複雑・ファジー小説

『西行奇譚』 ( No.7 )
日時: 2012/02/20 19:57
名前: Lithics (ID: 0T6O.YfN)
参照: http://www.kakiko.info/bbs2/index.cgi?mode=view&no=6071

『西行奇譚』

 ——花見んと 群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける——



「むぅ……寒い、な」

 ——頬を撫ぜる俊風。北国の雪解け水を湛えた川面で冷やされた風は、思ったよりも肌寒くて。街の向こうへ落ちていく斜陽を少しでも浴びようと、桜の木の根元に大の字になって寝転がった。それは昨日まで薫っていた冬の匂いが、むせるような春の香りに取って代わる……そんな曖昧な季節。

(花見には、まだ早かったか……でも、これはこれで)

 大学の休日、暇にあかせて出掛けた川沿いの遊歩道。沿道に植えられている桜の木は、どれもこれも老木で……もう四月に入ったというのに、のんびりと五分咲きなんかを楽しんでいるようだった。だが俺としては満開の桜よりも、こちらの方が目に優しい。咲き誇る花は圧倒的で、それこそ容赦の無い美しさだけど。

(咲いたる後は、唯散り行くのみ……ってな)

 沿道の老桜は、来年から数本ずつ伐られていくと聞く。どの木が対象かは知る由もないが、もしかしたら俺の真上で咲くこの桜も……今春で最後かも知れないのだ。そう考えると、まだ余力を残して美しい五分咲きくらいが丁度良い。その先の終わりを、想像せずに済むから。

 ——だって、ほら。満開でなくても、舞い散る花吹雪が無くても。幼い頃から此処の桜を見て育った俺にとっては、どんな姿でも綺麗で……強く惹き付ける魅力に溢れている。故郷たる、この北国で。長い厳冬に耐えて『春』を告げる桜には、ただ美しいという以上の感慨があるものだ。

「——ん、眠っちゃ……まずいかな……」

 そんな益体も無い考えをしていたからか。辺りが薄暗くなっていくにつれて、誘うような眠気が酷くて。まだ気温的には冬っぽい東北の春だ、外で寝るのは良くないが……その心地好さったら。どうしようもなく頬は緩み、瞼が落ちてくる。まるで小学生の頃、川辺で遊び疲れた後の遅い午睡のような……きっと母親が迎えに来ると信じて眠る、そんな幸せな時間に似ていた。

「…………ん?」

 だが、ふと何かが耳に障って目を開けた。その遠い喧騒は、対岸の桜の下に集まってきた若者たち。シートを広げ、酒と出来あいのオードブルを楽しむ……そんな、ありきたりで若々しい花見の風景だった。

「はは……考える事は同じ、か。混むからなぁ、後になると」

 この辺で『花見』と言えば、この河川敷。満開の頃には屋台まで出て、ちょっとしたお祭り騒ぎになる。それはそれで楽しいモノだが……やっぱり静かに見るには向かないに違いない。今だって遠くに一組居るだけで、先ほどまでの静寂な雰囲気は失われてしまった。

(そう上手くはいかないよな)

 ——対岸から無理やり意識を外して、再び寝転がる。仰向けに見上げた桜の枝は、昼間から見えていた明るい半月を隠して揺れる。そんな絵葉書のように見事な構図も、ちょっとした邪魔が入ってしまった気がして思わず苦笑した。今までの独り占め状態が、流石に贅沢だったという事か。

「いやいや、参った。人を寄せ付ける事だけが、桜の欠点かな」

 ——ひとりごと。誰が聞く訳でも無いだろうが、なんだか恥ずかしくなって目を閉じる。もう帰ってしまっても良いけど、ちょっと意地になっていたのか……どうしても此処で寝てやるという気になっていたのだ。

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