複雑・ファジー小説

Re: 【二章更新中!】聖使徒サイモンの巡礼【オリpv作成なう!!】 ( No.87 )
日時: 2012/08/07 14:07
名前: 茜崎あんず (ID: 92VmeC1z)
参照: http://www.kakiko.info/oekaki_bbs/bbsnote.cgi?fc


走って走って走って走って……。
赤黒い跡を運ぶ細い足を必死に動かし、アニタは森の奥へと辿り着く。
「キドーっ、ラドルーっ」
白い肌は傷だらけ。綺麗な髪は木に絡まってごわごわ。
真っ青な顔で半狂乱に二人の名を呼ぶそんな彼女の手首を誰かが掴んだ。
「!?」
「アニタ、なんかあったか?」

何も知らずに、朗らかに笑うラドル。幼い頃流行り病で母親を失い、アラド地区牧師を勤める父親・タマルに男手ひとつで育てられてきたのだ。

きみのおとうさんはころされてしまったんだよ。

彼を傷つけるそんな言葉を飲み込んで、少女は泣いた。ラドルの白いシャツに顔をうずめて大声で。こんな非常事態なのに、いつもは弱みを見せない強気な美少女の泣き顔に驚き、照れくさがっている少年は本当に何も分かっていないのだ。
「ラドル……っ!」
そうだ。傷つけてはいけないなら隠せばいいじゃない。タマル牧師のことは隠して、ラドルとキドを町から逃がす。余裕があったらお父さんとお母さんをも連れ出して私も脱出する。
理由は後で言えばいい。とにかく今は……。

「おいアニタ…………、その足」

黒い血が点々とこびりついた少女の木靴。
それはタマルの体液をじっとりと含み、地面に跡を落とすから。

「誰の……、血なんだよ」

「……っ」

言えない。心配そうに自分の顔を覗き込む弟の顔を見てさらに思った。言ったらラドルは確実にパニックを起こす。そしたら無事に町から二人を出すことなんて出来なくなる。
「誰のでもないよ。途中でラズベリーを踏んじゃって」
せめても明るく、せめても誠実そうに。
彼女は笑った。

「よく聞いてラドル。今この町では大変なことが起こってる。あなたはキドを連れて先に逃げて」
「え…………」

ぬるい風が二人の黒髪を揺らす。某然と膝から崩れ落ちる少年をを見下ろし、アニタは思う。
このまま時が止まってしまえばいいのに。
「え……ねーね、ラドにい、どしたの?」
少女は無邪気な声で訊ねる弟を抱き寄せた。小刻みに震える肩にふくふくとした小さな指が触れる。
「ごめんねキド、ねーね、死んじゃうかもしれない」
死への恐怖が徐々に心を染めてゆく。引き返したら先ほどタマルを殺害した輩に見つかってしまうだろう。ああ、もっと楽しいことしたかった。母親がつくってくれた赤いヘアバンドがやけに熱を帯びて暖かい。父親は私の髪を撫でながら、アニタの黒髪はよく映えるねと褒めてくれたんだっけ。ああ、お父さん、お母さん。

ふいに目が合う。まん丸く見開いた綺麗な鳶色。
「ラドル………」
そうだ。私はこの二人を守りたかったんだ。
思い出した。

「とにかく早く! 私は皆を連れてから逃げるから、ラドルはキドを連れて逃げて!」
立ち上がる。
木靴を脱ぎ捨てアニタは大地を踏みしめる。
その瞳に浮かぶ涙を少年は泣き出しそうな目で見ていた。

「ぜったいまた会おう」

彼女は振り返らない。
暗い暗い森の奥を駆け足で進んだ。