複雑・ファジー小説

Re: PKK ( No.8 )
日時: 2012/04/10 16:45
名前: ゆn ◆Q0umhKZMOQ (ID: vQ/ewclL)

 楠の部屋にい続けても、この薄気味の悪い場所ではレンゴクの体も休まらなかった。
 壁も床も天井も、全てが純白。穢れも澱みもムラもない(仮想空間のため当たり前だが)の部屋に、一つポツンと置かれた黒の革に金の装飾を施された大きな椅子。玉座、といったほうが正しいのかもしれない。
 何も無い、作られた無の空間に長く閉じ込められれば誰でも気が狂うだろう。高性能グラフィックのおかげで、壁と天井によってできる角も何処にあるのか分からないほどなのだ。

「旦那ァん!! 楠ちゃんがギルドを急ぎ足で出て行ったけど、何かあったのん!?
 涙も流してたわよ? どこか遠く行っちゃったかもしれないから、旦那ァんお願いねェん」

 どたどたと、人一倍大きな足音が楠の部屋の前まで来る。勿論、扉の前にだ。話の内容は、急ぎのものだった。けれど<<半月>>の表ギルドオーナー、ミルディは部屋の中に入らない。入ろうと、しない。これは、楠の頑固たる態度で決定したも同然であった。『この中にいるのは僕の逆らえない宿命さ』と、そう言ったっきり数日間この部屋に閉じこもっていたのだ。
 その度に、その頃はまだ一切としての関わりが無かったレンゴクが食べ物運搬役として、楠に朝昼晩と3時のお八つを持って行き続けたことで二人の現在の関係が確立されていた。

「そうか。俺はすぐ行く」

 見えない扉をキョロキョロと探す。まだ、表に戻っていないミルディの気配ですぐ分かった扉を思い切り引く。扉が開いて、勢いよく体を前に出したのがダメだった。「きゃぁあっ!」というミルディの似非悲鳴がレンゴクを襲ったのだ。
 何に悲鳴を上げたのか、分からなかったが、きっと防具についていたPKたちの仮想の血だろうと思い聞き流す。歩くたびにカシャン、カツンと、胴と腕とで異なる防具がぶつかる音と、黒いロングブーツをモチーフにした靴が床を叩く音がする。
 背中に「漆黒の騎士に行ったかも知れないわァ!」との声を記憶に刻み込み、町にあるワープポイントへと向かう。

 ギルドを一歩出ると、仮想内でも見惚れてしまう夕日が町を照らしていた。その眩しい光に反射で目を細める。建物全てがレンガのつくりになっている町には、獣人などが多く住んでいる。<<半月>>のメンバーの3分の2以上が、獣人であるのは、この町に多くの獣人が生活しているためでもある。
 元々は、獣人だけのギルドだったのだが、ミルディが獣人たちを助けた恩を忘れないでいた半月の獣人が、ミルディをギルドオーナーとして向かい入れてから、普通のプレーヤーが半月を出入りするようになっていた。

「……ガイリービルの牙がないか……」

 ギルドを出たところすぐにある大きな噴水の前で、加速を始めようとしていたレンゴクは足を止める。自身のアイテム欄から“ガイリービルの牙”というアイテムを探していたのだ。
 ガイリービルの牙は、初級ダンジョン『まほろば砂漠』で手に入るレア度1の初心者向けアイテムだ。勿論、レンゴクは弱攻撃を当てただけでガイリービルを倒すことが出来る。ダンジョンレベルと、900近くの差があるためだ。
 アイテム欄にガイリービルの牙が無いと分かると、目の前に移るメニュー欄を消す。遠く——300メートルほど先——に見える巨大な時計台の、空洞となっている一階部分にワープポイントは存在する。レンゴクは一息ため息を吐くと、走りだした。

「……漆黒の騎士……」

 心の中、頭の中でぐるぐると回り続けるワードが、行き場をなくし口から出る。なぜ楠はそんなところに行ったのか。考えても答えは全て『不明』と出る。半月の中で一番多く漆黒の騎士に出入りしていた楠なら、あの噂も知っているはずだと、レンゴクは考えていた。
 漆黒の騎士と、エリアが名づけられた理由となる、噂を——
 出るところを全て失った不安が、レンゴクの心を支配する。ことはなかった。無情にも、レンゴクに感情は一つも無かった。楠を連れ戻すのが、自分の任務と言いたげに、ただただ時計台を目指して走り続けた。