複雑・ファジー小説
- Re: 『禍つ唄』−連作小品集ー ( No.8 )
- 日時: 2012/04/16 07:11
- 名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: zz2UUpI4)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
03 <もういいかい>
その不思議な少年と遭遇したのは、酷い雨の降る初夏の日だった。
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「ったく……梅雨、明けたんじゃねぇのかよ」
ああ、その日は梅雨明けが発表された翌日で、気象庁を嘲笑うかのような土砂降りだった。何故かヤル気が起きなくて、大学の講義を午前中で切り上げる事にした俺は。当然のように朝から持参していた傘を差して、20分程の短い帰路についている時だった。通い慣れた道は普段歩かない昼間である事と、煙るような雨で一風変わって見えたのが印象に残っている。出歩く人は少なかったが皆無ではなく、その『少年』も、何の違和感もなく対向からやってきた。
「もう〜い〜かい?」
「……? (なんだ、こいつ……)」
狭い歩道を互いに傘を避け合ってすれ違う、その瞬間。小学生中学年程の背丈の『少年』は、その酷く懐かしいあの調子で言った。激しい雨がアスファルトを叩く音、車が水溜りをハネていく音を飛び越えて尚聴こえてきたのだから……それは割と大きな声だったはずだ。思わず立ち止り、『少年』の背中を見つめたが。彼は何の変哲もない短パンとシャツに黒いランドセルを背負い、青い傘をくるくると楽しげに回しながら歩いていってしまった。
「あれ、何処かで……? まさかな」
——それは本当に、何の違和感も無い少年。だけど、違和感や異物感というよりも……俺の感覚を揺さぶったのは、酷くあやふやな既視感(デジャ・ヴ)。思い出すには弱過ぎ、忘れてしまうのは引っ掛かりが強い記憶。あれはまだ幼い、遠い故郷の夏……?
「うん、まあ……どうでも良いか」
まあ、立ち止まって悩むほどの事ではない。見れば、少年は既に路地の角を曲がってしまっていて、傘のせいで顔も見る事は出来なかった。それよりも夏の空気は雨の湿気を吸って重く不快で、早いとこアパートに帰ってクーラーで涼みたかったのだ。
「…………」
——さて、あの時。その少年を追いかけていれば、何かが変わったかどうか。本当の所は分からないけれど、多分、何も変化はなかっただろうと思う。なぜなら『鬼』は未だに彼であって……俺が追いかけた所で仕方がないのだから。
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「もしもし? よ、久しぶりだな!」
「ん?その声は健吾(けんご)か ……なんか用かよ?」
それから数日後、携帯に地元の友人から連絡が在った。小・中・高と同じ学校に通っていた腐れ縁で、特に幼い日々の想い出はコイツが絡むことが多かった奴。だが地元に残って就職した彼とは連絡を取り合っていなかったから、声を聴くのは本当に久しぶりだった。
「おいおい冷たいな、親友だろォ?」
健吾の訛っておどけた声が、いくらも変わっていないのに苦笑する。俺が田舎を離れてからは成人式くらいでしか会う機会もなく、酷く懐かしかったのは事実だ。思わず緩む頬を無理にでも引き締めて、あの頃のように少し突っ張った自分を再現してみるのも一興だろう。
「親友ね……なら貸してた2万、直ぐに耳揃えて返しやがれ」
「拒否する。『友人に金<貸す>勿れ』っていうだろが」
「……まあ、いいけど。どうせ健吾だし。で、本当の所、何の用なんだ?」
ふと旧友を思い出したから、などというセンチな男では無いはず。わざわざ電話を掛けてくる辺り、何か重要な用件があるのだと思ったのだが……
「う、う〜ん。確かに訊きたい事はあるんだが……どうしたもんかなァ」
「? んだよ、煮え切らないな……そんな悪い話なのか?」
途端に歯に物が挟まったような声色で、らしくなく言い淀む健吾。何か不穏な雰囲気を感じつつも、そんな言われ方をされては聞かない訳にはいかない。結局この後、数分間ほど誤魔化したり他の話題を振ってくる彼を促し続ると……健吾はやっと諦めたように、聞きとれるギリギリの小声で尋ねてきた。
「小5の夏だ、覚えてっか? 町の子じゃない、見慣れない男の子と『かくれんぼ』をした日が在っただろ?」
「……は?」
最初、何を言われているのかすら分からなかった。小5と言えばもう10年は前の話で……『かくれんぼ』なんて古臭い遊びも、あの田舎町、あの時分においては最高の娯楽。それが仕事の如く、毎日友人達と遊んでいたのだから、その中の一日を覚えている訳がない。
「いやいや、バカかよ……覚えてる訳ねぇだろうが」
「や、違うんだって! ほれ、妙にキレイなシャツを着た少年でさ……その日は俺とお前しか神社に集まらなくて、帰ろうとした時にふっと現れたんだよ」
「んん……?」
酷い雨の降る初夏の日だ、覚えていないのかと、しつこく説明してくる健吾。いつも遊び場にしていた無人の神社の境内なら、勿論覚えているが。閉鎖された田舎町に、そんなマレビトのような少年がいただろうか……?
<もう〜い〜かい?>
「あ……」
——ふと、あの懐かしい調子が聴こえた気がして。それと同時に、頭の中でカタカタと音を立てて、古い映写機が回った。時間に焼けてセピア色になった記憶が断片的に映し出される中、その『少年』は確かに雨の中に佇んで——
「ああ……そうか、あの時の」
「思い出したか!? ああ良かったァ、俺の記憶違いだったら超怖い所だぜ!」
「…………」
電話越しの健吾の声がやけに遠く聴こえて、自分が相当のショックを受けているのを自覚した。そう、思い出したさ。そして……つい最近感じた、あの既視感の正体を知ってしまったのだ。
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健吾のいう通り……俺たちはあの日、或る少年と出会った。それは夏休みを前にして高揚した俺らを諌めるように、空気の重く湿った、今にも雨の降りそうな放課後。色の無い空が広がって昼とも夕とも言えぬ、曖昧な時間。いつものようにランドセルを背負ったまま、いつもの神社へと直行した俺らだったのだが……
「うわ、やべ! もう降ってきたぞ……おい健吾、今日は帰ろうぜ?」
「う〜ん、仕方ねぇなァ。なら家まで走って帰るか、競争するべ」
到着した神社は無人で、雨誘いの風に鎮守の森は揺れていた。いつもは格好の遊び場であったその場所が、その暗い雲の影に覆われて物寂しく見えたのが印象的だった。そんなこと、後にも先にもこの日だけだったからこそ、思い出せたのかも知れないが。濡れないよう足早に、境内を後に二人で帰ろうとした……その時。
「ん? なぁ、あれ……誰だろ?」
——無色の空に溶けそうな、浮世離れた石の鳥居。幼い俺達には大きく見えた、聖俗の境界を護って立つ巨人の足元に。その『少年』は、俺たちと同じく傘も差さずに佇んでいたのだ。ざぁっと耳に残る、神木を揺らす風の音。雨粒が石畳みに染みを為していく、その夏の匂いの中で。
「ねぇ。『かくれんぼ』……しよう?」
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——携帯を握りしめながら、嫌な寒気がした。
「馬鹿な……あれから何年経ってると……?」
そうだ、あの時の『少年』は。先日の雨の日に出会った、あの子に酷似していた。短パンから伸びた骨々しい脚、真白いシャツ、生々しい肌色、黒いランドセル。そして——あれ? 彼の顔は確かに見えたはずなのだが……今になると、その風貌だけは少しも思い出せない。まるで顔だけを黒く塗り潰された写真を見てしまったような、酷く不快な感じ。そんなはずはない。思い出せ、思い出せ——
「ん、どうした? お〜い?」
「あ、ああ悪い。それでお前、なんで今更そんな事を……?」
そうだ。あのデジャ・ヴは勘違いに過ぎないとして、健吾の奴がどうしてそんな昔の事を掘り返すのか……それが分からない。ましてや、この絶妙なタイミングで。もし数日前、健吾と一緒に『少年』の姿と声を聴いていたなら、話は分かるのだが。
「うん、それがなァ? 頭の悪い話なんだが、この間、あの子に似た小学生を見かけたんだわ……それで、つい気に成って」
「ッ……!?」
その、思わず息を呑む声は聞こえなかったようで。気の性だよな、と笑う健吾の声には恐れや不安は無かった。だが有り得るだろうか……遠く離れた土地で、ほぼ同時期に同じ印象の人物を見かける事が。一方で健吾が気にしていたのは、あの小5の夏が実際にあった話かどうかであって……その『少年』との関わりは疑っていないようだった。それも当然だ、ただ見かけただけなら。だが俺は——
「なぁ、その小学生って……いや、何でもない」
「は? なんだよ、変な奴だなァ……って、俺も他人の事言えんか、あはは!」
———
——
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そして、その後には身の入らない会話が続き、健吾との電話は終わった。健吾があの『声』を聴いたのかどうか、幾度かそれを訊こうとして……止めておいた。このまま放っておけば、偶然で片付ける事が出来る。あの日のような酷い雨の降る初夏の匂いに、俺達は二人とも中てられたのだと、そう納得する事が出来るから。
——だが。そのある意味での臆病さに、俺は後悔する事になる。
それからたったの数日後、南に接近した台風の煽りを受けた大雨の降る夜……健吾が死んだ。
<続く>
- Re: 『禍つ唄』−連作小品集ー ( No.9 )
- 日時: 2012/05/18 16:32
- 名前: Lithics ◆19eH5K.uE6 (ID: oxlSkFnW)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode
「そんな、ウソだろ……? どうしてだよ!?」
原因は不明らしい、と。地元から連絡をしてきた母親も、困惑気味の声色で言った。あの大雨の中、仕事関係で車を走らせていたはずの健吾は……何故か車を路肩に寄せて道路に降り、そこで雨に濡れながら眠るように死んでいたという。不審な点も遺書のような物もなかった為、結局は心臓発作の事故として扱われたという事だった。しかし誰もが疑問を抱いたまま——夏というの季節がらも手伝って、俺が故郷に駆け付けた時には、遺体は荼毘に伏された後。あいつは何のために車を止め、傘も差さずに降りたのか。俺には其処に……健吾以外の誰かが居たような気がしてならなかった。
<もう〜いいかい?>
葬式の会場で、読経の間隙に。健吾の家で仏壇に向かう、その後ろから。聞こえもしない、幻のような声が聞こえる気がした。ああ、きっと気の性ではない。俺は訊かれているのだ、もう準備は出来ているのではないか、と。
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ざぁっと耳を打つ、雨誘いの強い風が吹く。健吾の葬式を終えた帰り、気付けばあの神社に来ていた。相も変わらず鄙びた無人の社と境内には、あの日と同じ雨の気配が満ちていて。だからだろうか、俺達の頃のように遊ぶ子供たちの姿は無かった。
「……懐かしい、な」
まさか、再びこの場所に来ることがあるとは思っても見なかった。田舎町への嫌悪から大学進学に託けて都会へ飛び出した俺には、ここへ戻ってくる資格が無いと思っていたから。しかもそれが親友の葬式帰りだなんて、なにかの呪いめいている。
「呪い、か。『終わる』までは呼び戻されるっていうのか」
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「ねぇ、かくれんぼ、しよう?」
あの時そう呟いた少年に、俺達はどんな印象を持っただろうか。傘を差していないのに濡れていない、貌が見えるはずなのに表情が分からない、その異常さに。思えば、健吾だけは気付いていなかった。ならば、もしかしたら健吾と俺の見た者は違うモノだったのかもしれないと、今更ながら思う。それならば、あの時、迷いなく少年に近寄ろうとした健吾の不用意さも納得という事になる。
「へぇ、いいじゃん! 三人居れば出来るぜェ、『かくれんぼ』。なぁ?」
「あ、ああ……でも……」
近寄りたくないと、根拠もなく怯えた。雨に濡れるのは構わない、そんなのはいつもの事だったから。だが……あの曖昧な少年に触れるのは駄目だ。健吾の手前、逃げ出す事も思い切る事も出来ずにいると。妙に掠れた声で、少年は始まりを告げた。
「じゃあ……僕が『鬼』になるよ?」
「……!」
鳥居の太い柱に寄りかかり、ゆっくり数え始めた少年を見て、いいようもない安堵を感じた。今の内ならば、その後ろを抜けて帰る事が出来る……重く湿った境内の空気は、もはや何かに躊躇う事を許さず。急くように健吾の手を引っ張って走った。
「おい、なんだよ !? ちょ……そっちは外……」
「(いいから来い、健吾!)」
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——そして今。『雨の日』に神社へ来るのは、あの日以来初めてだと、今さらながら気が付いた。
「…………」
未だ決着のついていない、あの『かくれんぼ』の続きを望んでいるのは。俺でも健吾でも無く、あの『少年』なのだから……きっと、呪われているのは俺達の方だ。この始まりの場所に至り、やっと全部を思い出すことが出来た。ああ、なんの事はない。あの『少年』は、初めから普通ではなかったのだ。それを忘れていたのは、きっと思い出したくなかっただけの事。
<もう〜いいかい?>
——境内を向く俺の後ろから、あの声が聴こえる。
「…………」
あの日、結局俺らは『かくれんぼ』に応じなかった。『もういいかい』と呼ぶ声を背に、その気味の悪い少年から逃げ出したのだ。無邪気で残酷な子供時代の事、それを悪いとも思わなかったし……応じていれば良かったとも思わない。あれが『この世のもの』でないなら、いずれにせよ同じだったはずだから。
「さてと……」
怖いとは、感じなかった。あるのは健吾を失った悲しみと怒りだ。それに……『かくれんぼ』が終わったなら、次に『鬼』になるのは始めに見つかった者。それを許す訳にはいかないし……ゲームとして成り立っているなら、まだやり方はある。
——ポツリと頬を打つ、雨の嚆矢を感じながら。ゆっくりと踵を返した。青い傘。顔の見えない少年が、生々しい存在感を持って佇んでいた。ああ、今度こそ、確かに聴こえる。
「もう〜いいかい?」
答えは、決まっている。古来、『鬼』を縛るルールは一つだけ……『かくれんぼ』は、プレイヤーが隠れない限り始まらないのだ。
「……まだだよ」
(了)