複雑・ファジー小説
- Tanatos Eater ( No.24 )
- 日時: 2012/02/25 18:13
- 名前: Lithics (ID: w1UoqX1L)
『Tanatos Eater』
夕方から降り出した雨が、宵闇に沈みつつある街を濡らし続ける。ネオンを弾いて煌めくアスファルトは、目を奪う程に綺麗だが……とっくに飽和した夏の空気は、肌に吸いつくように不快で。本来なら昼間よりは暑さの和らぐ時間なはずなのに、今日に限ってはその恩恵すら与えられないらしい。
「ついてねぇな……。これだから、夏の雨は嫌いなんだ」
知らず、愚痴をこぼしていた。夕立のように一瞬で過ぎるモノならば風情もあろうが、今宵のジトジトと降り続ける様子は滓のように心に溜まる。そんな、どこまでも不満が噴き出しそうな状況で。
「!——見つけた。クク、ついてないのは俺だけじゃ無いらしいな」
——真夜中、灯りと人気の絶えた路地裏。その狭い道を、対向から歩いてくる男の人影を見つけて……目深に被ったフードの中で嗤う。もう10年来の、俺の悪い癖だ。標的(ターゲット)を視認すると、いつも震えが来るような高揚感が抑えられない。
(接触まで20秒——どうする? 俺には『手段』が無い)
善良な一般人諸兄なら、当然だと突っ込むかも知れないが。この国で夜の街を歩くのに、拳銃やナイフなんて要らないし……勿論、俺だって持っていない。第一、そんなモノを使うから、この国の優秀な警察に嗅ぎ付けられるのだ。
(15秒——ま、いつもの事だが。結局、素手かよ)
だが一目で分かる……向こうは『善良』とは程遠い。不自然に釣り上がった左肩、重心を常に保つ独特の歩法。それは、彼が脇にゴツい拳銃を隠し持ち、それを扱うに値する体術・技術の持ち主である事を示している。
(おっと、あと5秒——)
もうお分かりか。彼は所謂『殺し屋』で……俺も一応、同業である。そして誰が言ったか、この業界の鉄則として厳然と在る大禁戒——狙われた者には死、狙った者には金を。死にたくなければ、狩人の如く狙い続けるのが常道。
「こんばんは、お兄さん。な、良い事教えてやろうか?」
「む…………!」
——すれ違いざま、その耳元に囁き掛ける。ビクっと彼の身体に緊張が走り、その手が素早く懐へ差し入れられたのを見てから……片手で頭を鷲掴むように、両眼を覆って視界を奪った。同時に彼の片手を捻り上げ、動きを封じる。密着した身体から、不愉快な汗の匂いが鼻を突くが……それは良く知っている、過剰な緊張で発せられる死の匂いだ。
「銃ってのは便利だが……視界を塞がれると撃てないだろう? なまじ、その怖さを知っているだけに、な」
「…… !?」
敵に密着されている状態で、視界が奪われれば銃は使えず。そして……奇襲を想定していなかった時点で、彼の負けは決まっている。全く、もっと駆け引きを楽しめるかと思ったんだが。
「さようなら。貴方は雨のせいで転んで、頸の骨を折ったんだ……南無」
「お前が……!『T.E』———」
素早く両手を回して頭を固定し、軽く捻る。慣れれば力の要らない、簡単な作業だった。声も無く息絶えた男の脚を払って、そのまま濡れたアスファルトへ倒す。後は持ち物を整理して、拳銃等は回収し……幾つか不自然な所を直してやれば、身元不明の変死体の出来あがり。やはり、こんなのは簡単で飽き飽きするほど。
(……ついてねぇな。こんな早くに仕事が終わったんじゃ、帰っても暇なだけか)
不完全燃焼ぎみで燻る高揚感が不快で、余計に暑苦しい。少し冷房の効いた場所が恋しくなって。まあ久しく夜の表通りなど歩いていないが……今日は返り血も無いのだし、何処かで食事でもしてから帰ろうかと思っていた。
———
——
—
——そして何故、その店に惹かれたのかは分からない。あの路地裏から程近く、目立たない閑静な通りにある一軒の洋風レストラン。古びた樫の看板には『Ko—o——ma』と銀の象嵌が施してあるが、ほとんどが削れていて読むことが出来なかった。
「……まぁ、良いか。この面構えなら、そこまで不味いって事もないだろうさ」
窓から覗いた店内に、客が居る様子は無い。とにかく一人になれそうだというのは有り難い……そんな自分への言い訳じみた独り言を呟きながら、カラカラとベルの鳴るドアを潜った。
『——おや、いらっしゃいませ。ようこそ、レストラン『Kotodama』へ』
———
——
—
さて、『T.E(死神殺し)』と呼ばれるようになったのは、一体いつの頃からだったか。さっきのように同業殺しを続けているせいで、殺し屋稼業からは蛇蠍の如く嫌われている訳だが。基本的に平和なこの国では仕事が足らず、武者修行に海を渡った事もある。
(クク……そうか、その時だ。初めて『死神殺し』をやったのは……中国だったな)
記憶は曖昧で、油絵のように鮮やかにぼやけている。それでも良いなら、聞いていくと良い……君たちには無関係極まりない、或る男の変貌を。
2008-8-8 中国・北京市
——そこは汎国際的で、あるいは拡大し過ぎな印象を受ける巨大都市。並び建つ摩天楼の煌めきの下に、アジア特有の昏い息遣いが渦巻いて……酷く刺激的な街だった。明るい表通りでは希望と発展が売られ、同じように明るい裏通りでは、あらゆる欲望が取引される……オリンピックの開会式当日という熱気に沸く、中国・北京市街。俺はそこに、或る仕事で赴いていたのだった。
「クク……そろそろ、追いかけっこも飽きただろう?」
「貴様……誰に依頼された? 見逃してくれるのなら、その報酬の倍を払おう」
——暗がりへ追い詰めたターゲットが喚き散らす、見慣れた光景。全身黒で固めた、明らかに怪しげで悪趣味な男が、妙に落ち着いた声で語る。だが、こんな懐柔やら脅しはいつもの事だったし……そもそも、この時は。
「悪いが、これは『ボランティア』でな。アンタが『鳥の巣』に仕掛けた爆弾も、俺が美味しく頂いたよ……中々凝った仕掛けだったな、楽しめたぜ」
「な……!」
「まさかってか? 別に今起爆しても構わんぜ、不発になるだろうが」
そう、誰に依頼された訳でもなく。唯、楽しそうだからという理由で彼と彼の計画を狙った。なんだか良く分からない政治思想で以て、今日のオリンピックの開会式を爆破しようとしていたイカレ野郎だ。切り札として考えていただろう爆弾も、彼の影の如く尾行して。設置された傍から解除して、さぞ迷惑だろうが近場の警察署へ放り込んでおいた。
「くっ……何故! 私たちは互いに不干渉と決まっているはずだ……依頼ならまだしも、私個人に恨みでもあるのか !?」
「何故、か。聞いたら怒ると思うがね……なに、最近は仕事がマンネリ気味だから。赤子のような連中の手を捻るより、アンタみたいなプロを相手にした方が退屈しないだろう?」
「は……?」
理解が出来ないと言いたげな爆弾魔。それはそうだろう……彼と俺の思考は随分と異なる。彼は殺人を愉しまず、目的の為の手段として選んだだけ。だが俺は違う。ターゲットを目で捉えて、命を狩るまでの過程の高揚感を楽しむ……そんな殺人鬼。ならば当然、より質の良い得物が欲しくなるのだ。クク、『ヒーロー』と呼ばれる人種は、案外俺のような殺人嗜好なのかも知れない。
「さて……そろそろ、開会式が終わるよな。アンタの爆弾は不発だが……それでも『花火』は上がる」
「……!」
「クク、さようなら。とことん、ついてなかったな」
——言葉が終わる、その瞬間。開会式のフィナーレだろう、大きな花火の閃光が北京の街を染め上げ……一拍遅れた轟音と歓声が大気を震わせる。その大袈裟な喧騒の前に、たった一人の断末魔など、容易く呑み込まれて消えた。
———
——
—
御客様、口直しのソルベを御持ち致しました。この次はメインディッシュの……おや、御代を? ふふっ、まだ半分も御出しして居りませんのに。はい、ですが当店は御代を頂いていないので御座います。食して頂く事自体が報酬で御座います故……
ふむ、どうしてもで御座いますか。では……御代として『貴方の御話』を頂きましょう。おや、それは困る? ふふっ、ですがもう遅う御座いますな。貴方の物語は、ほら、既に此処に。
——ふふっ、では引き続き御楽しみ下さりますよう。一同、心よりお願い申し上げます。
(了)Lithics作