、瞳はアンザイが自室へと案内した。
今頃は安らかな寝息を立てているだろう。
週末のニュースを騒がせた一件から半日。
しかし、この姫沙希社は異常なほどに平和であった。
そして驚くことにこの会社は全ての部門が年中無休なのである。
土曜の朝だと言うのに、社内には多くの人間が居た。
整備服に身を包んだ連中、白衣の連中、私服で歩き回る連中。
その全てが、親しみと温かさを持って乃亜と気沼に挨拶をする。
「二代目、大将。見学ですかい?」
武器の調達の為開発フロア、階で言うところの5階に向かった二人にかかる声があった。
まだ若い、張りのある声だ。
「ん?いや武器の調達だよ。今朝のニュース見たろ?」
呑気に答えた気沼だったが、心のうちには不安が渦巻いていることだろう。
「それなら新型のSMGなんてどうですか?小口径高速徹甲弾を高速射撃できる最新型の試作器が完成してますよ。」
帽子に手ぬぐい、青いつなぎは工業系に従事する社員の制服だ。
靴は安全靴ではなく本物のエンジニアブーツであった。
「今日は別口だ。銃もいいが魔族相手だ、接近戦の武器が要る。」
乃亜の声はいつもよりも多少和やかであった。
如何に冷徹な心の持ち主であれ、慕われることに悪い気は起きまい。
この姫沙希社の人間は、心から社長とその息子に尊敬と信頼を寄せているのである。
「それなら保管フロアにいくらでもありますよ。開発フロアよりも保管フロアがお勧めです。」
乃亜の抑揚のない声にも全く動じない。
馴れとは恐ろしいものだ。
しかし、次の乃亜の言葉は彼を大いに緊張させた。
「新しいものを作れ。その依頼に来た。」
一瞬緊張に身を固めるも、さすがに姫沙希社の社員。
すぐさま笑顔になると、廊下の奥を指さした。
「オーダーメイドですか、それなら主任に。依頼が来れば俺達が手に塩かけて最高の品を作り上げますよ。」
その声に満足したのか、いつもよりも穏やかな顔で乃亜は頷いた。
男もそんな乃亜の顔に満足したのか、にこやかに乃亜と気沼の元を去った。
それを確認して、気沼が低い声で聞いた。
「接近武器ったってよ、一体何を制作するんだ?」
気沼の表情はその声と同じぐらい沈んでいた。
現在の技術を思えば、眼前に迫る敵への抵抗力としてはあまりにも頼りないからだろう。
いかに魔力で身体能力を上げようと、現在考え得る武器の基礎攻撃力では全く歯が立たないと思われた。
何せ魔族は人間と比べて潜在能力、身体能力、魔力量、魔力の扱い、全てにおいて圧倒的に高いのだ。
火薬式の銃器が現在の技術では最強の状態では、いかに備えようと敗北は近い。
しかし、しかしだ。
そんなことを気沼が憂いているのだとすれば、大きな過ちである。
「何を?莫迦なことを。お前は自分だけの武器を握ったことがあるか?」
乃亜にしてはいつになく熱のこもった声音であった。
気沼が驚くほどに。
「世界に一品しか存在しない、自らの為の武器を制作する。手にすれば違いが分かる。特に奴の制作ならな。」
乃亜の声が終わるころには、二人は開発フロアの事務室へとたどり着いていた。
珍しく乃亜が戸を開ける前に声をかけた。
「センジュ、入るぞ。」
しかし、理由は簡単だ。
僅かの後、内側からカギの開く音が聞こえた。
開発フロアは特に機密事項の多いフロアだ。
そのため事務室には高性能電子ロックが三重にかけてあるのだ。
「二代目ですか。相変わらず汚いですよ。」
扉越しに聞こえた声はどこか倦怠感を漂わせていた。
もしかしたら二日酔いなのかもしれない。
扉を押しあけた二人の目の前には、相変わらずの部屋が現れた。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(八章開始! ( No.78 )
- 日時: 2012/05/14 17:17
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: つかの間の平穏の中で、何を見つけるか。
八章:2話
扉の内は暗い部屋であった。
事務室と言うよりは私室に近い。
いや、おそらく私室として使っているのであろう。
間接照明の明かりの中に濛々と立ち込める煙が、乃亜と気沼を迎えた。
「相変わらずだな、おい。」
気沼の声はどこか刺々しかった。
部屋中に充満した煙草の煙がそうさせているのかもしれない。
「掃除が苦手でね。」
そう返した男は顔色の悪い男だった。
年のころは二十歳そこそこに見えるが、痩せた手足にどこか二日酔いの様な動き。
長身だが風が吹けば飛びそうだ。
無地のタンクトップは絵の具だかペンキだかがまだらに飛び散り、ジーンズはヨレヨレ、足元は靴下にサンダル。
伸び放題の金髪は地毛なのか根元から背中ほどまでムラがなく、どこか裏路地の売れないギタリストのような印象を与えた。
現に彼はロックンローラーなのだろう。
部屋中に散らかされた音楽機材が見える。
それ以上に目を引くのは壁中に張られた意味不明なポスターである。
どれも髑髏を描いたものだが、どれ一つとして目に痛くない描写、配色のものはない。
「センジュ。何のにおいだ?」
乃亜の声に胡散臭いなりの男、センジュは満面の笑みになった。
「さすがは二代目、この匂いが分かりますか?」
笑うと意外にかわいい顔になる。
っと言うよりも中身はかわいい奴なのだろう。
子供のように喜びながら、彼は一つの金属の塊の様なものを床から取り上げた。
「テクノロジーとアルケミーの集大成です。」
野球ボールほどの黒い金属塊は、生成して間もないのか所々ぼこぼことしている。
それを見て、乃亜の顔に驚きと感嘆の表情が浮かんだ。
「まさか、魔鉱石か?」
それはまさに乃亜の求めていた素材であった。
魔鉱石、存在は確認されている。
八城の骨格として現に使用もされているのだが、その物質は突然変異体として少量を累が保管していたに過ぎなかった。
そのサンプルをもとに開発部が研究開発を成功させたのか。
「やったじゃねーか、これなら乃亜、いけるぜ。」
さっきまでの鬱憤はどこへやら、気沼までもが子供の様な声を上げた。
センジュは構成表と思われる紙切れを散らかり放題のデスクから引っ張り出し、嬉しそうに説明を始めた。
「魔鉱石が合金だってのはわかってたんですよ。問題はその内容で、先日判明したんです。この成分比率がわかりますか?"絶対金属(オリハルコン)"ですよ。」
乃亜の返した金属塊を受け取ると、それを放りながら嬉々として舞った。
そこへ、
「なあ、量産は出来るのか?」
気沼が肝心な質問をした。
確かに量産できなければ累の品と変わらない。
「おいおい、気沼よぉ。姫沙希社の鋼材はどうやって作ってるか知らなぇのか?」
センジュは驚いたような表情で聞いた。
どうやら仲が良いらしい。
どこか得意げな表情のまま、センジュは気沼の肩を叩きつつ指を振って外へ案内した。
「センジュ。武器に加工するのにどの程度かかる?」
戸を抜ける瞬間、乃亜の声が飛んだ。
センジュの足が止まる。
立ち止まり、ゆっくりと振り向く顔には、戦闘時の乃亜のような不敵な笑みが広がっていた。
「二代目のことだ、そう来ると思ってましたよ。まあ、作業場までお楽しみです。」
にやりと口角をあげてそういったセンジュに、気沼はもとより乃亜でさえ背筋に嫌な感覚を覚えたかもしれない。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(八章開始! ( No.79 )
- 日時: 2012/05/14 17:22
- 名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: joPTjG.e)
はろう。
こちらではお久しぶりの柑橘系なのです!
八章かぁ……。
なんかもう少しで終曲しちゃうのかなーとか思っちゃったり。
であであ。
更新頑張ってねっノシ
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(八章開始! ( No.80 )
- 日時: 2012/05/14 17:48
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: つかの間の平穏の中で、何を見つけるか。
八章:3話
足早に歩くセンジュが案内したのは、事務室から程近い一室であった。
「試作品ですが、これでどうですか?」
開発フロア内の保管ブロック。
ガラス張りのその部屋の中には黒々と輝く新品の銃器が所狭しと並べられていた。
その全てが試作段階のプロトタイプである。
社長自らと八城蓮が試運転をした後、耐衝撃、耐腐食、耐薬品のテストを行い、その後大量の埃の舞う空間での動作性能をテストを行う。
改良の必要性がなければそれが量産に回される。
そんな一室の中央に二本の短刀が安置されていた。
「一応二代目の手に合うように設計したんですが、必要ならすぐに採寸しなおして加工します。持ってみてください。」
丁寧に取り上げた短刀をセンジュが乃亜に手渡した。
共に刃渡りは15センチと少し。
一本は細くすっきりと伸びた刃が特徴である。
もう一本は分厚く背に返しのついた刃が特徴であった。
どちらも乃亜の手にぴったりと合う。
「さすがだな。やはりお前を主任に推薦してよかった。」
珍しく感動と親愛感のある声で乃亜が呟いた。
気沼も感心の表情でセンジュを見ていた。
人は見かけによらず。
薬中の様なこの男が手掛けた世界に一本の武器は彼らの大きな戦力になるであろう。
「気沼の分は今夜から精製開始だ。夕方までに気沼の分の魔鉱石が精製できるはずだからな。」
気沼に向けてウィンクなど飛ばすセンジュの顔は大きな仕事をやり遂げた満足感と達成感に満ちていた。
「性能は?」
乃亜の声が聞こえても、その満足気な表情に変化はなかった。
「どっちも硬度は鋼の十倍以上、もちろん鋼材でも厚さ6センチまでなら難なく斬り裂けます。細身の方は魔鉱石製の武器と本気で打ち合うとなると不安は残りますが、刀身に波が刻んであるんで、高速で振り抜けば空気が流動して切れ味自体は格段に上がります。
肉厚の方はチェッカリングが施してあるんで、摩擦で相手の刃を受け止めることに関しては特に威力があるでしょう。」
説明が続けば続くほど、乃亜の表情は感動に包まれていった。
この男がここまで何かに感心するとは。
しかし、鋼の10倍以上の耐久度と鋼材さえも切り裂く威力を持ち合わせる武器を作り出すとは。
しかもそれを乃亜が持つとなれば鬼に金棒。
乃亜の反応に満足したのか、センジュはすぐに気沼へと向き直った。
「気沼は何にすんよ?戦斧か?軍刀か?なんでもいいぜ。」
どこに持っていたのか、いつの間にかメジャーで気沼の手を採寸しながらセンジュが訊く。
対して気沼は何やら難しそうな顔で悩みながら、
「大斧は?」
と訊いた。
すると、途端にセンジュの顔が意地の悪そうな表情になった。
「社長に訊いたぜおい、昨夜の魔族の得物は矛槍だってな。それも身の丈もある様な代物だったらしいじゃねーか。リベンジかよ?」
昨日の協議に出席していなかったとはいえ、主任クラスとして昨夜の情報は累から直接説明があったという。
いつもより闘志にも似た決意を湛えた気沼の目が、ぎろりとセンジュを一瞥した。
しかし、そんなものに恐れをなすようではこの会社の主任は務まらない。
いともあっさりとその視線と向き合って、センジュは破顔した。
「手ぇ貸すぜ。大斧だとアレか?バトルアクスじゃなくてポールアクスか?刃は二枚で長柄、薄く広い刃と厚く小さめの刃。頭にはレオでいこう。柄の先にはスピアって程じゃないが突きに使えるように何か付けよう。振った時に遠心力で威力が増すように頭と尻には重しが必要だな。
まあ、任せときな。」
次から次へと浮かんでくるアイデアを上げながら、一気に気沼の全身を採寸する。
「武器ってのはバランスが大切だ。それは刀剣でも銃器でも変わらない。要は使い手がどれだけストレスを感じずに使えるかってのが重要なんだ。」
訊いてもいないことを次から次へと喋りだす。
このセンジュと言う男、やはり中身は童心の塊のようだ。
「とりあえず、気沼は夜また来い。二代目にはその二本を差し上げます。そんじゃ、仕事にかかるんで。」
もうすでに頭の中は仕事のことで一杯のようだ。
ガラス張りのブロックに取り残された乃亜と気沼が揃って苦笑するほどに。
「んじゃ、任せたぜ。乃亜は?これからどうするよ?」
苦笑顔のまま問う気沼に、乃亜はくるりと背を向けた。
怪訝な表情を作る気沼の耳に、今までに聞いたこともない声が聞こえた。
「奴に用がある。好きにしていろ。」
気沼が凍りつくほどの凄絶な色の声音と共に、対魔族戦以上ともとれる圧倒的な質量の魔力が溢れだす。
しかし、それも一瞬。
気沼が錯覚かと思うほどに消滅した魔力と共に、乃亜の背も廊下に消えるところであった。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(八章開始! ( No.81 )
- 日時: 2012/05/14 17:58
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: つかの間の平穏の中で、何を見つけるか。
ゆっくん>>79
"こっちでは"お久しぶり(^u^)
コメントありがとうね(´ω`ろ)
ん、もうすぐ終曲しちゃう、序曲が←
お話自体はきっと読者様各位が「まだ続くの?」ってぐらい長くなると思います(ぇ
雑談の方もコメント貰ったようなので、さっくりお風呂に入って返しますよb
ゆっくんのお話しの方も、もう少し進んできたらお邪魔するからね!
今日は腐ってたんだけど、コメント貰って元気が出ましたよー、ありがとうねー(^u^)
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(八章開始! ( No.82 )
- 日時: 2012/05/20 14:40
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: つかの間の平穏の中で、何を見つけるか。
八章:4話
「八城くん、データバンクから神眼について出せるだけ出してちょうだい。」
医療フロアの最南端、隔離室の待合室からアンザイの声が聞こえた。
もっとも、それは彼の耳にだからこそである。
基本的には非常に高度な防音施設である為人間の耳では隣室の声などはまず聞こえない。
「社内のデータバンクにそれらしい記述はありません。一般のネット回線に、」
そこで八城は言葉を切った。
彼もその部屋が高度な防音室であることを思い出したのだ。
ため息と共に隣室で内線電話の鳴る音が聞こえる。
アンザイが内線を取った音が聞こえると、彼は再び口を開いた。
「防音を忘れていました、衛星通信でかけているのでそのまま繋いでおいてください。会社のデータバンクにそれらしい記述はありません。
一般のネット回線に繋ぎますか?正確さの欠けた情報にはなりますけど、多分かなりの数の情報がとれますよ。」
いつもながら緊張感の事ではあるが、アンザイはその緊張感の欠けた八城の声に満足した。
男と言うのは女に対してなぜか執着する。
興味がなくとも、それがステータスになるとでも言いたげに寄ってくるものなのだ。
しかし、この八城という男にはそれがない。
アンザイの経験上、それは極めて珍しいことであった。
八城の前では気が休まる半面、もう少し人間らしい本能的な情報を組み込んでやればいいのにと同情してしまう。
「ごめんなさい、一方通行じゃ困るものね。一応通信妨害と周波変更は2分おきにやってちょうだい。
一般回線の件だけど、お願いするわ。大丈夫だとは思うけどスパイウェアには気をつけて。」
言い終えると、アンザイは内線電話を手元のデスクに置いた。
彼女の居る待合室には待合用の三人掛けシートが二つと彼女の腰掛けている事務用のデスクが一つあるきりであった。
デスクの後ろに隔離室へと続く連絡通路があり、完全密閉の隔離室が都合一二部屋ある。
連絡路には試作的な物質ではあるが、無色無臭の消毒気体を散布するスプリンクラーがいくつも設置されている。
本来、この隔離施設は新種の病原菌やその感染者を隔離しておくための施設なのだ。
そんな、どこか堅苦しい悲痛な場所で、アンザイは白衣を落とした。
主任名札が床に落ちる固い音が聞こえる。
ため息に近い深呼吸をしてヒールを脱ぐ。
無機質な床の伝える冷たさ、体がこわばる瞬間の何とも言えぬ幸福感。
一応お勤めなので白衣の下はあまり飾り気のない衣類なのだが、上下ともに脱ぎ捨てたい衝動に駆られながら、アンザイはもう一度深呼吸をする。
リラックスしなくては。
昨晩、会社からの連絡で起床してから気が休まらなくて仕方がない。
累からの指示は単純で、繁華街で起きた問題の事後処理を頼まれただけであった。
乃亜一行以外では殆ど唯一の生存者である少女の様態チェックと記憶改変。
長くても一時間で終わるはずの仕事が、非常な大事になってしまった。
患者の様態は正常、記憶の改変に取りかかるところで異常が生じた。
今までかなりの数の生体に催眠をかけてきたが、失敗したのはこれが二度目であった。
そして戦闘内容の異常さ。
協議中の映像で始めて知ったが、あれだけの戦闘を無傷でやり過ごすなど不可能である。
それも戦闘経験など皆無な少女が。
現在持ち得る情報を整理しながらアンザイは五分丈のシャツを脱ぎ捨てた。
如何に高度電子ロックのかかった部屋とは言え、八城ならばその僅かな音さえ聞き取るだろう。
しかしそんなことはどうでもよかった。
八分丈のスキニーを脱ぎ捨てようかと思った時、内線電話から声が聞こえた。
「アンザイ医師、コーヒーでも淹れましょうか?」
相変わらず緊張感の欠けた声は、どこか困ったような響きを含んでいた。
彼なりに心配しているのだろう。
しかし、何がどうした?と聞く前にコーヒーでもとはなかなかいいセンスをしていると思った。
「本当なら今日は非番なんだけどね、休日出勤でも飲酒はまずいかしら?」
苦笑する声が聞こえる。
彼はこう言うだろう、呑みすぎないように。
「呑みすぎないように。私ならそうします。」
案の定だ。
アンザイも苦笑した。
彼が生きていて、生身の体を保って居たら彼と結婚したかもしれない。
彼が人間だったなら、それこそユーモアのセンスがあり気遣いの出来る素晴らしい人間だろう。
彼女はいつも八城蓮に惹かれる。
きっと物珍しいからだろう。
彼女はそう割り切ることにしていた。
なんせ彼は生きていない。
動いているだけなのだから。
「冗談よ、コーヒーもらおうかしら。内鍵開けておくわ。」
アンザイは自分がとてもリラックスしていることに気付いた。
今まで張りつめて固くなっていた全身の神経が柔軟に動くことがうれしかった。
「すぐにできますので、不都合がなければシャツだけでも着ておいてくれると嬉しいのですが。」
またも彼女は苦笑した。
女として、自分の顔にも体にも不満はない。
人並み以上は維持しているつもりだ。
正直な話、そんな自分がストリップしていると知りながら彼が特に何の興味も抱かないのは不思議なことであった。
誘っている訳ではないのだが、女としては多少がっかりである。
「そうね、そうします。」
しかし、そう言った自分の声に何ら落ち込みがないことに彼女は気付いた。
何せ彼は動いているだけなのだ。
彼女が服を着終えると、控えめなノックと共に八城がやってきた。
手にはブリキのカップがふたつ。
「お待たせしました。砂糖は二つで良かったですか?」
そう言いながら湯気の立つカップをデスクに置いく手つきは、全く不安が無い。
砂糖は二つ、ミルクはなしが彼女のパターン。
それを正確に知り抜いている自信に支えられた柔らかくも圧倒的仕草。
ここで言う砂糖とは角砂糖の事であり、姫沙希累は資源ごみが少なくて済むと言う割と安易な発想から、
社内ではスティックシュガーではなく角砂糖を使う事を好んだ。
そして彼女のコーヒーに何が入っているかなど知っているのは多分彼女と彼ぐらいのものだろう。
誰も他人のコーヒーになど興味を持たない。
それでも、彼はなぜか知っていた。
知りたくなくてもわかってしまうのだろう。
彼の耳と目は時に自身でも気付かぬうちに膨大な無用の情報を集めてしまうのであろう。
「ありがとう。」
短く言うと、彼はいつもの愛想笑いで頷いた。
彼の目には筋肉、神経の僅かな動きさえ正確に捉えられているのであろう。
そして耳には呼吸や心拍、もしかしたら血流の音まで聞こえているかもしれない。
「一般回線を洗った結果、536万件のヒット、内裏取りないし信憑性の確認が出来た情報が11件。どうします?プリントしますか?」
自分の考えを知ってか知らずか、八城の声が聞こえてきた。
まだ湯気の立つカップに視線を落したまま、アンザイは小さく頷いく。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(八章、1話更新! ( No.83 )
- 日時: 2012/05/29 11:26
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: つかの間の平穏の中で、何を見つけるか。
八章:5話
裸足で投げ出した足をブラブラとやりながら、アンザイは彼のカップに目を移した。
動力の100パーセントを体内で生産できる彼が何か生体を摂取する必要はない。
にも拘らず彼がふたつカップを用意した意味が彼女にはわからなかった。
単純に二つ分コーヒーが出来てしまったのかも知れない。
少なくとも彼が自身の為に用意した訳ではないことだけは確かであった。
そんなことを考えている隣で、彼はいつの間にかプリンターとプリント用紙の束を抱えていた。
「どこから持ってきたの?」
アンザイの正直な問いに、彼は相変わらず笑顔で答えた。
「社内に居る時の標準装備です。戦闘だけが私の取り柄じゃありませんよ。」
彼は一体どれだけの質量の装備をしているのだろうか?
勿論試作型の圧縮器が使用されていることは知っている。
そのために生体皮膚を彼女が考案したのだ。
用紙の束を持った手で器用にプリンターの回線を自分の頸部に接続する。
アンザイ自身は彼の設計図を見たことはないが、きっと電子脳の配置上、頸部が一番外部との接続に向いていたのだろう。
「すぐにプリントアウトされますので、少々お待ちくださいね。」
彼の言葉通り、10秒とかからずに11枚の資料がプリントアウトされた。
その資料をアンザイに手渡すと、彼は自分のカップから一口だけコーヒーを啜った。
砂糖もミルクも入っていないと思われる黒い液体が、彼の体内でどうなるのかアンザイは少し興味がわいた。
自分も砂糖二本のコーヒーを流し込むと、足元の白衣に手を伸ばす。
「これですか?」
あと少しで届かないことが彼には分っていたのか、彼は小さな箱と灰皿を片手に訊いた。
もう片方の手では器用にプリンターの回線を抜くところであった。
「そう、気が利くわね。」
煙草と灰皿を受け取ってアンザイは感心した。
毎度のことではあるが、彼は一体幾つのことを同時にやっているのだろうか。
500万件の情報解析をしながらコーヒーを入れ、工藤要を監視する。
そのうちから有力な情報を11件だけに絞り込み、プリントアウトしながら彼女に煙草と灰皿を渡す。
きっとそのほかにもたくさんのことをやっているのだろう。
「八城くん。工藤要、どう思う?」
アンザイは極力八城のことを考えないで済む質問をした。
実際に戦闘をした彼の意見が訊きたいのもあった。
あの鬼気迫る声。
如何に不死身であろうと、神経系がある以上人間で言う痛覚神経の様なものがあるのであろう。
そんな彼に向けられた一本の凶器を、彼はどんな思いで迎えたのか。
「そうですね、どうと聞かれると答えにくいのですが、殺意は本物でした。そしてそれに抗う様子がなかった。つまりは本人の意思でしょう。
私の個人的な意見としては、このままここに置いておくのは腹に毒を飲むっとでも言いましょうか。あまりいい案ではないでしょうね。」
マグカップを口にしたまま彼は答えた。
彼の声が極めて生体に近い合成音であることは知っている。
それでも、やはり感情の色があるのに発声不可能な状態で声を出されるのは落ち着かない。
「如何に通常装備とはいえあれだけの攻撃なら大抵の兵器を破壊可能です。戦艦でも出てこない限りですがね。それでも彼女は無傷、私ひとりでは危なかったですよ。」
デスクに戻ってきたカップには、さして変化がなかった。
勿論内容量の話だ。
しかし、そんなことよりもアンザイはこの男が自身に危険が迫ったと感じたことに驚いた。
不死身の男に危機感を持たせるなど、乃亜でさえ不可能ではないかと思われる。
「やっぱり、危険因子として報告すべきかしら?」
アンザイは急速に不安になった。
彼女は彼の武装強化の一件をまだ知らない。
「それはアンザイ医師にお任せましす。それでは、私は彼女の監視に戻りますよ。」
そう言うと、八城は自分のカップの中身を飲み干した。
いつの間にかプリンターも用紙も片づけられた部屋に、アンザイだけが取り残された。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(八章、1話更新! ( No.84 )
- 日時: 2012/06/13 16:15
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: つかの間の平穏の中で、何を見つけるか。
八章:6話
「開いているよ。」
目の前の扉を挟んで、こちらに向かってくる者に対して彼は静かに言った。
一切の停滞なく、そして躊躇なく目の前の扉が開いた。
地上20階、最上階にある社長室で彼、姫沙希累は訪問者の意図を考えた。
「仮想実験に付き合え。」
累の思案は無駄だったようだ。
開け放たれた戸口で黒い影が言った。
そんな不躾な訪問者にも、累は穏やかに破顔した。
「その前に掛けなさい。」
穏やかな声ではあるのだが、それは抵抗を許さぬ声であった。
自らの書斎机の前に置かれたパイプイスへ促す。
普段は壁際に立てかけられている品だ、彼は乃亜の訪問を予期していたのかもしれない。
「影の影響はどうかな?」
累の問いかけに珍しく乃亜のため息が聞こえた。
「昨夜も言ったはずだ。問題ない。」
昨日の再現の様に、会話が終わる。
これが親子であろうか。
しかし、普段ならばここで空気が悪くなるのだが今日は累がクスクスと笑い出した。
「血圧が低いぞ、呼吸も浅い。断片的に魔力が溢れている。おそらく工藤要を暴走させた原因だろう、影の傷を塞がなければ。」
乃亜が応える前に、累の手から何かが飛んだ。
乃亜でさえ見切れないほどの超高速で飛来した何かは、乃亜の右肩で止まった。
「貴様!」
乃亜が立ちあがろうとするも、その行為は成就されなかった。
「最新の即効性鎮静麻酔だ。きみ程度の抵抗力を持った相手を想定して制作された品だ。こらこら足がもつれるぞ。
どうせきみの事だ、クラマくんにもアンザイ主任にも治療などさせないだろう。内戦中以来だからな、少々荒いかもしれん。」
累の言葉に乃亜の表情が引きつった。
こんな顔は恐らく誰も見たことがないだろう。
「まさかお前が治療だと!やめろ!」
そんな焦る乃亜が面白いのか、累はクスクスと笑いながら書斎机の引き出しを探り始めた。
「彼女の魔力はどの性質だ?影に練り込む魔力で影響は変わる、つまり対処の仕方が違う。」
「氷の魔力だ、右肩をやられた。寒気はしないが体の芯が冷え切っている感覚、魔力の漏れは昨夜に比べればマシになった方だ。」
彼女とは瞳の事であろう、またも抵抗を許さぬ累の声に、乃亜がさも嫌そうにそっぽを向いた。
そっぽを向きながらも症状を語り始めたのは諦め故か。
さも満足そうな笑顔の累は二本の小瓶を持って乃亜の前に立った。
「失礼するよ。」
そう言って乃亜の右肩を指でなでる。
指の動きに沿って乃亜のコートは裂けた。
「何故市販品を使うんだ?姫沙希社の耐火防護繊維の何が気に入らない?
備えあれば何とやらだ、きみの魔力障壁には及ばないがアレはなかなかの耐久力があるよ。」
あっさりと裂けたコートを見て、累がさも奇妙なものでも見るような目つきをした。
そうこう言っているうちに傷口が露出しする。
黒く縁取られた傷口からは黒い何かが溢れていた。
「きみじゃなければとうに生きてはいない。しかし、視認できるほどの魔力が流れだしながらよく魔族と闘えたものだ。我が子ながら感心するよ。」
傷口から流れる何かを指で掬うと、それはすぐに霧散した。
その黒いものこそ、乃亜の体内に渦巻く闇の魔力そのものなのだ。
体内のエネルギーが絶えず流れだしながら乃亜は昨夜の連戦を切り抜けたのか。
「少々痛むぞ。」
言った時には累の指は傷口に突き刺されていた。
ぴくりと右頬を引きつらせたものの乃亜はそれ以上の反応を示さなかった。
しかし見よ、傷口から今度は紅い魔力が溢れているではないか。
数秒間、流れ続けた魔力はゆっくりと退いて行った。
「どうだ?」
ゆっくりと指を引き抜きながら累が訊いた。
訊きながら手にした小瓶の蓋を開ける。
瓶には抗生剤と止血剤のラベルが貼られていた。
「影にやられた傷の対処法は相手の魔力を相殺するほかない。炎の魔力を医療的に使うのは難しいが、今回は成功だよ。」
特に何も言わない乃亜ではあったのだが、累は手際よく小瓶を机に戻した。
累なればこそではあるが、乃亜の症状が驚異的な速度で回復していったのを感じ取れたのであろう。
「おい、直せ。」
ふと気付いたかのように乃亜が声を上げた。
鋭い視線は裂けたコートへ向けられていた。
しばしの沈黙が流れた。
累の顔に苦笑の表情が浮かぶ。
「姫沙希社の生地では不満かな?新しいものはすぐに用意できるが、ソレを直すためには手作業で縫合するほかない。」
乃亜の顔が不機嫌そのものの表情を作った。
どうやら気に入っているらしい。
「わかったわかった、誰かに直させよう。それで、仮想実験だったかな?」
苦笑が絶えない累が、またも乃亜の目の前に立った。
相変わらず麻酔の効いた乃亜の口に何かをねじ込む。
「こらこら、しっかり飲み込みなさい。飲まないと暫く麻酔が残るぞ。」
今までの不機嫌など比にならないほどの不機嫌顔の乃亜に、累は相変わらず温かい声で釘を刺した。
数秒の間を置いて乃亜の喉が動いた。
見る見るうちに麻酔の効果が薄れて行く。
「麻酔だと?神経麻痺剤の間違いだ。」
昨夜以上の不機嫌顔のまま、乃亜が吐き捨てた。
右肩に刺さったままの麻痺剤は本来麻酔銃で撃ちだす小型の注射器である。
対象に命中した衝撃で安全装置が外れ充填してあるガスが薬剤を注入する仕組みだ。
そんなものを素手で扱った累にも驚きなのだが、深々と刺さった注射器を問答無用で引き抜く乃亜の姿こそ恐るべし。
そんな乃亜から注射器を受け取った累はいつの間にか工業エリアの制服であるツナギに着替えていた。
「仮想実験に付き合うならばスーツよりこちらがいいだろう?」
乃亜の怪訝な視線が気になったのか、累が苦笑気味に言った。
そんな父に特に反応も示さず、乃亜は社長室を後にした。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(ご無沙汰してます、一話更新です。 ( No.85 )
- 日時: 2012/06/15 16:43
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: つかの間の平穏の中で、何を見つけるか。
八章:7話
二人の訪問者の要望に、実験フロアの事務室に緊張が走った。
「特別区画にしますか?」
前回の仮想実験に同行したイシカワが訊いた。
「そろそろお昼だし、そんなに隠すことでもないんじゃないかい?」
応えた声はどこか陽気であった。
別に何が面白いわけでもない。
それが彼なのだ。
「主任には聞いてませんよ、社長に聞いてるんです。」
「まあまあ、イシカワくんもそうきつく言ってやるな。ツツミくんの言葉も一理ある、社員に余計な詮索をさせるのは好ましくない。」
イシカワがきっぱりと言い放つと彼は残念そうな顔をする。
累の温かな声にほれみろと言わんばかりにイシカワを指さしたのが彼、実験部主任のツツミだ。
どことなくフラフラとした動きにやたらと指を動かす癖、地毛かどうかはわからないが爆発したようなアフロヘアがまるでピエロの様な男であった。
「社長がいいって言うならそうしましょう。」
イシカワの声に累が苦笑した。
しかし、彼に言わせるとこの実験フロアの上下関係の軽薄さがこの実験部のいいところであるらしい。
「では、僕が仮想実験室に行こうか。イシカワくんは平常通り頼むよ。」
ツツミが無駄に指を動かしながら言った。
どこか苛立たしい仕草なのだが、誰ひとり文句を言わずに頷いた。
流石に主任。
見た目は似非ピエロでもその権力は実験フロア随一なのだ。
彼の決定から数分後、三人は仮想実験室に居た。
「聞いていなかったが、何の仮想実験をしたいんだ?」
累の声にツツミが苦笑した。
それを知らずに累は乃亜に付き合うと言ったのか。
「魔術的なことで一つ気になってな。すぐにわかる。」
ツツミの苦笑が深くなった。
この親子はどこか緊張感と言うか、危機感が足りない。
未知なるものへ微塵も恐怖を感じていない節がある。
「仮想空間を開始してくれ。市街地、魔力濃度通常で頼む。」
累の声で世界が変わった。
昨日とは違い、累の指示通りの市街地であった。
魔力濃度も外界と変わりない。
昨日は瞳に魔力の扱いを覚えさせるためにかなり高濃度の魔力が充満していたのだ。
「さて、何の実験なのかな?」
累が穏やかな声のまま乃亜と向き合った。
声こそ穏やかだがその全身からは見えざる闘志の様なものが感じられる。
彼は内戦終結の英雄。
言ってしまえば乃亜以上の戦闘経験を持ち、乃亜以上の死線をくぐり抜けてきたのだ。
そんな父に対して、乃亜は無言で魔力を覚醒させた。
黒い文様が浮き出し、物理的な質量さえ伴って魔力が放出される。
「お前には言うまでもない事だが、これが魔力覚醒だ。」
相変わらず抑揚のない乃亜の声に、累は無言でうなずいた。
魔力、魔術の基本的な概念を確立させたのは他ならぬ姫沙希累なのだ。
いまさら言うまでもない。
そして乃亜や気沼が学び、八城のアクセスする知識や情報さえも彼の集め、彼の考案した知識なのだ。
「俺は学んだ。お前と姫沙希社から魔力と魔族について、そして魔術を。」
乃亜の魔力が更に濃度を増す。
そして奔った。
二人の距離は3メートル。
1秒とかからずに打ちだされた高速の右手を、累は半歩ほど肩を下げて回避する。
全く無駄のない動きであった。
「手合わせしたいだけなのか?」
相変わらず穏やかな表情の累に対して、乃亜の顔に悩むような表情が浮かんだ。
その表情のまま身を捻ると、乃亜の右足は空を裂く様な速度で振り抜かれた。
それが打ち合ったと感じた瞬間、乃亜の体は5メートルも後方に吹き飛ばされた。
乃亜の魔術障壁と同じ要領で累の全身から一瞬にして多量の魔力が放出されたのだ。
魔術的な魔力の変換ではなく、ただ単純に魔力を放出する。
それだけである程度の距離ならば全方位をカバーできるうえに、今の様に隣接された場合距離を取ることもできる。
コツさえつかめば魔術的な防御障壁よりも素早く展開できるが、半面多量の魔力を瞬時に消費する為、連発するには向いていない。
吹き飛ばされた乃亜が着地するのを待たずに、今度は累が乃亜の元へと奔った。
乃亜と同速かそれ以上か。
乃亜さえも回避しえない勢いで繰り出された右足は、しっかりと乃亜の脾腹に決まった。
それでも僅かに飛ばされただけでしっかりと着地した乃亜はやはり流石と言うほかない。
「お前のデータバンクに載っていなかった事がある。」
着地した乃亜が、累の動きを待たずに言った。
魔力濃度がさらに上がり、髪と瞳が変色する。
累が驚きの表情を作った。
「これが魔族の血か?恐らく違うだろう。お前は魔族についてどこまで知っている?情報の出所はこの際どこでもいい。これは何だ?
先日の睦月瞳誘拐の実行犯。魔族と名乗った男と邂逅するまで、俺自身こんな変化は知らなかった。
俺の魔力が特殊なのは知っている。だが、この現象は何だ?」
沈黙が降りた。
それは累がこの乃亜の変化について知っている何よりの証拠であった。
お互い無言のまま時が流れた。
それが一瞬であったか、数時間であったか。
「そうだな。魔族の血ではない。きみには知る権利があり知る必要があるのだが、今はその時ではない。」
いつになく真剣な顔、声音であった。
普段の温かみなど欠片も感じ取れない。
しかしそれは乃亜の様な冷厳な無関心や拒絶ではなく、圧倒的な意思に支えられた宣言の様な声であった。
乃亜の魔力が和らいだ。
「八城の言った通りだな。」
声と共に魔力覚醒が解除される。
累の顔も、いつもの穏やかな表情に戻っていた。
仮想空間も解除され、仕切りの扉へと向かう乃亜の足がふと止まった。
「母親と関係があるのか?」
その声はどこか悲しみを帯びていた。
表情もまた、哀しげであり美しくあった。
そして、またも沈黙が下りた。
しかし今度は一瞬、累が乃亜を追い抜きながら声をかけた。
「確かにきみの母親は魔族だった。しかし、それについても今はその時ではない。いや、それについてきみはいずれ自ら知ることになるだろう。」
その声は乃亜以上に悲しみに彩られていた。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(久々にちょっと戦った← ( No.86 )
- 日時: 2012/06/26 17:36
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: つかの間の平穏の中で、何を見つけるか。
八章:8話
暖色を基調にした部屋の中で、彼女は何度目かの寝返りをうった。
ベッドを運び込む時間がなかったので現在彼女が寝ているのはアンザイのベッドだ。
アンザイの華の様な香りするベッドは彼女をすぐに夢の世界に誘ったが、数時間ごとに現実へと戻された。
疲労はだいぶ回復したが、緊張は相変わらず残っている。
頭まで被った布団の中は生温かく、どこか胎内を思わせる。
その感覚が彼女は好きだった。
体内に渦巻く氷の魔力のせいかもしれないと彼女は思った。
彼女の体が意識を超越して本能的に温かみを求めているのかもしれない。
どこか現実離れした刺激的な一夜が明けても、そんな現実離れした思考をしてしまうのが、彼女の緊張の証明であった。
もぞもぞと掛け布団を剥ぐと、ベッド脇のライトスタンドだけが灯されていた。
眠りに落ちる前はアンザイがソファでノートパソコンをいじっていたのだが、彼女の姿は見当たらなかった。
彼女、睦月瞳はベッドから這い出ると、スタンドの置かれているサイドテーブルから置時計を取り上げた。
時刻は午前11時。
議事堂での協議が終わったのが明け方なので、よく眠った方だ。
大きく伸びをしてベッドから降りると、急激に空腹感に襲われた。
よくよく考えれば瞳は帰宅途中に攫われたのだ、夕食と朝食を欠かした訳なので空腹なのも無理はない。
どうしたものかと考えていると、ノックの音が聞こえた。
応えると気沼の声がした。
「起こしちゃったかな?」
ドアを開けると、普段と何ら変わらない気沼が立っていた。
どれだけの修羅場をくぐり抜ければ、彼らの様な余裕を得られるのだろうと瞳は考えた。
そんな彼女の考えに気付いたのか、気沼は苦笑気味に背後から何かを瞳の前に持ってきた。
「着替え、下に行ったらクリーニングから上がってたから。」
綺麗に袋に入れられた制服が、彼女をほっとさせた。
昨夜借りてそのままのワンピースで出歩くのは流石に恥ずかしかったのだ。
社内にあるのかクリーニングに出したのかは不明だが、クリーニングタグまで奇麗に付けられた制服は何故だかひどく遠くなってしまった日常を取り戻してくれる。
「ありがとうございます。」
制服を受け取ると、会話がなくなった。
数秒の沈黙が下りたのだが、気沼の方が耐えきれなくなったように口を開く。
「あー、お昼は済ませた?まだなら食堂行かないかな?姫沙希社は社員食も一流だよ。」
気沼の声に瞳の顔が輝いた。
この男はいつもタイミングがいい。
願ったり叶ったり。
「着替えてからでもいいですか?」
「ゆっくりでいいよ。」
瞳の問いかけに頷くと、凄まじい勢いで扉が閉まった。
その声が聞こえものか否か。
数分後には二人でエレベーターに乗り込んでいた。
迷子になるのが心配なのか、気沼にしてはしっかりと各フロアの説明などをしつつ乗り込んだエレベーター。
単に会話がなくなるのが嫌だったのかもしれない。
そうして、瞳はふと昨夜から気になっていた疑問を思い出した。
「昨日社長さんが言ってた、特別区画って言うのはどこなんですか?
累の用意した注意事項の書面には特別区画への立ち入りを禁じる記述があったのだが、特別区画の場所が明記されていなかったのだ。
そもそも昨夜見た整備部の様子を見る限り、特別区画というのが何を指しているのかさえ分からない。
「あー、特別区画は日によって変わるんだ。フロアごとに大事なプロジェクトがあると、そのフロアの一部のブロックが特別区画って言われて、そのフロアのそのブロックの所属しか立ち入れなくなるんだ。
今日は特別区画はなかったはずだけど、特別区画がある日はエレベーター脇の掲示板に紙張ってるはずだから、毎日確認して。」
気沼が応えるとすぐに、エレベーターが開いた。
10階にある社員食堂に到着したのだ。
4台のエレベーターが並ぶ廊下の数メートル先に巨大な扉が見える。
その扉を気沼が押し開けると、奥には見たこともないほど巨大な食堂が現れた。
「凄いっしょ?ここが食堂、収容人数は600人だったかな。その食堂を20人のクルーで運営してるんだからびっくりだよ。」
呆気にとられている瞳の背中を押しながら、気沼が言った。
その声には紛れもない尊敬の響きがこもっている。
それは戦闘時とはまた違った、仕事の技量に対しての純粋な尊敬であった。
ワンフロア丸々一階を占領する社員食堂を20人のクルー、もちろん交代勤務であろうからほとんど数人で運営する能力には気沼でなくとも尊敬の念が湧くだろうが。
瞳が見上げると、どこか思い出に浸る様な表情であった気沼だがすぐに破顔する。
そのまま彼は手近な椅子へ瞳を促した。
「何食べたい?」
座るとすぐに気沼が訊いた。
巨大な長テーブルにはメニューがなかった。
「なにがあるんですか?」
「なんでも。」
瞳の率直な疑問に、気沼が笑った。
どこか自慢げなその表情は、とても子供っぽかった。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(ひっさびさに更新だよ! ( No.87 )
- 日時: 2012/07/03 23:04
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
八章:9話
「やっぱりここか。」
自分の皿を平らげて瞳の完食を待つ気沼に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
声の方向へ目を向けると、何やら紙の束を持ったエンドウが居た。
「おう、とっつぁん。なんでここだってわかった?」
軽く手を振り挨拶する気沼に、エンドウは一枚の紙を手渡しながら苦笑した。
「ジムと自室に居なきゃここしかないだろう。」
気沼の隣に遠慮なく自分の皿を並べながらエンドウが返す。
並ぶと親子に見えなくもない。
そんなエンドウの隣で、紙を受け取った気沼は困ったように頭を掻いていた。
「なぁ、これって俺も行かなきゃマズイのか?真っ昼間だし、オギノとアンザイ医師がいれば問題ないんじゃねーか?」
声もどこか困ったような声である。
どうやら仕事の話らしい。
ブツブツとそんなことを呟く気沼の肩に、エンドウの肘が入った。
それについて文句を言う前に、エンドウが真剣な表情で気沼に向き直る。
「後輩の為に一肌脱げよ、お前の言う通り真っ昼間だから大した危険はない。たまには働け、一応は警備派遣部だろ?」
顔は真剣なのだが、言っている内容は身が入っていない。
気沼の脳内では「簡単な仕事だろう」程度に変換されているであろう。
「どんなお仕事なんですか?」
そんな気沼に、ようやく自分の分を完食した瞳が問いかけた。
気沼は相変わらず困ったような表情で口ごもった。
エンドウがニヤリと笑う。
「嬢ちゃんの護衛任務だよ。嬢ちゃんのご家族にアンザイ主任が昨日の
事件と嬢ちゃんの保護について説明する。
昨日のドライバー覚えてるかい?あいつがオギノって言うんだが、あいつが運転手で気沼が護衛をって社長からの指示なんだが、どうやら行きたくないらしい。」
エンドウの説明に気沼が慌てた。
瞳は申し訳なさそうな顔で下を向く。
「ごめんなさい、迷惑かけちゃって。」
「いや、行きたくないって言うんじゃないんだけど。ったくおっさん、余計な事言うなって。あんた知っててやってるだろ?」
そんな瞳の呟きに気沼はさらに慌てた。
気沼が弁解しながらエンドウに掴みかかる。
きょとんとした表情で気沼を見つめる瞳を見て、仕舞にエンドウが吹き出した。
「いやなに。こいつはな、制服が嫌なんだよ。かわいい後輩にスーツ姿を見られたくないのさ。」
爆笑しながら説明するエンドウに、気沼はため息をついた。
「そういう事。んじゃあ俺は着替えてオギノに車回させとくから、瞳ち
ゃんはアンザイ医師呼んできてくれるかな?正面ゲートで待ってるからさ。」
決まり悪そうな気沼と笑いの収まらないエンドウを見ているうちに瞳も自然に笑みをこぼしていた。
そんな瞳を見て、気沼も次第に笑顔になる。
そこで瞳はふと思った。
「あの、アンザイ医師はどこに居るかわかりますか?お部屋にはいらっしゃらなかったんですが。」
そんな問いに、エンドウの視線が宙を泳いだ。
そのまま数秒顎を擦りながら思案しすると、何やら思い至ったような表情になる。
「あー、あれだ。隔離棟じゃないか?蓮と一緒に工藤要の監視のはずだ。医療フロアの最南端だよ。」
パチンと指をはじいたエンドウを見て、次は気沼の顔がニヤリと笑みを作った。
「とっつぁんは随分丸くなったじゃねーか?鬼のエンドウは昔の話か。」
形勢逆転。
今度はエンドウが気沼に掴みかかる番であった。
「あのな、嬢ちゃんはオレの部下じゃねぇ。部下以外には紳士なんだよ。」
気沼と同じように慌てながらエンドウが弁解した。
その姿があまりにも自分と似ていたからか、気沼も吹き出した。
「何を隠そう姫沙希社一のスパルタ主任、部下どころか全く別のフロアからも恐れられてんだ、いつもだったら自分で探せ。だよな。」
大爆笑しながらもエンドウを振りほどき、大声を張り上げて逃げて行く気沼。
そんなやり取りにクスクスと笑う瞳を見て、エンドウは苦笑気味に一言呟いた。
「ったく。」
そんなエンドウに礼を言うと、瞳も目的地へと向かった。
アンザイ医師の居るであろう医療部隔離棟。
エレベーターを使えば数分の旅路だ。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(ひっさびさに更新だよ! ( No.88 )
- 日時: 2012/08/20 06:56
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
八章10話
「旧時代、天の身遣いが人の子と恋に落ちた。未だ人が人として確立する以前、時の支配者が人と結ばれた。神と人の最初の混血。そんなのばっかりね。」
独りぼやいたアンザイは、眠気眼で八城の印刷した資料から顔を上げた。
未だに繋ぎっ放しの内線電話から反応はない。
工藤要も未だに混沌としているようだ。
この資料が正しいとすれば、彼女は半神半人なのであろうか。
ならばこんな扱いは罰が当たるんじゃないか。
考えてはみたものの、神が人間に隔離されているようでは先が思いやられる。
内線で八城に声をかけようとした瞬間、手に取った内線から声が聞こえた。
「アンザイ医師、お客様です。」
相変わらず緊張感の欠けた声とほぼ同時にノックが聞こえた。
防音になっていない待合室でさえ足音も聞こえないのに、などと感心しながら戸を開く。
「あ、おはようございます。」
声はアンザイの胸のあたりで聞こえてきた。
女としては長身なアンザイと、小柄な少女が並べばこんなものだ。
立っていたのは瞳であった。
「あら、おはよう。よくここがわかったわね。」
笑顔で招き入れると、後ろで戸の開く音がした。
出てきたのは勿論八城だ。
「エンドウさんに訊いたらここだろうって。八城さん、おはようございます。」
丁寧に挨拶する少女に、八城も丁寧に会釈した。
だがそんな八城をしり目に、アンザイは驚いたような顔をしている。
「瞳ちゃん、エンドウ主任に訊いたの?」
八城も明らかに苦笑の表情を作った。
対して瞳は困ったような顔になった。
「あの、やっぱりいけませんでしたか?」
先刻の気沼の一言を思い出したのか、瞳の声が翳った。
気を遣わせてしまったのだろうか。
「いいえ、いいのよ。ただ、あのエンドウ主任がどんなふうに教えたのかなって。」
アンザイの笑顔に安心したのか、瞳の表情も穏やかなものに戻った。
「気沼センパイが言うような鬼のエンドウさんではありませんでした。」
その答えにアンザイと八城の苦笑はさらに深まった。
「エンドウ主任がねぇ、彼も成長したものですね。」
八城が苦笑しながら例のプリンターで何かを刷り始めた。
一瞬ぎょっとした瞳であったが、昨日のことを思い出したのかすぐに平静を取り戻す。
八城の方も何やら刷り終えるとさっさと片付けて、アンザイに資料を渡した。
「社長からです。彼女のご家族への対応の仕事ですね。」
それだけ言い残すと、彼はまた工藤要の隔離室へと消えた。
「あの、アンザイ医師。なんか迷惑かけちゃってごめんなさい。」
資料を確認するアンザイを見て、瞳がおずおずと言った。
ちらりと瞳を見ると、アンザイは天使の様な微笑みを浮かべる。
「いいのよ、気にしなくて。準備はいいかしら?大丈夫ならすぐにでも出発するけど。」
アンザイの声に力強く頷く瞳を見て、アンザイはデスクに放りっぱなしであった内線を元に戻し、待合室を後にした。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(ペースが落ちてるな;; ( No.89 )
- 日時: 2012/08/20 06:57
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
八章11話
「あのー、本当にいいんですか?」
巨大な紙袋を抱えたオギノに向けて、今日何度目かになる質問をぶつけた。
「いいっていいって、どうせ大将か二代目か社長のツケだから。うわっ!」
「今回の仕事の稼ぎで十分賄えるから、俺が出すよ。」
前も見えないほどの紙袋のせいで蹴っ躓きながらオギノが答え、そんなオギノに並んで気沼も笑った。
そんな気沼も巨大な紙袋を抱えて歩いている。
「あらあら、頼もしい先輩ね。でもここは私が出します。一応大人としてのメンツがあるわ。」
そんな男二人に対して、瞳の手を取り歩いていたアンザイがきっぱりと言い切った。
四人は瞳の家族への報告後、アンザイの提案で瞳と工藤要の衣料品を買い出しに行ったのだ。
結果、小柄な瞳がよほど気に入ったのかアンザイが着せ替え人形の様に次から次へと試着させ、大量の紙袋が出来上がった。
「しかしよ、アンザイ医師が衝動買いタイプってのは意外だったぜ。」
男二人の持つ紙袋を見比べながら、気沼が零した。
一向に終わる気配の見えないアンザイの試着に気沼が待ったをかけたのは言うまでもない。
「医者はストレスが溜まるのよ、煙草とお酒と買い物は欠かせないわ。」
またもきっぱりと言い切るアンザイに、気沼とオギノが苦笑を零す。
そんな男どもを見て、アンザイがくるりと瞳の正面に回り、顔を両手ではさみながら上に向けた。
「瞳ちゃんはわかってくれるわよね?女は色々大変なのよね?」
どうやら、余程瞳が気に入ったらしい。
対して瞳は、頭一つ分以上長身なアンザイに上からのぞきこまれ、無言で首を縦に振っていた。
男二人の苦笑が濃くなる。
そこでふと、気沼の顔が真面目な表情になった。
「そう言えばさ、瞳ちゃんの保護とメンタルケアってのはいいんだが、護衛を組織ってのは一体誰がやるんだ?」
そんな気沼の問いかけに、アンザイの表情が変わった。
何を今更、とでも言いたげな表情だ。
「組織はしません。だって気沼くんと乃亜くん、八城くんまで付いてるのにこれ以上誰が護衛するの?」
その言葉にオギノも頷いた。
気沼の表情も成程と言っている。
確かに、考え得る限り最高の護衛に囲まれているのだ。
如何に手練の魔族と言えど、その3人を相手にして無事で済むとは考えにくい。
しかし、アンザイの脳裏には一抹の不安がよぎっていた。
工藤要はその3人を相手に一方的に攻勢を貫いたのだ、彼女について何か結果をと急かされる自分を必死に自制する。
そうこうしているうちにアンザイの自室へと到着した4人は、せっせと荷物を運び込んだ。
恐らく数十万単位の買い物であったろう。
カード払いと言う素晴らしきシステムに感謝しながら、アンザイは自らの持ち場へと戻ることを告げた。
「オギノも帰っていいぞ、親父さんにはオレが報告しとく。」
そんな気沼の一言に、オギノが驚いたような表情を作った。
無言のままのオギノに気沼の怪訝な視線が突き刺さった。
「大将が報告書かくんですか?」
日ごろから報告書は他人任せなのだろう。
相変わらず驚きの表情のままのオギノが訊くと、気沼は無言で手を振った。
どうやら何か他にも用があるらしい。
そんな空気を察したのか、軽く頭を下げるとオギノはさっさと持ち場に帰ってしまった。
「あの、気沼センパイはこの後どうしますか?」
そんな瞳の何気ない問いに、気沼の表情が真剣になった。
何事かしばし悩んだ末に、いつもの穏やかな声音で口を開いた。
「考え事があってね、考え事しながら報告書を書いて提出。部屋に居るから用があれば声かけて。16階の24号室。」
声こそ穏やかではあったが、顔は真剣であった。
そんな気沼の表情に感化されてか、瞳の表情も真剣になった。
「気沼センパイ。聞きたいことがあるんです。」
気沼が何か言う前に、瞳の声が聞こえた。
いつになく真剣で決意の籠った声であった。
「この会社の人たちはみんな魔力とか、魔術とか扱えるんですか?」
気沼の最も心配していた問いであった。
如何に乃亜に一矢報いるほどの才能があろうとも、魔族連中との戦いに気沼は瞳を巻き込みたくはなかった。
それでも、彼女が望むのならば気沼がそれを阻むような事をする訳にはいかない。
もしも自分や乃亜が、不死身の八城は別として自分達が斃(たお)された場合、彼女は自分で身を守らなければならないのだ。
「そうだな、全員じゃないだろうが殆どの社員がある程度の技術は持ってるはずだよ。」
自分でも穏やかな声だと思った。
どちらが自分の本意なのか、彼自身理解できていないのかもしれない。
「私みたいに、影が使える人って居ますか?もしくは氷の魔力を持った人は居ませんか?」
瞳は変わろうとしているのだ。
乃亜や気沼には及ばずとも、自分の身ぐらいは自分で面倒を見たいと。
気沼にもその意思は伝わった。
「そうだな、影士ってのは聞いたことないが、氷の魔力なら心当たりがあるよ。八城の助手にWD(ダブルディー)って女が居るんだが、そいつに訊くといい。
ただ、おっかねーよ。そうだな、さっき下で会ったときに医療フロアに用があるって言ってたから、行ってみるといい。」
いつの間にかたくましく成長した後輩に、気沼の接し方もどこか変わった。
今までの様にコワレモノを扱うような態度ではなく、姫沙希社の一員のようにありのまま接している自分に気がついた。
対して瞳も、気沼の笑顔に変化を感じた。
今までは自分に向けられることはなかった家族の様な本心からの笑顔。
どこか人懐っこいやんちゃな笑顔を瞳は初めて向けられた気がした。
「ありがとうございます。」
そんな事を考えると、なんだかとても近しくなった気がした。
だからこんなにも穏やかな声でお礼が言えたのかもしれない。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(ペースが落ちてるな;; ( No.90 )
- 日時: 2012/07/30 19:40
- 名前: みっちょん ◆/et336JgcM (ID: QNccqTkk)
読んで無いけど、見てみたかったww
長いね、相変わらず(苦笑)
頑張って!!
続きを楽しみにしています!
てか、師匠の作品に感想書くのが楽しみの一つではあるw
待ってますよ☆
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(ペースが落ちてるな;; ( No.91 )
- 日時: 2012/08/20 07:00
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
みっちょん>>90
気付くのが遅くなってしまい申し訳ない;;
長いって、まだまだ続きますが、よろしいか?ww
不甲斐ない感想を書かれんように気を引き締めて執筆しますよ(゜レ゜)
であ、コメントありがとう(^u^)
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(ペースが落ちてるな;; ( No.92 )
- 日時: 2012/09/01 12:20
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: 雪ぐべき過去、一体何が……。
八章:12話
小ざっぱりとした室内で、彼は大きな伸びをした。
瞳の護衛任務の報告書を書き上げ、慣れないことをして溜まったささやかな疲労を感じると、束の間の日常を再認識する。
「さてと、こんなもんか。」
久々に自らが書き上げた書面を読み直しながら、気沼の脳内では昨夜の戦闘が繰り返し思い返されていた。
魔族については知識がある。
乃亜と共に姫沙希社の収集した知識を学び、乃亜と共に対抗するべく力をつけてきた。
理由は簡単だった。
人間と比較しなくとも、魔族の能力は卓越した物だ。
つまるところ、人類がかつて他の類人猿達を絶滅させ地上の覇者となったように、いつか魔族たちの攻撃が始まるかもしれない。
世間的には全く知られていない魔族と呼ばれる種族ではあるのだが、姫沙希累に言わせれば、知ってしまったからには出来る事をしなければならないのだ。
累の推測ではあるのだが、先の内戦は裏に魔族たちが居た可能性があるという。
だからこそ、彼はここに居るのだ。
乃亜に出会ったからでも、姫沙希社に助けられたからでもない。
——
彼は戦争孤児だった。
いや、戦争の後遺症の餌食になったと言う方が正しいかもしれない。
彼の家は軍属であった、両親と兄が居た。
内戦を経て軍が崩壊した為貧しい暮らしではあったが、温かな家庭があった。
彼が5歳の時、家が襲われた。
終戦という節目で退役した父に対する逆恨みのテロ行為であった。
彼以外は即死だった様で、彼の体にも二発の弾痕が未だに残っている。
それ以来、彼は生きるために殺し、食うために殺してきた。
そんな生活が半年ほど続いた頃、ひょろ長い青年を顎で使う黒衣の少年に出会ったのだ。
彼に襲いかかったことだけは覚えている。
気がつくと姫沙希社の医務室に居た。
それから彼は姫沙希累の元、警備派遣という仕事にありつきながら普通の学生生活を送ってきた。
いつか家族を襲った連中に、あの内戦を引き起こしたという魔族に復讐するために。
そして昨夜、絶好のチャンスを迎えるも、彼は自分と魔族の力の差を思い知ったのだ。
——
「親父さんに稽古でも付けてもらうか。」
自分に言い聞かせるかのように呟くと、自室を見回した。
気沼の外見からは想像しにくいが、綺麗に整頓された室内だ。
白いベッド、簡易冷蔵庫、小さな液晶テレビ、ゴミ箱が三つに今腰掛けている木の机。
あまり物がないのだが、壁際には大きな本棚が置かれていた。
しかし本はない。
全ては姫沙希社が集めた魔族についての資料と戦闘分野の資料、そして雷華術についての資料がファイリングされている。
ふと、ここ数日は姫沙希家に通っていたことを思い出し、机の引き出しを開けた。
中に入っているのはほとんどが銃器だ。
彼のためにチューンナップされた改造品ばかりだが、その中でも彼が好んで使うのは姫沙希モデルワン、通称M-1と呼ばれる社内基準装備の改造品だ。
通常は姫沙希社製の45口径弾を使用するのだが、彼の品はより強力な50口径の撤甲マグナム弾を使用している。
そのサイズからは想像できない破格の威力から、社内では「ハンド・キャノン」と呼ばれているカスタム品だ。
そんな相棒を分解、整備、再組立して、気沼は深呼吸をした。
全ては仕事の為だ。
姫沙希社の警備派遣は主に町の主要部に派遣されるのだが、戦闘地域に派遣されることや、警官隊との連携を取る事もある。
そんな場合、自らの命を預ける相棒が不発や誤作動では命が云々以前に一流の警備派遣は名乗れない。
だが、拳銃の分解、整備、整備、弾丸の入れ替えをものの10分程度で終わらせてしまった気沼は一流の名に恥じないであろう。
一通りの工程を終えて、気沼は相棒を引き出しへ戻した。
一息ついて煙草に火をつけると、机の脇に置いてあるゴミ箱を引き寄せる。
姫沙希社の社員寮にはどの部屋にも三つのごみ箱が用意されている。
可燃ごみ、不燃ごみ、そして産業ゴミ用のごみ箱が用意されているのだ。
気沼や八城の様な戦闘要員は今の様に廃棄する弾丸を入れ、アンザイやクラマの様な医療従事者は感染性廃棄物等、エンドウやセンジュの様なメカニックは再利用可能な金属片などを投じる。
ちなみに空き缶や瓶も産業ゴミに分類され、収集日は火曜日だ。
ここでまた気沼はふとした表情で、片付けた銃器を再び取りだした。
弾創を抜き、初弾をゴミ箱へ投げた。
そして三段目の引き出しを開ける。
中には手榴弾やナイフ、閃光弾や催涙弾など銃器以外の戦闘アイテムが収納されていた。
そんな中から気沼は一発の弾丸を探しだした。
先ほどまで詰めてあった弾丸と寸分変わらない。
しかし探し出した弾丸はダミーカート、弾丸の模型である。
そんなものを弾創に詰め、弾創を挿入、初弾を装填した。
これは姫沙希社内の規定である。
如何なる場合も社内に保管する銃器に装填する銃器の初弾は不発弾とする。
多くの兵器、銃器を所有、保管する姫沙希社では侵入者や襲撃者への対策としてそのような措置が取られていた。
つまるところ如何なる銃器も初弾を手動で排莢しない限り使用不可能なのである。
当然それ以外にも長らく薬室内に装填した弾丸が劣化で不発する危険を回避する、などといった効果もあるのだが。
とにかく彼はそんな規定に則り、初弾を不発弾に換装したのだ。
気沼だけではない、各フロアに配置された緊急用の小火器や社員寮の個人部屋に保管されている私物も全てがそのように保管されている。
そんなある意味で変わった日課を終えると、彼はまた報告書の読み返しに戻った。
もう一服したら報告に行こう。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(久々に更新!遂に彼の過去が… ( No.93 )
- 日時: 2012/09/12 22:17
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: 己の領分、確かなもの。
八章:13話
「親父さん、失礼しますよー。」
社長室の戸を叩きながら、気沼はそう声をかけた。
毎度のことではあるのだが、何故かこの社長室の前に来ると厳粛な気分になってしまう。
「気沼くんか、報告書かな?」
返ってくるのはいつもと同じ、相変わらず穏やかな声だ。
これも毎度のことではあるのだが累の声を聞くと途端に緊張がほぐれる。
戸を開けると、毎度見慣れた書斎机に累が腰かけていた。
湯気の立つマグカップからはコーヒーの香りが立ち上っている。
そして毎度思うのだが、この姫沙希累と言う男は何かこう悟りを開いた修行僧のような雰囲気を感じる。
数多の死線を潜り抜けた結果が生に対する何かを変質させるのだろうか。
気沼にそんなことを思わせる原因の一つが彼の質素な身形だろう。
自宅、つまりは彼が夜半に訪れる丘の上の豪邸を除けば累はどう考えても一流企業の社長にしては奇妙とさえ言える質素な出で立ちであり、生活をしていた。
その唯一の例外である自宅でさえ、殆ど帰宅していない状態なので事実上累の家と言うよりは乃亜の住まいとなっている。
改めて、気沼は目の前に座る男を見た。
穏やかな表情は兵器会社とは結びつけにくい上に、内戦の英雄と呼ぶにはあまりにもありふれた男である。
着用しているスーツも気沼の制服と同じ物、つまりは社内で製造される防護繊維で作られた物だ。
したがって彼は衣類には殆ど金をかけていない。
室内も同じである。
どこにでもある書斎机とオフィスチェアにパイプイス、小さな棚に並んでいるのは各フロアの事務室に置かれているのと同じコーヒーメーカー。
机の上も同じだ。
どこにでもある簡易書類棚とクリアファイル、旧式のパソコンに各フロアに置かれているマグカップ。
そんな質素な上司に報告書を渡すと、彼はそれを笑顔で受け取った。
「きみに頼んで正解だったな。先月からようやく一仕事か。」
手渡された報告書に目を通しながら、累は穏やかに言う。
恐らく中々仕事をしない気沼への皮肉だったのだろうが、声も口調もあまりに穏やかなので、気沼がソレと認識するまでに数秒の間があった。
苦笑気味に頭を掻く気沼に、累は何やら明細の様なものを手渡す。
「いつもと同じように経理に持っていけばいい。きみはなかなか一所に留まっていてくれないから、手渡しすることにしたよ。」
どうやら給与の明細と、引き換えの書類らしい。
形だけの政府しか存在しない世の中では、銀行と言う機関がほとんど機能していない。
アンザイが使用したクレジットカードも姫沙希社名義で請求書を寄越してくれと言う物だ。
ぱっと明細に目を通して、気沼の顔が困惑の表情を作った。
「親父さん、毎回言うように、こんなに受け取れねーよ。」
その表情は正に苦悶。
なにせ彼の明細にはたった数時間、それも危険の少ない時間帯に危険の少ない場所で後輩の護衛をしただけで彼の年齢の平均年収の3分の2に相当する額が記載されているのだから仕方がない。
そんな気沼の声に、累は静かに笑った。
「勘違いしないでくれ、別に身内贔屓ではないんだ。今回はたまたま襲撃はなかったが、もしもあの時魔族が襲ってきたらきみは一人で応戦しなければならない。
人間相手ではない、命に保険をかける訳にはいかないがそれを踏まえればその程度の額では不服なのが普通だぞ?」
累の目は真剣であった。
それは友人の父としてではなく、雇主としての言葉。
確かに累の言葉は正しい、今回は運が良かっただけなのだ。
「しかしよ、こんなにもらっても使い道がないぜ。銃器の販売だって最近は不振なんだろ?」
肩をすくめる気沼に対して、累は先ほどよりも大きく笑った。
「それも勘違いは困るよ。確かに我が社の顧客選定は厳しく、兵器の売り上げは不振だ。
しかしね、我が社が販売しているのは兵器だけではない。開発部の鋼材、医療部の新薬、警備部の労力、整備部の公共事業。
兵器開発は言うなれば副業だな、売り上げは全体の数パーセント程度なんだ。」
そんな事を言いながら累は机に並んだファイルをひとつ気沼に放った。
昨年度の経理書類だと思われる書類が綺麗に整理されて収まっている。
「我が社は支店の開発や社外投資は一切行わない。それ故に倒産しようとも社員は皆独立しても十分にやっていける実力がある。ならばこそ我が社に出来る事は社の拡大ではなく人材育成と技術開発ではないかな?」
姫沙希累と言う男は私欲がない。
それがまた経営者に似合わない姿勢であり、経営者としていかに優れているかを物語っている。
そして、その心は社員達にも伝わっていくものだ。
「やっぱり、こんなに受け取れねーよ。」
もちろんこの男にも。
相変わらず穏やかな表情で累は机の角を指でなぞった。
困った時、累は決まってこれをやる。
「息子に似てしまったのか、きみも頑固だな。余っているなら家でも車でも買えばいい。我が社は社員の個人投資もみとめるよ。」
どこか優しげな声音でそう言った累の目は、まるで二人目の息子を見るかのような目であった。
恐らく気沼が累を慕う以上に累は気沼を愛しているだろう。
そんな累の目に押し負けたのか肩をすくめた気沼であったが、不意に真剣な表情で改めて累に向き直った。
「なあ親父さん。忙しいのは知ってるが、ちょいと格技室に付き合っちゃもらえないかな?」
本日二度目の手合わせに、累は快く頷いた。
格技室とはトレーニングルームに用意された小さな運動場の様な部屋である。
昨夜の戦闘で気沼が思ったことは自分の領分で結果を残す、それだけだった。
気沼には乃亜の様な魔術や、八城の様な不死性ではなく、接近格闘という領分があるのだ。
それを改めて鍛え直すために、彼もまた師へ稽古をつけてもらうのだ。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(一話更新、オフィシャル始動 ( No.94 )
- 日時: 2012/09/17 18:29
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: dvUrJGSo)
- 参照: 真価の深化。先に在る進化を目指して。
八章:14話
医療フロアと言う場所は、意外に人の多いフロアである。
単に医療フロアと言うが、ベテラン社員の揃っている姫沙希社にとって医療フロアとは治療よりも薬剤の研究開発が主な仕事であった。
なにせ怪我人など月に一人でも出れば多い方である。
したがって従業員も医者より薬剤師や技術者の方が多い。
そしてこの医療フロアと言う場所は意外なほど危険な場所でもある。
先にも述べた通りなのだが、研究開発される薬剤は何も全てが医療関係とは限らない。
毒薬、麻痺剤、麻酔、幻覚剤、催涙剤、強酸化剤。
兵器、武器として使用しても十分な効果を発揮するような薬剤も数多く研究開発されているのだ。
累が乃亜に使用した神経麻痺剤も、つい先日この医療フロアで試作品が完成したばかりの新薬である。
そんな危険など露知らず、瞳は黙々と歩みを進めた。
いつまでここに滞在していられるかはわからない。
しかし、その間に何としても魔力と影の扱いを会得しなければ。
何が瞳を焦らせているのかと言えば、乃亜の言葉通り実際の魔力の扱いは仮想空間ほど簡単ではなかった。
移動中の車の中、アンザイのおもちゃの様に着せかえられていた試着室、今こうして歩いている間。
余裕のあるときはいつでも魔力を意識しているのだが、仮想空間の様な術はおろか僅かな冷気さえ感じ取れなかった。
段々と決意が緩み、自信を失いかけていた時、目の端に見知った姿を認めた。
「姫沙希センパイ!」
黙々と歩みを進めていた黒い影が振り向いた。
今日は愛用のコートは羽織っておらず、何のつもりか軍の特殊部隊の様な服装ではあるが、そんな姿もまた恐ろしいほどに美しい。
「睦月か、走るな。」
乃亜の姿を認めた途端、小走りになっていた瞳に厳しい一言が飛んだ。
しかし、そんな一言にめげている場合ではない。
「何か用か?」
乃亜の言葉をうけてゆっくりと歩み寄ってきた瞳に、乃亜は普段より幾分穏やかな声で問いかけた。
乃亜は誰よりも瞳の真価を知っているのだ。
「あの、もう一度仮想実験室に付き合ってもらえませんか?」
瞳も瞳で、極限とでも言うべき死闘を経て乃亜への信頼感は揺るぎないものになっていた。
先ほどまで失いかけていた意志もまた。
「先方の予約があってな、その後で良ければ付き合おう。」
声をかけながら乃亜の視線が流れた。
瞳の背後へ。
「仮想空間まで待てんのか?騒々しい奴だ。」
乃亜の声を聞いた瞬間、瞳の頭部に硬質な感触が触れた。
「たまにはこう言うのもね。さあ二代目、どうする?」
そんな言葉が聞こえた。
恐らく頭部には凶器が突き付けられているであろう。
そして瞳の考えが正しければ乃亜は気にも留めずに応戦するはずだ。
そんな考えが脳裏に浮かんだ瞬間、彼女の体は宙を舞っていた。
正確には乃亜に足を払われ転げたのだが、瞳にとってはどちらも同じ事であった。
「これでハンデはなしか。」
乃亜の声に、歯軋りの音が聞こえた。
どうやら背後からの襲撃者にとってこれは不測の事態であるらしい。
まさに互いが次の行動に移ろうとした瞬間、遠くから大音声が聞こえてきた。
「WD!何度医療フロアで銃を抜くなと言えばわかるんだ!」
声の主はクラマ医師であった。
近くのブロックに居たのであろう、彼は半ばあきらめの表情でこちらを見ていた。
「でもさセンセッ、久々に二代目が長期滞在すんだ、アタシら戦闘部隊も稽古つけてもらいたいじゃん。」
咎められた本人、つまりはWDと呼ばれた本人はいたって真面目に返答した。
そのまま瞳を片手で抱き起こすと、いかにも当然といった表情でクラマを手招きする。
「誰だかわかんないけど、巻き込んじゃったから診てやって。」
そんなWDの注文に、今度こそ深いため息をついたクラマ医師は手にしていたボールペンを思い切り投げつけた。
その小さな反抗心とでも言うべきペンが、実に恐ろしい兵器となる。
なんとそのボールペンは乃亜でさえ身を引く程の速度で飛来し、WDの足もとに深々と突き刺さった。
「その子は僕が診るから、お前はさっさとアンザイ主任の処方した薬を飲んで来なさい。センジュが悲しむぞ。」
普段とは気迫の違うクラマ医師の声に、乃亜が苦笑した。
視線の先には突き刺さったボールペンがある。
気付いたクラマが申し訳なさそうな表情を作った。
ここは姫沙希の所有地なのだ。
「気にするな。医務室の戸と合わせて直させよう。」
そんなことを言う乃亜の声はどこか自嘲気味であった。
彼もまた昨夜医療フロアで"破壊活動"を行ったのだ、どうやらそれを思い出したらしい。
そんなやり取りを呆然と見ていた瞳はある事に気付いた。
姫沙希乃亜と言う人物は意外と感情豊かな男である。
普段はあまりにも無関心が先行しすぎているだけで、彼もまた人の血が流れているのだ。
「睦月さんだったよね?見たところ異常はないけど、気分が悪くなったらすぐに医務室まで来てくれ。アンザイ主任の不在に問題は起こせないからね。」
クラマの声で瞳は現実に戻った。
異常なしならばすぐにでも乃亜に稽古をつけてもらわなければ。
そこでふと気付く。
「あのー、姫沙希センパイ。先方の予約ってもしかして……」
瞳は初めて傍らに立つ女を認識した。
まだ若い、恐らく二十歳の真ん中ほどだろうか。
乃亜と似たような戦闘服姿で立つ女はアンザイと同じく長身であった。
しかしアンザイとはまるで違う。
乃亜同様切れ長の目は異常に鋭い眼光を放ち、左耳にはピアスがズラリ。
ミディアムロングの黒髪には所々青と緑のメッシュが入っている。
気沼の言う通りキツイ印象を受けるのだがよく見れば整った顔立ちをしていると瞳は思った。
「あーあー、いきなりごめんね。アタシは警備派遣部のWD。みんな呼んでるからそう呼んで。」
瞳の視線に気づいたWDは鬱陶しそうに髪を掻き上げながら自己紹介した。
黒い無地のTシャツにバトルベスト、市街地迷彩のスリムカーゴといった戦闘服姿。
しかし、それを除いても表情や仕草は男らしい印象を受ける人物でる。
「睦月瞳です、よろしくお願いします。」
今までの瞳ならばあっという間に竦み上がってしまうような相手なのだが、流石に成長したようだ。
瞳が影の能力と氷の魔力を持ち、彼女を探していた旨を告げると、WDは快く承諾した。
「でもその前に、二代目が先よ。」
乃亜と闘いたがるとは、やはり姫沙希社の社員。
彼女もまた、内戦を生き抜いた歴戦の勇士なのであろう。
またも腰から拳銃を抜こうとしたところをクラマに一瞥され、渋々と仮想実験室へと向かうWD。
クラマも、特にそれ以上は言わずにその背中を見送った。
クラマは彼女の過去を知る数少ない人間の一人なのだ。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(2話更新、イラストとか短編とか ( No.95 )
- 日時: 2012/10/18 05:32
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: sumii.nN)
- 参照: 烈女と道化、与ふる力。
八章:15話
乃亜を先頭に仮想実験室に入ると、内部にはツツミが居た。
表情豊かにフラフラと動くこの男は、やはり道化者に見える。
「あれ?まさかピエロ主任が動かしてくれるわけ?」
そんな彼を認めた途端にWDが声を上げた。
本来ならば一個人の要望にいちいち主任クラスが付き合うことなど無い。
彼らとて一部署の主任な訳であって、そう暇でもないのだ。
加えて中々現れず、現れても他人の頼みなど聞こえても居ない様な乃亜まで同席することなど極めて異例だろう。
「いやいや、二代目に呼ばれてね。お嬢さんが睦月さんかな?実験部主任のツツミだ。よろしく。」
相変わらずやたらと指をクネクネとさせながら、陽気な声で自己紹介をする。
そんなツツミには目もくれずに、乃亜が長い髪を結いだした。
実験室に向かう途中で調達したカバンを開け、内部から緑色の小さな立方体を取りだす。
いくつか纏めて握りつぶした瞬間、彼の手のうちに戦闘部隊の必需品とも言えるバトルベストをはじめとした多くの装備品が現れた。
どれもが現行最高性能のBDUであり、エネルギー流動を計算し尽くした最先端の発明品でもある。
そんな乃亜の手の内に突然現れた物を見て、驚きの表情を浮かべた瞳を見ると、ツツミがさも愉快そうに笑った。
「いやいや失礼したよ、ソレを見て驚く人間がこの会社にはもう居なくてね。姫沙希社の試作段階の圧縮ホルダーなんだよ。
カラクリは企業秘密だが、正確には圧縮と言うよりも同次元帯に存在できる質量の最大枠を振動と電磁力で拡大しているんだな。
つまりは圧縮と言うよりも収納だ。納める物を圧縮している訳ではなく、ホルダー内の収まる空間を拡大している訳だ。」
少なくとも高校生に話して瞬時に理解できる話ではないのだが、これも時間はともかく3次元空間構想のある程度を解明した姫沙希累と姫沙希社だからこそ生産できた品である。
ツツミの解説が終わるころには既に、乃亜とWDは仕切りの向こう側に居た。
慌てて装置へと移るツツミに、WDが手を振る。
「ピエロッ!仮想空間は廃工場、魔力濃度ゼロでよろしく。今日は人間の戦い方でやるってことで。」
WDの声に乃亜が愉しげに苦笑した。
乃亜の本領は魔力と魔術を使用して初めて発揮される。
と言うよりも、見てわかる通りに明らかに人間よりも魔族に近い乃亜にとって魔力と魔術とは無意識的に発動するようなものなのだ。
それが使用不可となるのであればハンデは大きい。
しかし、そんな状況にも皮肉な、それでいて確かに愉しげな表情を浮かべる乃亜の底知れぬ精神力。
「了解した。ま、仮想空間に入るから楽しんでくれ。」
ツツミの眼前にあるスクリーンが要望通りの廃工場を映しだした。
何が起こるのかと覗きこんでいた瞳の顔も期待の表情を作る。
「ああ、この装置は魔力で操作するんだ。場所、時刻、気候のような一般的な設定や、酸素濃度や湿度、魔力濃度なんかも調整できる。
昨日はイシカワくんがきみの為に魔力濃度を限界まで高めていたんだけれども、今回は彼女の要望で魔力濃度ゼロ。
つまりは魔術の発動が不可能な状態のフィールド設定だ。」
ツツミの説明に、瞳が疑問の表情をつくった。
この会社の社員達はどこか常識から逸脱した知識や技術に慣れすぎてしまっている節がある。
「おっと失礼、魔術についての説明からいこうか。魔術と言うのは本来人間には体現不可能な"現象"を一種のエネルギー、
つまりは我々が魔力と呼んでいる非科学的エネルギーで再現する技術のことだ。
非科学的エネルギーと言ったが、これは生物が体内で生産する熱エネルギーと無意識下で生産されている精神エネルギーを掛け合わせた物、
その為に個々によって生産可能なエネルギーの種類、我が社の言う属性分類が異なる訳だ。
これは生物の魔力自体が生産過程において殆どの割合を熱エネルギーに頼っているからであって、
二代目の様に精神エネルギーの割合が比較的高い濃度で掛け合わされていれば自らの基本属性分類以外の魔力でも生産可能だ。」
相変わらずクネクネとよく動く指が気になる瞳ではあったのだが、この男の話は興味深い。
そしてスクリーンにモニターされている映像も復。
ちょうど乃亜がWDを見つけ、激しい銃撃戦に発展していた。
瞳自身、気沼と仲が良いので乃亜とは同学校内の他の生徒よりは遥かに面識があるが、乃亜が汎用機関銃を撃ちまくる所は流石に見た事がなかった。
そもそも、昨夜の連戦の内で乃亜は一度も銃器、人類文明最高の携行武器を使用していない。
そんな事をぼんやり考えた瞳の脳を、ツツミの声が刺激する。
「魔術と魔力の基本概念は以上だが、次に術と法の違いだ。古来から魔法と魔術についての記録はある種の伝説として存在して来た。
しかし、僕と社長の意見から言わせてもらうとこれはある意味で明確な真実である。
魔法とは本来不可能な現象を可能にする能力であり、魔術とはある一定の限られた現象をある程度再現するに過ぎない能力である。
この明確な違いが分かるかな?そもそも魔法と言う言葉があるにも拘らず、魔術などと言う言葉が生まれたこと自体が明確に異なる二つの現象が存在する証明だ。
簡潔に言ってしまえば魔術は手で触れずとも石を動かすことが出来る程度の力であり、魔法とは言うなれば何もない空間に金を作れる力だ。
何故こんな話をしたかと言えば、魔術は万能ではない。不可能を可能にする能力でもなければ、全ての事象を操る能力でもない。そういうことだ。」
似非ピエロのようなこの男が、瞳には段々と姫沙希累の様に見えてきた。
姫沙希累と交わした言葉の数はさして多くはないのだが、累にしろツツミにしろ彼らはどれほど多くの事を経験してきたのであろうか。
仮想空間、圧縮ホルダー、魔術や魔力。
そうした空想の世界の産物を形にしてしまう者達に、瞳は改めて深い尊敬の念を抱いた。
もっとも、瞳こそ知らぬ事ではあるが、それら多くの発明品の基礎的な発想は魔術と魔力を参考にしている。
ふと、ツツミがスクリーンを指さした。
乃亜の軽やかな移動と不規則な銃撃に苛立ったのであろうWDがメインウェポンを囮として置き去り、周囲に小型のプラスチック爆薬を仕掛け始めた。
「奴め、また薬を飲まなかったな。」
そんな事を相変わらず愉快な声で呟いたツツミは内線電話を取り、何やら難しい事をどこかへ伝えた。
- Re: 鎮魂歌-巡る運命に捧ぐ序曲(2話更新、イラストとか短編とか ( No.96 )
- 日時: 2012/10/18 05:31
- 名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: sumii.nN)
- 参照: 烈女と道化、与ふる力。
八章:16話
「失礼、次に魔術発動の条件とリスクだ。昨日の仮想実験ではさして苦にならなかったかもしれないが、魔術とは本来極度の集中と多大なエネルギー消費の上に成り立つ現象だ。
きみが手で扇いでも風は起こせるが、魔術では体の動きとは関係なく突風と呼べる威力の風を生み出せる。それを考えれば魔術のエネルギー消費が激しいのは理解できるだろう。
ここで問題なのはふたつ。動きながら如何にして必要な集中力を得るか、そして如何にして発動に必要なエネルギーを確保するか。
これはもうきみ自身の問題なので掘り下げないでおこう。次に魔術発動の条件だが、集中、必要量の魔力以外に、発声と空間魔力と言うものがある。
発声はそのままの意味だが、魔術は基本的に術者の声が鍵となり発動する。車と同じだ、鍵がなけりゃスタートできない。
次の空間魔力だが、これはさっきこの装置で説明したようにその空間に存在する魔力のことだ。本来空間には人間以外の生物の生産した魔力が漂って居たり、
効果時間を終えた術が魔力に戻って漂っていたりするんだが、これが道しるべとなってその空間に魔術を導く訳だ。つまりは魔力濃度ゼロの空間では魔術は必ず不発する。」
声に合わせてスクリーンが白く焼き付いた。
WDが仕掛けた爆薬を吹き飛ばしたのだ。
如何に乃亜が卓越した戦闘能力を誇っていようとも、流石に魔術なしでこの爆発を防ぎきるとは考えにくかった。
その爆発を見て、瞳はふと思い出した事がある。
「あの、姫沙希センパイが私を助けた時、発声せずに蒼い光を飛ばしていたんですが、あれは魔術じゃないってことですか?」
「うん、正解。正確には魔術なんだけれども、結構とっさに飛ばしたでしょ?社長の資料によると魔族や人間の最も扱いやすい魔術が魔光弾(ブラスト)と呼ばれる術で、起爆性の蒼い発光球体を射出する術らしい。
低級な術だから二代目はよく手を抜いて魔力だけを高速射出する癖があるみたいだね。」
つまるところ乃亜は初めての対魔族戦で加減をしていたということか。
そんな事を考えていたのが表情に出ていたのか、ツツミが慌てて手を振る。
「いや、メリットはあるんだよ。術と違って魔力量がある程度あれば術よりも集中力を必要としない上に即効性、速射性には優れてるからね。」
ツツミがそう言ったところで仮想空間が解除された。
っと言うよりは説明をしながらモニターを確認していたツツミが解除したのだ。
「終了だ、WDそれ以上暴れるとまた隔離棟行きだぞ、薬も飲め。」
ツツミが相変わらず愉快な声で釘を刺しながら、瞳を促した。
次は瞳の稽古なのだ。
対して、催促されたWDは不服で仕方ないと言わんばかりの表情で口を尖らせる。
「ちぇ、もう少しで串刺しだったのに。」
そんな物騒な事を呟きながらWDが腕を振り回した。
この女、やはり男勝りだ。
そんなWDに、珍しく乃亜も感心したような表情をした。
「如何に仮想空間とは言え機銃弾を4発くらってあれだけ跳びまわれるとはな。」
確かに4発の弾丸を受けて尚闘争の意志を露わにしたWDは凄まじいと言えるのだが、
小型とはいえ高性能のプラスティック爆薬で眼前を爆破されて尚平然と戦闘を続行出来た乃亜が言っては嫌味にしか聞こえない。
だがWDはと言えばそんな乃亜に素直に嬉しそうな表情を向け、傍らで圧倒される瞳を仕切りの向こうへと攫って行く。
「んで、睦月ちゃんはアタシと何したいのかな?」
「WD、民間人相手に銃器の使用は許可しない。」
正面切って対峙していた瞳の肩をがっちりと掴んだWDの楽しそうな声。
それに対してバッサリと冷たい声で釘を刺した乃亜に、WDは残念そうな顔をした。
「二代目、アタシだって女の子相手に銃器は使わないさ。」
とは言ったものの乃亜と視線を合わせようとしない。
不服の意思表示だが乃亜の命では背く訳にはいかないだろう。
「睦月、危険を感じたらすぐに言え。こいつは暴走したら止まらん。」
珍しく乃亜が安全面で釘を刺すように繰り返した。
どこか哀しげな表情のWDではあったが、瞳は素直に頷く。
あの乃亜でさえ注意する気になる程の理由に興味がない訳ではないが、あの乃亜がそうまで言う程だ、それを知った時にはその驚きを語る事もできなくなるのだろう。
「さあて始めようか。まずは何から聞きたい?アタシにわかることなら何でも教えてやるよ。」
2メートルの程距離を開けて対峙しなおしたWDの声は意外にも明るかった。
彼女が何を抱えているかは分からないが、彼女自身がそれとそれなりの付き合いが出来ているのだろう。
どこか気沼の様なやんちゃな感じがする。
そんなWDの問いかけにしばし悩んだ瞳だったのだが、非常に間の抜けた様で重要な疑問に思い当たった。
「あのー、なんでWDなんですか?」
その声の真剣なこと。
仕切りを隔てた向こう側でツツミが笑った。
仕切り越しへ退出した乃亜でさえ苦笑している。
向かい合っているWDもどこか呆れたような表情だ。
「あんね、アタシが名乗った訳じゃないんだよ。開発部のセンジュって奴がアタシの術を見て言ったのさ。
これは芸術的だ、まさにD・D(ダイヤモンド・ダスト)ってね。それからみんなWDって呼んでる。でも遠慮しないでそう呼んで。結構気に入ってんだ。」
どこか思い出に浸る様な表情で言ったWDだが、その表情はすぐに真剣な物になった。
周囲の魔力濃度が通常よりも僅かに高くなったのだ。
「んじゃあ、まずはこのぐらいから馴らして行こうか。それと睦月さん、二代目も言ったが、影は使うな。」
突然聞こえたツツミの声が急に真剣になった。
そもそも精神面を攻撃する影の能力をまともに受けて平然としていられるのは乃亜ぐらいのもの。
非常に強力かつ危険な能力なのだが、ツツミはWDが影の一撃を受ける事よりも、その後の瞳の身が心配だった。
WDは非常に危険な精神疾患を患っているのだ。
そんなことは知る由もない瞳なのだが、ツツミが仮想空間を操作し、乃亜が控えていれば問題はなかろう。
彼女の暴走が起こらないことを祈りながら、ツツミは仮想空間内の魔力濃度を上げた。
「まずは魔力に慣れて行こうか、必要なのは集中だよ。氷の魔力は凍てついた無情の刃、頭でイメージして、心は空っぽにして。ピエロ主任、もう少し濃度上げて。」
そんなWDの真剣な声に始まった稽古は、その後数時間、魔力の使い過ぎで瞳が立っていられなくなるまで続いた。
当然、乃亜とツツミとWDはクラマに苦い顔をされ、穏やかだがグサリと刺さる小言を言われた。