複雑・ファジー小説
- Re: 言霊〜短編集〜(第Ⅱ部開始、題『天気予報』) ( No.72 )
- 日時: 2012/05/27 20:37
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: Vgvn23wn)
- 参照: その2です
title:crybaby by nature
天気予報なんて信じない、裏切られたらめんどくさ過ぎる。
雨って言われて長靴を履いて、晴れたら暇な一日だし、晴れって言われた日の降雨ほど、身を冷やす。
特に、その寒さはどこか、自分の内側に染み込むような冷気で、悲しくないのに泣きたくなる。
とまあ、少なくとも今の僕がそう考えるのには、少し理由があった。
僕、天野若菜は、その昔、随分と卑屈な女子小学生であった。
まあ、面倒な家庭で育ったせいで、一人称が“僕”になってしまったせいで、かなり嫌な経験もしたのだが、今となってはそれは笑い話。
今でも卑屈な少女の欠片として、親切なアナウンサーが伝えてくれる予報を決して信じない、というものは残っているが、その他は割と前向きになった。
しかしそれでも、僕をまだ心の曲がった者だと証言するものが、性格として残っている。
どうにも、緊張していようとそうでなかろうと、僕は本音を伝えられない性格だ。
でも、別にあがり性で喋れないだとか無口だという訳でもない。
どちらかというと騒がしい方だし、前述の通り緊張のせいでもないのだ。
ではなぜ本音が伝わらないかというと、雨の日に運動靴を履いたり、快晴の日に折り畳み傘やレインコートを持参する行動が物語っているように、天の邪鬼な性格なのだ。
元々僕を男のように育てようとした父のせいで染み付いたこの“僕”という一人称、そのせいで僕がどれだけ笑われてきたことか。
小学校では散々冷やかされ、中学校に入るとオタクの入り口に変な視線を浴びせられ、高校に入った今はその両方だ。
話は小学校の頃に戻るのだが、悪意のない冷やかしも虐めのように響いた僕は、当時は内ベタだったためにストレスが発散できないでいた。
そのせいで、積もり積もった鬱憤が、ある日家で爆発したのだ。
しかし、表立って啖呵を切るような勇気は持ち合わせていないので、やはり卑屈な仕返しを始めた。
それが反対言葉であり、僕を天の邪鬼の道に引き込んだ原因だ。
まあ、当時の僕にとってはそれすらもがストレス発散に使えたのだが、とある日にそれは限界を迎える。
事の発端は、皮肉なことに反対言葉のせいだ。
家でちぐはぐな言葉を紡いだところで、一番ストレスが溜まるのは、奇異な目を浴びせられる学校。
それならば学校でも統一しようとのことで、そうしたのだが、もちろんそれを簡単に受け止める人は居ない。
訳が分からないと一蹴されてお終いだろう。
学校でもそれを使い始めた初日、必然的に追及は訪れた。
授業はそれなりの雰囲気のおかげで普通に乗り切るのだが、問題は休み時間だ。
始めに断っておくが、別に僕に友達と呼べる者は居なかった。
今にして思うと悲しい話なのだが、それは事実だ。
しかしその日は運悪く先生が僕に用事があったらしく、昼休みに話し掛けてきた。
まあ、理由は結構単純で、当時PTAの母親への手紙を渡されただけだ。
「これをお母さんに渡してくれる?」
「嫌です」
授業が終わるとまたしても反対言葉で、分かったと言うために嫌ですと言ったのだが、当然先生はそれを理解しない。
そこから怒られ始めたのだが、最初は自分が悪いからちょっとした罪悪感しかなかった。
しかしだ、「はい」と言うべき時に「いいえ」と答えるものだから、次第に先生がより一層イライラしていった。
よって私は伝えてみたのだ、逆さまの言葉で話していると。
それが火に油を注いだのは言うまでもない。
「何ですかその答えは! あなたは本当に変な子ですね!」
しょせん、僕のことを先生も変な子だと元から思っていたようで、そう叱り飛ばした。
事の発端は反対言葉なのだが、それでも僕は変な子と呼ばれたことの方が傷ついた。
気付いた時には、上靴のままで校門を飛び出していた。
決して悲しくは無かった。
自分を理解してくれる人がいない、その事実が淋しくて、仕方がなくて。
途方にくれた僕はひたすらに走ったのだ。
周囲の景色になど目もくれずに、ひたすら、前へ前へと。
気付いた時には町外れの市街地にまで来ていた。
見覚えはあるが帰り道の分からない場所で途方にくれた僕は、公園を探した。
別に遊びたかった訳ではないと、ここまで聞いてくれると分かるだろう。
そんなモチベーションではないのだ。
ベンチが欲しくて、座りたくてたまらなくて、とりあえず公園だったら座っていても誰も不審に思わないだろう。
なぜか、それだけが熱い頭でも簡単に思いついたのだ。
ふと、真っ昼間の公園に存在する人間が異様に少ないことに気付いた。
なせだろうかと思って空を見上げると、目に飛び込んできたのは鉛色の曇天。
天気予報は晴れだったのに、ここまで大外れならばそれは人は来ないだろうとすぐに察せられた。
ポツリポツリと、僕が曇り空に気付いたのを合図にしたみたいに、黒く薄汚れた空から、透明な雫が垂れ始めた。
その日の雨だけは、本当に暖かくて、僕の体にこびりついていたもやもやしたものを全部溶かしてくれている気がした。
しかし、僕が被った雨粒は、せいぜい十粒程度だった。
何でだろう、と思って僕は見上げてみると、視界を埋めるのはさっきとは全く異なっていた。
雨粒を避けるために、鉛の空と僕の間に差し出されていたのは、ピンク色の折り畳み傘。
誰が雨から僕を遠ざけているのか確かめるために後ろを振り向いた。
そこに立っていたのは、銀髪の女の人で、歳は見た感じ二十歳ぐらいだったのだろうか。
とても大人びていて、きれいな人で、もしかしたらもう少し歳上かもしれない。
その割りには、ピンク色の傘を使っているのは、まだ幼さが残っていたんだと思う。
この行動だけでも、充分分かるのだが、この人はとても優しい人だったのだ。
「君……大丈夫?」
最初の言葉がそれだったのが、僕が感じた一番最初の優しさであると今でも思っている。
その人は、僕の身に何かがあって、ここにいるのだと理解し、そして何があったかは訊かずにいてくれた。
誰しもが、子供が悲痛な顔をしていたらその理由を知りたがりそうなものなのに、そうしなかった。
泣き出しそうな状況に陥らせた原因を、あの人は問いたださずにそっとしてくれた。
「実は、道に迷って……」
「本当? じゃ、私が送ってあげよっか?」
彼女は僕に対して哀れみや同情は一切見せなかった。
状況を楽しむように、可笑しそうに笑ってくれた。
まあ、今にして想像してみると奇妙な光景だと断言できる。
平日の真っ昼間、雨が降りそうな中で、閑散とした公園のベンチに座る小学生。
中々に心配しそうな光景だ。
それも、雨が降り出したならなおさらだ。
僕は、その人に連れられるようにして立ち上がり、帰路を歩き始めた。
この人は、なんだか普通の人とは違う気がする。
そう感じた僕は、当時の自分としては珍しいことに自ら話し掛けていったのだ。
「今日の予報晴れだったのに、どうして傘を持ってたの?」
「私はね、天気予報が外れるのが嫌なんだ。だから、晴れの日は雨の日の、雨の日は晴れの日の準備をするんだ」
そう、これが今の僕にも継承されてるって訳。
その人に憧れて、その人みたいになりたくて、今でも彼女の真似をしてる。
「何か、かっこいいな……」
「そうでもないよ、少なくとも私は」
諭すような口調で私を説得しようと彼女は僕の方を振り向いた。
「天気予報にすら裏切られるのが怖い、生まれつきの弱虫なんだ」
その後は、もうその話題には二人とも触れようとはせずに他愛もない話に花を咲かせた。
人と話すのがこんなに楽しいだなんて、自覚させてくれたのは生まれて初めてで、何年ぶりにか心の底からの笑みを浮かべた。
ついに家まで送ってもらった丁度その時に笑ったのだ、別れ際に私の背中に彼女は語ってくれた。
「明日からは笑って過ごしなよ、せっかく美人なんだからさ」
この時僕は彼女に、あなたの方がよっぽどだとでも言い返そうとしたのだが、もうすでに雨の向こうに去ってしまっていた。
そして翌日から、新たなアイデンティティーとして、例の話し方を引きつれて学校に行った。
もう、誰が笑っても気になんてしないし、怒られたって構わない。
笑う奴には笑わせて、こっちも笑い飛ばしてやろう、僕を理解できない人と馴れ合うつもりはない。
ようやく、一人で過ごす覚悟を決めて自分らしく生きる覚悟ができると、友達ができた。
この世界はどれだけ皮肉なんだと、ため息を吐いても、やはり嬉しかった。
そして今、僕は女子高校生である。
そして今日、あの日のように晴れの予報なのに雨が降り出している。
天気予報なんて当てにならないってたくさんの人がぼやいている。
そんな中で僕はカバンから折り畳み傘を取り出し、急ぎめに広げた。
ふと、一人の青年が目に留まった。
青年と言っても同じ高校生にしか見えなかったのだが、一目見た僕は、その人に惹かれるのが分かった。
気付いた時には私は傘を差し出していた。
突然雨が途絶えたのに違和感を感じた彼は上空を見上げ、後ろを振り向いた。
あの時の私と何ら変わらない行動だと、他愛ないことに嬉々とした。
「傘、入りますか?」
たとえ未来で、この弱虫な性格と雨が、二人を分かとうとも——————。
fin