複雑・ファジー小説

ゲオルギウスの槍 ( No.32 )
日時: 2013/06/05 23:40
名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: QxkFlg5H)
参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/1227jpg.html

 
 ねぇ、知ってる?
 その『教会』は古くて、綺麗で、そして誰もいない。そう、廃墟。でもね、そこに行った人はみんな、すごく幸せそうな顔をして帰ってきたんだって。誰もが辿り着ける訳ではないらしいんだけど、着いてしまった人はね。
 でね。その人たちは、みんな同じ事を言うんだって。恍惚として、何かを崇めるようにしながら。

 ——何か、とても軽いんだ。今まで背負っていたものが、すっかり無くなってしまったかのように。

 知ってる?
 どんな『罪』でも赦してくれる、深夜の秘蹟。
 深夜を越えた頃、その教会に入って懺悔するとね、それは全て無かったことになるんだって。

 ね、どう。面白そうでしょう? ねぇってば? 



 『ゲオルギウスの槍』



 
 あぁ。今日は確か、あいつの命日だったか。
 なんとなくだけど、そんな気がする日のことだった。

「ねぇ、知ってる?」

 新学期が始まって一月。
 大学のキャンパスは未だに浮ついた雰囲気を残しながら、徐々に落ち着きを見せ始めている。一説によれば五月病を患う学生が大量発生するせいで、そもそも構内をうろつく人数が減っているからとも。
 さもありなん、と僕は思う。これから梅雨が来て、更に蒸し暑い夏になると思うと気欝になるのも仕方が無いだろう。それでもまだ元気なのは今年入ったばかりの一年生か、学生運動だか何だか知らないが、しきりに本部の前でマイクロホンを唸らせている連中くらいだ。

 そんな長閑な五月の昼、割と混み合った学食で。
 『彼女』は唐突に向かいの席から顔を寄せて、そんな呆れるくらい要領を得ない問いを発した。だが、これもいつもの事である。いちいち「知らない」と答えてやるのも面倒なので、黙ってラーメンを啜っていると。
 彼女は笑顔を貼り付けたまま更に顔を近づけて、壊れたテープのように質問を繰り返し始めた。

「ねぇ、知ってる? ねぇ、知ってる? ねぇ——」
「ちょっと……なんか怖いよ、ハルカ。いくらオカルト研究会だからってね、自分がオカルトになっちゃうのはどうかと思う」
「む、なによ。イチローが無視するからでしょ、っと」

 渋々と反応を返した途端、彼女——ハルカは、にかっと少年のように笑って。やおら僕のラーメンに自分の箸を突っ込むと、念の為に麺の中に沈めておいた味玉を的確に救い上げ、あっという間に口に運んでしまった。
 や、瑣末な事である。が、味玉は僕の数少ない大好物だった。

「……僕ね、好きな物は最後に食べるタイプなんだ。知ってた?」
「えへへ、ごちそうさま」
「はぁ。あいつがいないと、標的は僕に移るって事なのかな」

 反省の色なし。それに怒る気が失せてしまうのも、僕も遂に諦めの境地に達したという事だろうか。
 その無駄に爽やかな笑顔は、女らしい計算というよりも、凡そマニッシュな無邪気さを感じさせた。薄く日焼けした肌に、ボサボサと跳ねるがままにした短い茶髪。ぽいっと野球帽でも被せれば、男子と見紛うような……なんて言えば、今度はチャーシューが危ないだろうから言わない。

「それよりさ、聞いてよ。また面白い話、仕入れてきたんだけど……」
「…………」

 彼女の言う「面白い話」の真偽が、詐欺で訴えるレベルでなかった事など一度もない。さらに言えば、彼女が代表を務める『オカルト研究会』の副代表は僕という事になっているのだが、これもまた一度も僕自身が是認した事はない。
 
「イチローさ。『深夜告解』って、知ってる?」

 まぁ、それはともかく。言ってしまえば惚れた弱みというもので。
 僕たちが例の『教会』を訪れる事になったのは、そんな事がきっかけだった。




「なぁ。俺たちはずっとさ、一番の『ともだち』だろ?」

「あ、わたし知ってる! そういうの、『しんゆう』って言うんでしょ」
「しんゆう……? じゃあそれだ、たぶん。なぁ、もちろん良いよな、イチロー」
「……親友、ね。いいんじゃないかな、別に」
「よし、決まりだ!」
「決まり〜!」
「いいか、『約束』だからな。ハルカもイチローも、ずっと——」

 僕には、かつて二人の『しんゆう』がいた。
 ハルカ、そしてトオル。幼い頃から家族のように接してきた僕たちは、それこそ互いに家族以上の存在だったと思う。無邪気なハルカと無鉄砲なトオルの組み合わせは危なっかしくて見ていられず、いつも結局は僕も巻き込まれていた。いや、本当は仲間外れにされるなんて耐えられずに、必死になって付いていっていただけの事かも知れない。
 
 だから、なのだろうか。その年端もゆかぬ頃に交わした在り触れた『約束』は、僕の心に自然と染み付いて。なんだかんだニヒルを装いながら、それに一番こだわりを感じていたのは、おそらく僕だったろうと思う。

 ——そう、決して約束を破ってはいけないのだ。
 たとえ僕らの中心だったトオルが、今はもう亡い人間だとしても。




「で……まさか、本当に『ある』とはね」
「ふふん、だから言ったでしょ? 今回は当たりだって」

 その日の夜。
 郊外にある森に方位磁石と地形図、二人でひとつの懐中電灯で突貫し、ハルカの仕入れた「面白い話」の現場を捜索した。
 どれだけヒマなのか、などとは聞かないで欲しい。大学二年生なんて、皆こんなものである。ハルカは放っておけば一人でも探しにいきそうだったので、僕としては保護者役の悲哀を背負っての夜間行軍だった。

 そして、幸か不幸か。
 果たして、その寂れた『教会』は森の中にひっそりと隠れるようにして建っていた。

「ん〜〜、燃えてきた! 早く調べにいこうよ、イチロー」

 はしゃぐハルカが飛び出さないように襟首を掴みながら、僕はその絵本に出てきそうな建物を観察した。森の中に開けた空間に建つ、煉瓦造り風(暗いので良く分からないが)の小さな、しかし背の高い平屋だ。その急峻な屋根からすらりと伸びた細い塔の上に、銀色の十字架が月灯りを弾いている。全体的に控えめな外観からは『教会』というよりも、より簡素な『礼拝堂』といった雰囲気が感じられた。

 探しておいて何だが、こんな場所に教会があるなんて。
 周囲には人家はもとより、そもそも道らしい道もない森の奥である。あやしい、あやしすぎる、と正直に思う。オカルトの類を信じている訳ではないが、ふと宮沢賢治の童話を思い出して思わず顔を顰めた。

「山猫軒、かよ。取って喰われやしないだろうね」
 
 それも自分で自分に塩を塗りこんだり、パン粉をまぶされたりしたら堪らない。 

「なに言ってるの。ほら、早く行こう?」
「分かった、分かったから。というか、ホントに廃墟なのかな、これ」

 気付けば立場は逆転し、僕はハルカに手を引かれて入口まで歩いていった。周囲の下草は払われているような跡があるし、小さな扉に取り付けられた真鍮のノブとノッカーは丁寧に磨かれている。妙だ。都市伝説に語られる逸話では、それは廃墟じみた荒れ庵のイメージではなかったか……

「おじゃましまーす」
「ちょ、おい待ちなって、ハル……」

 そうして僕が考え込んでいる間に、ハルカは何の躊躇いもなくドアノブを回す。遠慮というものは無いのかと突っ込みを入れる前に、その薄暗い内部が見えて……僕は我知らず、出かかった言葉を呑み込んでしまっていた。

Re: Stray Stories ( No.33 )
日時: 2013/06/05 23:42
名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: QxkFlg5H)
参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/1227jpg.html

 それはまるで岩窟のように息苦しい、しかし不思議な安心感のある空間だった。

 五人も座れば一杯になりそうな長椅子が、左右に三列ずつ並んでいる。その中央に空いた通路を視線で辿ると一段高い演壇があり、簡素な銀十字があしらわれた卓が置かれて。そして何より目を引くのは、背後の壁に嵌め込まれた小さいながら見事な造作のステンドグラス。

「あれは、聖ゲオルギウス……? 珍しいデザインだな」
「そうなの? ふぅん、でも綺麗だね」

 ハルカを抑えるのも忘れて、ふらふらと吸い込まれるように中へと入る。淡い月灯りを透すガラスの芸術は、確かに美しかった。が、そこに描かれているのは雄々しく巨槍を掲げ、醜い竜を踏みつけにする騎士の姿。英国を中心として有名な聖ゲオルギウスの征竜譚は、しかし、この日本では決してメジャーなものではない。ステンドグラスと言えば、聖母子像や三賢人が描かれるのが普通だろう。
 
 と。二人して魅せられたようにそれを見つめている、その時だった。

「竜は『悪』、そして『罪』の象徴。ゆえに、聖ゲオルギウスは原罪克服のモデルとなりうるのです」
「っ……!」

 良く通る、穏やかな声。
 不覚にも心底から驚いて、きょろきょろと狭い教会の中を見回すと。月光の陰になっていた隅の方から、その声を練って形にしたかのように優しげな男がぬっと現れた。黒衣にロザリオ。長身にメガネ。

「ようこそ、神の家へ。あれかな、迷えるなんとかって奴でしょうかね」

 ——結論。教会は廃墟に非ず、ちゃんと主がいた。
 謎解きの答えは実に簡単で、つまり、噂はデタラメだったという事らしい。
 



 トオルが鬼籍に入ったのは、三年前の五月の事だった。
 自宅マンションからの転落死。警察は不審な点は無い事故、もしくは自害と結論づけたが、僕らにしてみれば分からない事は多い。彼の自宅は四十階建ての高層マンションで、それの『何れの位置から落ちたか』は不明のままとされた。零時を挟んだ真夜中に転落したらしい事から、おそらく自室の窓からだろうと言われてはいるが——
 
 遺書もなく、事件の跡もない。
 その実感は酷く曖昧で、トオルはなんで死んだのだろうと、今でも考える事がある。





「なるほど。そんな噂があるとは……」
「すみません、信じていた訳ではないんですが……興味本意で」

 苦笑する神父に、事情を説明して頭を下げる。まかり間違えば不法侵入であるから、それも当然ではある。まぁ、なんで僕がと思わないでもないが、傍で仏頂面をしている某に任せておけるはずがなかった。
 神父が現れてからハルカは口数が妙に少なく、視線も下がり気味に思える。怯えている?いいや、ただ「外れ」が確定した事で拗ねているだけだろう。

「構いませんよ。しかし、こんな夜に森を歩いてきたというのは感心しませんね」

 若き神父はそう言って、耳に手をあてる仕草をしてみせた。

「このあたりには野犬が出るんです。なので、今夜は朝になるまで此処にいるのが良いでしょう。狭いですが、ひとつだけ客間もありますから」
 
 ハルカと顔を見合わせ、僕らも息を詰めて耳をそばだててみると。確かに、大して遠くもなさそうな距離で遠吠えをする野犬の声が聴こえる。背筋がぞっとする思いがした。僕らはその中を能天気にも、懐中電灯ひとつで歩いてきたのだから。
 腕時計を確認すると、もう一時を回っている。夜明けには、まだ五時間近く待つ必要があった。

「その……ご迷惑では?」
「いえいえ。ご覧の通り、此処は半ば山小屋のようなものですから。お気になさらず」
「いい、ハルカ?」
「うん。お願いします、神父さん」

 ハルカが呟くように肯うと、神父は微かに口元を歪めて。
 暗く沈んだ聖堂の左隅にある扉を指差しながら、さも愉快そうに言った。

「では、あちらへ。ベットは一つなんですが、別に構いませんよね?」





 瑣末な事ではある。が、僕は女性と同衾した事なんて一度も無かった。

「と、いう事で。僕は礼拝堂の長椅子を借りることにするから」
「えぇ〜。別に、わたしは気にしないんだけどな」

 こんな時だけ上目づかいで、何かを期待するような。そうして尻すぼみになっていく台詞は、ひどい反則だ。ともすれば足を留めてしまいそうになるのを堪えて、ひらひらと手を振ってみせる。僕にしたら、かなり頑張ったと思う。

「冗談は胸のサイズだけにして。じゃあね、寝坊しないでよ」

 飛んでくる枕を躱して、客間を出る。
 昔なら、同衾するのはともかく同室にいるくらい、僕だって気にしなかっただろう。だが、今はそれが『怖い』。これ以上はハルカを意識してはいけない。それはつまり——『約束』を反故にしてしまうという事なのだから。

「ねぇ、イチロー」

 だが静かにドアを閉めた時、中から掛かった言葉の声色が気になって。僕はドアに背を預けた体勢のまま、その声に耳を傾けた。

「今日、トオルの命日だよね。覚えてる?」
「っ……あぁ、もちろん」

 トオルの名を聞いただけで、自分の肩が震えるのを感じる。ドア越しでハルカに見られていないのは幸いだった。流石に疲れて眠いのだろうか、その声は囁くようで力がない。ドアに耳を当てるようにしなかれば、聞き逃してしまいそうだった。

「あんな所から落ちるなんて、トオルらしいよね。いつも無鉄砲で、無茶な事ばかりやってた」
「あぁ、そうだね」
「朝になったら、お墓参りに行こう? 去年は二人で行けなかったし」
「あぁ……うん。そうしようか」

 なぜ今、そんな話をするのか。トオルの事を話すのは、二人とも暗黙の内に避けていたはずだった。殊更に彼の死を意識してしまうのは、今のバランスを崩すきっかけになりかねなかったから。
 そうして生返事を返していると、暫くのあいだ沈黙が続いて。それを破ったのは、情けない事に僕ではなく彼女の方だった。

「おやすみ、イチロー。寂しくなったら、いつでも来ていいんだからね?」
「バカ言え……おやすみ、ハルカ」

Re: Stray Stories ( No.34 )
日時: 2013/06/05 23:42
名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: QxkFlg5H)
参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/1227jpg.html

 わざと足音を鳴らし、客間の前を離れる。
 正直、僕も疲れている。身体が重く、心はもっと重い気がした。狭い教会だが、出来るだけ離れた場所に座って眠ろうとして……その途中、演壇の前に神父が佇んでいるのを見つけた。

「眠れませんか。いや……そうではなさそうですね」

 神父はこちらを振り向き、やはり穏やかな声で言う。僕はただ頷いて、その隣へ歩いていって肩を並べた。何か話がしたかった。ステンドグラスを見上げる神父の目は全てを見透かすようではあるけれど、今は不思議とその感覚が不快ではない。
 しかし、ふと彼の口から囁かれた言葉は、まるで本当に心を読んでいるようなものだった。
 
「そんな風に己を縛っていたのでは、さぞ辛いでしょう」
「え……?」

 神父は笑っている。それは聖職者の笑みというより、悪戯な子供の笑みのように思えた。

「罪は心に在るもので、行為に付随するものではありません。ましてや、いまだ為していない事に罪がある道理はないんですよ」
「…………」

 その言葉の意味は解るが、意図が解らない。僕が何とも応えられずにいると、神父は更に言葉を繋げていった。

「この教会には時折、貴方たちのような人が訪れるんです。逆に、そういった方々以外には、こんな所を訪れる者はおりません」
「それは……『罪』を持った者?」
「お分かりでしたか。お若いのに、敏い御仁だ」

 くすくすと笑う神父。僕としては冗談のつもりだったのだが、やはり彼の真意は分からない。

「噂というのは怖いものですね。半分は当たり、半分は外れです」

 ——どんな『罪』でも赦してくれる、深夜の秘蹟。

 そう。まるで、かの都市伝説の再現だ。森中の教会、いないはずの神父、そして罪人。その教会に辿り着く条件として相応しいのは、無論、『罪』を持っている人物という事になる。
 不意に。頭上で月に煌く硝子の騎士が、その蒼い眼で僕を睨んでいる気がして。思わず自分で自分の肩を抱いて震えに堪えた。

「まさか。あんまり、からかわないで下さいよ」
「ふむ、そうですね。冗談という事でも別に構いません。貴方の『罪』は、はっきり言って微笑ましいほどに軽いものですから。……と違って、ね」

 神父が演壇に上がる。
 そして硝子の騎士を背に、彼は槍を掲げるように右手でロザリオを天に突き上げながら言った。

「告解の秘蹟を、ここに。一夜に一人だけ、その『罪』を滅しましょう」
「え、ちょっと待っ……」
「一人だけ、です」
「あ、」

 それは、あまりに強い誘惑だった。
 僕の罪。ハルカを愛し、トオルが死んだのを良い事に『しんゆう』の枷を外してしまおうと望んだ事。
 まさか信じた訳ではない、と自分に言い訳をして。

「僕の、『罪』は」

 それが赦されるのならば、と。僕は心に秘してきた全てを、神父に語った。




 ——残ったのは、ざらりとした奇妙な違和感。何か忘れているような、整合性のない感覚。
 しかし、そんなものは瑣末な事だ。今からでも間に合うなら、ハルカの所に行こうか。そう、何か、とても軽い。今まで背負っていたものが、すっかり無くなってしまったかのように。

(了)