複雑・ファジー小説
- Re: 或る日の境界 第2話開始。 ( No.10 )
- 日時: 2012/03/27 19:17
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: GHOy3kw9)
呼吸がやけに乱れていた。目の前で一体何が起きたのかさえも分からず、ただ呆然と呼吸を整えることを体が強制するかのように、乱れた呼吸が速く、そして時には強く弱くなったりするのを感じつつ、右手に持っていた銃を落とした。
床へと当たったそれは、ガラガラと音を鳴らして冷たい床の上へと滑る。目の前には、いたはずである異形の人物の姿は既になくなっていた。隣には、少女が変わらない無表情で俺の顔を見つめている。その瞳は、どこまでも薄く透き通っていた。
「何、だ……よ、あれは……!」
言葉が、ゆっくりと強く口から零れ落ちるようにして出てきた。やっと出した言葉は、そんな掠れ掠れの言葉でしかなかった。少女の顔は見ない。いや、見れなかった。俺には怖かったんだ。少女の顔、無表情に冷たい顔を見ると、まるで自分は——殺人者として見られているような気がした。俺は、現に銃弾を撃ったのだから。それはどういう形でも、自分は何かを殺そうとしてしまった。その事実は変わらない。
少女は少しの間、俺の言葉から間を空けて、小さく口を開いた。
「異形。またはイレギュラーとも呼ばれる。境界を徘徊している、存在のみとした怪物」
「イレギュラー……?」
「そう。貴方が元にいた世界ではない、世界。あの世界のように見えて、この世界はまるで違う——この世界は、他の世界と世界を繋ぐ境界線のようなもの。ゆえに、この世界の名前は"境界"(きょうかい)と言われる」
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「この世界は、元にいた世界とは、違う?」
「あぁ、その通りだよ、お譲ちゃ——」
「本荘 櫻です」
二人して対面に座り、峰木は胡坐をかいているが、本荘はしっかりと背筋を伸ばした綺麗な正座で峰木の顔を射抜くかのように見つめていた。その迫力に少々押されたのか、胡坐をかきつつも背筋を伸ばして一息コホン、とわざとらしく息を吐いた。
「……境界と言われる世界なんだけどね。まあ、この世界は今までいた世界と同じなようで、同じじゃない世界なわけよ」
「……どういう意味ですか?」
眉をピクリと上へと向けて、少々訝しげな表情へと本荘は顔つきが変わった。それを見届けるように数秒後、峰木は話を続ける。
「まあ、ぶっちゃけちゃうと、この世界は今まで暮らしてきたような世界とは全くの別格なわけ。姿形はまるでそのままだけど、中身は全然違う。些細なことぐらいの変化はあるはずだし、それよりも大きいのは……この世界には日常を超えた非日常だらけが"普通"と認識されてしまっているっていうことだ」
「……どういう意味ですか?」
本荘の二度目の同じ問いに、峰木は「あー……」と声を漏らして、頭を少々掻き毟った。
「いきなりすぎるしな。まあ、確かにそういう反応が普通だろう。突然、異世界ですよーとか言われたり、目の前で美女のウッハウハのボディーをした姉ちゃんが際どい格好で踊って——」
「話はそれだけですか?」
「……いや、勿論まだあるさ」
少しの沈黙の後、再び峰木が口を開いた。
「簡単に説明すると、この境界には異形と呼ばれる者と、NPCと呼ばれる者。そして、プレイヤーと呼ばれる者が存在しちゃってるってわけだ」
峰木の言葉を、半ば半信半疑な表情で受け止めた本荘は、そのまま冷静さを保ちながら峰木の顔を見つめた。
「……続けてもいい?」
「どうぞ」
何を恐縮したのか、峰木は本荘に続けてもよいか聞き正した。その返事が返ってくるのを頷いて、安堵のため息と表情を浮かべた後、峰木は言葉を紡いだ。
「まあ、イレギュラーに関してはその後分かるとは思うんだが……NPCってのは、また後々分かるか……あぁ、そうだ! プレイヤーだな」
一人で納得したように峰木は手のひらを握りこぶしで軽く打つと、意気揚々と再び話し始めた。
「プレイヤーは、面倒臭いから単刀直入に言うとだ……お前のような存在がプレイヤーだ」
「……私が、ですか?」
「あぁ、そうだ。お前だ、お前」
峰木は何故か突然嬉しそうに本荘に向けて笑顔で言い出した。その様子は特に何も邪念などは無く、無邪気な様子で本荘に向けて言い放ったのだ。
「突然現れて、何を言ってるんだこいつはって思ったと思うが、悪かったな。とにかくこの世界のことをプレイヤーの一人である本荘、お前に話しておきたかったんだ」
ゆっくりと峰木は立ち上がり、本荘の目を見つめてそう言った。どこか鋭くて、時に少年のような瞳の輝きを見せるその目はどこか懐かしくもあり、本荘の記憶が揺さぶられるようだった。
正座の体制から見上げるようにして本荘も峰木を見る。この峰木という男が言っていることは、普通に考えればただの間抜けだ。いや、間抜けより酷い。厨二病よりさらに酷くしたような感じになってしまっている。
しかし、この峰木という男が本当のことを言っているという保障などどこにもない。話を聞いたのは、本荘的にそれが礼儀だと思ったからだ。
「……プレイヤー、とか言われても全然ピンと来ないんですが」
「あぁ、確かにそうだな。まあ、待てよ。もうすぐだ。もうすぐ——嫌でも現実を見せてやる」
峰木のその言葉は、先ほどまでとは明らかに違う……殺意に似たようなものを本荘は感じた。一瞬、体がビクリと動き、竹刀に手をかける自分がいたが、それを抑止した。その殺意は、自分に向けられているわけでもないのに、殺意を感じた瞬間、本荘は武器に手をかけていたのだ。一体何故そんなことをしたのか、それがどういうわけなのかも本荘自身でも分からなかった。
「……来た」
峰木の呟きが聞こえた——その時だった。
「ギィイイイッ!」
耳を塞ぎたくなるような高音の虫のような音が聞こえたかと思うと、道場の前方付近、峰木が見つめている先が一気に半壊し、バキバキと音を鳴らして突如現れた巨体の襲来を目で確認した。
姿はスコーピオンのような形で、腕双方は大きなハサミとなっている。だが、問題はその大きさで、人間の何倍もでかい。一気に道場が半壊されてしまうほどの大きさだった。本荘は見るものを疑うかのように、言葉が詰まったように、その巨体を見つめていた。冷や汗が頬をつたる。目の前のものは——果たして現実なのであろうか。
「こいつがイレギュラーだ。結構大きいな……これぐらいなら、まあレベル的に言えば中ぐらいか」
峰木が冷静に喋りながら、"何か"を取り出した。その何かは、どこかで見たことがあるもので、腕にはめるもの——それは、鉄の小手だった。それも、右腕のみしかない。左腕はなく、右手のみを装着した峰木だったが、余裕の笑みを浮かべていた。
「そんな、ガントレットで倒すつもりですか?」
「ん? あぁ、まあ——」
「ギィイイイッ!」
「……って、うるせぇな。これはこの世界のことを現実と認めてもらうための講座だ。パッと片付けてやろう」
背中にガントレットをつけた右手を、まるで剣を抜き出すかのようにして掲げた。すると、何も無い空間からバチバチと電撃の如く音が鳴り、青色に光を見せるその雷の空間から姿を現したのは、峰木の背丈をも越すほどの大きな大剣だった。それはまるで、アニメなどの世界で見るような、信じられない光景だった。
『攻撃モードに移行』
無機質な声が響いた。どうやら、あのガントレットから言っているようだ。どういう仕組みなのかも分からないし、そもそも今見ている出来事が非現実的すぎて何も言葉が出ない。本荘はただ、目の前の光景を見守ることしか出来なかった。
「ギィイイイッ!」
再び鳴いたスコーピオン型のバケモノは、大きく体を揺らして峰木と本荘の元へと突入してくる体制に入っていた。
「このガントレットが唯一のちゃんとしたプレイヤーの武器だ。この武器でプレイヤーは——この世界を救うんだ」
「世界を……救う?」
峰木の言葉を繰り返すかのように、本荘は言葉を漏らしていた。
そして次の瞬間、大きな地鳴りと共にスコーピオン型のバケモノが突入してきた。バキバキ、と音を鳴らしながら崩れていく道場と一緒になってこちらに向かってくるその得体の知れないバケモノは恐怖の対象としてはすぐに体が反応した。本荘は竹刀を持って、バケモノと対峙する。
「とりあえず——こいつは即座にぶっ倒そう」
峰木の言葉は、その一瞬だけだった。凄い速さで峰木は目の前の巨体へと突っ込むと、まず両側のハサミを切り落とす。緑色の液体が一気に飛び出していく様を見つつ、次に胴体を一刀両断に切り裂き、そして最後に頭上からその大剣を振り下ろしたのだった。
不気味な音を鳴らしながら、そこで捌かれていく異形のバケモノを見て、戦慄のようなものが本荘の中で駆け巡った。あまりの出来事に言葉さえも失う。
緑の液体だらけとなった地面は、ゆっくりと何事も無いように消化されていく。それと同時に、不思議なことに道場の状態も自然と直っていった。
「破壊した張本人のイレギュラーを倒すと、破壊された部分は直る。まあ、人は治らんがな」
峰木はそんなことを淡々と呟くと、いつの間にかガントレットを外し、本荘の元へと近づいていた。咄嗟に竹刀を峰木の方へと仕向けるが、峰木が近づくごとに竹刀を下ろしていった。
言えば、この世界のことは全部当たっているということになる。目の前であれだけの惨劇を見せ付けられれば、混乱はするが納得しか出来ない。納得出来ない材料はどこにあるのか。
「改めて、ようこそ——境界へ」
峰木が差し出した右手を、本荘は触れることなど出来るはずもなかった。