複雑・ファジー小説

Re:  きみがぼくからきえるまで *桃色ファンタジア更新 ( No.2 )
日時: 2012/04/20 21:35
名前: ぬこ太郎 ◆OVYLVL78aM (ID: vQ/ewclL)

第一話 『桃色ファンタジア』


 とある日の三時限目。外から差す木漏れ日の美しさに、俺柴崎‥李は目を奪われていた。黒板に必要最低限の情報だけを記していく教師の言葉は、耳に入ろうとすらしない。教師の声に、心を揺さぶられること、なかった。ふっと、自分の隣の席に視線を移す。
 左ひじで頬杖を突きながら横目で見た隣の席には、花瓶に生けられたすずらんの花が飾られていた。まるで、その席の主が死んでいる、としたようなその行為の後を見るだけで辛かった。心の奥が、きゅうと悲鳴を上げる感覚がする。
 最愛のきみを失ってから、かれこれ二ヶ月ほど経つ。実際には、もっと長いかもしれない。そんな事を思いながらろくに授業も聞かず、いつの間にか蒼一色に染め上げられた快晴を瞳の奥に焼き付ける。

「……柴崎。お前後で生活指導室に来い……」
「え」

 不意に耳に入った教師の声に条件反射で声を出す。授業が終わるまで、後五分のところで文句を言われたのにも信じられなかったが、いつもの世界史の教師ではなく、俺が一番苦手な世界史のもう一人の教師である、槙龍太(まき りゅうた)が授業をしていることに、驚いた。
 この槙という男は、女子生徒の間では「りゅーた先生」とか「りゅーたん」とか「まー先生」とか言われている。呼ばれるたびに笑顔を見せるが、中身はただの腐ったホモだ。ガチホモだ。しかも最近は俺のことを狙っているらしいと情報を得た。

「分かりましたけど……。授業もあるのでさっさと終わらせてくださいね」

 視線の端に捉えた槙の表情は、俯いていて良く分からなかったが、きっと片手に白いチョークを持ち、もう片方の手で丸めた教科書を怒りで握りつぶしていただろう。「お前……ッ!」と言いたげに口を開いた瞬間、チャイムが鳴る。
 狭い窓の隙間から、丁度良く春二番の少し強い風が吹く。
 気づけば、授業が終り俺の周りには人がいなくなっていた。

「……群れるしか、できねーのかよ。アンタらは」

 窓の外で誇らしげに枝を広げる大樹(たいじゅ)に愚痴をこぼし、立ち上がる。脚で後ろに押された椅子はそのままに、教室を出る。寒いくらいに冷え切った廊下は、靴底から全身に冷気を伝えてくる。
 ほぼ全員が「寒い」とか言い、自分の体の前身を包むようにしているが、興味はない。興味があるのは、ただ一つ。この学校から『きみ』の存在が消えようとしている事だけだ。それが一番、許せなかった。

 階段を下りながらも、延々と俺は『きみ』について考え続けていることに気づき、苦笑を漏らす。——きみを失ったのはぼくのせいなのに。階段の途中で歩みを止め、あの日のビジョンを呼び戻す。
 二人だけが置いていかれた、あの暗く沈んだ空間を。

 その日は、乾いた火曜日だった。少し木枯しにも似た冷たい風が、ぼくの頬を伝っていた。ぼくときみ。俺ときみ以外に、二人の空間には何もいなかった。
 勘違いではなくて、本当に。本当に、誰もいなかったのだ。他愛もない話をして、教師に対する不平不満をぶつけあって、帰りにカフェで時間潰そうねとか話して。普通の、カップルだった。ただの、何の変哲もない恋人同士だった。
 何が間違いだったのか、記憶の糸を懸命に辿るが思い出せる気配はない。きっと、記憶を消したんだろうなとか虚ろに思いながら、とどまり続けた階段を後にする。

「彼、何を感じてるんだろうね」
「しーらなぁい。でも、アレよ? 私たちが探しているモノのエサになると思う」

 ‥李が消えた階段の近くで、二人の生徒が密談をしているのを、‥李は知らなかった。

 知らないまま、‥李は静かに一階の廊下を歩く。視線を床と水平にさせてみれば、職員室や視聴覚室、カウンセリング室などが視界に捉えられる。そろそろ四時限目のチャイムが鳴るのだろう。昼休みに、ここらを歩いている生徒は、誰一人としていなかった。
 別に、くだらん自習だしなぁ……。廊下の突き当たりに位置する、生徒指導室のクリーム色の扉の前で心此処にあらずで立ち尽くす。このまま、全てが終われば良いのになんて考えている自分に、少なからず嫌気が差す。

Re:  きみがぼくからきえるまで *桃色ファンタジア更新 ( No.3 )
日時: 2012/04/21 21:26
名前: ぬこ太郎 ◆OVYLVL78aM (ID: vQ/ewclL)

「失礼します」

 扉を開ける前の常套句を小さく言い放ち、三回ノックをする。中から「どうぞー」なんて間の抜けた声は聞こえなかった。所謂無視というやつだ。シカトというやつだ。
 室内にも聞こえるのではないか、というほど大きくため息をついきドアノブを回す。かちゃんと音が鳴り、ぎぃっと軋んだ音が響く。

 目に映った光景に、俺はどう対応すればわからなくなった。

 部屋の中央にある長机に、槙龍太はいた。が、様子が可笑しい。重たい扉を開くのに、力が足りないせいで少ししか見る事が出来ないが、顔を紅潮させていた。
 そのまま、俺はゆっくりと扉を閉める。なんでかって? 身の危険を感じたからさ。異論は認めない。
 自分の気持を落ち着かせ、もう一度扉を開ける。今度は全体重で思い切り。がちゃん! と一際大きな音をたてた扉に槙龍太は、驚いた表情で此方を見る。
 予期していた考えではあったが、一番好ましいと思えなかった考えでもあった。——下半身に衣服を纏っていなかったのだ。

「……アナタは俺に何を望んでいるんですか」

 危うく開け放したまま放置しそうになった扉を閉める。扉の開閉で疲れたのは、今日が生まれて初めてだった。
 呆れた口調で言う俺に、槙龍太は何かを間違ったのかもしれない。紅色にしていた頬を、更に濃く色づけていたのだ。どう考えても、俺に非があるわけではないと自分自身に言い聞かす。
 当たり前だ。誰が来るかも分からないような教室で、自慰行為に励んでいるのが悪いのだから。

「っはは。いやァ……君とね、二人っきりになれるの、待ってたんだよ」

 男とは思えない、妙に色めきだった口調に思わず鳥肌が立つ。そんな俺に構いもせず、握っている手を上下に動かす槙龍太は、ある意味、肝が据わっているとしか表現する事が出来ない。

「ちょっとさ、ンッ……。君が探してる、きみについて分かった事があってさ、んぁ……っ」
「その気持悪いモノと気持悪い声と気持悪い手の動きを止めてください」
「あ……。きみ、については教えてください」

 心の声が先走った。武士風に言うと「不覚……ッ!」とでもいうやつか。しっかり本当にいいたいことを伝えたが、不機嫌そうな顔を向ける槙龍太の虫の居所は、収まりが悪いらしい。迷惑だ。

「……はぁ。いいよ、教えてア・ゲ・ル♪ その代わり、今度先生とご飯食べに行かない? いいお店知ってるんだよね」

 瞬時に萎(しお)れるモノと、瞬時に萎れさせる槙龍太の精神力と冷静さに、悲しくも尊敬してしまう。声色も直ぐに変わるのだ。
 槙龍太は「よいしょっとー」なんて言いながら衣服を身に着ける。「すっげ、ぐちゃぐちゃ」なんて一人で浸っているコイツに興味はない。興味が有るのは、きみと繋がるための情報だけだ。