複雑・ファジー小説
- Re: マジで俺を巻き込むな!! ( No.39 )
- 日時: 2012/07/15 18:16
- 名前: 電式 ◆GmQgWAItL6 (ID: hWSVGTFy)
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第1話-14 計算式の彼女 監視
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差出人:神子上麗香
件名:
時刻:13:16
本文:日曜日、空いてる?
件名なしのメールの本文には、そう短く書かれているだけだった。
「あ、もう来たの」
「ついさっきな」
チカは席に座ると盆に乗せられた新たな障害物、つまりおしぼりを見つけると嫌そうな顔をした。お前、そこまで潔癖になる必要なないと思う。さて問題は神子上へどう返事するかだ。面倒だからさっさと返信しておこう。
「誰から?」
俺が携帯電話を開いているのを見たチカは、すかさず質問をぶつけてくる。どうせチカのことだから長話になるのは目に見えてるし、話してもいいだろう。変にはぐらかせば、それでまた変な疑いかけられるのも、払拭しようと釈明したら疑いは深まるだけだということも。
「来週入ってくる転入生からだ」
「入ってくるって、うちの学校に?」
「しかも俺らのクラスにな」
それ本当? とチカは半ば身を乗り出した。ガチの話だ、と俺は答えた。なんでそんなビッグニュースを早く教えてくれなかったのよ、と彼女は言ったが、すぐに自分で相づちを打ってそりゃそうだよね、と首を縦に振った。どうやら自己解決したらしい。
「めんどくさがりのコウのことだから、言わなくて当然か」
嫌味なのだろうが、その通りだから何も言わない。とりあえず俺は“今取り込み中。追って返信する”とだけ入力して送信ボタンを押し、携帯電話を閉じた。
「それで、何のメールだったの?」
「ただのテストメールだ」
昨日アドレス交換したばかりだったからな、と俺も水を飲んで割り箸を割った。チカも箸を持って「コウってホント閉鎖的よね」とさらに嫌味な発言を被せる。とにかく俺は無難に物事を進めたい。出すべき情報は出し、そうでない情報は口には出さない。そこら辺の割り切りが重要である。そのたぐいの無難性は日本政府が世界トップクラスだと思っている。前向きに検討する、とか、結論を見送るとか、万全を期すとか。実際無難どころか叩かれまくりだがな。
「で、どっちなの?」
チカは俺の機嫌を取るような笑顔で言った。
「何が?」
「決まってるじゃない、男子なのか女子なのかっていうこと」
「女子だ」
「その子、可愛い?」
「宗教が出来てもおかしくないね」
「じゃあ単刀直入に言って、あたしとその子、どっちが可愛い?」
「…………。」
お前、その質問をされた側の心理になってみろよ。「転入生のほうが可愛いです☆」なんて口が裂けても言えねえだろーが。それから笑顔の奥で無言の圧力をかけるな。
「さあな。感性は人それぞれだ。自分の目で確認しろ」
「で、コウはどう思ってるの?」
ちっ、逃げられなかったか。逃げた時点で察しろ、バカが。
「お前を崇拝する宗教がこの世に存在するかどうかを考えれば、自ずと答えは出てくる」
「じゃあ転入生のほうが可愛いってこと? ……なんかショック」
身から出たサビだ。まあ、俺はどっちが可愛いと思っているかについては明言してないので、ぶん殴られることもないだろう。
「それで、いつ転入してくるって?」
「来週だとさ」
それから食事が終えるまで、俺は神子上のことについてチカからあらゆる角度から問いただされたのは言うまでもない。
*
「美味しかったね〜」
「そうか」
午後二時過ぎになってようやく俺達は店を出た。かれこれ1時間以上もしゃべり続けたわけだから、店としてもさぞ迷惑だったことだろう。俺一人でのメシなら20分もあれば完食して店を出てる。
「さあて、次はどこ行く?」
こんな会話をしながら店から出てくる俺とチカは、周囲の目には「彼氏と彼女」そのままに映っていただろう。実際、さっきの店でも視線と変な殺気をやたらと感じたのだから間違いない。
「そういえば、コウは今日、食材の買い出しするんだよね」
「そのつもりだが」
「じゃあ買い物に行く?」
「いや、まだ駄目だ」
食材は生ものが多い。今買ったところで、夕方4時まで俺はこいつの世話をせにゃならんのだ。こんな蒸し暑い中に食材を長時間晒せば確実に傷む。
「そっか、じゃああと2時間暇つぶしするなら、何がいいと思う?」
「映画館なら2時間程度で終わるな」
「なんであんたなんかとデートコース辿らなきゃいけないのよ」
俺としたことが、確かにそれはデートコースの王道まっしぐらというものだ。窓口で男女揃って「学生2枚」とか確かにカップルそのまんまである。俺にそんなことを言う勇気はまったくない。
「ボーリングでもやって暇つぶしするか?」
「ヤだよ、ボーリングなんて。友達とばったり鉢合わせになっちゃうかもしれないじゃない」
「そうか。じゃあ近くの公園でたそがれるか?」
「日焼けするじゃない」
「んじゃ本屋な」
「もうちょっとマシなところがいい」
「そんじゃ服屋は?」
「今お金持ってないし、見たら欲しくなっちゃうし……」
「じゃあ逆に聞くが、お前は何がお望みなんだよ」
「あたしは……別に何でもいい」
チカはムスッとした表情で言い放った。あのなあ、何でもいいと言っておきながら文句言われちゃ困るんだよ。お前のなんでもいいという言葉には、言わずとも分かるだろ的な前提条件が存在してるんだろうが、それならそれも含めてきちんと言え。それが通じるのは、よほど息の合う人間か、テレパシーが使える奴ぐらいだ。
- Re: マジで俺を巻き込むな!! ( No.40 )
- 日時: 2012/07/15 18:18
- 名前: 電式 ◆GmQgWAItL6 (ID: hWSVGTFy)
「チカ」
「なに?」
「付き合ってらんねえよ。俺帰るから」
頭にきた。俺はお前の召使いじゃねえんだよ。俺は単なる慈善活動でお前についてきてやってるだけで、俺がここにいる必要はない。事件に巻き込まれるのが怖いからついてきてだぁ? 笑わせんな。文句ばかり垂れやがって、何かあっても身から出た錆だからな。まあ、捜索願ぐらいはお情けで出してやるよ。
「えっ、ちょっと!」
「お前といる理由ねえし」
「ちょっと待ってよ」
「じゃあな〜また来週〜」
俺を掴もうとしたチカの手をするりとかわし、俺はチカに背中を向けた。俺といるよりお前一人の方が行動しやすいだろ。好きな店にも行けるだろうし。さてと、今日明日の晩飯でも買いに行くかな。今日は何が安かったんだっけな。確かパンと牛乳だったか。今晩の飯はシチューあたりかな。……いやでも夏場にシチューはないか。サッとできるあたりでいくなら冷やしそうめんがいいかもしれん。
「分かったから! ……本屋でいいから」
駆け寄ってきたチカに手首を掴まれた。振り返るとチカは下を向いて顔を隠している。チカのボサボサ頭のせいで表情がすっぽり隠れてしまい、どんな表情をしているのか見当がつかない。俺がフウ〜、と大きくため息をひとつつくと、怒りがそれに乗ってどこかへ飛ばされたかのような気分になった。
「あたし調子に乗ってた。だから——」
「はぁ、このじゃじゃ馬め」
俺は手首を掴んでいるチカの手を振り払った。うつむいていたチカの顔がパッと俺の方を向く。俺はそういう恋愛系のテレビドラマみたいなのをガチでやれるほど格好よくはないし、そんな恥ずかしいことを公衆の面前でするほどの勇気があるわけでもない。
「ほら本屋行くぞ」
怒りが完全に収まったわけじゃねえが、向こうも調子に乗ってたと言ってるわけだし、許せないこともなかった。さっき何気なく出たため息が決定打になったと言ってもいいかもしれない。何かあったら深呼吸、これは間違ってないと思う。
10分後、俺達は昼食を取った同建物内の書店コーナーにいた。書店コーナーとはいえど、れっきとしたテナント出店だ。「某國屋」の看板がある。チカは店の奥で雑誌を、俺は店の外側においてある週刊マンガ雑誌を読んでいた。
俺は普通、この手のマンガ雑誌は出たその日に読むほうだ。今週は月曜から金曜までずっとテストだったので読むのが久しい。というか、先週読むの忘れてたから話の流れが分かりづらい。まっ、ズルズルと話を引きずってくれてたり一月前から未だ戦闘中だったりするので予測が全くつかないということはないがな。それに読めなかった分は単行本買えば済む話だし。興味ある連載しか読まない俺にとって、それを読み終えるのには大して時間はかからなかった。
「あと1時間と20分か……」
雑誌を元あった場所に戻す。人目を気にしながら小さく背伸びした。背中が妙に凝るのはやはり学生病なんだろうか。いや、多分現代病だな。見下ろす動作なんて日常茶飯事だ。見下ろす先が活字だろうが他人だろうが。そんなことを思いながら何気なく振り向いたときだった。
「あれは……気のせいか」
一瞬、俺の視界の中にあの|白いの《ヽヽヽ》が映った気がした。だが、行き交う人の影に彼女が隠された次の瞬間には、消えていた。……ような気がする。気がするだけで多分ここにはいないはずだ。いたとすればどうせ宇宙へ旅立つ際に乗ったUFOが整備不良で調子悪かったかなんかで、慌てて引き返したぐらいしか思い付かない。
「ハハッ……まさか。んなわけ」
一瞬、あの白い少女が俺を監視してるんじゃないかという、まさに非現実的、かつ夢見がちとでもいうべき考えが頭の中をよぎった。俺を監視の対象にする理由なぞない。頭を振ったら鈴の音が聞こえてきそうなほど空っぽの脳みそを持つ俺に——というか、そもそも見えていたような気がするだけで俺は実際見ていない。見ていないのだから考える必要などない。
それにだ。実際に口にだしてないからまだいいが、“白髪の若い少女が俺を監視している”なんて言い出したら、どこに連れて行かれるのか。
「ヘェッキ!」
くしゃみをしそうになったのを必死で堪えると出る変な声。犯人は俺だ。この年にしてオッサンみたいなくしゃみしてることはさておき、軽く鼻をすすると、鼻に違和感。汚い話、鼻クソである。しかも鼻から半分飛び出してぶらぶらしているようだ。こんな時、家ならティッシュに取って丸めてポイだが、ここは公共の場である。ティッシュを取り出して鼻をかみ、ごみ箱を探した。
「こういう時に限って——」
見つからない。なんだろーな、こういうの。人類の|運命《カルマ》なのかもしれん。ごみ箱がある確率が高い場所っつったら、まあトイレだろ。俺は書店を離れ、一人トイレに向かった。
来たからついでに、と用も足して書店コーナーに戻った俺は、さっきまで見えていたチカの姿がなくなっていることに気がついた。あいつもなんかの用事で書店コーナーから立ち去ったらしい。なんの用事なのかは知らんが、いずれまたここに戻ってくるだろう。念のため携帯を手にとって着信履歴がないか確認したが、未読メールボックスの中は空っぽだった。
マンガを見るのにも飽きた俺は雑誌コーナーに移動した。さっきチカが暇潰ししてた場所だ。特にこれといって見たい雑誌があるわけではないが、暇潰しには最適だ。
とりあえず最初に手に取ったのはドライビング雑誌。とあるモーターショーに関する特集が組まれていた。だが、“どこぞのメーカーが発表したコンセプトモデルは新環境基準対応の珍しい水平対向型8気筒DOHCエンジン搭載”とか、“贅沢な|ミッドシップ《MR》配置にマルチリンク式サスペンション採用”など、常人にはどこが珍しくて贅沢なのかさえ理解できない文面がつらつらと書かれていて、読めそうにもない。せいぜい写真を見て“斬新なクルマだな”程度の感想しか出ねえ。
雑誌を置いたところで目に入ったのは、週刊“蒸気機関車をつくる”なる書籍である。こういうのは初刊は激安価格にしてお着、その後は定価販売という戦略が常套手段になっている。100巻を越えることもザラにあるから、完成するまでの出費が馬鹿にならない。1巻800円と仮定しても8万円はする。この手のものを完成させた|強者《ツワモノ》は全購入者の割合で計算すればそう多くないだろう。
「これは……」
その近くに置いてあった一冊の雑誌が目についた。
“加治市一連の事件を紐解く! 国際的テロ組織による用意周到な計画!”
断定的口調で大げさに書きがちなタイプの雑誌である。ちょくちょくテレビで行き過ぎた記事を書いてるとか、事実を歪曲してるとかなんとかと騒がれるゴシップ。俺は芸能人がスキャンダルしようが暴力団と繋がってようが、俺に関わってこない限り興味はない。長所ばかりの完璧超人なんてのはマンガやアニメでしか存在し得ないのは周知の事実で、他人のアラを探しだしてはその人間の|アイデンティティー《人格》を根底から否定するような書き方をするのは、どうもいただけなく感じる。ただ、今回の記事は俺も黙って見過ごすことは出来なかった。売れ行きが好調らしく、雑誌は3,4冊しか残っていない。
- Re: マジで俺を巻き込むな!! ( No.41 )
- 日時: 2012/07/15 18:21
- 名前: 電式 ◆GmQgWAItL6 (ID: hWSVGTFy)
“最近起きた電力障害や石油精製工場の火災、大学生の突然の失踪などの事件は、すべて○○県加治市内という限定された地域内で発生している。警察当局は『それぞれの事件についての関連性は認められない』という見解を示しているが、軍事ジャーナリストのK氏は『警察は一連の全体像が見えていない』と断言する。今回、K氏は我々の単独インタビューの申し出を快諾した————”
こんな冒頭から始まるモノクロ印刷の特集ページは、対話形式で数ページにわたって続いていた。
編集者
「今回の一連の事件について、K氏はどのように考えているのでしょうか?」
K氏
「私は間違いなく国際的テロ組織による“予行演習”だと考えています」
編集者
「というのは、どういうことでしょうか?」
K氏
「結論から言えば——どこのテロ組織かはまだ分かりませんが——どこかの過激派テロ組織が首都東京の攻撃を計画しているのだと私は考えています。沿岸部にある発電所を複数ヶ所一気に攻撃すれば、首都機能がマヒし停止するのは火を見るよりも明らかです」
編集者
「つまり、東京の攻撃に必要な情報を集めていたということでしょうか?」
K氏
「そういうことです。実際は、ほぼ必ず|電磁パルス《EMP》を用いた攻撃手段で攻撃してくるでしょう」
編集者
「『電磁パルス』というのは具体的にどういった攻撃手段なのでしょうか?」
K氏
「強力な電磁波を発射し、その周囲にある電子機器の回路を、電波で焼き切って破壊する方法です。高高度核爆発時にも同様に電磁パルスが発生し、この場合は広大な範囲にまで被害が及びます。コンピュータはもちろん、自動車や鉄道、携帯オーディオなどのあらゆる機器が対象になります。第3火力発電所が停止する直前、付近では強力な通信障害が起きていました。私はこれが小型のEMP爆弾(電磁パルス発射装置)によるものだと考えています。小型のEMP爆弾は加害範囲が狭いというデメリットがありますが、今回のような都市の重要施設を攻撃することで、その弱点をカバーすることができます。今回のトラブルで物的損害の報告は上がっていないため、EMP爆弾は失敗したともとれます。しかしそれでもEMP爆弾の有用性をメディアを通じて世界中に知らしめたということに変わりはありません————」
「あー! ちょっとコウどこほっつき歩いてたの? いきなりいなくなるからビックリしたじゃない!」
「騒がしいのが来たかと思えば、お前か」
俺はその雑誌を閉じて陳列棚の上に戻した。EMPとか、なんか難しくて良く分からんかった。怒り気味のチカの顔を見ると、どうやらチカは俺を探しに書店を飛び出したようだった。離れた隙に俺がいなくなったことに感づいたらしい。なんともタイミングが悪い。チカは世話焼かせないでよ的な迷惑顔で続けた。
「どこ行ってたの?」
ああ、鼻クソの処理をしに行ってた。言えるかっ。
「ちょっくら小便しに行ってただけだ」
「ホントに? あ、まさかあたしを置いて帰ろうとしてないでしょうね?」
「ああ、その手があったか」
俺がポンと手を叩くと、瞬時にチカのゲンコツが飛来し、俺の頭に直撃した。
「感心してんじゃない」
「ってぇ……とにかく、俺は小便しに行ってただけだ」
お前のせいで俺の脳細胞の累計死亡数はここ二年で右肩上がりだ。チカによる脳細胞破壊攻撃がなければ少しはいい成績が取れてたかもしれん。
「まさか小便しにいくのにわざわざ報告せにゃならんかったか?」
「一言声かけるぐらいしてよ」
「俺がそのことに関してきちんと記憶できてたら、次からそうする」
腕を組んで顔をしかめるチカの背後に、人型の白いものがじっとこちらを見ているのが見えた。
それは単なる気のせいでもなく、今もこうしてじっと遠くからこちらの様子を伺うように、こちらを見ている。間違いない、|アイツ《ヽヽヽ》だ。
「……なあチカ、本読むのにも飽きたし、別のとこ行こうぜ」
「どうしたの急に」
「いいから、行くぞ」
「えっ、あ、ちょっと!」
俺は本能的にチカの手を引っ張り、店を出るためにエスカレーターへと向かった。なぜアイツがこんなところにいるんだよ! 本能的な悪寒が全身を走った。とりあえずアイツからは離れた方がいい。心臓がバクバクと荒々しく鼓動している。顔では平然を装っているが、俺の歩く速さは確かに他の客のそれより速かった。
「コウ! いきなりどうしたのよ!」
「…………。」
頭の中が半ば混乱しかけていて、チカになんて言葉を返せばいいのか、全く思いつかなかった。俺達はエスカレーターのステップに乗った。本当はステップを駆け降りたいところだが、そこまでするとチカに異状を悟られると思って出来なかった。確かに既に異状を悟られてはいるが、ことを大きくはしたくない。
後ろを振り返ってみるが、そこにはただ普通の光景が上に遠ざかっていくだけで、あの白い奴の姿はなかった。俺はそこで束の間の安堵感を覚えた。
「どうしたのよ、急に手なんか引っ張って」
「ああ、今日、スーパーのタイムセールが近いことをすっかり忘れててな。今からだと急がねえとやばい」
「だからって握る力強すぎ! ほら、手首が擦れて赤くなっちゃったじゃない!」
不満そうな顔をするチカの手首には、俺の握った跡がくっきりと残っていた。
「んなもん一時間もすりゃ治るだろ!」
さらに下の階へと向かうため、エスカレーター降り口をUターンして再びエスカレーターに乗った。さっき乗ったエスカレーターを見上げる。彼女が一歩一歩ゆっくり、着実に降りているいるのが見えた。間違いない、あいつは俺達を監視している。まさか妄想がリアル化するとは、俺の頭も末期である。
「チカ、マジで悪いが時間がねえんだ、ちょいと走るぞ」
「えっ!」
俺の迫真的なガチボイスにチカは何事かという顔を呈すが、俺は構わず足を進めた。空いているエスカレーター片側一車線の道を大きな騒音を立てながら降り、ついに一階までたどり着いた。俺のことの重大さを理解していないチカの移動する遅さがもどかしい。
「そんなに今日のタイムセールが重要なの?」
「ああ、死ぬほど重要だ! 仕送りから生活費を引いた金が俺の小遣いだからな!」
「この守銭奴!」
「浮いた金でポップコーン買ってやるから黙ってついて来い!」
「い、いらないわよそんなの!」
「いいから来い!」
店を飛び出した俺達は、セミの鳴き声の聞こえる蒸し暑さ真っ盛りの外を力の限り走り抜けた。店から2〜300メートル離れたところまで走った辺りで、とうとう俺の体力が尽きてしまった。
「はぁ、はぁ、コウ……」
「はぁ……何だ? げふっ、げふっ——」
「あんたさ、もしかして……付き合ってる人とかいるの?」
「はぁ? ……なんで……そうなるんだよ」
「だって……コウがタイムセールぐらいで……ケホッ、ハァそんな真剣な表情するわけないじゃん。本当はあのフロアにあんたの彼女がいたんでしょ?」
「いねえよ……彼女なんざ」
もしかしたら、守られてるのは俺の方だったのかもしれん。今の状態でも十分危険だが、もしチカがいなければ彼女が俺に何かしてきた可能性だってある。——もっとも、アイツが危険だという証拠はないが、現に俺達を追ってる。
「じゃあどうしたってのよ! ……本当はタイムセールなんかじゃないのは分かりきってるし」
「……知らない方がいい真実もある」
俺はそう言って、さっき出てきた店の入口の方向へと目を向けた。ここから結構距離がある。さらに俺達と店の間に交差点が一つあるため、横断する自動車のせいで入口は見えない。俺達のいる場所はとりあえず信号が変わるまでは安全地帯だ。
「何よそれ」
「冗談だ、今のは忘れろ。俺が急いでいる目的はタイムセール以外の何物でもない」
「はぁ? それ本気で言ってるの?」
俺達の後ろを遮断してくれていた信号が赤に変わった。信号待ちの人々の中に、あの少女がいる。これはほぼ追われていると言っていい。
「今日のタイムセールの内容、何だと思う?」
「そんなのあたしの知ったこっちゃないわよ!」
「特選黒毛和牛の上等な肉が出血大サービスで5割引だ。早く行かねえとなくなっちまう」
「それで急いでるのね?」
「ああ、そうだ。今晩は一人寂しく焼肉しようと思ってる」
全くの口から出任せである。黒毛和牛の肉を半値で売るなんざ、そんな虫のいい商売は大手食料品店ではほぼないだろう。信号が青に変わった。彼女が歩きながらこちらへ向かってくる。
「そういうわけだ、急ぐぞ!」