複雑・ファジー小説

Re: 龍の宅急便。 -Bring Heart to Lover- ( No.9 )
日時: 2012/03/25 19:53
名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: OHq3ryuj)
参照: この国の空は今より高いところにある。

 遠く遠く、町を五個は隔てた海の向こう——その水平線に顔を出した太陽を眺め、微かに潮の香りがまじった風を浴びつつ、考え事の最中に空を飛ぶこと三分。
 木造の平屋から煉瓦の二階建て、そして煉瓦造りの上に大理石の粉を塗りつけた白くて大きな家が増えてきたところで、僕は手綱を引っ張って逆に鐙を強く踏み込み、シェヴィンに降下するよう告げた。僕の命令に龍は忠実に従い、重心を少し下に下げ、お腹と翼で風を受けながらゆっくりと下に降りはじめる。
 最初は至って順調だったが、地上から五メートルくらいの高さまで降りたとき、不意に物凄い大声が町を賑わした。そりゃあ、いきなり町に見も知らぬ子供と、いつ機嫌を損ねんじゃないかと戦戦兢兢し、胃痛のタネになっている龍がいきなり空から降ってきたのだからビックリもするだろう。
 だけど、今までにこの地区には何遍も来てるんだから、好い加減叫ばないで欲しい。
 そうだ——
 「わっ、なんじゃありゃあ!」
 路上で露店を開店していたおじさんが大声で叫ぶと、
 「龍だ!」
 そのおじさんの店に野菜を買いに来た若い男の人も叫ぶ。
 「子供が乗ってるわ!?」
 騒ぎに窓から顔を出した女の子も叫び、
 「一体何だ、龍が何の用だ!」
 そう叫びながら、家から飛び出した人が猟銃を構える。
 このままじゃシェヴィンは綺麗に打ち抜かれ、僕は地上五メートルからバランスを崩して落下。最悪人家の屋根か壁に激突するし、被害最小でも怪我人の五人や六人は絶対に免れない。本来なら猟銃を突きつけられて焦るところだろうけど、僕は驚くほど冷静に見切った。
 なら、対策をとるまでだ。
 帽子を押える手を離し、若干怯え気味のシェヴィンの頭をちょっとなでてやってから、僕は手綱を操作して大きくシェヴィンを旋回させ、一番近くの家の屋根に軟着陸。背から降りてシェヴィンを思いっきり抱きしめてやった後、目下の恐慌状態に陥った人達に大声を張り上げた。
 「僕はただの配達屋です! バデディネガン町五区画三番地、この住所住んでいる方に手紙を届けたく思いここに来ました! 正午までに仕事を終らせて戻らなくちゃいけないんですから、こんな所で足止めをしないで下さい! あとそこの方、こんな人ごみの中で猟銃なんか構えるのは止めて下さい!」
 屋根の上こと、バデディネガン町五区画三番地の家の屋根に堂々と胸を張り、龍を横に従え、手紙を掲げながら叫ぶ十六歳の青年(つまり僕)に人はどんな感情を抱いたのだろう。路上で僕を見上げていた人達はゆっくりと日常生活に戻ってゆき、猟銃を構えた人だけが、人の散る中にただただ呆然と立ちすくむばかりだった。
 「やれやれ、随分遅くなったね。さあ降りよう? 大丈夫、僕が居るから。安心して」
 屋根の上で座り込んだまま、朝焼けの太陽のような金色の目で銃を構える人を睨みながら硬直しているシェヴィンにそう声をかけて、僕はもう一度龍の首をなでる。そうして龍の首に抱きついたまま、広げた翼に風を受けつつ静かにゆっくりと地面に足を着けた僕は、怯えているシェヴィンを庇いながら、ゆっくりとライオンの首を模ったドアノックを扉に叩きつけた。

 出ない。
 もう一回やってみる。
 出ない。
 もう一回やってみる。
 ……出ない。
 不在かな、と思いながらもう一度ドアノックを叩きつけ、また出ないのでコレが最後だと思いながら強く何度も叩きつけ、待てども待てども出る気配が無いのでポストに手紙を入れようとした、その時だった。
 「そ、あの、おい……」
 猟銃を構えた人が背後からおずおずと声を掛けてくる。振り向いた僕は相当凶悪な面相だったのだろう、ひっと引き攣った悲鳴を上げて後ずさったその初老の男の人は、猟銃の銃口を地面に向け、真っ青になりながら歯をかちかち鳴らしていたが、耐えられなくなった僕が手紙をポストに突っ込もうとしたら慌てて声の続きを放ってきた。
 「そ、そんな顔で睨むんじゃない、そこの主人は私だ! て、て、手紙を早く寄越してくれ!」
 「そうですか」
 答える僕の声は、自分でもびっくりするくらい冷めていた。
 結局——
 手紙を受け取ってから差出人を確認し、僕にちょっとしたことを色々訪ねた後、猟銃と共に家の奥に引っ込んで僕に報酬を渡すまでの間、僕は問われた事以外には何も喋らず、報酬を受け取るときの声すらも溜息混じりに冷め切っていた。
 あの家のご主人はさぞや肝が潰れただろう。まだ怯えた状態から完全に脱却しきっていないシェヴィンの首の辺りを撫でながら、心臓に悪いことをしたと今更反省する。

 が、空を飛ぶうちに僕の陽気な調子は元に戻ったようで、後の仕事は特に滞りもなく終わった。
 いや、最後に回ったパン屋さんだけは規定の報酬を払えるだけの手持ちがなくて十分くらいいざこざして、結局現物支給になっちゃったけど。まあ、三十年間パン作り一筋で生きてきた職人手作りのパンを三斤も貰ったら返す言葉すらない。むしろ金貨一枚よりもありがたいような気がする。
 僕は焼きたてほかほかのそれを丁重に頂き、鞄には入らないので手に引提げて、町の真中にでーんとそびえ立っている時計塔と睨めっこしながら、大急ぎで僕の住む街まですっ飛んだ。
 僕の午後からの仕事は配達員よりも大変だ。