複雑・ファジー小説
- Re: 言霊〜短編集〜(第Ⅱ部開始、題『天気予報』) ( No.78 )
- 日時: 2012/06/10 20:31
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: qt6P8gKZ)
- 参照: まさかの三つめですね、はい。
「ねぇ優衣、私の代わりに一山当ててくれない?」
その日私が、最初に学校で耳にしたのがそれだった。
title:rainy ganbler
「いやいや、あんた何言ってんの」
「お願いだって。こんなの優衣にしか頼めないんだって」
まさに絵に描いたような好天のとある日、邪魔者の存在しない青の中で太陽が輝くその下、いつも通りの日常がまたしても幕を開けようとしていた……はずだった。
ようやくテストが終わり、勉強から解放されたためにようやくクラブのハンドボールを再開できると思っていた。
朝起きてすぐに澄み渡るような青空を見て、降水確率の低い予報の載った新聞を読んで歓喜した。
しかしだ、いきなりの親友の提案はそんな絶好の部活日和りを完璧にぶち壊してきた。
これは私にとっては冗談ではないと、声を荒げて反抗したくもなる不愉快な提案だ。
あの忌々しきノートと向かう義務を克服し、黄色い玉をついてゴールを狙う娯楽へと身を浸そうと思っていたのに……。
並の提案であったなら、親友の桐子の頼みだ、多少渋ってから受け入れただろう。
だが、よりにもよって彼女からの依頼は賭け事であり、非合法なことだろう。
いくら中学時代から付き添ってきた相棒だとは言え、呑める頼みとそうでない頼みがある。
「ていうかそもそも賭け事を親友に頼むって何事よ?」
「知ってるでしょ……私のお父さん」
目線を落とした桐子の茶色い瞳が微かに揺れ、涙で滲んで形が崩れる。
その眼を見てしまうと、毎度毎度私は別に悪くもないのに罪悪感を感じてしまう。
大きな流れにあらがうことができずにうなだれてしまう桐子は、大型の肉食動物の狩りの対象として狙われた小動物のような雰囲気とそっくりだ。
彼女のこういう表情を見るのは、私は初めてではない。
むしろ何度も何度も見てきた口なのだ。
それはいつも私が、彼女から提案された了解し難い頼みを断った時に見せる。
泣き落としは今回限りにして欲しいと毎回思うのだが、桐子にとってそれは不可能らしい。
「でも、なんで私にそんな頼みを?」
「だからお父さんが……」
「そうじゃなくて、なんで私に?」
目に涙を溜めながらも、彼女は落ち着いた口調で淡々と語りだした。
やけに淡白だなぁとも思うが、嗚咽を漏らさないようにしているのならば納得だ。
「だって優衣ギャンブルとか強そうじゃん」
「何を根拠に?」
「だって、雨降って部活行けない日の麻雀とかポーカーとか強いし。大富豪やったらずっと優衣のターンだし」
「いやいや、たまたまだって」
「小学校の時に一回ババ抜きで最初の手札でいきなり上がったし」
確かに桐子の言っていることは紛れもない事実であり、私だって覚えている。
だが、それとこれとは話が別だ。
修学旅行でのUNOではあまり戦績が奮わなかったし、じゃんけんはしょっちゅう負けているはずだ。
まあ確かに、そういうのに強い日は確かにあるのだが、今日は明らかに弱い日だ。
しかしこの状況、できるとかできないとかは正直意味をなさないのだ。
肩を、肩まで伸ばした黒髪を揺らし、涙ながらに訴えられると私は拒否できなくなってしまうのだ。
小さく溜め息を吐いた私は彼女の肩を叩いて顔を上げさせた。
そうでもしないと頼まれているだけなのに何か悪いことをしているように映る。
私の現在地は一応は学校の廊下なのだから。
「えっと、明日なら良いけど……」
「ダメなの、今日中じゃないと」
明日というフレーズに、また涙しそうな桐子なので仕方なくまたなだめる。
しかし、今日の晩となると何とかなる確率はたったの三割程度しかない。
まあ、朝のこの感じでこれならその三割という確率も信憑性に欠くものなのだが……。
「ていうかさ、実際のところ何があったのか詳しい説明をお願い」
「えっとね……例のごとく賭博のせいでこうなっちゃったんだけど……」
「それは予想済み。で、返済期限が今日で、借金の抵当みたいなのは何なの?」
「私」
「そんな馬鹿な……」
身を質に入れるような非常識な金貸しが存在するとは……半分恐怖、半分呆れたような気持ちで私は息を吐き出した。
しかも、昔だったらおそらく一人の人間、と言うよりも女性として買い取られただろう。
しかし私の主観として考えると、今の世の中では確実にヒトとして売り捌かれるだろう。
それこそ、パーツに捌かれてから……。
友人、しかもこれ以上ない親友がそのような危機に遭遇しているとなると、私は覚悟を決めた。
晴れの日のギャンブルだろうと、荒野での決闘だろうと受けてやろうではないか。
今まで何度もそうしてきたのだ、桐子が嫌がらせをされたら私が庇う、彼女は私の心の支えになる。
暗黙の了解、言わなくても分かっている、二人の間だけの不文法は、今まで瓦解した例しはない。
だから今回も私は桐子を助けてみせるのだと一人頷き、授業にむかうのだった。
今日は帰ってすぐに天気予報を見よう、後は運を天に任せるしかないだろう。
十数時間の後、私達二人は見たことのないホテルに入っていった。
もうすでに時計の短針は十二にたどり着こうとしている。
ここまで来るのに、よもや電車で二時間揺られバスに一時間乗せられ、さらには三十分も歩くとは思っていなかった私は、真夜中のネオン街でフラフラになっていた。
そもそも眠すぎる、早寝早起きな私には十二時は辛すぎる時間である。
その上での長旅である、一女子高生には中々に辛い道のりだった。
桐子は今日中と言ったが、正確には夜明けがタイムリミットなのだとか。
だから今夜、違法だろうと何だろうと賭博に勝たないといけない訳で……。
気を引き締めなおして、今ドアをくぐったばかりのホテルについて気を配ってみた。
見たところはそれほど高くなさそうな、普通のコンクリートの建築物って感じだ。
それほど重宝されそうでもないが、怪しくも見えない建物というのが第一印象なのだが、実態を知っていると、次の瞬間には後ろめたい闇の塊のようだった。
二重の自動ドアを抜けると、嫌な煙の臭いがツンと私の鼻を突いてきた。
深く考えるまでもない、ただのタバコの臭いだ。
ただ、並み以上の嫌煙家な私は、それだけでムッと顔をしかめた。
見たところは修学旅行で泊まるようなホテルと何ら変わらないのだが、放たれるオーラのようなものだけは、明らかに違っているのだ。
桐子を見つけたのであろう、一人のボーイがやってきた。
恭しく礼をした彼の顔には柔和な微笑みが貼り付けられていた。
その下の、引きつるような狂気の面を隠すようにして。
オマチシテオリマシタ、コチラデス、というあからさまに無機質な声が私たちを案内し始めた。
彼は迷うことなく奥の階段へと私たちを連れていき、厨房へと歩いていった。
厨房と言っても、もう今日の営業は終わっているので、明かりが点いているだけで私達三人の他には誰もいなかった。
いきなりボーイが大きな冷蔵庫を開けたかと思うと、その冷蔵庫には底がなかった、階段になっていたのだ。
躊躇することなく、ナビゲーターの彼はまっすぐに薄暗い段差を降り始めた。
こんなにも真っ暗な所なのに、埃や塵の気配がないのは、ここは頻繁に人が通り、そんなものは積もらないと物語っていた。
やはりこの先には、多くの人を魅了するような、尚且つそれ自体隠さなければならない場所があるのだ。
階段を開けた時から、誰かの声は聞こえていた。
そして、一歩一歩、歩を進めていくごとに、足下から聞こえる歓声は、割れるようなものに変わっていた。
それが、分厚い鋼鉄のドアに阻まれているのに、その音圧なのだと気付いた時にはもっと驚く。
一番下までたどり着くと、錠のかかった大層大きな扉が現われたのだ。
「この奥でございます。それでは私はこれで」
他の方を案内しないといけない、それが彼のここでの仕事のようなので、扉の前で踵を返して去っていった。
残された私たちは、少しでも時間を惜しむようにして、急いで戸を開けた。
薄暗い階段に、目が眩んでしまいそうな強い光が射し込んだ。
目の前には、人々の放つ凄まじい熱気、賭博用品の織り成す五月蝿い音を溜め込む空間が広がっていた。
「桐子さまと、その御連れ様ですね、どうぞこちらへ」
手元のクリップボードの写真と桐子を見比べたディーラーは、私たちに声をかけてきた。
さっきのボーイとは違って、こちらの男の人は無表情ながら、感情のこもった声だった。
コインの交換コーナーに私たちを連れていき、そこから、コインのぎっしり詰まった籠を差し出した。
「百枚ございます。一枚の価値は一万円です。借金を返すためには、これを一万枚にまで増やして下さい」
それでは、どうぞお楽しみくださいと、私たちを突き放すように賭けの会場に放り出した。
「優衣……いけそう?」
「分かんない。確率三割だと思っておいて」
もう一回ぐるりと見渡してみると、様々な種類のものがあった。
しかし、私が最初に選んだのは、まだルールや役を理解できるポーカーだ。
後編へ……
- Re: 言霊〜短編集〜(第Ⅱ部開始、題『天気予報』) ( No.79 )
- 日時: 2012/06/10 20:33
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: qt6P8gKZ)
- 参照: まさかの三つめですね、はい。
「おっとこれは、レイニーギャンブラーの娘さんか?」
私が盤の目の前の椅子に腰掛け、その後ろに桐子が立つと、目の前の男が話し掛けてきた。
彼の人差し指は、私の背後に控える桐子を一直線に指し示している。
レイニーギャンブラーという言葉に首を傾げた私に解説するように、もう一回彼は語りだした。
「その昔、五十年ほど前だっけか。雨の日だけに強運な女性ギャンブラーがいたんだな、これが。その人は晴れの日は弱いこと弱いこと……。それ以来、雨降り続けの絶望的な、負けてばかりの博打屋に、レイニーギャンブラーという代名詞がついたって訳だ」
桐子には悪いが、私はここでそう呼ばれても仕方ないなと思っている。
桐子の父親は、一言で言うとどうしようもない遊び人だ。
妻が、桐子の母が死んでからはその遊びぐせに拍車がかかり、借金まみれになることもざらだ。
そのたびに別の銀行業者からまた借金、そうこうする間に危ないところに手を出したらしい。
で、まあこの通りの非合法な返済をしないといけないのだ。
「お嬢ちゃん代理か? ポーカーのルール、知ってるか?」
私は無言で、その代わりに大きく一度だけ頷いた。
テーブルには、向かいの男の人だけではなく、もう三人の人が居た。
「ジョーカーはオールマイティーで、一枚だけ入ってる。ロイヤルストレートフラッシュの上に、4カードとジョーカーを揃えてできる5カードの役があり、最高位の役だ」
ルール説明はこれで終わり、とばかりに髭に手を当てながら、もう一方の手で彼は後ろに控えるディーラーにトランプを渡す。
ハートの模様の描かれた眼帯を見て、昼間の桐子の話を思い出した。
こっちの業界には、公平さだけを売りにしているグループがあると。
「コインについての説明を忘れていた、すまなかったな。ここでは役が出来たその時にコインの枚数を指定する。メンバーの中で一番強い役ならば、その枚数だけコインを貰い、そうでなければ奪われる」
つまり、誰かが一気に十枚賭けても私は一枚だけ、というのができるという訳だ。
「どうする? ポーカーにするかい?」
だが、ここの仕組みを少し教えて貰った私はポーカーは止めておこう、そう思った。
私には強い時と弱い時がある、それは間違いないので、それならばまだ当たる確率が高い所に行きたかった。
「場所を変えます」
「そうかい。どこへ?」
「サイコロのやつにします」
そう言って席を立つと、健闘を祈ると、励ますような声が聞こえてきた。
ここに来てようやく優しげな人に会えたと思った私はホッと息をついた。
私がサイコロ、と言ったのは、よくある二つのサイコロを投げて奇数偶数を当てる、というものだ。
確率は二分の一なのでかなり当たりやすいはずなのだ。
ちなみに、丁が偶数で半が奇数である。
勇んで挑もうとした私は、その場の人の少なさに唖然とした。
まさか、自分一人だけがそこに挑戦するとは思っていなかったからだ。
入り口に最も近い場所に、そのゲームのためのスペースはあった。
あったのだが、あまりにも小さかったのだ、その場所が。
せいぜい畳二枚分のスペースに、例の眼帯のディーラーが座っており、私は彼と向かい合うように座る。
床の上には二つのサイコロと一つのコップ、まあ大体は予想通りなのだが、この不人気って……私は小さく溜め息を吐いた。
「全くどうなってんのよ、この寂れた感じ」
「それはですね、このゲームが面白くないからにございます」
公平さがモットー、それが関連しているのかは知らないが、目の前の男は機械のような言葉だった。
それを聞いてすぐに理解した、案内役のボーイも彼と同業者なのだと。
人気がない理由は、考えてみると一般人の私にも簡単に分かった。
そもそも、ここの人達は、金、もしくは金を賭けるスリルを求めているのだろうが、それ以上にゲームとしての面白さも欲しているのだろう。
それならば、一か八かサイコロの目を当てるより、トランプを用いたカードゲーム、例を挙げればナポレオンや大富豪、先のポーカーの方が面白いとは私も思う。
ただ、さっきの説明で思ったことがある。
髭を生やしたあの中年男性は、『ポーカーでは』というでなく、『ここでは』と言ったのだ。
つまりここでは、最初に提示したコインが倍になるかゼロになるかなのだ。
一度に二倍にしかならないルールでは、大富豪やナポレオンは時間がかかりすぎる。
ポーカーも確かに短いが、やはりこちらの方が早い、つまりは効率が良いために私はこちらを選んだ。
なぜなら、タイムリミットは夜明けなのだから。
「……何枚?」
「はい?」
「何枚お賭けになりますか?」
ああ、そうかと私は頷いてみせた。
不意な質問にすっとんきょうな声を上げてしまった私は、恥ずかしさのあまりに赤面した。
見渡すと、周りの人たちの目が、痛いほど私に突き刺さっている。
「えっと……一枚で」
最初は、自分に自信を持てる前は慎重になるべきだと、一枚ずつ攻めることにした。
ここには、時間稼ぎの意味も含まれている。
とはいえ、何とかなる確率はたったの三割程度しかないのだが……。
「丁か、半か」
「……半で」
眼帯の男は、二つのサイコロを、白いコップに入れて、カラカラと転がしていた。
そして、地面にコップを叩きつけるようにして、ひっくり返したそれを置いた。
その後に聞いてきたのだ、丁か、半か、と。
まずは半、偶数を選んだ訳である。
蓋を取るようにして、コップを持ち上げると、中身は4と2、丁だった。
「では、一枚差し出してください」
おずおずと、私は膝の隣に置いた籠から一枚のコインを取り出して、手渡す。
大丈夫、まだ始まったばかりだと気持ちを落ち着ける。
だがそれでも、気持ちが逸るのは落ち付けられなかった。
何時間も、成績が奮わないままに、ただただ時間が経過していく。
その様子に、そろそろ私は焦りを感じ始めていた。
もうすでに夜明けは近づいている。
それだけではない、そこそこに当たり、盛大に外しまくった結果、残りのコインはたった一枚になっていた。
「あーあ、ついてねぇなぁ……」
後ろから、葉巻を加えた太った男が、声をかけてきたのかと思った。
いや、葉巻だとか太っているとかは振り返ってから気付いたのだが。
そのおじさんは帰りぎわに溜め息を吐き出していた。
どうせ大負けしたんだろうと思って、気にせずにいようとした。
が、その見解は間違いだと分かり、事態は好転する。
「せっかく大当たりしたのに雨が降ってきたのかよ……」
その瞬間に私はハッとした。
ずっとドアの近くに陣取っていたのにそうとは気付かなかったのは、今になるまでそうではなかったのだろう。
ドアのすぐ近くの床は乾ききっているようで、濡れていない傘を持つ人は多い。
要するに、もうすぐ、というかついさっきから雨が降り始めるぞというサインだ。
「おじさん、ごめんね」
「どうかなされましたか?」
「勝っちゃうかも」
そして私は、最後に残った一枚を差し出し、丁だと告げた。
何時間も繰り返されたルーティン作業を、もう一度彼は繰り返した。
出てきたのは3と1、足して4、偶数の丁である。
もうすでに時間はなくなりかけていた。
手元に増えた二枚目のコインを見ても、温存しようとは思わない、している暇はない。
「二枚賭け! 丁!」
「四枚賭け! 半!」
「八枚賭け! 半!」
次々と、私のコインは倍に倍にと増えていき、その勢いは留まるところを知らないどころかより一層加速していく。
そしてついには、8192枚まで登りつめた。
「1808枚賭け、半よ」
頭の中でぴったり一万枚になるような枚数を計算し、奇数だと宣言する。
破竹の勢いが最後の最後に止まる、などという悲劇も、起こるはずがない。
そんなことがおこらない未来に、私は賭けたのだから。
「おめでとうございます、約束の一万枚にございます」
ずっと無表情だった目の前の男が、初めて感情を顕にしてみせた。
声にも、顔にも、さらには行動までにも焦りが浮かんでいる。
「まさか、16384分の1の確率を引き当てるなんて……」
「仕方ないじゃない、だって私のおばあちゃん、レイニーギャンブラーなんだから。きっと私はその血をひいてるのよ」
実話なのだが、半分冗談めかしてそう言い残して、私は一万枚のコインを係員に差し出した。
これで桐子は解放されることになったのだが、それにしても疑問がある。
なぜ、雨が降ったのかということだ、昨日の予報では東京の翌朝は快晴となっていたのだが……。
しかし、この場所をよくよく思い出すと気付いた、何時間も時間をかけて来たこの場所は、神奈川県だと。
そりゃあ、東京の予報が外れても当然のことと言えよう。
すっかり安堵しきった桐子と一緒に、私はホテルを出た。
それを合図に、雨足はゆっくりと静まっていき、煌めく朝日が地平線からその姿を現した。
「さ、学校行こっか。遅刻するよ」
過ぎたことはもう気にしない、それが桐子だ。
お礼ぐらい言って欲しい、とは思ったことがない、彼女が笑ってくれたら私には十分だ。
雨上がりの神奈川のネオン街、空を見上げると七色の橋がかかっていた。
fin