複雑・ファジー小説

ハラワタ共同体。 ( No.16 )
日時: 2012/05/04 15:19
名前: 緑川 蓮 ◆jNZRGbhN7g (ID: U.L93BRt)




「どう、当たってる?」「さっきから、何よ、あんた。乙女のプライバシー踏みにじってそんなに楽しい?」「そんなつもりはないんだけどな」「悪意の無い悪意が一番性質悪いのよ」。

 なんなんだ、こいつは。網代は相変わらずにこにこと笑みを絶やさない。それが余計に腹が立って、悔しい。ああ、最悪だ。明日言いふらされたりしたらどうしよう。もう学校に行けないかもしれない。というか、行きたくない。こいつに会いたくない。
 あ、やばい。泣きそう。目頭が熱くなって、目が潤んできたのがわかる。雫がのぼってくる。ダメだ、こんなやつの前で、絶対に泣いてやるものか。ていうか、全然泣きそうなんかじゃないし。泣きそうになんて、なってないし。
 私は後ろに振り向いた。目から汗を流しているところを、誰かに見せたくない。ましてや、こいつの前で。

「あれ、どうしたの?」「帰るのよ。知ってるんでしょ、私の家が反対側だって」やばい。自分でも今、声が震えているのが判った。「最近この辺りじゃ、殺人事件が起こってるんだってさ」「知ってる」「危ないから、送っていこうか?」「いらない」声の震えを悟られないように、少し投げやりに言った。「おれは少し話があるんだけどな」「私は無い」「いや、君自身の話」鬱陶しい。どうでもいいから、早くこの場を去りたい。「いいから、早く帰らせてよ」「そう、残念だな。折角君と美波君が仲良くなる方法を思いついたのに」。

一瞬、反応してしまった自分が悔しかった。美波君と、仲良くなれる方法。彼の視界に入る方法。つまり、彼に好きになってもらえる方法。
一瞬、私と美波君が仲良くこのあぜ道を歩いている光景が浮かんだ。その妄想の中で、私のとりとめもない話を、美波君はにこにこと聞いていた。目から雫がこぼれたまま、口元がにやけてしまっているのがわかった。その時の私は、きっとよっぽど間抜けな顔をしていたに違いない。
 でも、騙されちゃダメだ。ましてや相手は、今日私たちの学校に来たばっかりで、その癖に私の秘密を見抜いた、無礼者。そんなやつを信用するなんて、とても出来ない。何か魂胆があるに決まっている。

「いらない」「そう。わかったよ」。

 網代の反応は、割とあっさりしていた。あれ、そんな簡単に引き下がってしまうの。何か狙いがあったんじゃないの。肩透かしを食らったような気分で、どうにも腑に落ちない。私の腹の中に、もやもやとした霧がかかり始めてきた。でも今更、やっぱり教えてください、なんて言えるわけもない。そんなのみじめ過ぎる。

「じゃあ、僕も帰るよ。帰り道、気を付けてね」「余計なお世話よ」「まあ、たぶん今日は殺人犯には出くわさないと思うけど」「え、何か言った?」「何も。それじゃあね」。

 網代は笑顔で会釈すると、森の前の道を行ってしまった。一度も私のほうを振り返ろうとはしなかった。あいつは一体なんなんだ。全てが釈然としなかった。
 そういえば、言い忘れていた。

「さっきの、皆に言いふらしたら許さないからね!」。

 網代はこちらを振り向かないまま、ひらひらと軽く手を振っただけだった。凄く不安だ。



   ♪



 僕と目玉が一番最初に会った時の記憶は、無い。物心ついたときには既に、よく一緒に遊んだりしていた。僕の母さんとメダマの母さんは親友だった。だから家族ぐるみの付き合いをしていたのだ。
 小さいころのメダマは活発な性格で、いつも笑っていた。それは僕も同じだったと思う。
都会の、ちいさな公園の大きな木の下のベンチの上に立っていた。セミがいたから素手で捕らえようとしたら、逃げられて、セミにおしっこをかけられた。メダマは笑っていた。僕は最初納得いかなくて怒っていたけど、あんまりメダマが笑うものだから、そのうち僕もおかしくなってきて、笑った。
ずっとずっと前の夏。木漏れ日の下で、笑って、笑って、笑っていた。

「あ」。

 電柱に、アブラゼミが留まっているのを見付けた。セミは僕の身長よりも少し高いくらいの位置にいるので、手を伸ばせば簡単に捕まえられるだろう。
一歩近づいてみる。セミは僕などお構いなしに鳴きまくっている。こんな小さな体から、よくこんなに大きな声を出せるなあと思う。だから一週間したら死んでしまうのだろうか。
もう一歩近づいてみる。セミは微動だにしない。たぶん僕に気づいていないんだろうな、と思った。
メダマは何も言わずに、ただじっとセミに近づく僕のほうを見ていた。
更に一歩近づいてみる。ここで、セミがゆっくりと、ばれないように動いているのに気づいた。足が小さいから、近づくまで動いているのに気づかなかったのだ。
もう一歩近づいて、とうとう手を伸ばせば届く位置にまで来た。そのとき、ぴたっとセミの動きが止まった。
僕とセミとの間に、張り詰めた緊張感が走る。少し前にテレビで見た時代劇を思い出した。今まさに僕とセミは刀を抜いた侍で、一瞬でも気を抜いたほうが負ける。
ばれないようにゆっくりと、セミに手を近づけていく。
そのまま、動かないでね、セミさん。あと二十センチ、あと十九センチ。
その時だった。
セミの足が動いて、思わず僕はそれに反応してしまった。ぎくりと全身が硬直して、その隙にセミは飛び立ってしまう。
何か飛沫のようなものがかかった。それは、セミのおしっこだった。

「あぁ、行っちゃった」。

 セミは森のほうへ飛んでいって、姿を隠してしまった。僕の完敗だった。
メダマは表情を変えないで、ただじっと僕のほうを見ていた。